超人トループ/第1部・第2話;UMAかデマか?
前回
九月七日月曜日の朝、榎門みなみは安いアパートを発って大学へ向かう。九月でもまだ暑いので、ピンクのブラウスは半袖で、灰色のミニスカートも薄手だ。みなみの足取りは重く、溜息を頻繁に漏らしていた。右手を見ると、薬指には依然として指環が銀色に輝いている。三日前、金曜日の夕方に、キッチンカーの青年に嵌められた指環だ。
(麒麟焼きやっけ? あのお菓子は良かったけど…。職人さんの顔に釣られたウチがアホやった)
みなみに指環を嵌めた青年の職人は、本当にみなみのタイプだった。切れ長だが優し気な雰囲気のある目。鼻と口も配置や大きさが絶妙。非常に整った美顔だった。しかし、いきなり「これは運命の出会いだ」と言いながら指環を嵌めて来る、相当の変人だった。
(これ、盗聴器とか付いとらんよね?)
どうしてもそんな不安が頭に過り、みなみはどんどん気が重くなる。
(知っとる子につっこまれたら、面倒やな)
みなみはそう思い、手提げ鞄を持つ手を左手から右手に替え、右手の甲を左掌で覆って隠した。
重い足取りで歩いているうちに、みなみは大学の正門に着いた。石造りの塀に、大きな木の扉が備えつけられている。門の先には、緑の葉を茂らせた大きな木の後方に、レトロな時計台が見える。ここは江戸大学の基礎学部。榎門みなみは、この大学の文系Ⅲ種に籍を置く一年生なのだ。
(気持ちを切り替えて。授業はしっかり受けるよ)
みなみは学舎を見上げながら、静かに気合を入れた。指環のことは隅に追いやるよう、自分に強く言い聞かせた。
三限目が終わり、時刻は午後二時半となった。月曜日にみなみが受けるが授業は、ここまでで終わりだ。
(良かった。誰にも指環のこと、つっこまれんかった…)
そのことにみなみは安堵し、ある場所を目指して構内を歩いた。両脇の銀杏並木は、ここが公園かと錯覚させる。四月はこの光景に目を奪われたが、九月にもなると見慣れてきて、そこまで心が躍らなくなった。
ゆっくりと歩くみなみの後ろから、駆け足の音が迫って来た。
「隙ありっ!」
疾走する足音の主は、背後からみなみのミニスカートを捲った。みなみは苦笑して、駆け寄って来た相手の方を振り向く。
「何してんの、優子ちゃん」
みなみのスカートを捲った者は女性で、してやったりと言わんばかりに笑っていた。
「元気無さそうに歩いてるから、景気づけだよ。でも前から言ってるけど、この短さなら見えない対策しようよ」
彼女は有馬優子。江戸大学の一年生だ。長い後ろ髪を団子にしてまとめ、前髪も先を綺麗に揃えて大きめの眼鏡を掛けており、白いTシャツに黒いデニムのハーフパンツを着合わせていた。
(ウチ、そんな元気無さそうに見えとるの?)
優子の一言にみなみが傾げている間に、優子は気付いてしまった。みなみから元気を奪ってる原因に。
「何、この指環!? 凄いじゃん!」
優子は目を輝かせて、みなみの右手を掴んだ。優子が反応したのは、言うまでもなく薬指に嵌った銀色の指環だ。指環に気付かれると、みなみは盛大に溜息を吐いた。
「これね。細工は凄いよね。鳳凰みたいなヤツ、毛の一本一本まで彫り込んどるし。多分、凄く高いんやろね」
みなみは右手を顔の高さに上げ、甲を自分の方に向けた。薬指の指環に施された鳳凰か朱雀のような装飾を見ていると、自ずと溜息が漏れる。何故みなみが落胆に近い様子を示すのか、優子には理解できなかった。
「この指環、気に入らないの? 何で?」
優子の口から自ずと疑問が漏れたので、みなみは説明した。この指環を得た経緯を。三日前の金曜日に出会った、イケメンで凄腕の菓子職人のことを。いきなり「運命の出会いだ」と言って指環を嵌めてきたという話に、優子は絶句してしまった。
「理系I種の優子ちゃんから見て、この指環に盗聴器とかが仕掛けられとる可能性は、どんくらいやと思う?」
みなみに問われて、優子は口を真一文字に結んで唸る。
「理系I種と言われても、まだ高校の延長みたいな授業受けてるだけだからね。そんな詳しいことは知らないけど…。って言うかさ。そんなに怖いなら、外せば良いじゃん」
優子にそう言われるのは、半ば必然的だっただろう。しかし言われた途端、みなみは肩を落として深く溜息を吐いた。
「それがね。洗剤とか試したんやけど、フィットし過ぎとんのか、抜けんのよ」
みなみは土日で、この指環を取る為に奮闘した。しかし、期待した成果は上がらなかったのだ。その話に、優子は顔を歪める。
「抜けなくなった指環を切ってくれる業者さんとか無かったっけ? 検索した?」
