神が創建⁈日本最古で最強のパワースポット大神神社
奈良の長谷寺へ寄ったあと、約7キロ西にある「大神神社」に立ち寄りました。

奈良市と和歌山県新宮市を結ぶ169号線沿いから三輪山線を東へ曲がり、一の鳥居の「大鳥居」をくぐりぬけると、そこはもう神社内です。

この大鳥居は高さ32.2m、柱間23mという巨大なもので、今まで何度も前を通っていますが、そのたびにいつも圧倒させられます。

ご覧の通り境内は広範囲です。その大鳥居から二の鳥居まで約750mもありますが、その参道沿いの駐車場に車を停めたので実際に歩いたのは半分ほどでしょうか。
それでもほとんど影のない道だったので、身体には堪えました。

やっと二の鳥居を見た時は、正直ホッとしました。
その先の参道は神社特有の自然の木々に覆われていて、いかにも聖域という風情です。

ご神体は三輪山、創建は神代


(Wikipedia)
ご神体の「三輪山」は、奈良盆地を取り囲む山々のうち南東部に位置し、標高:467.1m、周囲:16kmです。
日本書紀や古事記などには「三諸山」「美和山」「御諸岳」とも記されています。
古来より本殿がないのは、ご神体の三輪山を直に拝むという原始の神祀りの形式を今に伝えるもので、神道における自然神を祀る基本的なカタチを踏襲し続けているのです。
三輪山あっての神社なので、正式名称は「三輪明神 大神神社」と言います。

三輪山のすべてが神聖なもの
三輪山は生育した松、杉、桧などの大木に覆われていて、その全ては神宿るものとされています。
特に杉は万葉集にも詠われるほど「三輪の神杉」として神聖視され、ここの杉の葉で作られた「杉玉」が造り酒屋の軒先に吊るされています。

「三輪明神縁起」
そして山中には神霊が宿る「磐座」が3か所点在していて、祭祀の痕跡もあるとの事ですが、基本的に三輪山は禁足地とされているので、登るには様々な規則があるらしいです。
禁足地と聞くと、かなりミステリアスでちょっと立ち入るには怖い気もしますね。(詳細は後述します)
ところで、「三輪明神縁起」によると創建年が不明で神代となっていますが、どういうこと??
まさか初代の神武天皇が日本を治める以前の神々が治めていた頃のことですか?
日本史が始まる以前から三輪山を信仰する形態があった事に愕然とせずにはいられません。
そりゃ創建年などわかるはずもない最古であることは確定ですね。
なぜ大神を「おおみわ」と読むのか?
そのいつだかわからない時代に国作りの神である大国主神が、自らの魂2つをこの三輪山に鎮めて留めたのがこの神社の始まりだと伝わります。
「幸魂」幸福をもたらす魂
「奇魂」神秘的な力を持つ魂
これらをあわせて和魂です。
そもそも大国主神の神社だというのなら「大神」をそのまま「おおかみ」と読んでもいいのでは?
実はこれを「おおみわ」と読む理由には諸説あり、それらから私がもっともらしいと思うものは次の2説です。
・この地を治めた古代豪族が三輪氏だったから。
・三輪山そのものを御神体としているから。
古い文献にもよく見られるように、日本では名前や地名などの固有名詞を”読み”はそのままで、漢字を変えて表記するのはよくあること。
それと同じように単に「神」に「三輪(みわ)」と当てたのかなと想像します。
現代人にとっては、漢字を変える事はその意味まで変わってしまいタブーだと思いがちですが、古代の日本人はむしろ「読み」の方が重要だったのですね。
そして肝心の大国主神は国作りのため、各地各所で和魂を奉じたため多くの別名を持っています。
この大神神社においては大物主大神と名を変え主祭神として祀られています、幸福をもたらす神として人々の生活全般を司る重要な神として崇められ、今も篤く信仰を集めているのです。
いずれにせよ「大神」を「おおみわ」と読む理由は、三輪氏から始まった三輪山信仰と、大物主大神の存在が深く関っているのは明らかですね。

大物主大神の化身の白蛇が棲むことから名付けられたとされるご神木。
蛇の好物の卵をお供えされるのだそう。
たくさんの摂社・末社

大神神社の摂社、末社、その他の雑社を合わせると40社以上あると言われ、正確な数はわかりません。
それらが全て現存するのかはわからず、それでも少なくとも摂社10以上、末社に至っては8社以上はあるようです。
そのうちのほんの一部を巡ってみましたが、木々に包まれていたにもかかわらず、この日は6月初旬のわりには気温は高くて体力的にはきつかった!

