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【異世界令嬢コージーミステリ】第5話 作家令嬢の田舎逃亡推理日記〜「俺と結婚しろ」と言われましたが、逃亡先で探偵はじめます〜

前回の話


21

翌朝。綺麗な秋晴れだ。日差しも強いが、別荘周辺の森からは、野鳥の声も響き、実に平和。ここで死体が見つかった事など信じられない。もっとも死体が見つかったリビングは誰一人近づかず、二階の個室で眠り、一夜が明けた。

パウラやクリスはまだ寝ている。私は目が覚めてしまい、身支度を整えると、改めてリビングを調べたが、何も出てこない。インテリアなども全くあの時のままで、変化はない。白警団も複雑な密室トリックなどないと判断したのだろうか。

私はため息をつきつつも、別荘の庭を軽く掃除し、コレット店長のカフェへ向かう。確か朝も経営者していたと言っていたが、パウラの事を報告すると、見事に偉そう。

「ほうら、私の推理が当たったでしょ。感謝してね!」

わざとらしくウィンクまでしているコレット店長。

「だったら、トリスタン先生を殺した人は誰?」
「その少年だと思うわ。きっとトリスタン先生と付き合っていてトラブルになったのよ」
「トラブルって何? 証拠は? そもそも少年って誰かわかる?」
「知らないわよー」

あれだけ自信満々だったコレット店長だが、トリスタン先生の事はわからないらしい。

しかしカフェにいると、お腹が減ってきた。スープやパンのいい匂いが食欲を刺激してしまう。窓辺の眺めの良い席に座り、コレット店長に作って貰って食べる。切り株デザインの椅子は少々座りにくくはあるが、窓から見える野鳥の姿も可愛い。オスがメスに餌を持って求愛している様子は微笑ましい。うっかり食もすすみ、綺麗に完食した。

クリスやパウラの分もテイクアウトとして注文し、別荘に戻った。

繊細さのカケラもないコレット店長だが、パウラが見つかってホッとはしていた。パウラの励ます為のパーティーでも開こうという話も出た。ちょうどじいやも退院予定だし、みんなでパーティーをしても良いかもしれない。

そんな事を考えつつ、別荘に到着。もうクリスもパウラも起きていたが、ろくな食材がない、朝ごはんが作れないと騒いでいた。

「そうかと思ってコレット店長のカフェで朝ごはんをテイクアウトしてきたわ。パンとスープ、それにコーヒーよ」

そう言うと二人とも露骨に笑顔だ。全く子供じみていたが、特にパウラはこんな時間が必要かもしれない。

こうしてダイニングルームで朝食を取る事になった。ダイニングルームは広く、窓も大きく開放的だ。木の匂いもあり、本当に死体があった別荘だとは信じられないほど。これは食欲も刺激されるかもしれない。

私はもう食べてきたが、パウラはよっぽどお腹がすいていたのだろう。ガツガツと無言で食べ尽くす。それをみたクリスは引いていた。確かにそうだ。失恋し、大騒ぎしたパウラだが、今は食べながら元気を取り戻していた。顔は疲労感が濃かったが、この調子なら失恋の痛みも乗り越えられるかもしれない。

「いや、女って強いな。殺人事件を解決しようとするアンナ嬢が一番強いわけだが」

クリスは呆れ、苦笑していたものだが、パウラは深く頷く。

「ええ、なんか食べてたら元気出てきたかも。これ、コレット店長のスープやパンよね。なんかあの人の元気なエネルギーが料理から貰った感じ」

パウラの指摘はもっともだ。確かにいつも自信満々、その上村の噂を楽しんでいるコレット店長の事を考えると、恋とか事件とか、推理で深く悩むのも馬鹿馬鹿しくなってくるものだ。コレット店長のように図太く生きてみるのも良い。

「といっても、パウラ。今後どうするんだ? 仕事もホテルのカウンター職続けるんか?」

そんな中、クリスはコーヒーを飲みながら、現実的な事を言う。

「そ、そうだね……。私があんな事をしようとしたのも、お金もなかったからだと思うし。ジスラン支配人にも虐められているし」

しゅんと落ち込むパウラ。そんなパウラを見ていたら、はっと閃いた。これは悪くないアイデアかもしれない。

「だったらパウラ。この別荘で管理人する? 私が雇いましょう。管理人いないのが不安でもあったのよ」
「え、本当?」

パウラの黒い目がきらりと光る。

「アンナ嬢、都合良くないか? そんな甘やかすなよ」

クリスはツッコミを入れる。どうも昨日の一件で、クリスはパウラの印象が悪いらしいが、私は無視。確かにこの展開はご都合主義。もし小説だったた編集部からツッコミの嵐だろうが、それでもいい。パウラのような女性が一人でも減るのなら。

