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テロルと、集合的無意識のエントロピー《ショートショート》

はじめに
5月に『暁星あけぼし』を読んで、別アカウントに感想を書くつもりでしたが、なぜかためらっているうちに、小説を書こうと思い立ち、こちらのアカウントに投稿することにしました。
2022年7月の安倍元首相銃撃事件を、善悪・正邪というこの世界での常識と好悪の感情よりも次元の高い、「集合的無意識」「エントロピー」という視座で俯瞰してみました。5,000字超とショートショートとしては若干長いですが、お眼を通し頂ければ幸いです。

はじめに

 梅雨入り前、6月のある土曜日の午後1時過ぎ。吉祥寺・井の頭公園内のイタリア料理店のカウンター。紅い弁財天が右側に見える池を眺めながら、僕と男性の友人の交野かたのさんは、イタリア産生ビールとワイン、マルゲリータを嗜んでいた。人気店の店内は家族連れとカップル、独り客で満席だ。

 友人とはいっても、渋谷のある企業で開催されたマーケティング・リサーチ業界団体セミナーの懇親会で知り合った交野さんは、数か月前に〝前期高齢者〟群に組み入れられた僕より二回りふたまわり年下の41歳。僕はフリーランスになってから10年以上経っていたが、交野さんは会社員。立食パーティ形式の懇親会で、たまたま小説の話になって意気投合したのは、2年前のことだった。

 僕の20代、30代の頃のように長身でスリムな体形の交野さんは、ワインで僅かに赤らめた顔で僕に問うた。

「冴島さん、今年の本屋大賞にノミネートされた、湊かなえの『暁星あけぼし』、読みましたか?」

「うん、大賞を受賞した朝井リョウの『イン・ザ・メガチャーチ』のほうは、タイトルは宗教そのものなんだけど、幅広い読者に向けて開かれていた。それに対して、2022年に実際に起きた元首相銃撃事件を、ダイレクトにテーマとした『暁星』は、新興宗教そのものをフォーカスしていた」

「なるほど、そういう見方もできますね。『暁星』の永瀬被告の手記のほうですけど、そのままでは、いかにも被告が書きそうだよね、という当たり前の告白でしかない。ところが、女性作家の告白小説が絡んでくると、想像できなかったストーリーが紡ぎ出され、ラストはパズルが完成したときのような気持ち良さでした」

 僕も同感だった。途中から(そう来るか!)と驚き、ラストでは(そう終わらせるか?)とさらに感動した。
 交野さんは結婚され、子供さんも一人いらっしゃるが、僕はずっと独身のままだった。

「僕はずっと独身だったから、という理由だけじゃないかもしれないけど、恋愛、特にセックスが絡んだストーリーって、あまり好きじゃないんだよね。だから、永瀬被告と女性作家のプラトニック、って言ったら古すぎるかもしれないけど、濃厚な肉体的な絡みとは無縁のこの作品、嫌いじゃない……」

 交野さんにとって、僕のそんな事情なんてどうでもいいことだとは思いながらも、敢えてそう言ってしまうとは、僕もビールとワインで酔ってしまったのだろう。内心で僕の見解をどう思っていたのかわからなかったが、交野さんは話題を変えてきた。

「冴島さんは、一切の宗教団体が嫌いだって言ってましたよね?」

「うん。幸い僕は宗教二世のような環境に置かれることはなかったけど、母方の祖父がね、自民党系、しかもタカ派の地方議員でね。引退後には勲六等を叙勲した。あっ、タカ派っていうのは右翼寄りのほうね。その関係だったのかもしれないけど、祖父母とも自民党系タカ派と関係の深かった生長の家の『白鳩』という冊子を読んでいたんだ。だから子供の頃から、政治と宗教の関りを当たり前のことと認識していた」

 たぶん、交野さんは生長の家のこと知らないだろうと思ったが、その通りだった。

「そういう宗教団体もあったんですね……」

「うん、祖母のほうは神を信じていたけど、それって生長の家とは関係なく、明治生まれの日本人の一般的な信仰だったと思う。僕も祖母の影響を受けた昭和生まれの子供として、自然に神はいる、とは思っていたね。今でも〝自分だけに通用する神〟はいると確信している。小学生の頃、いじめられたことはなかったけど、集団生活が嫌いだった僕は、毎朝、登校する前に、今日も学校で嫌なことがありませんようにと手を合わせていたからね、神棚なんかなかったのに」