「狭井神社」のご神水は霊験あらたか
拝殿の北西にある「狭井神社」は病気平癒の神様として信仰を集めています。

くねくねとした坂を上り、またさらに階段が20段ほどあり、その時の私にはされど20段でした。
なんせ午前中に長谷寺でも階段と登り坂づくめでしたから。
お参りの際にはただ手を合わせるだけではなく、「鎮魂詞」を唱えるのが流儀なのだそうです。
~狭井大神 、荒魂守り給へ、導き給へ。~
私は自宅に帰ってから、いただいたリーフレットで知ったので、現地では手を合わせて感謝しただけでした。
やっぱりこういう事は事前に知っておくべきでしたね。
写真は撮り忘れてしまいましたが、拝殿のすぐ西隣の井戸からご神水が湧き出ていました。
せっかくなので、持参の飲みかけのペットボトルを空にして、ご神水を入れ直して飲んでみると、とっても柔らかく冷たい水で体に優しく染み渡るのがわかりました。
神聖な三輪山登拝に必要な心構え

境内には、先ほど述べた禁足地である三輪山への登拝口があり、社務所で手続きをすれば登れるそうです。
「受付終了」なのは、登拝可能なのは午前中のみで、この時はすでに午後だったからです。
なんと一般人の登拝が可能になったのは近代になってからで、くれぐれもハイキングや単なる登山程度の軽々しい気持ちで登ることは厳禁。
撮影や小さい子供連れの方は不可、小さい山ですが急こう配なので体力・体調ともに良好な方のみに限られ、くれぐれも篤い信仰心での敬虔な心で入山しなくてはならないのです。
実際に滑落や転倒、持病の悪化で救急搬送された方もあるとか。
それはもしかしたら神のお怒りに触れたのかもしれないと、ふと思ってしまいました。
私は今後も登る事はないですが、信仰深い方でもチャレンジするのなら相当な覚悟は必要です。
智恵の神様「久延彦神社」

神社名は祀られているのが久延毘古命だから。
”世の中の事をことごとく知っている智恵の神様”として『古事記』にも記されています。
~足は行かねど、天下の事をことごとく知れる神あり~
人間なら「机上の空論」に終わるのですが、神様だから机上だけでも全てを見通してしまい空論で終わらないのでしょう。
各種合格祈願にはもってこいなのですが、今のところ我が息子たちはその時期はとっくに過ぎてしまっているので、社会の中をしっかりゆけるようにとお願いしておきました。
拝殿から後ろを振り返ると見事な景色を誇る遥拝休憩所がありました。

(南西:畝傍山・東:天香久山北:耳成山)
実はここで大きな声で一生懸命解説しているご年配の男性がいて、お参りの最中も気になっていました。
お相手のご婦人が、てっきり地元のボランティアガイドを頼んだのかと思っていたのですが、最後にその男性が、
「すんまへんな。えらい長々と勝手にしゃべってもうて。」
なるほど、地方のどこにでもいる郷土自慢のおじさんだったのか。
こういう人に捕まったら最後、1ターン終わるまではじっと話を聞くしかありません。
時間さえあれば、とても有難い事なのですから。



やっぱり御朱印は寺やな。
参考文献
・三輪明神縁起(観光用リーフレット)
いいなと思ったら応援しよう!
サポートいただけましたら、歴史探訪並びに本の執筆のための取材費に役立てたいと思います。
どうぞご協力よろしくお願いします。