見出し画像

短編【下町の歌姫-マルゴ・フェイユ】  -運命の星に導かれー第二章

ヘッダー画像は、Kei様の作品を使わせて頂いております。

第二章 【居酒屋「黒猫」と下町の少女】

1894年、秋も深まり吹く風に冬の兆しが感じられる頃、一人の少女が下町の居酒屋の裏口に立っていた。

少女の名前はアンナ、旅回りの芸人二コラと好い仲になったものの身籠ると捨てられたのだ。

芸人と言っても二コラはフランス南部のラングドックから流れて来た街頭芸人。ギターを弾きながら自作の詩や地元の伝承歌などを披露して日銭を稼ぐ根無し草のような男だ。

17歳のアンナは其の日暮らしの労働者の娘。
男女の在れ此れは周りの大人たちの会話から知らぬ事ではなかったが、女遊びと世間慣れしたハンサムな若い男の甘い言葉に少女の脆い砦は忽ち崩れ夢中になった末に一緒に暮らし始めた。

当然の如く暫くするとアンナは身籠り、其れを告げられた二コラは、ある朝アンナが目覚めると荷物と共に姿を消していた。

未熟故に予想もしなかった出来事、親元から勝手に出て来て男に引っ掛かった末に身籠ったとなれば帰る訳にもいかず、帰ればどのような目に遭うか父親の恐ろしい顔が浮かび途方に暮れたアンナは頼る所もなく街を彷徨って一件の居酒屋に辿り着いた。

そんな彼女が裏口に空き瓶を置きに出て来た店の親父クロードが心細げに佇んでいるアンナを見付けた。
事情を聞いた末に追い払う訳にもいかず一晩泊める事にした。

居酒屋[黒猫]はクロードの父親が1870年頃から始めて20年前に彼が跡を継いだ。
クロードは、愛妻を早くに亡くし子供も居らぬ鰥夫の気儘な独り暮らし。
妻亡きあとは店の手入れも行き届かず以前の小奇麗だった店は薄汚れて見える。

アンナを一晩泊めたクロードは、身籠った17歳少女を追い出すには身から出た錆とは言え世間知らずの少女に手を出した男が何よりも悪いと考えてしまうのだった。
一先ず、アンナと話を付けて店と身の回りの世話をさせる為に雇い入れる事に決めた。

Kei様の作品から「居酒屋 黒猫」のイメージです。


居酒屋で働き始めたアンナだが、やがて美人の彼女はクロードと親しい間柄となった。
其の後、アンナは二コラの子を出産した。

マルゴと名付けられた女の子を、クロードは自分の子のように可愛がり6年の歳月が流れた。だが、幸せは長くは続かなかった。

ある日、顎髭をたくわえ帽子を目深にかぶった男がギターを片手に居酒屋のドアを押して入って来た。

店の奥で遊んでいたマルゴが不思議そうに見詰めた。
馴染みの男たちの一人でないことは判る。

帽子の下に見える視線に何かを感じ取り、後ろを向いていたアンナのスカートの陰に隠れた。

ドアの開閉の音にふと振り返ったアンナ。
二コラを認めて身体が凍り付いた。
「アンナ、どうした。客だ」と奥からクロードの声。
「あ、はい。只今」

「ワインを頼む」と言いながらアンナを見詰める二コラ。
黙って、グラスにワインを注ぐアンナの手が震える.....

密かに舞い戻った二コラがアンナを探し当てたのだ。
数日後、アンナは二コラの指図の儘に幼いマルゴを残して店の売上金まで持って突然姿を消した。

クロードの怒りは残された六歳のマルゴに向けられた。
今迄と態度を一変させて幼いマルゴに辛く当りアンナの代わりに店の雑用をさせた。ヘマをすると罰としてパンと水しか貰えず辛かった。

客が哀れんで、食べ物の残りを分けてくれることもあった。飢えはしないが彼女は何時も腹ペコで痩せこけ辛い日々を送っていたのだろう

然し、マルゴは生き抜く術を心得ていた。
客が酔って口ずさむ歌を覚え、意味も解らぬまま舌足らずに歌う様子は言いようのない可笑しさを誘い客から受けた。

歌えば気前の良い客が、偶に小銭の一枚もエプロンのポケットに入れてくれた。

母親の行いは別として幼い子に罪はない。
クロードも人情は厚い方だ、時が経つにつれマルゴに対する態度も和らぎ以前のように優しい目を向けるようになった。

やがて、マルゴは十二歳になり、母親似の美貌に加えて、少女独特の危うい様子を漂わせ始めていた。

歌の意味も理解しはじめ、客の中には歌の上手い者も居り教えて貰う事で少しずつレパートリーも増えて行った。歌い方にも磨きがかかり、十五歳になる頃には、彼女目当ての客も現れるようになった。

