見出し画像

「幾たびも参る心は初瀬寺」あじさいの長谷寺を訪ねて

タイトルに引用したのは「奈良県桜井市初瀬」にある長谷寺の御詠歌の上の句です。

「いくたびも 参るこころは初瀬寺 やまもちかいも ふかきたにかわ」

~たとえ何度も長谷寺に参拝しても、
いつも初めて訪れたような新鮮な気持ちになる~

長谷寺の周囲を取り囲む山や谷川のように、観音様の衆生済度しゅじょうさいどの誓いは深くて広大だと言っているのです。
その意味通り観音信仰の中心的役割を担う寺院でもあります。

花の寺としても有名で、初瀬山の豊かな自然だけでなく、広大な境内全体に次々と四季の花が咲き乱れ、景色は自在に変化するので来るたびに新鮮な発見があるお寺です。

長谷観光リーフレット

本堂の南側は、まるで京都の清水寺の舞台のような懸造かけつくりで谷側へ向けてせり出しています。
ダイナミックな自然を一望できてしまうため、まるでひと山ごと自分のものになったような錯覚をしてしまいそうです。

「長谷」は渓谷状の地形の事をいい、ちょうど初瀬山の南東の渓谷に位置するため「長谷寺」となったそうで、この舞台に立つとその名の由来がよくわかります。

振りかえれば「大悲閣」という大きな扁額を掲げた本堂があり、時期によっては五色幕が張られている事もあります。

国宝
1650年、3代徳川家光の寄進による建立。

この舞台の上で深呼吸するだけでも、徳を得た気持ちになるので来た甲斐があるというものです。

上空から見たらこんな感じ。
観光リーフレットより


境内を歩く

長谷寺は過去にも数度訪問していますが、今回はホームページを見ても、自分が住むマンションの庭を見ても、ちょうどあじさいが見ごろだと狙ってきました。
いつも肝心な花の時期は逃しているので、今度こそという思いでやってきたのです。

仁王門をスルーしてしまう

開山1300年の立て札と、今回のお目当てだったあじさい観たさに気が走り、仁王門の見どころをスルーしてしまいました💦

扁額の「長谷寺」は107代・後陽成天皇の御宸筆。
在位期間はちょうど豊臣政権下から徳川幕府成立の時期ですので、日本史においても大きな節目でした。
さぞかし翻弄されたことでしょうね。

もちろん両脇には仁王像、楼上には釈迦三尊と十六羅漢像が安置されているというのに、ちょっと見上げただけでじっくり見ていませんでした。
また次回にはかならず確認します。

長谷寺のシンボル登楼のぼりろう

長谷寺と言えばどなたも思い浮かぶのが登楼でしょう!

テレビCMやポスターなどあらゆる媒体で取り上げられている象徴的な建造物です。
百八間(約200m)、399段、上・中・下に踊り場を設けて方向転換して三廊が繋がっています。(上記境内図参照)
段数と長さを見ればひるんでしまいますが、周りの光景を鑑賞しながらゆっくり上るので、意外と楽に登れてしまいます。
最後だけ、さすがに息切れますが💦

年越し(12月31~1月1日)の「観音万燈会かんのんまんとうえ」には今ある天井の灯籠だけでなく、階段の両脇にも置き灯籠が並び、ご本尊がおられる本堂まで誘うような荘厳な空気に包まれるそうです。

観光リーフレットより

なんと平安時代1039年、春日大社の社司・中臣信清が子供の病気平癒の御礼として建立したものだそうです。
中臣という性であることから藤原氏の一族なのでしょうが、ざっくり調べてみましたが、どの系統なのかはわかりませんでした。
またいつかどこかでわかる日が来るかもしれません。

ご本尊が「長谷観音」と言われる所以

ご本尊は約10mもある巨大な「十一面観音菩薩」です。
本堂奥の狭い空間に安置されているので遠くから見る事も出来ず、お姿の全容はよくわかりません。

観光リーフレットより
どう頑張っても、こういう視界にしか収まらない

伝承によると、神亀年間(724∼729年)、当地の初瀬川に流れ着いた巨木の祟りに恐怖した村人から懇願されて、開祖の徳道がこの巨木をご神木と捉え、「観音菩薩像」に作り替えて初瀬山に祀ったのが、長谷寺の始まりだと伝わります。
神亀4年(727)にできたご本尊は約8.6mだったそうですが、それでも丈六(5m)よりはるかに大きく、当時の人々にとっては驚愕の大きさだったでしょう。

長谷寺は何度も火災に見舞われて、現在のご本尊は天文7年(1538)に再興の室町時代の作です。
この時代は仏像彫刻の衰退期と言われていますが、確かに鎌倉仏ほどの躍動感や力強さみられませんが、精巧で穏やかな雰囲気に満ちています。