「ほ、本当? だったら私、頑張る。管理人の仕事する」
「この別荘、トリスタン先生の遺体が見つかった場所だけど、それは大丈夫?」
「大丈夫。もう死体ないじゃん。それにアンナが犯人を見つけてくれるなら関係ないでしょ?」

パウラは管理人の仕事にやる気いっぱいだ。昨日の件は嘘みたいに目が輝き、さっそく掃除や買い出しも初めてしまうぐらいだ。

「これはますます事件を解決しないとダメね……」

その後、私は一人、別荘のテラスのベンチに座りながら考える。周辺の森から木々の匂いも感じる。その匂いは私を冷静にさせたが、トリスタン先生とロドルフ先生と関係がある少年って誰だ?

私はこれまでの調査をメモしたノートもめくるが、謎の少年については全くわからない。あの噂好きの未亡人二人でさえ知らない少年とは誰だ?

パウラの件が解決しても、全く笑えない状況に気づく。今日は午後からまホテルに潜入調査の予定もあったが、この少年は見つかるだろうか。

その時だった。クリスが現れた。クリスは仕事もあるので、これからホテルに戻ると言うが。

「アンナ嬢、煮詰まっているな?」

ノートを凝視しながら悩む私。そんな私を見ながら、クリスはなぜか上機嫌。ニヤニヤと笑っている。やはり性格が悪そう。

「俺と結婚すれば、好きな推理も自由にできるぞ」
「は?」

クリスは私の隣に座り、熱っぽく私に視線を送ってきた。今日はクリスの香水の匂いなんてしないが、ほのかに石鹸の匂いがした。手を洗ってきたのだろうが、森の木々の匂いよりはっきり感じられる。

「俺はこの国の男のように男尊女卑などしない。妻には自由に好きな事もやらせる。仕事だってしていい。何なら会社一つぐらい経営を任せてやるよ」

その声はハツミツみたいに甘い。これは求愛。オスの野鳥がメスに餌を持ち運び、求愛している光景も思い出し、恋愛偏差値ゼロの私はクリスの顔が直視できない。

「そ、そんな都合のいい展開は、小説だったら編集部からツッコミが入るわ」
「いいじゃんか。ご都合主義はお涙頂戴ストーリーより幸福な人がいるんだ。悪くないだろう?」

さらにクリスは声低くし、自分と結婚したら、どんなに幸せになるか語る。コレット店長みたいに自信満々。彼女の料理を食べて、クリスも何かエネルギーが注入されてしまったのだろうか。

これは事件だ。

なぜかこんな私に執着しているのか、謎。その謎も解きたいのに、今は何の推理できず、何も言えない。クリスも黙り込み、私の顔をじっと見ているものだから、恋愛偏差値ゼロの私はもう爆発しそうだ。

その時だった。別荘のチャイムが鳴る。この空気から逃れられ、心底ホッとした。郵便局員が手紙を持ってきただけだが、助かった。

しかもその手紙は編集部からだった。トリスタン先生の事、何でもいいから教えて欲しいと手紙を送っていたが、どうやらその返信が来たらしい。

「良かったな、アンナ嬢。手がかりがあるかもよ?」

ニヤリと笑うクリス。その目はまだ求愛モードで本当に困る。

22

再び別荘のテラスのベンチに戻ると、編集部からの手紙を確認した。相変わらず隣にクリスが座っていたが、無視し、急いで手紙に目を通す。

編集長からの手紙だったが、この別荘はトリスタン先生がよく使っていた。毎月のように使い、トリスタン先生なら勝手に合鍵を作っていても不思議ではない。その事も白警団に報告済みだという。

ただ、業務上の秘密も多岐に渡り、白警団に言えない事も多い。後日、出張がてらアサリオン村に来て、詳細を私に教えてくれるという。また、トリスタン先生は男爵家の当主でありながら、なぜか結婚に縁がなく、浮ついた噂も一切なかった事なども教えてくれた。

