50代でキャリアチェンジした私が、「やりたいこと」と「好き」を探していく― 人生そのものがデザインだったと気づくまで
4. 置き去りにしていたもの
― あの日を振り返る
福祉の仕事。
おばさんになって、子育てが落ち着いたらやりたいなって、子育てをしながら薄っすら思っていたの。
海外セレブの、有閑マダムたちが、そういう活動をしているのを見て、
いいなって。
まあ、それは無理だけど。
せめて雇われでね。
子どもたちが中学に上がったタイミングで、学校に2年通ったの。
当時、テレビのニュースでは、介護は「下の世話をする仕事」だと騒がれていて。
なんだか、異端みたいな扱いだった。
本当にそうなのかな?
わたし自身、おむつ交換をしてくださいと言われたとき、怖気づくのか興味あったし、福祉関連のお仕事は未知の世界だったから知りたかったんだ。
だって、人間に生まれてきて、排泄するのは普通のことでしょ?
じゃあ、トイレって、日々お世話になってるわけで。下水道にも。
それを、うへ~っ、きたないって排除できるの?
ちゃんと役割がある。
だから、そういった仕事をしてくれる人がいなきゃならない。
それを差別していいの?って。
そんなことを考えながら、450時間の実習をした。
そして、実習を終えてわかったことがある。
利用者さんたちには、敵わない。
当時40代だった私。
私の倍近く、倍以上を生きている高齢者の方々。
敵わない。
言葉の重みも、生きてきた道程も。
抱えているさまざまな喪失も。
健康、若さ、仕事、配偶者、巣立っていった子どもたち、友人、お金、居場所、そして、残された時間。……。
そういうものを抱えながら生きている人たちと、ちょっとしたことで文句を言っている自分。
なんだか、人間のレベルが違うように思えた。
ある女性はね、
子どもが6人いてね。
だんなさんはね、戦争に出て、帰ってこなかったんだよ。
乳飲み子もいてね。
おんぶ紐にくくって、朝から晩まで野良仕事をして、再婚もせず、6人全員を育て上げたんだって。
ある女性はね、
お見合い結婚だった。
親が決めちゃったのかな。
いいなずけってやつなのかな。
夫は暴君で、酒乱で。
最後には、自宅に浮気相手の女性を連れてきては、
「夕飯を出せ」
「風呂を沸かせ」
と、その女性の世話までさせた。
屈辱的ですよね。
それでも、離婚して実家に戻ったら迷惑がかかるからって。
耐えた。
夫が亡くなるまで、耐えた。
そして今も、その苦しみを背負って生きている。
ある男性はね、
背中を見せてくれた。
右の肩甲骨あたりから、左の脇腹付近まで。
斜めに、ザザザーッと大きな傷がある。
「戦争で鉄砲で撃たれてね。手術して弾を取り出した後なんだよ」
そう話してくれた。
戦争を非難するでもなく。
武勇伝を語るでもなく。
ただ、その事実を語るだけ。
ある男性は、
学校長をしていた。
あるとき、ニュース記事に自分が載った。
それを見た女性が、新聞社に一枚のはがきを送ってくれた。
「一度、会ったんだ」
それっきり。
100歳になったその男性は、そのはがきを左ポケットに大事に忍ばせて生きていた。
奥さんもいた。
子どももいた。
大事にしてきた人生があった。
それでも、その一枚のはがきを大切に持っていた。
敵わないなって。
今、思い出しても涙が出ちゃう。
私も、その人たちに追いつきたいなって。
いつかね。
人助けができるような人になりたい。
そう思った。
でもね。
実際には、自分が逆に救われちゃうことのほうが多いのかもしれないね。
あの実習で得たもの。
それは、かけがえのない人生のバイブルみたいなもの。
……なのに。
でね、そうだ。
これ、置き去りにしてるなって。
あの日、あんなに大事なものを受け取ったのに。
私は、それを置いたまま、別の道を歩いてきた。
どうするの?
って。
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