其の頃には煙草も覚え酒も嗜むマルゴは、女性としての色気を纏い始めた。然し、いっぱしの女性への目覚めは背伸びする少女として危なっかしくて見ていられない。
子供を持ったことのないクロードもマルゴに対する親心に目覚め彼女を守る為に周囲の男に目を光らせた。

年配客に交じって遊び人風の若い男ジョゼも姿を見せるようになった。
マルゴの気を引こうと声を掛けたり、親しげに触ろうとしてはクロードに睨まれていた。

然し、マルゴは下町の様々を見聞きして育ってきたのだ。
伊達男の気取り屋は軽薄で女を泣かせては次の女に乗り換えてを繰り返すのが落ちだ。

女の泣き寝入り、揉め事や刃傷沙汰など日常茶飯事の日々を見て来たマルゴは口説き文句などに左右されるような少女ではなかったが、

「マルゴ、気を付けろよ。男の甘言は危険だ騙されるんじゃないぜ」と言うクロードに
「Pépe(パパァ)、判ってるって。私の眼は伊達に付いてやしないわ。シッカリ観察しているから、心配しないで」と答えるマルゴ。
何時の頃からか、マルゴはクロードの事をPépeと呼ぶようになっていた。

歌のレパートリーも増え、我流だが独特の雰囲気を漂わせて唄う様だけは大人びて見えた。
然し、近隣地域にのみ何時しか「下町に輝ける星現る」と噂がたった。

芸術家の多い場所だけに彼女の美貌は売れない画家の小遣い稼ぎのポスターのモデルに適していた。

其の頃、アコーディオンを弾き歌を唄う街頭芸人ジャンと出会ったマルゴは自分で作詞した歌の作曲を頼んだと言うか、彼女の唄うメロディーを聴き取って伴奏を付けて貰った。

1900年初期の女性ファッション


季節は巡り、初夏になるとマルゴは、精一杯のお洒落をして休日の公園に行き人々に混じって散策した。
五月のパリ、花が咲き乱れ、若葉が風を運ぶ季節。

マルゴは貴婦人の真似をして背筋を伸ばし腰を振りながら歩き、男たちの視線を集めた。
だが、下町の雰囲気に言葉遣いも荒く、育ちの違いは隠せないのだ。

誘いもしないのに幼友達の悪ガキ仲間の少年や少女も一緒に付いて来た。
「マルゴ、今日はイケてるね~中々のもんだよ」と、ポールが言うと

「何がさ?」とやや不機嫌なマルゴ

「その花柄のワンピースが良いじゃないか。風が吹くと裾が捲れ上がって脹脛が見えるぜ」と、今度はドニがニヤニヤしながら声を掛ける。

「嫌だね~二人共何処を見てるんだよ。色気付いちゃってさ」とマルゴ

と、もう一人の少年が「ねえさん、胸元が開きすぎじゃねえかい。谷間がさ~」とニヤリとしながら顔を寄せて来る。

更には図にのった年長の少年が「マルゴの茂みは髪と同じ色かい。今度見せておくれよ」なんて言うものだからマルゴが癇癪を起して日傘で少年の頭を張り飛ばした。

「もう、どいつもこいつも、煩いったら有りゃしない」と苛立ったように返すマルゴに、少し年上の仲良しサフィーが

「そうだね~男の子って言ったって大人の男から色々と聞いてるだろうからさ。何かチョッカイが掛けてみたいのさ。でさ、秘め事にも興味津々だからさ一人前になりたくてウズウズしているんだろうさ」と言う。

この様な調子で、戯れながら歩いていては、紳士淑女が眉を潜めながらも笑いを堪えている様子が見て取れる。       

彼女の夢は、場末の居酒屋を抜け出し、紳士と並んで歩く貴婦人になることだった。

その夢は、やがてエンリケ・サントスと言う人物が現れたことで動き始めた。


 第三章契約とマルゴの成長】に続きます。


有り難う御座いました。