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日本の経済安全保障には「コスト」と「シナリオ」が欠けている

経済安全保障が国家の重要課題として語られるようになった。先端半導体の国産化、レアアースの調達多元化、重要物資のサプライチェーン強靭化。どれも必要な議論だろう。しかし、この議論には重要な欠落が二つある。「コスト」と「シナリオ」だ。


最大の経済安全保障は、通貨を高く保つこと


日本はエネルギー、食料、肥料原料、レアメタル、半導体素材——あらゆる重要物資を輸入に依存している。この構造のもとでは、円の購買力がそのまま資源調達力に直結する。

仮にドル円が150円から100円に戻れば、すべての重要物資の輸入コストが約3分の2になる。全品目、即座に、一律に。深海資源の開発やレアアースの代替技術は、実現まで時間がかかり、しかも対象は限られた品目だ。一方、通貨価値の維持は全品目に横断的に効く、最も汎用的な経済安全保障のツールである。

コストの問題では無い、と言われるかもしれない。しかし、まず、通貨が高ければ資源の確保競争で買い負けない。さらに、調達コストが浮けば、その分を新たな調達先の開拓や国産化にまわす余裕が出来る。経済安全保障にコストがかかる以上、重要物資の調達コストが下がることは重要なメリットだ。

にもかかわらず、経済安全保障の議論で「通貨」が論じられることはほとんどない。異次元緩和の副作用としての円安が重要物資の調達コストを押し上げ続けているという現実は、個別品目の供給確保策と同様に、大きなインパクトを持っているはずなのに。

円安でこそ製造業が国内に回帰し、国産率があがるという議論はあるかもしれない。しかし、いまや国内では「労働力」すら調達できない。外国人労働者を継続的に確保するには、円安は大きな問題になる。低賃金と円安で、いまや外国人労働者すら日本で働きたがらないのだ。


コスト意識なき国産化は持続しない


経済安全保障の名のもとに進められる国産化プロジェクトには、共通する問題がある。コストの議論が欠けていることだ。

例えばラピダス。仮に2nmプロセスの量産に技術的に成功したとしても、TSMCの2倍のコストでしか半導体を作れなけば、売れば売るほど赤字が膨らむ構造になる。例えば、不幸にも10年で累積5兆円の赤字が出たとして、日本国民は「安全保障のための保険料だから仕方ない」と納得するだろうか。

推進側はしばしば「有事への備えだ」と説明する。だが保険というものは、掛け金と補償内容が明示され、加入者が合理的に判断できて初めて成立する。ラピダスの損益はどうなるのか。有事にどの程度の自給能力を実際に維持できるのか。5年後にTSMCとの格差は縮まっているのか。こうした問いに対する確かな見通しなしに、「とにかく国産化」を進めることはかえってリスクにならないか。


シナリオなき部分最適のリスク


もう一つの欠落は、シナリオベースの思考だ。

現在の経済安全保障政策は、「特定重要物資」を個別に指定して対策を立てる構造になっている。半導体は経産省、食料は農水省、エネルギーも経産省だが別の部局。しかし有事において、脅威は個別には訪れない。

例えば「中国との貿易が大幅に制限される」というシナリオを考えてみよう。そのとき同時に起きることは何か。リン酸アンモニウムの途絶——日本の肥料原料、特にリン酸系は7〜9割は中国に依存している。レアアースの途絶。加工食品向け農水産物の途絶。中国経由の工業製品のサプライチェーンの寸断。これらは同時に発生する。

レアアースが国産化できていても、肥料が入ってこなければ食料生産ができない。食料生産ができなければ、先端半導体を作れたところで社会は機能しない。安全保障の堅牢性は、社会の最も弱い鎖で決まるのだ。


零戦の設計思想に学ぶ


「最も弱い部分」がシステム全体の強度を決めるという原理を、かつて徹底的に突き詰めた日本人がいた。零式艦上戦闘機の設計者、堀越二郎である。

零戦の設計で堀越が最優先したのは、徹底した軽量化だった。機材全重量の10万分の1まで管理し、各部材の安全マージンを極限まで削り込んだ。ある部位だけが過剰に頑丈でも、他の部位が先に壊れるなら、その強度はただの重量の無駄でしかない。だから全体を均一に、限界近くまで削る。最弱部以外を強化しても無駄だという冷徹な合理性が、あの名機を生んだ。

経済安全保障にも同じ原理が当てはまる。半導体やレアアースに何兆円も投じて「強化」しても、食料やエネルギーという最弱の鎖が切れればシステム全体が瓦解する。必要なのは、特定の品目を過剰に強化することではなく、「何に備えるのか」というシナリオを定め、最も弱い鎖を特定し、経済安全保障に割ける限られた資源を全体最適で配分することだ。

いま日本の経済安全保障に本当に必要なのは、個別品目の国産化「プロジェクトX」ではない。通貨価値の維持という基盤を固めたうえで、危機のシナリオに基づいたボトルネック分析を行い、コストに対する国民的合意を形成すること。地味だが、それこそが社会システム全体の危機への耐性を決める設計思想のはずだ。


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