「なるほど。それは不自然だけど、トリスタン先生が男色だったら筋は通るわ」
「だろうな。おそらくトリスタン先生はこの村で少年と付き合っていたが、そこでトラブルになったんだろう」

もうクリスは求愛モードを辞め、普通に推理に協力してくれたが、編集長からの手紙はまだまだ続きがあった。

「は……?」

その続きは、正直、私が一番ダメージを受けるものだ。同じレーベルの推理作家の新作が売れなかったらしい。営業部は今まで以上、推理作品に尊重になってしまい、私の新作の初版部数も大幅に減らされるという。

「そんなぁ」

情け無い声が出た。同じレーベルの作家だとライバル関係に見られる事も多い。しかし実情はこういう事が多いので、同業の推理作家は売れてくれないと困る。

その上、編集部も推理の新作の企画募集を一旦様子見し、恋愛小説に力を入れていくという。王都では恋愛小説の売り上げが鰻登りで、無視できない。という事で、レーベル内で恋愛小説のコンペを開くので、私にも何作か企画書を提出しろという。締め切りはあと一カ月後。時間も短い。

「そんな恋愛小説なんて書けないから……」

頭を抱えそうになる。推理小説で添え物のように恋愛描写を入れる事はできるが、全編はできるだろうか。そもそも企画が通るかもわからない。

我が国の推理小説の不人気さに嘆きそうになるが、文句は言えない。文壇サロンのおじ様のような理由で「推理なんてやめろ」と言われた訳では無い。これは恋愛小説の企画は書かなければ。

こんな困惑している私に、クリスはニヤニヤ。何が面白いのか口元がゆるゆるだった。

「だったらアンナ嬢。俺と結婚すればいいだろう。そうしたら、恋愛描写も俺をモデルにして書けばいいさ」
「どうしてそうなる?」

つかさず求愛モードに入るクリスにため息が出てくるが、確かに恋愛の実体験があれば、この企画も書けるだろうか。

「若き天才経営者と作家志望の貧乏令嬢が恋に落ちる話を書け。若き天才経営が貧乏令嬢に、裏で執着しながら、手紙を送り、お金も貢ぎ、タイプライターも送り……」
「それってクリスがヒーロー!? ダメ、そんなのボツ決定!」
「いいや、俺をモデルにして恋愛小説を書け。必ず傑作が書ける」
「私よりクリスの方が楽しんでいません? というか、だったらクリスが恋愛小説書けばいいじゃない……」
「それもいいな?」

呆れてくるが、クリスをモデルにしたら、書けるかもしれない。私は恋愛偏差値がゼロ。初恋すらまともに終えていない私だが、目の前にリアルな素材がある。上手く料理すれば、何とか恋愛小説に化ける?

「そうだ、アンナ嬢。俺をモデルにしろ。俺と婚約し、恋愛小説のネタにすればいい。手取り足取り色々教えてやる」

まるで私の思考を読んだかのようだ。さらにグイグイ近づいてくるクリス。正直、引く。こんなクリスは好きではないが、この男をモデルに恋愛小説を書くのは、悪くない選択か?

野鳥の鳴き声が響く。もう蒼い鳥はいないだろう。例え、蒼い鳥を見つけたとしても、必ず幸せになるという保証もない。結局、幸せは自分の選択によるもの。素敵な人と一緒にいても自分が愚かだったら幸せになれるかわからない。逆に言えば、誰と一緒になっても同じ。茶色い野鳥しか現れなくても、幸せを選んでいくのは自分だから。

だとしたら、クリスと一緒になったとしても、他の誰でも幸せになる自信も出てきた。自分さえ幸せを選べるのなら、蒼い鳥がいなくても大丈夫。茶色い野鳥しか見えなくても私は幸せになれる。根拠のない確信だけあった。

「そうね。考えてみるわ」
「本当か?」

初めて私の口から肯定的な言葉が漏れた。クリスの目はきらりと輝く。

「少し前進だな?」

クリスの声は浮かれていた。私は苦笑。こんな事で喜べてしまうのも、一種の才能かもしれない。

そしてトリスタン先生の事件も、ほんの少し前進。この後、ホテルに潜入調査もしたが、女子更衣室で、料理長のセドリックが少年と一緒にいたという噂も耳にした。

「そう。セドリック料理長って男も女も大丈夫ってタイプで、見た目と違うから」
「マジで? ここのホテルの従業員も手当たり次第っぽいよ」
「えー、本当!?」

女達の噂を聞きながら、この事件のキーワードは少年だと確信した。

まだまだ少年について何の手がかりも得られていないが、ロドルフ先生、トリスタン先生、そしてセドリックも少年と関わりがある事がわかった。

推理の方も少しずつ前進していた。

23

翌日、夕方からコレット店長のカフェでパーティーをする事に決まった。主にパウラへの励ましが主な目的だが、じいやの退院祝いも兼ねている。参加メンバーはパウラ、じいやはもちろん、コレット店長、エメ、クリスも参加。バー店長のシビルやマーガレット嬢も参加予定との事で、コレット店長は昼間から準備におわれている。

