40年後の生誕祭:手塚眞『星くず兄弟の伝説』作品評



1980年、近田春夫は奇妙なアルバムを発表した。『星くず兄弟の伝説』。これは、存在しない映画のサウンドトラックだった。近田が偏愛するブライアン・デ・パルマの『ファントム・オブ・パラダイス』(1974)を下敷きに、「架空のロック・ミュージカル映画のサントラ盤」として企画された。つまり、当時『星くず兄弟の伝説』なる映画は、近田の脳内にしか存在しなかった。

5年後の1985年、23歳の手塚眞が、この架空の映画を現実にした。手塚は、手塚治虫の息子であり、自主制作8ミリ映画で注目を集めていた若手監督だった。当時、彼は「新人類」と呼ばれた。『星くず兄弟の伝説』は、手塚の商業映画デビュー作となった。

この映画は、100分のロック・ミュージカル・コメディだ。しかし、それは、ジャンルを無視する。ミュージカルでもあり、コメディでもあり、SF特撮映画でもあり、アニメーションでもあり、アヴァンギャルド実験映画でもある。この映画を一言で説明することは、不可能だ。


ストーリー? そんなものはない

物語は単純だ。駆け出しのミュージシャン、シンゴ(久保田慎吾)とカン(高木完)は、ライブハウスでそれぞれ別のバンドでボーカルを務めていた。互いにライバルだった二人は、大物プロデューサー、アトミック南(尾崎紀世彦)にスカウトされ、「スターダスト・ブラザーズ」としてデビューする。芸能界で絶大な力を持つ南のプロデュースにより、二人は瞬く間にスターに仕立て上げられる。しかし、栄光は長く続かない。

これが、公式のストーリーだ。しかし、実際に映画を観ると、ストーリーなど、どうでもよくなる。なぜなら、この映画は、ストーリーを語ることに興味がないからだ。

手塚眞は、100分間、ひたすら映像の実験を繰り返す。特撮、アニメーション、コマ撮り、コラージュ、ミニチュア、モンスターメイクアップ、ストップモーション。ありとあらゆる映像技法が、惜しみなく投入される。画面は、一瞬たりとも静止しない。常に何かが動き、変化し、爆発する。

これは、ストーリーテリングではない。映像のカオスである。


1985年のサブカル総動員

この映画の最大の魅力は、出演者の豪華さだ。しかし、それは、ハリウッドスター的な豪華さではない。それは、1985年の東京サブカルチャーシーンの総動員だ。

主演の久保田慎吾と高木完は、インディーズロッカーとDJだ。俳優ではない。戸川京子(戸川純の妹)がアイドルを演じ、尾崎紀世彦が圧巻の歌唱力を披露する。そして、カメオ出演の嵐。タモリ、高田文夫、サンプラザ中野、中島らも、黒沢清(映画監督)、高橋葉介(漫画家)。ミュージシャン、タレント、文化人、映画監督、漫画家、小説家。ありとあらゆるジャンルの著名人が、画面のあちこちに顔を出す。

これは、映画ではない。これは、1985年の東京サブカルチャーのタイムカプセルだ。


尾崎紀世彦という別次元

この映画の中で、唯一、別次元に存在するのが、尾崎紀世彦だ。

尾崎は、1960年代から活躍する歌手だ。「また逢う日まで」(1970)で大ヒットを飛ばし、圧倒的な歌唱力で知られていた。しかし、1980年代には、すでに「昔の人」だった。

手塚眞は、この「昔の人」を、映画のクライマックスに配置した。尾崎が歌うシーンは、映画の中で浮いている。あまりにも上手すぎる。あまりにも真剣すぎる。周りの素人たちが、ふざけて歌い踊る中、尾崎だけが、本気で歌う。

この対比が、奇妙な感動を生む。観客は、笑いながら、泣く。これは、コメディなのか? 感動作なのか? どちらでもない。これは、『星くず兄弟の伝説』だ。


『ファントム・オブ・パラダイス』との関係

近田春夫が『星くず兄弟の伝説』を企画した際、彼はブライアン・デ・パルマの『ファントム・オブ・パラダイス』を下敷きにした。この映画は、音楽産業の暗黒面を描いたロック・ミュージカルだ。

