私にとっての「財」とは?
実はこの問いについては、去年の今頃から考えていたものがあって。
というのも、個人的にも仲が良い方のうちの1人に、当たる占い師さんがいて。その人に去年珍しく、「仕事関係」ではなく「私自身の人生」について占ってもらってみた。その時に言われたのだ。
去年(2024年)までの御縁、ギブ、流れ重視ではなく
ちょうこにとっての「正しい財」を今、求め始めている。
ビルが欲しい?現金?地位?不動産?事業?金?
この「財」の定義が44歳まで続く。
この「財」の目標設定が10年後の活動規模に大きく関わってくるから、今からしっかりと考えよ。
そこからは、ことある毎に この「財」について考えてみた。
私にとっての「財」とは。
地位なのか?名誉なのか?お金なのか?それはいくらなのか??
今でも、しっくり「これが私にとっての”財”だ!!」
という定義化はできていないけれど、ぼんやりとこういうことじゃないのかなぁ、というものは見えてきた。
それは、
「自分と関わることで、周りにいる大切な人たちが幸せになってくれること。」
「そしてその結果、私自身も幸せを感じられていること。」
お金や地位や名誉は、きっとそれらを叶えた際に自ずとついてくるもの。
割に合わないよなぁ、と多少思うことがあったとしても、
きっと周りのみんなの笑顔を見たら、「まぁ、いいか!」と思えてしまう。
そんな自分。それができるのが自分の良さだとも思うのです。
そういった考え方は、20代前半の頃にシェフの背中から感じたもの。
キッチン直樹ももう13周年に突入です。そろそろシェフの味が恋しいな。
それが今の段階で分かっている、私にとっての「財」。
そこに「財」を感じるからこそ、今の私がいる。
そして今の私は間違っていない と、私自身も思っている。
※ちなみに、「その結果、私自身も幸せを感じられている」と、自己犠牲的ではなく自分の幸せ前提に考えられるようになったのは、私にとって大きなポイント。
さて。前置きが長くなってしまいましたが
そんな「財」について、先日たまたま別の方のお話を聞きする機会がありまして、
その方は、私自身とても尊敬していて
いつ何どきも、聡明で、慈悲深く、謙虚で、それらを持ってした上で常に高みを極めておられる、本当に360°どこから見ても素晴らしい方なのですが
今回その方に「自分にとっての”財”とは何でしょう?」
とお聞きしてみたところ、
「人間性の高さが財」だと、さらりと返ってきました。
「ほほう、なるほど!」と。
この一言で私が感じた点は、大きく2つ。
一つ目はまず、人として尊敬する人ほど 自己理解が深いということ。
自分の中の価値観や考え方の構造を理解しているのはもちろんのこと、
それらの解像度がとても高い。だから、どのような質問を受けたとしても、持論に詰まらせることがなく、まっすぐな自分の言葉が帰ってくる。
自分の軸がブレない人ほど相手を理解・納得させられるし、自分の本心との矛盾が脊髄反射レベルで起きづらい。だから一層、筋が通っている。
そして二つ目は、「自分の追求」を第一とするか、「他者があって自分がいる」を前提とするか、その感覚によっても「財」の定義が大きく異なるということ。
今回私は「周りの反応を通じて、結果自分が幸せを感じている」状況をつくることが自分にとっての「財」だと感じた。一方で、今回お話ししてくださったその方は、「人間性の高さ」、つまり自身に起きる変化と状態が「財」だと教えてくれた。そして結果として、それは周りを幸せにもできる。
恐らく、どっちが優れているとか、正しい間違っているとかでは(多分)なく、人によって考え方も価値観もそれぞれなのだと、今回自分なりに解釈できた。
そして、今回のこの自分にとっての「財」をめぐって、
「財」の姿を理解することも然り、自己理解を深める上で私は必ずと言っていいほど「他者との対比で自己理解を深める」傾向があることも改めて感じた。だからこそ、自分にとっての「財」において、他者の存在を重視しているのかもしれない。
例えば、家事支援を生業として、この業界に対して自分なりに責任を取ろうと覚悟したこと。
それはやっぱり、全国家事代行サービス協会に事務局として迎え入れていただき、国内の様々な同業の創業者や社長さんたちと直接お話しさせていただいた影響が大きい。
当初の自分が気づいた社会課題的な着眼点を持って、この業態にたどり着いた人はあまり多くないこと、自分の着眼点から事業に対して考え、実行に移す・動き続ける人間がそんなに多くないのだと気づけたから。
これはフリーランス時代、自己表現の一つとしてひとりで家事代行をしていた時には気づけなかった観点であり、事業を継続して、NPOをつくって、色んな人と関わって、色んな人と話した結果、至った覚悟だった。
もう一つ例えたら、現在の家事支援においても、「自分1人の自己実現のために」は、そんなには頑張れない。それよりも、「NPOに関わってくれ、こんなにも思いを馳せて共に頑張ってくれるこの子を幸せにできる環境をつくりたい」からこそ、もっと頑張ろうと思える。
結果、「しんど!!!」と思うことも多いけれど(笑)、
NPOや会社を辞めて、もう一度フリーランスとして、今ある事業を自分のために全ぶっこすることにフォーカスしたならば、週3〜4日勤務、1日5~6時間労働で月収40万円は現実的に余裕なわけで。
でも、それを行うと私はつまらないんだと思う。経済的には今よりもよっぽど余裕になるかもしれないけれど、もっと周りに貢献したい気持ちが勝る。だから結局、私が本当に求める状況を実現するためには、誰かとの関わりが重要だと思っているんだと思う。
こんな風に、いつだって自分は他人との壁打ちに先に、自分の輪郭を確認している。もっと自己完結で自己理解できたらよかったかもしれないけれど、自分はそうではない。だからこそ、私にとっての「財」には前提として他者の存在がある。
もしかしたらこの考え方も、もっと突き詰めていったら別の形を取るのかもしれない。考えを追求した結果、考え方も変わるかもしれない。
でも今の自分の価値観はこうであって、それは自分自身も間違いないと感じていて、私は私がそれでいいと思えている。
結果、私が「なんかやだなぁ」と感じるのは、”周りとの不平等”なんだと思う。
自分ばかりが損するのも嫌だし、自分ばかりが得するのも申し訳ない。
だから、どうしたら日常生活において「緩やかな不平等」を解決できるのか。それを今も模索しているんだと思う。
この話に関してはまた、長くなってしまいそうだから別の機会に書いてみたいな。
今日はそんな、私の頭の中の話。
おしまい。
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