今日はホテルのシフトはなく、私もパーティーに参加予定だ。クリスはじいやを病院に迎えに行ったりしていたが、私はそてまでに別荘で一人、恋愛小説の企画を練っていた。

「思いつかない」

部屋で一人で色々と練ってはいたが、いいアイデアが閃かない。なぜか頭にクリスの顔が浮かんでしまう。全く集中力もなく、ストレスが溜まって、頭をかきむしっていた。床に髪の毛が落ちる。

ストレスがたまると、よくやってしまう癖。特に締め切り数日前は、ごっそりと毛が抜けてしまう事も。ストレスが髪の毛に出やすいタイプなのだろうが、全く企画書も出来上がらず、トリスタン先生の推理も今日は進展がなく、夕方になった。

さっそくコレット店長のカフェに向かった。もうパーティーは始まっていた。カフェの中央には大きなテーブルが出され、チキンのハーブ焼き、パン、シーザーサラダ、チョコレートケーキ、クッキー、コーヒーなどの飲み物も並べられ、立食形式で自由に食べられる。

さほど広く無いカフェだ。こう何人もいると、少し狭いぐらいだが、今日の主役のパウラは元気そうだったし、マーガレット嬢はクリスが避け、エメやじいやと談笑。

私はクッキーをつまみながら、窓際にいるクリスへ目を向ける。隣にはバー店長のシビルがいる。

シビルは私に迫害してきた張本人だったが、クリスにはポーッとした目を向けていた。顔も赤い。顔だけは良いクリスに悪い印象はないらしい。おかげでシビルは私に迫害する事もなく、拍子抜けだ。

「シビル、パーティー楽しんでる?」

ということで私もシビルに声をかけてみた。向こうは一瞬怯む。せっかくの薄幸美人風のルックスが台無しだ。まるで鬼に遭遇したような表情をしていたから。

「た、楽しんでいるわよ」

シビルの声は案外低い。そのせいであまり楽しんでいるようにも聞こえない。その上、私に対して怯えるような目を見せ始めた。まるで小さなリスのような目だ。

「シビル、どうしたの?」
「い、いえ。あなたの小説をちょっと読んだだけ。文芸誌に連載されていたもの。タラント村の事件を参考にしたんですってね?」

パーティーでは他の面々は料理やおしゃべりに夢中。おかげでシビルとこうして会話できるわけだが、なぜか話題は小説に。

「ええ。タラント村の事件をモデルに書いたわ。過去の事件もちゃんと明るみに出たからね。犯罪は隠せないわ」

そう言うと、またシビルの目が泳いでいる。まさか、シビルが事件の関係者ってあり得るか。シビルは比較的背が高いが、男のトリスタン先生を撲殺するのは無理だ。万が一、殺せたとしても、別荘まで運ぶのはかなり難しい。それに動機もない。バーの支援をしてくれたトリスタン先生を殺してもシビルに得はない。むしろ損だ。その上、シビルと謎の少年の関連性もない。

つまりシビルは限りなく白。容疑者から除外したいところだが、怯えている様子は気になった。

そうは言っても、コレット店長がお酒を振る舞い始めたので、このパーティーの空気はぐだぐだになってくる。

「クリス様ぁ、私と婚約しなさいよ! 男爵家とコネがあった方がいいでしょ?」

酒に酔ったマーガレット嬢はクリスにからみ始め、余計にグダグダだ。エメは酔い潰れ、じいやが介抱し、パウラはずっとコレット店長に人生相談をする始末。

この酒臭い雰囲気についていかず、私は窓際に避難。

改めてグダグダのカフェを見回したが、パウラは涙ながらにコレット店長の話を聞いている。

「パウラ、ダメよ。自分の身体は大事にしなさい。いくら生活に困っても女を売るのはおよしなさい」
「え、ええ。コレット」

グズグズと涙を流し、コレット店長野人生相談を受けていたパウラ。こちらはもう大丈夫そうだが、ふと、視線を感じて横を見ると、シビルが二人を睨みつけていた。

しかも顔が真っ青だった。シビルも酒を飲んでいたはずで、少し酔ってもいたが、この青い顔はなんだろう。しかもシビルがパウラやコレット店長を見ている理由もさっぱり見当がつかない。