「よくそれで、学生時代や社会人になってから宗教に走りませんでしたよね」

「30代になってから、精神世界の本とか読み始めたんだけど、結論を言うとね、この三次元物質世界とは異なる高次元の世界、つまり死後の世界ね、そっちに戻ったとき幸せになるのかどうかがね、低次元のこの世界で生きるために必要不可欠なお金で左右される、という論理は破綻している。それに幸せの意味だってこの世の常識では想像できないことかもしれない。本音ではお寺の戒名さえ無意味だと思っているんだ。日本の慣習だし、冠婚葬祭ビジネスの皆さんへの御礼ということで従ってはいるけどね」

 また、余計なことを……、と思った。

「ところで、政治のほうはどうですか? やはり2022年の安倍元総理銃撃事件とか?」

「僕の政治的態度、それからご遺族のお気持ち、加害者の心境については、ノーコメントだね。どんな理由であれ、暴力によるテロは許されないという公式見解以外は」

「そうですね、冴島さん、ご自身は無党派層と仰ってましたし」

「交野さん、よく覚えてたね。もっとも、僕がノーコメントな理由はね、ネットでもリアルでもあの事件についての議論ってのは、感情の爆発だらけの、論点が全く合っていないカオスの世界なわけで、自分はそんなカオスに巻き込まれたくない、ということなんだけど」

「それは想像できます。では、政治的立場、感情にまみれた反発・怒り・同情とは別の、冴島さんなりのあの銃撃事件の見解をお聞かせ願いますか?」
そうきたか? 酔いの勢いもあったのだろう。僕はただ頭に浮かんだことを口に出した。

「交野さん、僕があの銃撃事件について感じたことは、善と悪、正義と不正義という世の中の常識ではなく、一次元高いメタレベルでの話になるね。全く科学的ではない。まぁ、科学なんかじゃこの世の現象のほんの僅かしか説明できないんで、それでもいいと思ってて、たぶんオカルトだと思われるだろうけど、それでもいい?」

「ええ、一通りお聞かせくださいよ。冴島さんのオカルトには慣れましたし……」

「キーワードは二つあって、一つは集合的無意識、もう一つはエントロピー

「集合的無意識ってユングですね。エントロピーは熱力学や情報理論の……」

「うん、でもユングもエントロピーも僕の場合、科学的な定義そのものじゃないけどね。いわば社会の動きを説明するためのメタファーだ」

「はい」

「統一教会というと、高額の献金や壺の販売、集団結婚式で有名だけど、その政治組織だった国際勝共連合と、学生組織で左翼と暴力沙汰を起こしていた原理研究会ってご存知?」

「いえ、知りません」

「勝共とは、共産主義に勝つという意味。反共よりもニュアンスが強いよね。まだソ連崩壊前の東西冷戦時代、資本主義の米国と共産主義を信奉するソ連が核戦争を始めて、米国がソ連に勝って〝千年王国〟が誕生する。そんな教義を、あたかもキリスト教の一派であるかのように装っていたんだ」

「それって〝トンデモ〟系ですね」

 交野さんは面白がっていた。

「で、そういうトンデモ系の教義の彼らを政治的に利用したのが、安倍元首相の御祖父の岸信介元首相だったわけ。岸信介は1960年の安保闘争のとき、暴徒と化すであろうデモ隊を鎮圧するため、警察だけでは心もとないので、今でいうとことの反社会的勢力である暴力団を右翼団体として組織化したんだ。岸が組織化した右翼は、殺人や恐喝など数え切れないほどの犯罪を起こしてきたのは言うまでもない。1990年には昭和天皇の戦争責任に言及した長崎市の本島市長が右翼の幹部に銃撃され重傷を負ったし、2007年にはやはり長崎市の伊藤市長が暴力団幹部に射殺された。氷山のほんの一角だったけどね。右翼団体も統一教会もね、岸信介にとっては、本質的に同じ存在だったんだ……」

「本島市長のほうはまだ小さい子供の頃でしたが、伊藤市長のほうは学生時代だったので覚えてます。それにしても、左翼もそうですけど、どうして反社会的勢力の右翼団体は国家権力によって潰されなかったのでしょうか」

「それが日本国民の集合的無意識だった、というのが僕の見解。集合的無意識にはね、善と悪、正と邪という偏りはないんだ。揺れた振り子を落ち着かせるようにバランスをとるような社会現象を引き起こす。調整機能のようなものがあるとしか思えない」