優子は知恵を絞って提案をする。しかし、みなみは唸るばかりで、良い反応を見せない。
「それも考えたんやけど…。この指環、凄く繊細で緻密な細工しとんのよ。切るの、勿体ないと思わん?」
みなみは右手の甲を優子に見せながら、溜息に混ぜたような声でそう言った。優子は苦笑いする。
「みなみは、私より目が良いからね。凄く細かい所まで見えるんだよね…」
優子は、みなみの苦悩に寄り添おうとしていた。この優子の姿勢に、金曜から一人で悩んでいるみなみは、心を動かされた。
「ありがと、優子ちゃん。その気持ちだけでも、嬉しいわ」
今度は、涙混じりの声になったみなみ。隣を歩く優子の左肩に寄り掛かった。優子は右手で、みなみの頭をポンポンと叩いた。
「まあ、愉しいことだけ考えよ。嫌なことは忘れて」
こんな調子で、二人は暫く歩いた。
みなみと優子は、大学生協の談話室に辿り着いた。四人掛けの円卓が、十個ほど並べられている。既にいた三組の先客を意識して、みなみと優子は最も奥の円卓に陣取った。
「結城先輩はまだやね。熊大物語、読んどこ」
みなみは手提げ鞄の中からスマホを取り出し、何かのサイトを見始めた。優子は乾いた笑いを漏らす。
「また、あの話? 熊本大学の地下に、怪物が住んでる遺跡みたいなものがあるかという。あれは虚構だわ」
noteというSNSに投稿されている熊本大学迷宮物語という小説を、みなみは読んでいた。概要は優子の話した通りである。
「その姿勢、UMA研究会に身を置く者としてあかんくない? 熊大迷宮に巣くう亜獣や絶魔も、UMAやないの? noteの熊大物語は、熊本県の都市伝説をベースに書かれとるらしいし」
みなみがそう返すと、優子は身を前に乗り出しながら語り始めた。
「公募した学生に迷宮の怪物と戦わせて未知の物質を回収させてるとか、ある訳ないじゃん。そんな危険なこと学生にやらせるなんてバレたら、熊本大学は叩かれまくるよ。死傷者が出たらどうすんの?」
優子の話は現実的だった。みなみは反論が思いつかず「そうですけどー」と口を尖らせながら、スマホで熊大物語を読み続ける。優子はこのまま、同様の話を続ける。
「そもそもさぁ。地下にそんな遺跡があるなら、熊本大学は今とは別の場所に建てられてるから。芳乃賀離遺跡だって、元々は工業団地を造る予定だったけど、遺跡が見つかったから工業団地の建設は中止になったんだよ」
スマホで熊大物語を読んでいたみなみは、優子のマジレスに痺れを切らした。
「優子ちゃんは夢が無いねえ。おるかもしれんっていう夢が、UMAの醍醐味やん」
丁度読み終わったこともあり、みなみは視線をスマホから優子に移した。怒っておらず、視線に厳しさは皆無だが。
「UMAは未発見の生物かもしれないし、誤認や嘘かもしれない。その謎をアレコレ考えるのがロマンなんだよ」
したり顔で話す優子も、視線に厳しさはない。
こんな会話を二人がしていると、この場に新たな者が姿を見せた。
「榎門さん、有馬さん。遅くなった」
その人物は細身の男性。周りを気にして足音を忍ばせながら、みなみと優子の元まで近づいて来た。黒いTシャツに青いデニムという服装や黒髪の短髪という髪型は、目立たない普通の男子大学生という雰囲気で、二人の女子学生とは不釣り合いの印象があった。
「お待ちしてました。結城先輩」
みなみと優子に笑顔で迎え入れられながら、彼は二人と同じ円卓に陣取った。
彼の名は、結城裕真。江戸大学の理系Ⅱ種に籍を置く二年生だ。彼は背負っていたナップザックの中から、タブレット端末を取り出して円卓の上に置いた。
「この写真、榎門さんに見て欲しいんだ」
結城はタブレット端末を表示して、画像を表示した。優子はその映像を見ても眉間に皺を寄せていたが、みなみは感嘆した。
「やっぱり、榎門さんには見えるよね?」
顔を明るくして声も弾ませる結城に、みなみは頷いた。
「居ますね。毛むくじゃらの猿…。これがアクロバティク・ゴワゴワ?」
神妙な面持ちで、みなみは言った。その画像は、ビルの高層階のガラス壁から撮ったと思われる写真。ビル街の夜景を撮った写真だが、眩しい灯の中に、異物が紛れていた。それは、猿か人のような黒い影。ビルからビルへと飛び移ろうとしているのか、宙を舞っていた。灯が眩いとはいえ、夜に黒い物体を捉えた画像だ。非常に見えにくいし、何かの誤認という可能性もある。だから結城は、目の良いみなみに鑑定を依頼した。そのみなみから太鼓判を押されて、結城は静かにガッツポーズを取った。
第3話へ続く!
*作中で話題になっていた熊本大学の話はこちら!