「私、もう帰るわ」

シビルは私に見られていると気づくと、逃げるように帰ってしまう。

私は首を傾げる。このシビルの態度は、どうも変。私に見せた目、さっきの青い顔、どうも違和感があったが、気のせいといえばそれまでだ。推理作家らしく、シビルを詳細に観察しすぎていたのかもしれない。職業病だ。悪い癖らしい。

「うん? シビル帰ったんか?」

マーガレット嬢に絡まれていたクリス。シビルが帰った事に気づき、私のいる窓辺へやって来た。

もうパウラとコレット店長以外の面々は酔い潰れてしまい、介抱しているじいやは大変そう。マーガレット嬢に絡まれたクリスもお疲れの様子だ。今日は白シャツに綿パンというラフなスタイルだったが、シャツの上の方のボタンを開け、一息ついていた。

「なんかシビルの様子が変だった気がする。コレット店長の会話を聞いて、なぜか逃げるように帰っていった。どう思う?」
「そうか。俺はシビルは普通に見えたがな。気のせいでは?」

クリスはシビルについて全く違和感を持っていないらしい。テーブルから水もついできて、私に持ってきた。

「アンナ嬢も酔ってないか。水を飲め。俺が介抱してやるよ」
「酔ってないし。私、お酒には強いから」

とはいえ、クリスがくれた水は美味しく、ごくごくと飲んでしまった。水のおかげか冷静になってきた。確かにシビルがトリスタン先生を殺すのは不可能だし、変な態度も私の勘違いだろう。

「ところで、アンナ嬢」
「何よ、クリス」
「ストレス溜まってないか?」
「は? なんでそう思うの?」

クリスが私の目を覗き込んでくる。幸い、他の面々は私達について誰も気づいていないが、かなり近い。お互いの吐息も感じられる程。

「髪が抜けてないか?」
「いやいや、なんでわかったの?」

そんな事実はクリスに言っていないはずだ。恋愛小説の企画につまり、ストレス溜まって髪が少し抜けた事など言っていないのに、なぜわかったのだろうか。

例の王都で人気の恋愛小説では、「君の髪の毛一本一本を愛してる」という台詞もあったが、今は笑えない。本当にクリスが私の髪をチェックしているような執着を感じてしまうから。

「ちょ、ちょっと怖いね? 正直」
「そうか? 別にいいだろ。それに恋愛小説につまったら、俺をヒーローのモデルに書け。きっと良い恋愛小説が書ける。若き天才経営者と作家志望の貧乏令嬢のロマンスだ。いいだろ?」
「まだそのネタ言っているのね……」

呆れてくるが、自信満々のクリスを見ていたら、くすりと笑ってすまう。

こんな執着心の強いクリスだが、別に嫌いではない。むしろ、こんな風に会話するのも慣れてきたし、クラスと日常を共にするイメージもできてしまうから困る。

「うん、でも、少し参考にしてみるわ」
「そうだろ? アンナ嬢の恋愛小説も楽しみにしている」

隣でクリスは無邪気に笑っていた。こんな風に笑うと、意外と目尻の皺は優しげ。今は全く極悪に見えないから、余計に困る。

24

翌日はホテルのシフトがあり、潜入調査だった。ホテルのカウンターの方では、ジスラン支配人の怒号が聞こえた。どうやらパウラが急に辞め、人手不足で困っているようだが、私には関係ない事だ。厨房の裏で黙々と皿を洗い、調味料をつめ、野菜の皮を剥いだ。

楽な仕事ではない。どちらかといえば重労働だが、成金令嬢の私は、こうして働くのは悪くないと思う。マーガレット嬢のような貴族の令嬢だったらできない事だろうが、私は案外、仕事を楽しんでいた。