「そこまでいくと、たしかにオカルトチックになりますね!」

「うん、オカルトついでに言うとね、この世界には、人々の感情という残留思念がエネルギーとして満ち満ちているんだ。当事者がこの世から去った後も……。僕も君もね」

「オカルトながら興味はあります。で、右翼が健在だった理由は、どう説明されますか?」

「岸信介が確立した右翼団体と新興宗教を巻き込んだ権力構造は、社会の〝影〟だよね。でも、昭和の高度経済成長も、バブル経済に至る国民生活の向上を実現させたのは、自民党だったという事実だ。共産党のような左翼や過激派の新左翼が衰退した本質的な要因はこの事実なんだ。国民生活の向上という圧倒的な〝光〟。つまり、昭和から平成にかけては、光と影が明確に分かれながら、社会に強力な秩序が保たれていたわけ」

「で、それが崩れた、と?」

「崩れる前まではね、人々の感情のエネルギーは、光と影ともに膨大に蓄積されていたけど、まだエントロピーは低かった、つまり整理されて秩序だっていた」

「決定的に崩れたは、令和ですか?」

「そうだね、〝失われた30年〟へのガマンも限界を超え、抑え込まれていた影のエネルギーが制御不能な形で情報空間に拡散し、社会の不確実性とエントロピー、つまり乱雑さが限界まで高まった。安倍さんにとっては、御祖父さんとお父さんのツケを払わされたた形だったんで、とんだトバッチリだったけど、集合的無意識は個人の事情など忖度はしない。ただエントロピーの均衡に忠実なだけ。スピや宗教の人は、それをカルマとか因縁って呼ぶだろうけど、僕はそう呼ばない」

「ひろゆきさんの言い方、古いですけど、それは冴島さんの主観ですよね? 私が理解するのには、認知構造が違い過ぎます……」

 交野さんは苦笑しながらこう言った。それでも、僕は止まらなかった。

「これは海外の事例だけど、2022年ってロシア国民の集合的無意識のエントロピー極大化による〝臨界点〟が決壊して、ウクライナ侵攻が始まった。そして国内では、2023年、何十年もの間、見て見ぬふりをされてきたジャニー喜多川氏の性的嗜好が引き起こしてきた問題が噴出した。彼の死と、#MeToo運動以来の世界的なアンチハラスメントの潮流というタイミングは絶妙だった」

「そうでしたね! 旧ジャニーズ事務所の記者会見とか凄かった。それまでマスコミが騒ぎ立てていたビッグモーターの問題が、何ごともなかったかのように消えましたからね」

「この現世では、問題の噴出形態が、非合法なテロ、ハラスメントへの告発という全く別の現象ながら、善悪という判断を超越したメタ認知の視座からみると、本質的には同じ構造の現象ということになるね。しかも、政治と芸能の世界ってさ、日本におけるハラスメントの〝最後の牙城〟なんだ。とても象徴的なことなんだよ」

「そういうまとめ方ですか! エントロピー増大による歴史の清算ということですね。それで冴島さん、これからの日本人の集合的無意識はどのように推移していくとお考えですか? どのようなエントロピーの決壊による悲喜劇が想定されますか?」

 ほんの僅かながら、僕は考え込んだ。そしてワインのグラスを飲み干し、こんな言葉が出てきたのは、我ながら想定外のことだった。

「明治から大正、昭和にけての日本人の集合的無意識が参考になる。国内では西南戦争をはじめとする不平士族たちの叛乱はあったものの、日清・日露の戦争と、世界初の国家総力戦の第一次世界大戦は海外でのことで、国内が戦場になることはなかった。しかも戦勝国陣営だった。1905年には日露戦争の講和条約の内容に不満を持った一般国民による日比谷焼き討ち事件まで発生した。2・26事件や5・15事件だって青年将校たちの心情は、当時のマジョリティだった農民の集合的無意識の発露だった。太平洋戦争の開戦は、日本国民の集合的無意識のエントロピーが決壊したためだ。そして、その揺り戻し、つまりバランスをとるための社会現象は、本土への空襲と沖縄戦、原子爆弾投下だった」

「冴島さん! 広げましたね! オカルト話を……。ここまでくると、私の認識のエントロピーが決壊しそうです!」

「僕が言えるのはここまで。未来の日本でどんなことが起きるかとか、正直、興味ないし、ましてや予言なんかできゃしない。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。でもね、みんなさ、歴史を嫌がるんだよね……」
            了

*タイトル写真は、筆者が12歳の時に逝去した母方の祖父が、地方議会議員引退記念に贈与された万年筆です(筆者所有)。

《参考文献》
『暁星』(湊かなえ著、二葉社、2025年11月第一刷)

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