春や、桜や、唐古鍵遺跡や!
一週間ほど前になりますが、レキジョークルでお花見に出かけました。
有名どころはどこも混雑しているので、穴場狙いで、奈良県磯城郡田原本町にある「唐古鍵遺跡公園」を選びました。

これより北西10キロには先月まで通っていた「法隆寺」があり、約6キロには前回訪れた廣瀬大社があるという位置関係です。
なんだかここ最近、めっきり奈良めいていますが、奈良市内エリアはすでに混雑に侵されていても、このあたりはまだまだ奈良特有の田舎の原風景が広がって、何もない美しさが残るところです。
18時のライトアップも鑑賞するつもりで現地の集合出発は12時。
今回はミコさんが車を出してくれました。
今週になって良いお天気が続き気温も暖かだったのに、この日はどんよりとして寒く、時には雨も降るという天候で、ややテンションは下がりましたが、着くや否や咲き誇る桜を見ると滅入った気持ちなど吹っ飛びました。

天気が悪いせいかよくわかりません💦
日本最大のムラの跡で
2000年前に思いを馳せる

唐古鍵遺跡とは約2000年前の弥生時代の遺構です。
この地名は弥生時代からあったものではなく、史料によると「唐古」は鎌倉時代から「鍵」は桃山時代からの地名で、たまたま遺跡が発見されたためこの名がつけられました。
この奈良のほぼ中央に約700年間も存在した日本最大級のムラがありました。
その大きさは、なんと甲子園球場10個分(約42万㎡)もあったそうです。
発掘調査の結果、幾重もの環濠(水堀)に囲まれ、大きな建物の遺構や土器、青銅器製造の工房跡などが発見されています。
さらにはここには、日本各地から運ばれた物も発見されたことから、かなり広範囲の交流があったとみられ、近畿地方における首都的な重要なムラだったと考えられているのです。

江戸時代に灌漑用として作られたため池を中心に公園として整備され、見事な桜並木もありました。

シンボルは
うずまきの楼閣
長方形のため池は「唐古池」といい、そこにひときわ目立つのは、ここのシンボルで、うずまきの屋根飾りをつけたカワイイ楼閣です。
個性的ですが、自由にデザインされたものではなく、発掘された土器の欠片に描かれていた絵から復元されたものです。

この土器の絵画から、弥生時代にはすでに2層以上の構造を持つ高層建築が存在していたことがわかりました。
この渦巻模様は、HPでは中国風とされていますが、調べたところ、古代より世界各地で使用されており、その起源を特定することはできませんでした。縄文土器にも頻繁に見られますが、この楼閣のものは縄文のものに比べてより簡素化されています。
AIによると、”自然界の神秘や、途切れることのない生命の永遠性”などの意味があるそうです。
ライトアップ待ちの周辺散策

唐古鍵考古学ミュージアム
ミュージアムには唐古鍵遺跡の出土品や考古学資料が展示されており、豊富な実物資料を通じて、約2,000年前の弥生時代の生活文化を学ぶことができます。
しかも写真撮影が可能だったのはありがたかったです。

弥生時代と聞いて思い浮かぶのは、稲作文化が始まった時代という印象で、狩猟や採集が中心だった縄文時代から、農耕文化である稲作が主流となり、食料生産が安定した時代でもあります。
そのためか、人々の生活も進化し、埴輪や土器のデザインには、縄文時代のものと比べて洗練された印象を受けます。
ただし、儀式や狩りの服装にはどこかインディアン風の雰囲気を感じるものもありました。
紀元前10世紀頃から紀元後3世紀中頃まで続いた弥生時代には、金属製の道具が登場したと考えられていますが、展示品には木製の農耕器具も見られ、まだ日常的な道具として金属が広く普及していなかったことがうかがえます。
次の古墳時代(3世紀末~7世紀頃)になると、鉄器の普及や大陸から伝わった技術・文化の影響により、社会は飛躍的な発展を遂げました。
弥生時代は、文化や生産経済の発展の大きな過渡期だったのです。
空振りの周辺の寺々
「まだまだ時間あるで💦
どっか行くとこある?」
とミコさんが言うので、私はこんな事もあろうかと、ガイドマップを見て事前に目を付けていた2件の寺院を提案しました。
時間は14時頃だったでしょうか。
18時の桜のライトアップまでまだ4時間もあります。
17時に早い夕食を摂るつもりだったので、それにしてもあと3時間の余裕があり、雨もひどくなってきましたし、とても公園でブラブラすることもできないので、暇つぶし半分、興味半分で訪問することにしました。
ー千万寺ー
聖徳太子が「法隆寺」よりも先に創建したと伝わる「法貴寺」の塔頭子院で、秦河勝が賜った寺らしい。
重文指定の平安時代作・「不動明王立像」があると言うのでぜひ観たいと思ったのです。
ところが、無人!
もちろんお堂も施錠され、何も見る事ができません。
誰もおらんのんかぃ!!