身体を動かしていると、恋愛小説の企画、クリスの求愛、トリスタン先生の事件も考えずにすむ。ストレスを全く感じず、潜入調査中というのも忘れ、バリバリと仕事を片付けていた。本来なら野暮ったい主婦として潜入しているので、こんなに仕事を頑張らなくても良いのだが、恋愛小説の企画書を書くよりよっぽど楽しい。鼻歌交じりに仕事をこなし、あっという間に終業時間になってしまった。

女子更衣室で着替え、別荘へ帰る支度をする。水仕事で手先が荒れているので、クリームもペタペタと塗る。左手の薬指が少し邪魔。変装用グッズだったが、更衣室には誰もいないし、指輪を外してクリームを塗ったら、指先はツルツルと回復してきた。

「ふふ、いいわね」

笑顔で頷き、ホテルの裏手から外へ。村の中央部に行き、別荘のある村の北部まで帰ろうとした時だった。

「送ってやるよ」
「は?」

顔を上げると、セドリック料理長がいた。今日は早番で、夕方に帰れるという。セドリック料理長の髪が夕陽に透け、いつも以上に人懐っこい表情を浮かべていたが、まあ、いいか。

セドリック料理長も謎の少年と関係がある。噂だが、何か分かるかもしれない。

こうして別荘地区まで二人で歩く。アサリオン村は比較的栄えた観光地だが、舗装されていな道も多く、歩きにくい。ついついセドリック料理長から遅れをとるが、彼はスタスタと早歩きだ。

そういえば、思い出す。クリスはこんな時、歩幅を合わせてくれた。セドリック料理長はそんな事しない。あんな極悪経営者のクリスだが、意外と気を使っていたのかもしれない。急にクリスに対して好感度が上がってしまったから、困る。

「ところでセドリック料理長は、あのホテルで長いんですか?」
「そうだよ、けっこう長いね」
「へえ。仕事がない時は、どうしているんですか?」

セドリックの目が泳ぎ、なぜか私の左手を見ていた。そういえば指輪は外していた。カバンに入れっぱなしだったが、その視線は妙にねちっこく、ゾッとしてきた。

全く理由はわからないが、どうもセドリック料理長を信頼できない。謎の少年との関わりも不明。それに今は急に黙り込み、嫌な空気も流れている。私はセドリック料理長の地雷を踏んでしまったのかもしれないが、少し深呼吸。思い切って少年と知り合いかと聞いてみた。

セドリック料理長は無言だった。野鳥の声がやけに耳につく。

「どうしてそんな質問するんですか?」

その声はどう考えても不機嫌。うっかり地雷を踏んでしまったらしいが、また背中がゾクゾクとしてきた。セドリック料理長はずっと私の左手を凝視していたし、急に緊張してくる。失礼だが、なんとなくセドリック料理長が苦手になってしまう。

ちょうどそう思った時だった。前方からクリスが歩いてくるではないか。相変わらず大股で偉そうだったが、今日も仕事が休みなのか、ラフな白シャツに綿パンだったが、極悪モードの顔をしている。口はニッとしているのに、全く笑っているように見えない。嫌な笑顔だ。

無言のクリスだったが、セドリック料理長も何か感じたのだろう。「用事を思い出した」とだけ言い、逃げるように走っていった。

「どういう事だよ、アンナ嬢」

珍しくクリスは不貞腐れている。子供みたい。露骨に不機嫌な様子を表現するクリスは珍しいが、一応事情を説明しながら、別荘まで歩く。

別荘周辺の森へ入っても、クリスはぶすっとしていた。理由は不明だが、いつも以上に私と歩幅を合わせて歩いている。何か私がやらかした可能性は低そうだったが、別荘の前までつくと、クリスはボソボソと呟いた。

「潜入調査をする時は、指輪はちゃんとつけとけ。あのセドリック料理長、アンナ嬢に気がある。だからベタベタと近くで歩いていたんだ」
「はあ?」

そんな風に見えていたのか。むしろ、今のクリスの方がよっぽど私に近いのだが、確かに可能性はある。女達の噂では、セドリック料理長は女でも男でも手当たり次第だった。私がたまたま遊び相手に選ばれたとしても不思議じゃない。

