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【医師エッセイ】高校生からそして医学生へ

 私の母校は金沢医科大学です。大学生活6年間、そして研修医2年間を過ごした石川県は私の始まりの地です。金沢医科大学には、全国各地から学生が集まっていました。現役合格した者もいれば、何年も浪人生活をしていた者や社会人経験者もいます。中学高校を男子校で過ごしていた私にとっては、多様性あるコミュニティでの大学生生活です。それに大学の受験会場では敵同士だったみんなが、入学後は医師を目指して支えあう仲間に変わりました。私はこの石川県に一人暮らしの部屋を借りてから、一気に世界が変わり、広がった思いでした。

 とはいえ学生の身分では、生活すべてのお金を、自分でまかなえるものではありません。親からの仕送りで暮らす生活は、学費も負担してもらっていますし、仕送りを全部使い切ることもできません。わずかなお金の中で、いかに楽しめるか、いかに豊かに感じられるか工夫が必要でした。とくに食事に関していえば、1人暮らしをして毎食調理をすることなど初めての経験。当時はネットもなかった時代ですから、気軽に調べることができません。料理をするには母から教わるか、高校のときの友人から貰ったハウツー本を見るかの二択です。

 大学に受かってから、石川県に来るまでの短期間に、一応母親からは料理を無理やり教わっていました。母親は一人暮らしをする息子が心配で教えてくれていたのですが、当時の私は思春期。トンガっていたので、適当にしか見聞きしなかったのです。いえ、これは私の特性で、思春期は関係ないかもしれません。今でも格好いい大人と言うのは明るく、適当なものだと思っているからです。この「適当」という日本語を、いいように解釈しているのかもしれません。

 石川県に来るまでは、どんなに心細い時にも周りに大人がいたり、信頼関係のある人たちがいました。しかし、一人離れた石川県での大学生活は、そういった人が近くにいません。不安で寂しいと思って一人眠る夜もありました。ですが、次第に友人ができ始めると、一人の時間だけではなく、友人との時間も増えていったのです。

 例えばお喋りしながら、みんなでタネを作って餃子の皮に巻いて作った記憶もあります。もちろん食事会だけでなく、勉強会もしました。勉強を自分1人でしていると、ついつい得意な所ばかりに集中してしまいますが、周りに人がいれば広範囲の勉強ができますし、教え合いもできます。医師になるための医学の勉強は偏りなく理解することが必要なので、苦手な分野を担当してみんなに説明することで身につけることも必要なのでした。

 医学の勉強は難しい上に進級試験は厳しい。医師国家試験よりも卒業試験は、数倍難しかったです。だからお互いに支え支えあって研鑽する。そんな日々です。
「君が留年したら、みんな留年するよ」
 研鑽し合っている中でも、こんな言葉をかけてくれる人もいました。嬉しい限りです。
 医学部を卒業して医師国家試験に合格。そして、内科医、外科医、小児科医、産婦人科医と、それぞれの分野に分かれていきます。

 53歳になった今、大学の友人と会うと当時のあだ名で呼び合う人もいますが、先生づけで呼ぶ事が多くなりました。それでも会えば、すぐに大学生の頃に戻ります。友人たちも、今や〇〇部長や●●院長です。でも同じ釜の飯を食った仲間。それは何年、何十年が過ぎても変わりません。
 仲間と過ごした医学部6年間、研修医2年間を過ごした石川県は、ただの思い出の地ではありません。私の社会人として医師人生の礎になったかけがえのない、始まりの地です。
そして、医師の卵だった私たちの、旅立ちの地でもあるのです。

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