【clum! '95 #07】夕暮れモップ偵察

1995年4月下旬。
部活終わりの体育館。
夕日が差し込み、オレンジ色に染まるコートで、僕、早坂一頼は必死にモップを掛けていた。

……やっぱり、すごいなぁ。
僕の視線の先には、片付けをしている2年生の先輩たち――佐野立夏先輩と折館迅先輩の姿があった。

「ちょっと、迅! あんた、また私のポカリ勝手に飲んだでしょ!」
「……うるさい。減るもんじゃなし」
「減るわよ、液体なんだから! 返してよ!」
折館先輩が無言で投げた新品の缶は、綺麗な弧を描いて佐野先輩の手元へ収まった。
「あ、ラッキー♪ サンキュ!」
二人の会話は、まるで夫婦漫才のようだ。
言葉少なな折館先輩と、賑やかな佐野先輩。
一見正反対に見えるけど、その空気感はあまりに自然で、他人が入り込む隙間なんて1ミリもないように見えた。
そして、折館先輩は怖いけど……佐野先輩を見る目は、なんか優しい気がする。
佐野先輩も、他の男子にはあんな風に話しかけない。
胸がチクリとした。
ボールをぶつけられた日から、気づけば目で追ってしまっている佐野先輩。
でも、彼女の隣にはいつも、あの強くて怖い折館先輩がいる。
もしかして……二人は付き合ってるのかな。それとも、折館先輩が佐野先輩のことを……。
気になって、モップを持つ手が止まる。
そのとき、だった。
「おい、一年……早坂」
地を這うような低い声が響いた。
ビクッとして振り返ると、目の前に折館先輩が立っていた。僕より遥かに高い長身が見下ろしている。
「ひぃっ! は、はいっ! すみませんサボってたわけじゃなくて!」
「……あそこのカゴ、倉庫にしまってこい」
「は、はいっ! 了解です!」
僕は慌ててボールカゴを押して倉庫へ向かう。
すると、先輩も別の道具を持ってついてきた。
倉庫の中、二人きり。重い沈黙。
心臓が早鐘を打つ。
聞くなら今しかない。この「殺し屋」のような先輩に、命がけの質問をするんだ。
「あ、あのっ……折館先輩!」
先輩が気だるげに振り返る。その鋭い眼光に足がすくむ。
僕はなけなしの勇気を振り絞った。
「せ、先輩と、佐野先輩って……その……つ、付き合ってるんですか!?」
言ってしまった。
殺されるかもしれない。
ギュッと目を瞑った。
でも、返ってきたのは殴打でも怒声でもなく、呆れたような溜息だった。
「……はぁ?」
恐る恐る目を開けると、先輩は「何言ってんだこいつ」という顔で僕を見ていた。
「な、だって! すごく仲が良いし、息もぴったりだし……お似合いだなって……」
「……お前」
先輩はボールカゴをドカッと定位置に置くと、積み重なったマットに寄りかかって、こっちを向いた。

「いいか。立夏とは家が隣同士で、オムツ時代からの腐れ縁だ」
「く、腐れ縁……」
「親同士も仲が良いし、兄妹みたいなもんだ。いや、あんなうるさい妹、要らないけどな」
その言葉は本当なんだと思う。
でも。
二人の間には、長い時間を一緒に過ごしてきた人だけが持っている空気があった。
僕なんかが入ろうとしても、きっと押し返されてしまう。
そんな気がした。
「……じゃあ、好きとかじゃ……」
「ない。あんなガサツで、声デカくて、すぐ手が出る女のどこがいいんだ」
先輩はそこまで言うと、ジロリと僕を見下ろした。
その目が、ふと面白がるように細められる。
「……で? なんでそんなこと聞く」
「えっ」
「お前、立夏のこと好きなのか?」
図星を突かれた。
顔から火が出そうだ。
「ち、ちちち、違います! いや違わなくないですけど! その、憧れというか、ファンというか……!」
「……ふーん」
先輩は僕の慌てぶりを見て、少しだけ口角を上げた。笑ってる?
怖い顔には変わりないけど、どうやら殺されずには済みそうだ。
「まあ、いいんじゃないの」
「え?」
「あいつ、中身はガキだから。お前みたいにマメな奴じゃないと、世話焼ききれないだろ」
先輩はポンと僕の肩を叩いた。
それは「頑張れよ」というエールにも、「苦労するぞ」という警告にも聞こえた。
「あ、ありがとうございます……?」
「礼を言われる筋合いはない。……ほら、さっさと片付けて帰るぞ。立夏が外で待っててうるさいからな」
そう言って倉庫を出ていく先輩の背中。
その背中が思ったよりも大きく、そして優しいことに僕は気づいた。

よかった。折館先輩は、ライバルじゃなかった。
……いや。
ライバルどころか。
あの人はたぶん、
誰にも勝てない場所にいる。
僕は息を大きく吐き、緩みそうになる頬を叩いて気合を入れ直した。
外からは、「遅いー! 折館くん、また私を置いてきぼりにしようとしたでしょ!」という佐野先輩の元気な声が聞こえてくる。
「……へへ」
僕も、体育館倉庫の外の、夕暮れの光に向かって走り出した。



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