第1回:『ヨハネの福音書』の暗号が解ける時:視座を広げて出会う「天のイエス」と読者の物語
◆ 聖書の読み方の「地動説」
太陽は毎日東から昇り、私たちの頭上を動いて、西へと沈んでいきます。私たちの「目に見える通り」に従うなら、地球を中心に天が回っているという「天動説」を信じるのは、ごく自然で当然のことです。
しかし、もし私たちが宇宙へと視座を移し、より広い視野で太陽系全体を眺めるなら、実は動いているのは地球のほうだったという「地動説」の美しい宇宙が見えてきます。そして「天動説」から「地動説」に移行したことでニュートン力学が誕生して、私たちは科学技術の多大な恩恵を得ることができるようになりました。
聖書の、特に『ヨハネの福音書』の読み方もこれと全く同じです。
この書物を、マタイ・マルコ・ルカの福音書と同じように、パレスチナの地に肉体を持って生まれて宣教し、紀元30年頃に十字架で死んで復活した「地上のイエス」の記録として読むことは、とても自然な読み方でしょう。ですが、これは視座を地上の狭い時間と空間に固定して御子を「地上のイエス」のみに限定する「天動説」の読み方です。
一方で、もし視座をそこから引き上げて、創世記から出エジプト記、列王記、バビロン捕囚、そして現代の21世紀にいたる「広大な時空の織物」として全体を俯瞰した時──── そこに、「天のイエス」が鮮やかに浮かび上がってきます。これがヨハネの福音書の「地動説」の読み方です。読み方が「天動説」から「地動説」へ移行することで、私たちは科学技術の恩恵を遥かに超える圧倒的な恩恵を得ることができるようになるでしょう。
「天のイエス」とは、父とともに初めから天にいて万物を創造し、預言者たちに神の霊を遣わして神のことばを伝え、ヨセフの許嫁(いいなずけ)のマリアの胎に遣わされた御子のことです。御子は「地上のイエス」として十字架で死んで復活した40日目に天に昇り、再び「天のイエス」になりました。そして、天から地上の弟子たちに聖霊を遣わして神のことばを伝えました。この「天のイエス」の働きは21世紀の現代に至るまで続けられていて、無数の弟子たちが聖霊を通して神のことばを受け取っています。
このnoteでは、これまで誰も気づくことのなかった、ヨハネの福音書の背後に隠された壮大な時空間における「天のイエス」の働きを、「地動説」に基づいた読み方によってパズルのピースをはめていくように、一つずつ解き明かしていきます。
◆すべての始まり:ヨハネ12章28節の直感
このヨハネの福音書の驚くべき構図が見えたのは、ある年の五旬節(ペンテコステ)の日の数日後、私に与えられた一つの「仮説」がきっかけでした。
ヨハネの福音書12章28節に、イエスの「父よ、御名の栄光を現してください」ということばに応えて、天の父の次のような声が響く場面があります。
ヨハネ12:28「わたしはすでに栄光を現した。わたしは再び栄光を現そう。」(新改訳2017)
前半の「わたしはすでに栄光を現した」という言葉。多くの注解書は、イエスがそれまでに行ってきた地上の奇跡のことだと解釈してきました。
しかし、私はふと思いました。「この『すでに現した栄光』とは、旧約聖書の、モーセの出エジプトと律法授与のことではないのか?」と。
この直感を得てから本書の構造を思い巡らす中で、次のような仮説が与えられました。
「ヨハネの福音書には『旧約の時代』が重ねられている」
という仮説です。
そして、この仮説を検証したところ、ヨハネの福音書の1章〜11章は、旧約聖書の全歴史と寸分の狂いもなく、きれいな時間順で重なり合っていることが判明しました。
• 1章:創世記(アブラハム・イサク・ヤコブの族長時代)
• 2章:出エジプト記(過越の恵みと葦の海の奇跡)
• 3章:出エジプト記後半・民数記からサムエル記(律法授与とダビデ王政への移行)
• 4〜10章:列王記(北王国と南王国の興亡)
• 11章:エズラ・ネヘミヤ記からマラキ書(バビロン捕囚からの帰還、そして旧約の沈黙)
◆隠されていた「もう一つのタイムライン」と神のユーモア
驚くべきは、それだけではありませんでした。