手塚眞も、この影響を受けている。アトミック南というプロデューサーは、芸能界を支配する悪魔的存在だ。この日の舞台挨拶で近田は「喜田川」さん的な人物と語る。彼は、シンゴとカンを操り、スターに仕立て上げ、そして捨てる。これは、『ファントム・オブ・パラダイス』のスワン(ポール・ウィリアムス)と同じ構造だ。

しかし、手塚は、デ・パルマの暗さを、日本的なコメディに変換した。『ファントム・オブ・パラダイス』は、悲劇だ。しかし、『星くず兄弟の伝説』は、喜劇だ。いや、喜劇ですらない。これは、ナンセンスだ。


破綻しているのに、異常にピュア

批評家たちは、この映画を「破綻している」と評した。そして、それは正しい。ストーリーは散漫で、演出は統一感がなく、演技は素人レベルだ。しかし、同時に、批評家たちは、この映画を「異常にピュア」とも評した。

手塚眞は、23歳だった。彼は、映画を作ることの喜びに、夢中だった。彼は、ストーリーを語りたかったのではない。彼は、映像の可能性を探求したかった。彼は、映画という媒体で、何ができるのかを、試したかった。

その結果、この映画は、破綻した。しかし、その破綻は、美しい。なぜなら、それは、純粋な映画愛から生まれたからだ。


カルトムービーという運命

『星くず兄弟の伝説』は、公開当時、商業的には失敗した。しかし、一部の熱狂的なファンを獲得した。そして、30年以上経った今、この映画は、伝説的なカルトムービーとなった。

2018年、手塚眞は、『星くず兄弟の新たな伝説』を製作した。これは、リメイクでも続編でもない。これは、まったく新しいコンセプトによるニューカルトムービーだ。オリジナルから33年。手塚は、再び、星くず兄弟に戻ってきた。

なぜ、この映画は、こんなにも愛されるのか? それは、この映画が、時代を超えた「何か」を持っているからだ。その「何か」は、言語化できない。それは、映像の狂気、音楽の力、そして、若者の無謀な情熱だ。


手塚治虫の息子という重圧

手塚眞は、手塚治虫の息子だ。この事実は、彼の人生に、常に重くのしかかった。何をやっても、「手塚治虫の息子」と言われる。何を作っても、父と比較される。

しかし、『星くず兄弟の伝説』を観ると、手塚眞は、父の影響から逃れようとしていないことがわかる。むしろ、彼は、父が持っていた「実験精神」を、映画で実践している。手塚治虫は、漫画で、ありとあらゆる実験をした。手塚眞は、映画で、ありとあらゆる実験をする。

父と息子は、同じDNAを持っている。それは、「表現の可能性を、極限まで追求する」というDNAだ。


結論 - 映画という「おもちゃ箱」

『星くず兄弟の伝説』は、完璧な映画ではない。いや、むしろ、欠陥だらけの映画だ。

しかし、この映画は、映画を作ることの喜びに満ちている。手塚眞は、映画を「おもちゃ箱」として扱った。彼は、その中に、特撮、アニメーション、コマ撮り、コラージュ、ミニチュア、モンスター、すべてを詰め込んだ。そして、それを、100分間、観客に見せつけた。

この映画を観て、笑う人もいれば、退屈する人もいる。しかし、誰も、この映画を忘れることはできない。なぜなら、この映画は、あまりにも独特だからだ。

1985年、23歳の手塚眞は、日本映画史に、奇妙な足跡を残した。それは、カルトの足跡だ。そして、カルトムービーは、決して死なない。

40年経った今でも、『星くず兄弟の伝説』は、生き続けている。
そして天国の戸川京子さん、ISSAYさんの姿はフィルムの中で永遠に輝き続ける。

2026年3月1日 手塚眞監督、近田春夫さん、アップリンク吉祥寺にて

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