看護以外の時間が、私を看護師にしてくれる
前回は、看護師として頑張りたいけど、仕事以外にも大切なものがある人に向けて書いた。
この記事は、仕事以外の時間を「看護と関係ない時間」だと思っている人に向けて書く。
プライベートは、仕事の外側じゃない。
看護につながっている。
そのことを、自分の経験から書く。
看護が見えなくなった時期があった。
毎日現場に立っている。
ちゃんと動いている。
でも、何のためにやっているのか、わからなくなっていた。
原点を思い出したくて旅に出ることにした。
原点はラオス🇱🇦👇
周りの目が気になった。
「連休なんて取っていいのか」
「自分がいない間、現場は大丈夫か」
それでも、思い切って一人で旅に出た。
行き先は、カンボジアだった。
そこで見たものが、頭から離れない。
ぼろぼろの服を着た子どもたちが、物を売っている。
物がない。
豊かとは言えない暮らし。
でも、笑顔がきらきらしていた。
お店のおばちゃんが言った。
「日本から来てくれて、うれしい」
別の人が言った。
「今日は、ハッピーだよ」
その言葉が、刺さった。
自分の中に、勝手につくった「幸せ像」があった。
こういう状況なら、辛いはず。
こういう生活なら、不幸なはず。
気づかないうちに、そういう見方をしていた。
患者さんにも、ご家族にも。
「この状況なら、こう感じているはず」
「この病気なら、こう思っているはず」
でも、それは私が勝手につくった「幸せ像」を当てはめていただけだったのかもしれない。
カンボジアで「今日はハッピーだよ」と言っていた人が、それを教えてくれた。
そして気づいた。
今の自分は、ないものねだりをしていた。
看護が好きで、この仕事を選んだ。
一緒に働く仲間がいる。
患者さんと関われる現場にいる。
それが、すごく幸せなことだったと、
離れてみて初めてわかった。
病棟に戻った。
最初の日、食事が再開になった患者さんがいた。
今まで、それは「業務」だった。
食事を配膳する。
確認する。
記録する。
でも、そのとき違って見えた。
患者さんにとって、食事が再開するのは、すごくハッピーなことだ。
点滴が外れる瞬間も。
術後、初めて歩ける瞬間も。
その場面に、自分がいる。
ちょっとだけ、役に立っている。
看護って、すごいじゃないか。
自分も、なんかちょっとすごいじゃないか。
そう思えた。
旅の前には、見えていなかった景色だった。
プライベートの経験は、看護の見え方を変える。
遊ぶことで、楽しむことの意味がわかる。
誰かを大切にすることで、大切にされる側の気持ちがわかる。
失うことで、あるものの価値がわかる。
一人で過ごすことで、自分の内側が見えてくる。
そういう経験が積み重なって、
患者さんの言葉の意味が、少し深く聞こえるようになる。
ご家族の表情が、少し丁寧に見えるようになる。
「仕事だけの人間」を育てたいわけじゃない。
師長として、スタッフに思うことがある。
有給を取って旅に行ってきたスタッフが、
なんとなく顔つきが変わって戻ってくることがある。
趣味に夢中になっている時期のスタッフが、患者さんとの会話が豊かになることがある。
子育てをしながら働いているスタッフが、
患者家族への関わりが自然にできることがある。
それは偶然じゃないと思っている。
ちゃんと生きている人が、
ちゃんと看護できる。
あなたの経験が、看護を豊かにする。
看護の仕事が、人生を豊かにする。
両方であってほしい。
人生は、看護の邪魔じゃない。
旅も、恋愛も、子育ても、介護も、趣味も、一人の時間も。
全部が、看護につながっている。
プライベートを大切にすることは、
看護師としての自分を豊かにすることだ。
だから、休んでいい。
遊んでいい。
自分の人生を、ちゃんと生きていい。
その時間が、きっと現場に還ってくる。
次回は、「"あなたがいないと困る"だけで、職場を作りたくない」を書く。
誰かの犠牲で成り立つ現場ではなく、
誰もが休める現場をつくるために、管理者として考えていることを。
