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②如来は真理の極め人ー仏像を知ると寺院めぐりが楽しくなる

如来の由来は、サンスクリット語のタターガタtathāgataを直訳すると「悟った者」。
修行を完成して最高の境地に至った者を指します。
「如」は真理という意味で、そこから来た者なので「来」をつけて「如来」となりました。

如来の主な特徴はAIによると次の通りです。

私は「白毫びゃくごう」はホクロで「頂髻相ちょうけいそう」は単に結ったヘアスタイルだと思っていました💦
実は…
眉間の「白毫びゃくごう」は光明を放ちながら右に渦巻く白毛であり、全長約4.5m(一丈五尺)もあるという。
頂髻相ちょうけいそう」は螺髪を結い上げているのではなく、頭の頭頂部自体が盛り上がっているというのです。
これを知った時は心から驚きました。



モデルは実在した釈迦族の王子

元々の基本的なモデルは、実在●●した北インドの釈迦族の王子である「釈迦」が悟りを開いたの姿です。

最初は如来と言えば仏教の開祖でもある「釈迦如来」だけだったのですが、過去や未来、病気などからも救ってほしいという、増えてゆく人々の願いからそれぞれの役割に応じた如来が誕生しました。

という事は、釈迦如来のみ実在した仏様ですが、それ以外は全て大乗仏教によって崇めるために創造●●された仏様という事になります。
さらには、「菩薩」は釈迦が悟りを開くの姿だとされ、如来も菩薩もモデルは全て釈迦であるとされているのです。

前回でも触れましたが、心の迷いが解けて”真理”を会得して「悟り」を開いた状態ですので、一切の「煩悩」はなく、服装もシンプルで質素でありながら、如来にしかない身体的特徴が多く現れて、黄金のオーラまで纏っています。

人間だけではなく生きとし生けるものすべてに手を差し伸べ、この世のすべての生物を平等に救済するという大きな役割があるのです。

それにしても、全ては人々による想像で出来上がった如来像。
細部に至るまで見事に具現化されているのを見ると、人の願望の強さと想像力のたくましさには舌を巻きます。
私には信仰心はないので、全ては虚無の産物●●●●●だと思いながらも、こうも具体的だと数々の逸話も含めて、全ての仏があたかも実在したと思えてしまいますね。


如来の基本「釈迦如来」

「両手とも広げている」

わかりやすい特徴としては、「両手とも広げている」事でしょう。
仏のなかでも最高位の「如来」の基本形です。

似て非なる毘盧遮那びるしゃな如来

2014年6月撮影

見た目は前述の釈迦如来と同じ。
その姿は、広く深い知恵と慈悲で光明が全てを照らしている意味の「光明遍照こうみょうへんじょう」とも表現されます。
ここで思い出したのは比叡山延暦寺の天台宗開祖の最澄さいちょうの教え、
一隅いちぐうを照らす~
隅々までもれることなく照らすというところには大きな慈悲が感じられる言葉ですが、この考え方も元々は「光明遍照こうみょうへんじょう」からの教えなのでしょう。
延暦寺のどのエリアのご本尊にも毘盧遮那びるしゃな如来はないものの、考え方の基本は同じなのですね。

華厳宗の教主とされているので、それを宗派とする奈良東大寺ではご本尊なのですね。

迷いから救う「阿弥陀如来」

「両手とも輪」

見た目の特徴は「両手とも輪」を作っている事でしょうか。

阿弥陀という名の由来は、サンスクリット語のアミターバAmitābhaの音を漢字にしたもので、量が計れないほど大きい「無量」という意味になります。
西方極楽浄土の教主で、無量寿仏、無量光仏とも言われ、「浄土系」の浄土宗、浄土真宗、時宗などがそれにあたり、一言でいえば「浄土といえば阿弥陀仏」となります。

念仏を唱えることで浄土に往生できるという、修行も悟りも不要のお手軽さなので、平安時代後期に浄土宗開祖の法然から始まり、弟子の親鸞が浄土真宗を開き、鎌倉時代にかけて庶民に至るまで爆発的に信者が増えます。
名だたる武将たちが苦しんだ「一向一揆」の一向宗はお手軽宗教の「浄土真宗」でした。

一般的には、
釈迦如来は教主で仏教開祖としての教えを明らかに説き、
阿弥陀如来は救主で人々を迷いから救い出すとされ、
存在の意味も微妙に違っているのです。

健康を守護する「薬師如来」

左手に薬壺やっこ

見た目の特徴は左手に薬壺やっこを持っています。

医療と健康を守護するのが主な役割なので、病気や苦しみから救い出すために常に薬を持参しています。

正式には「薬師瑠璃光如来やくしるりこうにょらい」といい、東方の浄瑠璃世界の教主であるとされています。
今年の1月に訪問した「浄瑠璃寺」はまさしくその世界を表現していて、元々のご本尊であるの三重塔の薬師如来、西の本堂には九体の阿弥陀仏が祀られた配置はまさしく浄土庭園の典型でした。

真言密教の最高位「大日如来」

智拳印ちけんいん」か「定印じょういん

如来なのにアクセサリー付きで見た目は派手です。

前述の通り「如来」は釈迦が悟りを開いたの姿で質素であるべきなのですが、唯一「大日如来」だけは悟りを開いているのに、釈迦の王子時代の姿だからです。
密教では、最高位であり宇宙そのものを表すとされ、大日如来の派手ないで立ちは例外●●と言えるのです。

菩薩が派手なのも修行中の釈迦の王子時代の姿ですので、これでは見分けがつきません。
菩薩との見分ける識別ポイントは、私なりに言えば印相ではないかと思っています。

菩薩に関しては次回触れますが、「合掌」か「思唯手しゆいしゅ」あるいは救済するために必要なアイテムを持っています。
それに対して大日如来は智拳印ちけんいん定印じょういんなのが、見分ける時の参考になるかもしれません。
(ただし、大日如来が結ぶ定印は法界定印ほっかいじょういんという)

その決定的な違いが何なのか、調べてもはっきりしたポイントを見つける事は出来ませんでしたが、ひとつの参考にはなるかと思います。

人の煩悩の数だけ存在しているからか、
菩薩の種類は実に多く、
それに比例して印相の種類も多いため、
代表的なものを挙げています。


いずれの如来も尊い存在であり、ランクの優劣はありません。
ただ簡単に言えば、釈迦如来を基本にして”人々の願いに応じるために”それぞれの役割が特化して細分化したようです。
あれもこれも煩悩だらけの人たちの要望に寄り添う事で進化されてきたと思うと、ありがたい存在ですね。


<<①仏のざっくり知識         ③変身する菩薩たち>>>


【参考・引用】
古寺行こう(4) 興福寺
ホトカミ
仏様のハンドサイン
※指定外の画像はACWikipediaより


次回は菩薩についてのまとめです。

「仏像を知ると寺院めぐりが楽しくなる」
①仏のざっくり知識


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