「あの料理長、たぶん、犯人だ」
「えー?」

しかもクリスは妙な推理も始めてしまった。「アンナ嬢にベタベタとし、変な視線を送ってるから、あいつが犯人」だと決めつけているではないか。

頭が痛い。これは単なる私怨ではないか。推理とは言えない。

「推理に私怨はやめよう?」
「いいや。あいつが犯人!」

ムキになっているクリスは子供のよう。その上、こんな賭けも提案。

「セドリック料理長が犯人だったら、俺と結婚しろ」

こんな賭けは二回目だから、今更驚かない。

「セドリック料理長は犯人ではないわ。証拠がない。私は謎の少年が犯人だと思う。一番怪しいもの」

冷静に推理をしたら、どう考えても犯人はセドリック料理長ではない。少年と関わりはありそうだが、肝心のトリスタン先生と何の接点もない。アリバイも仕事のシフトで調べられるし、犯人の可能性は低い。この賭けは私が勝てるかもしれない。

「だったら謎の少年が犯人だったら、あなたは私に最新型のタイプライターをプレゼントする。どう? この賭けは?」
「ふん、受けてたとうじゃないか。犯人は絶対セドリック料理長だ」

腕を組み、胸を張っているクリス。残念ながら、ムキになっているので、全く様になっていない。思わず笑ってしまうが、素人のクリスの推理が当たるわけがない。私は余裕だった。最新型のタイプライターで仕事をしているシーンがリアルに想像できてしまう。

「この賭けは私が勝つから」
「だったら俺も行動に出る。俺も推理するから、アンナ嬢、油断するな」

クリスはそう言い残すと、去っていく。クリスがいなくなると、急に静か。野鳥の鳴き声が耳につくぐらいだ。

「うん? なんで経営者のクリスも推理する展開になってるの? っていうか、あの人、やっぱり事件を楽しんでない?」

ため息が出そうになるが、今の私はクリスに負ける気はしない。推理だったら私のほうが慣れているはず。

25

翌日、また私はホテルの厨房で潜入調査中だったが、セドリック料理長はお休みだった。

クリスはセドリック料理長が犯人だと決めつけていたが、ここで働く女たちの評判はまずまずだ。確かに女でも男でモ手当たり次第だと聞いたが、料理の実力もあり、コンクルーでの優勝経験もあるらしい。

休憩室にはその時の賞状も飾ってある。これだけ見ると、決して無能ではなさそう。実際、私が目にしている仕事ぶりだって悪くない。クリスの私怨推理は間違いではないか。セドリック料理長とトリスタン先生の繋がりも見えず、私は余裕。この賭けは私が勝ちそうだ。最新のタイプライターは、私のものになるだろう。余計にご機嫌になってきた。

そんないい気分のまま仕事を終わらせ、ホテルの裏口から出ようとすると、クリスが立っていた。今日は仕事中なのか、スーツ姿だ。髪もちゃんとセットしていたが、いつも以上に偉そうな表情で腕を組んでいた。

「何? クリス、何やってるの?」
「実は今日、部下がやって来た。このホテルの買収もスムーズに行きそうでな」

道理でご機嫌な様子。昨日の推理の事は覚えているのだろうか。偉そうなクリスを見ていたら、ちょっと揶揄いたくなり、セドリック料理長の名前を出してみる。

「そ、そんな推理はまだだ」
「タイプライター、楽しみね。あれがあれば仕事も早くできる」

明らかに動揺している。クリスの偉そうな目が、少し不安の色が出て、面白い。笑ってしまう。なぜか今日はクリスと一緒にいるのが楽しい。事件に巻き込まれながら、クリスと一緒にいる事も慣れてしまったらしい。こんな風に日常を過ごすのも悪くない気がして、自分でも戸惑うぐらいだった。

「いや、セドリック料理長が犯人だ」
「まだこだわる?」

ムキになっているクリス。余計に楽しくなってきたが、セドリック料理長の尾行をして証拠を掴むと鼻息荒くなってきた。

こんなクリスは珍しい。あの賭けもなんとかして勝ちたいのだろう。子供みたいだ。

それにしても、ここまで私に執着しているのが謎だが、このままクリスが暴走しても、事件に悪影響が出そう。真犯人がこんなクリスを見て油断し、逃げてしまう可能性も考えられる。セドリック料理長の尾行をしようというクリスに推理のアドバイスをする事にした。大丈夫。セドリック料理長は犯人ではないだろうし、多少、敵に塩を送っても余裕だ。

「でもクリス。尾行するならちゃんと変装しないと。私もデビュー作の推理小説ではヒロインが男性に変装して調査をしたわ」
「そうか、なるほど。俺の正体がバレたら、犯人が逃げるな」
「でしょう?」
「まずは変装だな。アンナ嬢も潜入調査するために変装しているしな。すっかり忘れてたぜ」