せっかく寄ったのに、仏像が見れるどころか、誰もいないという有様で、お堂前の桜が満開だったことだけがせめてもの救いでした。

やる気のない寺なのかと思えば、詳細が載せられた案内板だけはやけに新しいのをみると、そうでもないらしい。
とにかくこの日はタイミングが悪かったのかもしれません。
ただ、同じ敷地内の南にある池坐朝霧黄幡比売神社という、絶対に読めないし覚えられない神社に立派な狛犬を見つけて、思わず嬉々としてしまいました。

創建は古く推古天皇24年(616)、法貴寺を賜った秦氏が、その鎮守社として創建したと伝わります。
これが本当なら1400年を超える歴史の深い古社ですね。

相変わらず石碑の字を読み解くのは苦手ですが、「天」がつく年号は安土桃山以前のものはまさか違うでしょうから除外して、江戸時代に3つ存在しているうちの「天和」かなぁ?
「和」の旧字体が「咊」なので、それっぽく見えるのですが、天和は1681~1684年の3年間を指すのか?
次の「十紀」が十世という意味なの事で、その下の字は誰かの名前か?とここでお手上げです。
もし天和で正解なら少なくとも340歳の狛犬たちという事なのですが、どうでしょう??
ー安養寺ー
寛永10年(1633)の創建で、重文の快慶作:阿弥陀如来像があります。
いやしかし、いつでも観れるわけではなく春と秋の2回の公開という事で、残念ながら今年春は3月25日で終了していました。
どうせなら、桜の季節に合わせた公開が良いのではないか?と逆切れに近い勝手な事を思いましたが、住宅街の中にありながら、やけに駐車場が広かったので、地元の法事だけではなく仏像公開日には多くの参拝者が訪れるのではないでしょうか。

御朱印も快慶仏像の公開日にしか書いてもらえないそうで、この日は完全に空振りに終わりました。
田舎の寺社はこんなものだとは思いましたが、唐古鍵遺跡公園の桜まつりに合わせた行事として周りの寺社も協力すべきではないでしょうか?
なんでも商売に繋げようとするのは、どうやら大阪人だけかもしれませんが💦
道の駅「レスティ唐古・鍵」
周辺を散策してもまだ15時30分ごろで、雨も降っているため夕食予定の道の駅へとやってきました。
時間はたっぷりあるので、まずは入り口付近にあった苺を物色して箱買いし、とにかく各自、オーダーして席に着きました。

実はこのあたりには小マシな飲食店がなく、結局、仕方なく道の駅のフードコートに落ち着いたのですが、ここの苺パフェは大人気でわざわざ遠方からお目当てに訪れる方も多く、休日ともなれば順番待ちで整理券を配られるほどなのです。
いくら人気ナンバーワンでも、この日は寒くて、私は食べたいとは思わず熱々のカツカレーにしました。
食後はまたちょくちょく買い物したり、席については喋ったりと結局2時間以上も過ごし、17時45分に「蛍の光♪」が流れるまで粘りました。
遺構展示情報館

遺跡の発掘で見つかった大型建物の柱穴を形取りして、再現された実寸大のレプリカです。
切妻屋根に高床式、伊勢神宮などでみられる神明造と似ていて、現在の伝統的な神社建築様式はこの時代に生まれたとされています。
それにしても柱の太さ・大きさには驚きです。
この時代の重いものの運び方は、やはり棒を並べた「ころ」を使っていたのでしょうか?
それともひたすら大人数で引き摺った??
どちらにしても人力しか術がない古代で、よくこんな大きな建築物ができたものだと感心します。
圧巻の桜 昼から夜へ

情報館を出るとすっかり暗くなり、ライトアップされた桜が効果的に照らされていました。
唐古遺跡公園の桜を37秒のショート動画に収めました!
よろしかったらどうぞ!
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立ち寄ったところ
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【引用・参考】
現地配布リーフレット
・田原本ガイドマップ
・唐古・鍵考古学ミュージアム
H.P
・唐古・鍵史跡公園
・千万院
・安養寺
・池坐朝霧黄幡比売神社
・レスティ唐古・鍵
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