着目すべきは、地蔵菩薩のように左手に錫杖しゃくじょうを持ち、方形の磐石の上に立つことでしょうか。
通常の十一面は「右手は垂下して数珠、左手には紅蓮を挿した花瓶を持つ」というのが一般的ですので、独特の「長谷寺式●●●●十一面観音」と言われています。

そういえば地蔵菩薩の錫杖は、山中を歩く時に小動物を傷つけないように追い払うためだといいます。
この初瀬山の自然の中に鎮座する独特の長谷観音の錫杖も、地蔵菩薩と同じ自然界への慈悲心の表れなのでしょう。

パンフレットにも詳細はなかったのですが、ご本尊の周りには様々な像が安置されていて、そのうちの「十二神将」が像高はわずか1m足らずの小さいものとはいえ、なかなか描写が細かく表情が豊かでそれぞれの特徴がよく表れていて魅力あるものでした。

お守りは扱いに困る

ご本尊お参りの前に、結縁けちえんの五色線」をいただきました。
これを左手に付けてご本尊をお参りすることでご縁が繋がるのだそう。

長谷観音はお御足を触って願い事をすると叶えて下さるそうで、五色線を付けた左手を足の甲に置いてお参りさせていただきました。

しかしこの五色線、この後どうしたらいいのでしょう?
私は寺社を訪れても「お守り袋」はまず買いません。
信心が薄い以前に、持つと始末に困ってしまうからで、失くしてしまったら気にしてしまうだろうし、それに頼ること自体もどうかと思っているのです。

これもお守りなので、拝観料を支払うと自動的に渡されましたが、我が家の仏壇に置きましょうか?
長谷寺は真言宗、我が家は浄土真宗で宗派は違えど慈悲心は同じという事で多めにみてくれるでしょう。


その他のお堂と寺紋

寺紋じもんは「輪違い」ですが、各門に吊るされた門幕かどまくには豊臣の「五七桐ごしちきり」もありました。

本坊の門に掲げられた門幕

調べてみると、戦国の世で荒廃した長谷寺を再興したのが、秀吉の弟の秀長でした。
秀長は、紀州根来寺ねごろじ専誉せんよ僧正を招き、真言宗豊山派の派祖とし、長谷寺をその根本道場としました。

その経緯を見ると、この紋から見える敬意は秀吉ではなく秀長に対してのものなのですね。
来年の大河「豊臣兄弟!」ではそのあたりも描かれるかもしれません。

何度も焼失と再興を繰り返した長谷寺は、仏教の伝承や信仰を継承する上で重要な意味を持つ重要な寺院だったからこそなのでしょう。
境内全体と山深い景色を見ると、その信仰の清浄さが伝わります。

本堂を巡って戻ってみると入口付近で人が集まっています。
僧侶の方の説明によると、12時を知らせる時報を古来の法螺貝ほらがいで実演するとか。
その様子を27秒の動画にまとめましたので、よかったらどうぞ。


あじさい目当てだったけど…

色とりどりのあじさいが咲いていると思ったら全て鉢植えのもの。
写真の奥に見える人たちは、このあじさいたちに囲まれた映え写真を撮るために並んでいるのです。
約50名ほどだったなかぁ💦

境内に群生している地植えのあじさいはまだまだ満開には程遠く、残念ながら期待外れに終わりました。
大阪より遅いのは、やはり山中だからか?
それでも葉は眩しいぐらいに青々として、すっかり開化のスタンバイに入っている様子でした。
この日は6月5日。あと一週間もすれば満開かなぁ。

そのかわり仁王門横の池には菖蒲が見事に咲き誇っていました。


門前の商店街

仁王門を抜けると昔ながらの商店街があります。
食堂や土産物屋など1キロあるかないかの短い通りではありますが、昭和感満載の雰囲気が今も残っていました。

かつて初瀬は伊勢街道への分岐点でもあり、長谷寺の門前町だけではなく、「伊勢神宮」への参拝客の宿場町としても栄えたそうです。

つい楽しくて見入ってしまい、通りの写真を撮り忘れましたが、ここでお昼を摂り、ちょっとした買い物をしました。

苔玉はなんと500円!
植物はこれ以上増やさないと誓っていたのですが、この安さと可愛らしさに惹かれて買ってしまいました。
プリンは程よく固めで美味しいのですが、私としてはいつも買う「治一郎」の方が好みかな。


この日の午後は「大神おおみわ神社」に寄りましたが、また後日アップします。


↓↓↓長谷寺の魅力いっぱいのCM動画です。



いいなと思ったら応援しよう!

千世(ちせ) サポートいただけましたら、歴史探訪並びに本の執筆のための取材費に役立てたいと思います。 どうぞご協力よろしくお願いします。