意外と素直なクリスだ。という事でホテルの裏口から村の駅まで行き、その近くのエメの衣服店に入った。

夕方近くで閉店作業中だったが、クリスの頼みという事で融通も聞いてくれた。もっともエメはクリスの身体をベタベタと触り、図々しく、事件調査の進捗も聞いていた。

店内は洋服だけでなく、帽子やアクセサリー、メガネなどが溢れて狭い。エメの大声も響く。こんなエメに押されたクリスはタジタジだったが、サングラスやアクセサリー、黒いスーツなどを選び、試着室へ。

しばらくして試着室から出てきたが、黒いスーツとサングラス姿のクリスは悪そうなギャングにしか見えない。極悪な内面とマッチした服装だったが、エメは引いていた。

「これだと目立つわよ、クリス。しばし残念だけど、さえないタイプの男性キャラに変装よ」
「エメ、こんな美男子の俺が冴えない系に変装できるかね?」

エメは自己肯定感たっぷりのクリスに大笑い。わざと垢抜けないセーターやダボダボとしたジーンズなど持ってきら。伊達メガネとも合わせ、着替えさせたが、いい感じに田舎くさくなり、クリスの派手さが抑えられている。要するに地味になったので、この姿だったら尾行もできるだろう。

「でもエメ、クリスの金髪は目立つわ」

一つ欠点はクリスの髪だ。青みがかった金髪はただでさえ目立つ。髪もボリュームがある。髪質も太めで少し癖があるものの、全体的に派手だ。

「だったらカツラだね。エメ店長、カツラは置いてないか? 前、アンナ嬢がきた時もカツラ売ってただろ?」
「クリスの言う通りね。カツラがあればいい感じに変装できそうだけど」

私はそう言うが、なぜかエメ店長は渋い顔だった。カツラは売り切れらしい。

「売り切れ?」

観光地とはいえ、田舎でカツラが売り切れる事は珍しい。

「けっこう売れているのよね、カツラ」

首を傾げているエメ。そのエメを見ていたら、何かが引っかかった。もしかしたら、私たちと同じ目的でカツラを買った人がいる?

「ちなみに誰がカツラ買ってた?」
「アンナ嬢、今思い出すわ。誰だったかしらねぇ。もう私も歳だけど」
「エメ、俺も気になるよ。誰がカツラなんて買ったんだ?」

クリスにも押され、エメはようやく思い出したらしい。

「そうそう、あのジスラン支配人が買ってたわ。いやね、もう禿げてるの? あと、セドリックも! 父親が禿げてるからって言ってたけど、何? アサリオン村のおじさん達ってみんな禿げ?」

エメは笑っていたが、クリスの口元もニヤニヤし始めた。疑っているセドリック料理長の名前が出たからだろう。

「そのカツラって同じもんだったのよ。金髪で短めで。なんなの? 禿げたおじ様の間でブーム?」

ここでセドリック料理とセドリック料理長の共通点が発覚。セドリック料理長が父親のカツラを代わりに買うものか? 

代理とはいえこんな噂好きのエメの店で買うぐらいだったら、王都にでも行った方がいい。それにジスラン支配人も背が低く、ルックスも悪い男だが、髪はふさふさだった。色も栗色で金色じゃない。禿げ隠し目的にカツラを買った可能性も低い。

それにジスラン支配人もセドリック料理長もホテル内で噂にされてる。どちらも性的に品行方正ではない印象。これも二人の共通点か?

私は黙り込み、しばし考える。セドリック料理長とジスラン支配人。謎の少年。そしてトリスタン先生の繋がりは?

もう一人、少年と繋がりがあるロドルフ先生もいる。こちらも単なる男色ではない?

トリスタン先生を除外すると、セドリック料理長、ジスラン支配人、ロドルフ先生の共通点は?

性的に品行方正ではないということ?

これは事件に関係あるのだろうか。これはセドリック料理長、ジスラン支配人についても調べる必要がありそうだ。彼らの尾行をしても悪くない。

「なあ? アンナ嬢。賭けに負けそうで焦ってるか?」

クリスの口元がふむふむとしてきた。実に機嫌が良さそう。口笛まで吹いていた。

「私怨で推理しても当たってるかもね? 賭けは俺の勝ちになりそうだ。な、アンナ嬢」

クリスの声は限りなく明るかった。


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