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「幸福論」になるまで — ①

幸福という謎

 幸福について書かれた文字は多い。幸福であることは人生の最も重要なテーマであるにもかかわらず、幸福とは何かを言い表すことは簡単ではない。そのことが、幸福に関する無数とも言える言説を生んでいる。かくして今もなお、幸福とはつまり何であるかを曖昧にしたまま、幸福でありたい人生を生きている。ような気がする。幸福って難しい。


島田雅彦さん — 『100分de名著 「幸せ」について考えよう』

 「幸せとは、断念ののちの悟りである」という見出しの文章を書いた島田雅彦さんによると、人がなすべきことは結局のところ3つに集約されて、それは生まれてくること、死ぬこと、そしてそのあいだに愛することなのだそうだが、どうもピンとこない。「愛する」……?

 それ以前に、人には「なすべきこと」が、果たしてあるのだろうか。生まれてくること、死ぬことは、「なすべき」というより「ありさま」という方が自然では。では、愛することを同じく人の「ありさま」と捉えるなら、そこに連なる悟りには、苦しみもまた不可分だろう。仏教において愛は、自身において満たされることのないものの象徴であり、別離の苦しみの源泉でもある。

 幸福は、愛よりも広い。ような気がする。なんの意味もないものを、なんの意味もなく眺めて、これといって何も考えないようなときに、幸せだと思うことがあるから。薄く雨の降る水面に泳ぐメダカを見つけたときとか、冬枯れの裏山を散歩する足が踏む枯葉の音をきくときとか。


谷川俊太郎さん — 『幸せについて』

 人生というコトバで生きることを総括?するのは本当は好きじゃない。だから人生論も好きじゃない。人生はコトバで論ずるものじゃなく、生身で生きるものだから、と思ってるんだけど、生きることを考えてコトバで書くのも、飲んだり食べたりするのと同じ生きていることなんだよね。この本も図書館では人生論に分類されるのかな。

言葉には意味がつきまとうから、不幸せになりやすい。音楽には意味がないから、幸せになりやすい。

幸せなんてコトバ 「ほんとは」 要らない

 幸福とは何か、という問いの先に、幸福はないのかもしれない。けれども一方で、幸福という言葉は存在し、なにかを意味している。


埴谷雄高さん —『不合理ゆえに吾信ず』

 ひとの悟りなるものは、骰子のごとくであ
る。六が出たぞ、さて顰め面をしてやれ。

(詩の一部)

 幸福の意味をこれと断じたときに見ているものもまた、サイコロの目の一つに過ぎないということか。



2025年11月に予定しているトーク&ライブ『犀の角・第四夜「幸福論」』に向けて、幸福について考えているプロセスを記述しています。



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