ヨハネの福音書は、旧約聖書だけでなく、復活・昇天後の聖霊の働きを描いた『使徒の働き(使徒言行録)』の時代をも同時に重ね合わせた、驚異的な重層構造を持っていました。
• 1章の「その翌日」の連続は、イエスの復活から五旬節にいたる「50日間のカウントダウン」の暗号(40日目に天の階段=昇天へと繋がります)。
• 2章の「それから三日目に」は50日目の五旬節の日を示し、カナの婚礼は新しい契約が始まったことの祝宴。「宮きよめ」でイエスが(人ではなく)動物だけを追い出したのは、キリストの十字架によって古い犠牲システムが終了したことの暗示(使徒2章)。
• 4章の「サマリア人たち」はピリポの伝道によってイエスを信じ、ペテロとヨハネによって聖霊を受けたサマリア人たち(使徒8章)。「王室の役人と家の者たち」はペテロの伝道によってイエスを信じて聖霊を受けたi異邦人のコルネリウスと親族・知人たち(使徒10章)。
• 5章のベテスダの池の「38年の病」は、紀元33年の十字架から、紀元70年のエルサレム神殿崩壊までの「38年間」の過渡期の暗号。
• 9章でイエスが盲人の目に塗った泥は、乾いてひび割れると「魚の鱗」になり、のちの迫害者サウロ(パウロ)の目から鱗が落ちる回心劇(使徒9章)の描写。
そこには、堅苦しい教条の書物からは決して見えてこない、神様の最高に洗練されたウィット、エスプリ、そして思わず膝を打つような「極上のユーモア」もまた散りばめられていました。
◆私たちは、13章で「特等席」に座る主人公である
そして、13章以降にも大きな秘密が隠されています。13章の最後の晩餐から、唐突に「イエスが愛しておられた弟子(愛弟子)」という名前の伏せられた人物が登場します。
彼は最後の晩餐の席でイエスのすぐ隣という特等席で説教を聴き、十字架の真下でその最期を目撃します。この愛弟子の正体は、一体誰なのでしょうか?
それは、2000年前の特定の誰かではありません。
愛弟子とは、このヨハネの福音書を読むことで聖霊を通して「天のイエス」と出会う、時間と空間を超えた「読者(私たち)」自身のことです。
ヨハネの福音書は、名前を伏せた「もう一人の弟子」として私たちを1章で物語に招き入れます。「ヨハネ」によって招かれた弟子にイエスは問います。
ヨハネ1:38「あなたがたは何を求めているのですか。」
私たちは何を求めているのでしょうか?お金がもっと欲しいとか、おいしい物を食べたいとか、豪華客船で旅行したいなどという表面的な欲望なら、簡単に答えることができるでしょう。ですが、自分が心の奥深いところで何を求めているのかは、そう簡単に答えられることではありません。そんな私たちにイエスは言います。
ヨハネ1:39「来なさい。そうすれば分かります。」
そうしてイエスとの旅が始まります。旧約と使徒の時代をイエスと共に旅をすることで私たちは信仰を育てられ、13章に達する頃には愛弟子として「最後の晩餐」のイエスの説教にしっかりと耳を傾けることができるようになり、深い真理を理解できるようになります。そして十字架と復活を間近で目撃することで、自分が心の奥底で何を求めているのかが、分かるようになります。
今、世界ではウクライナや中東をはじめ、多くの人々が戦災で苦しんでいて、平和からは遠く離れたところにいます。このことを「天のイエス」は深く悲しんでいます。広い視座から「地動説」でヨハネの福音書を読むことで私たちは「天のイエス」の深い悲しみを共有し、平和な世界へ向けて歩んで行きたいと思います。平和こそが、科学技術の恩恵を遥かに超える圧倒的な恩恵だと思います。
かつて私は知人の
ヨハネ1:36 「見よ、神の子羊」
ということばによってイエスとの旅に招かれ、イエスと共に旅をすることで愛弟子に育てられました。この知人が私にとっての「ヨハネ」でした。今度は私が新しい「ヨハネ」となって、現代の、そして未来の「愛弟子たち」へこのバトンを繋ぎたいと願っています。
これまで気付かれていなかった、ヨハネの福音書の美しく壮大なパズルの全貌を、これから一緒に解いてみませんか?
(※仕事と家族の介護で多忙なため、コメントへの返信は行いません。大変申し訳ありませんが、あらかじめご了承ください。よろしくお願い致します。)
