【本の読み聞かせ】
本は心の栄養ということで、小中学校では、朝の読書タイムという時間が設け、読書を勧めている学校が増えてきている。週に一回図書室に行く時間を確保している小学校は多いが、マイブックといって、自分の家から好きな本を持ってきて、小さなバッグやレジ袋にその本を入れて、教室の机の横に下げ、隙間時間ができたら本を読むという取り組みをしている学校もある。読む本は何でもよい。いつでもよい。とにかく読むということを徹底していると聞くと、昔、本を読むことがあまり好きではなかった私は、ちょっと戸惑ってしまうが、本を読む習慣が子ども達につくのはとてもよいことだと思う。
本の読み聞かせは、幼児の心に灯りをともす。まだ字を読むことのできない子どもは、親や先生が絵本を読んでくれるのをとても楽しみにしている。私も幼い時に母に絵本を読んでもらうのが好きだった。安心して眠れたものだ。
だから私も仕事がとても忙しいが、我が子が寝る時間に家にいるときは、絵本を読んでやっていた。その中で違和感を覚えることがあった。私が子どもの時に読んだ、または読んでもらった絵本と話が変わっていることに気づいた。たとえば、さるかに合戦。民話なので細かいところは地域により差があるのは当たり前だと思う。でも、私が読んでもらっていた話は、猿とかにがおにぎりと柿の種を交換するところから始まる。猿はおにぎりを手に入れ、かには、柿の種を育て、たくさん実をならせた。そこにやってきた猿は、木に登れないかにの代わりに柿を採ってやるといい、木に登って自分だけが食べたので、かにが怒ったら、青い堅い柿をかにに投げつけ、かには死んでしまう。死んだかにからたくさんの子がにが生まれ、親の敵を討つために臼などと結託して、子がには猿を殺し、敵を討つという話。でも、私が子どもに読んでやった本では、お母さんがにはケガをして寝込むだけで、猿も栗にやけどさせられ、蜂に刺され、牛糞で滑って、臼が上から落ちてくるけれど、たんこぶを作るだけで、かにたちに謝って、仲よしになるという話だった。相手が子どもだから、命を奪ったり、殺したりするのはだめだと出版社がメルヘンに変えてしまったようだった。
民話だから、どれが正しいかはわからないし、中味も変遷していくものだとは思う。でも、臭いものにふたをして、きれいなものだけ子どもに見せていれば、子どもはいい子に育つのか?大人になってからでないと、大人の社会のどろどろした心模様や社会情勢を描いた作品を読んではいけないのだろうか?それは違うだろうと私は思っている。
だから、私は、「11ぴきのねこ」シリーズが好きだ。この絵本自体が好きというのとは違う。この本が子ども達を惹きつけてやまないところが好きなのだ。
このシリーズの「11ぴきのねこ」というのが、馬場のぼる氏の絵本デビュー作らしい。この本に出てくるねこたちは、いい子じゃない。いじわるをするし、ねこたちは勝手気まま。だけど、この本の人気は絶大だ。私は小児科医なので、年に何回か幼稚園に行くが、どの幼稚園にも「11ぴきのねこ」シリーズの本はあり、とても人気だという。先生に「読んで。」とせがむ子どもが多いらしい。そして本を読み始めると、みんな集中して絵本を見つめ、くすくす笑ったり、大笑いしたりするらしい。終わったら「もう一回」というリクエストもあるそうだ。
ある子に、「なぜ好きなの?」と聞いたことがある。その子は「11ぴきのねこ ふくろのなか」という本を持ってきて、目をキラキラさせて、「だって花を採るなって書いてあるのに、たくさんあるから一本だけーと言って次々みんなが、花を採っちゃうんだよ。注意されてもきかないんだもん。それで、ばけものにつかまっちゃうんだ。ばかだよねぇ。」 と教えてくれた。だめと言われるとやりたくなる子どもの心理が絶妙に書かれているのである。週刊誌で馬場さんの話を読んだことがあるが、「私の絵本は子どものためにならない。」とおっしゃっていた。ふうんなるほど。人は、本から学ぶことは多いと言われるけれど、ためになる話ばかりじゃなくてよい。人間の本質にせまる話を幼児の時から読んでこそ、豊かな感性をもつ子どもに育つんだと思った。してはいけないことも当事者である子どもは確実に見抜いていることに感心した。
だから、読書は、どんな本を読んでもいいけれど、乱読もいいなと思う。本屋さんに行って、今日買おうかなと思うジャンルの棚に行き、目をつぶって、本を一冊選んで、それを読んでみる。乱読=心がらんらんする読書となるだろう。勧善懲悪の話ばかりでなくてよい。特に子どもの本を選ぶときには、それに注意したいと私は思っている。
