奈良の遠景と「俊乗堂」~東大寺とその近傍をめぐる⑩
7月5日、東大寺・俊乗堂の特別開扉を目当てに再び東大寺を訪れました。
覚悟はしていましたが、本当に暑かった!
予想は出来ていたので、なるべく無駄な動きは避け、近鉄奈良駅から「俊乗堂」までの道のりの中で楽しもうと計画を練りました。
毎年、夏はあまり動かないようにはしていますが、東大寺とその周辺は本当に見どころが多くて、暑いからと言っていてはせっかくの「友の会」を有効に使えなくなるため、そうも言っていられません。
友の会を同時入会したペコちゃんとともに、老体に鞭打って気合を入れて訪問しました。
入江泰吉が愛した風景

奈良県出身の写真家・入江泰吉の名を知ったのは、私の大好きな雑誌「古寺行こう!東大寺」でした。
しかも生まれは現:奈良ホテル南側の「片原町」で、北側の3方向には「春日大社」「東大寺」「興福寺」とあり、ドストライクの奈良を代表する寺社の存在を肌で感じながら育った写真家なのです。
彼は奈良の文化財、大和路の風景や仏像、行事などを生涯にわたって撮影して記録し続けました。
特に東大寺・二月堂へは、深い観音信仰を持つ母に連れられて頻繁にお参りされていたと言います。
生まれた時からの環境が魅力いっぱいの宗教風景の中だったのですね。
桜の季節に、彼が東大寺北側の「奈良奥山ドライブウェイ」から撮影した大仏殿の一枚は、私の心を深く惹きつけました。
映え写真を撮るなら
奈良県庁の屋上!
入江泰吉が愛した東大寺界隈の風景に出会いたくて、東大寺へと向かう途中にある奈良県庁の屋上へ上がってみました。


「あれはなんや??」
まず最初に目に飛び込んできて、ペコちゃんが指さしたのは、只今120年ぶりの修復工事中のため覆われてしまった興福寺・五重塔です。
向かって右下に見える「中金堂」の屋根の「鴟尾」も輝いて美しい。
五重塔は、なんと令和13年(2031)に完成予定なので、まだ8年もある!
何を勘違いしたのか、あと3年ほどだと思い込んでいましたがとんでもなかった。
その時、私は興福寺が堪能できるほど元気でいられるだろうか?

この姿がないと奈良の風景は締まらない。
そのまま左へ視線を移して東を望むと、春日山~若草山をバックに、東大寺の数々のお堂や春日大社がよく見えます。


遠景からの大仏殿の姿も美しい。
若草山の手前には「二月堂」の屋根が見え、存在感を示しています。

「薬師寺」や「唐招提寺」まで確認できます。
ならまち東にある入江泰吉記念・奈良写真美術館も是非ゆっくり訪れてみたいです。
奈良の空は広い
だいたいこの「奈良県庁」は6階建てなので、眺望は大したことはないだろうと高をくくっていましたが、とんでもない。
360度の見事な光景が広がっている事に驚いてしまいました。
こんなにも眺望が良いのは、奈良は「景観条例によって建物の高さが制限されているため」です。歴史的建造物を含む街並みを保護するために厳しい高さ規制があり、基本的に約60メートルを超える建造物は建てられません。
そのおかげで、奈良の空はとても高く、限りない広がりを感じさせます。
大阪ではそうはいきません。
高層ビルが密集し、空はその間からわずかに覗くだけで、美しい空に気付くことすら難しいのです。
ただし、ハルカスの展望室は例外ですが。
まだ行ったことはないですが、1998年にオープンしたJR奈良駅直結の「ホテル日航奈良」は10階建ての高層建築なのですが、きっとこれから観光地としての発展を目指して、あらゆる条件を吟味して許可が下りたのでしょう。
かつては寂れた印象が強かった奈良ですが、現在では世界的な観光地として着実に変化を遂げています。その一方で、奈良の魅力を損なわないよう配慮された開発が進むことを心から願っています。

「せんとくん」は最初はめちゃくちゃ違和感あったけど、
慣れてきたなぁ💦
俊乗堂の秘仏公開

東大寺へと行く前にまだペコちゃんがお参りしたことがないので「氷室神社」に軽く立ち寄りました。
御朱印の揮毫者は、前回は年配の女性でしたが今回は男性でした。
しかし願掛け儀式は前回同様で、その筆跡も変わらず小学生の習字のようででした。

良く言えば味のある字体ですが、やはり御朱印は寺。
神社はイマイチなところが多く、こちらはまだ直書きなだけマシです。
相変わらず外国人観光客で大混雑の南大門を横から通り過ぎ、一気に東エリア入口付近の「俊乗堂」を目指しました。
大仏殿の東側を登ってすぐ左手なので、まだ楽勝です!
念仏堂の地蔵菩薩
到着した時、俊乗堂はまだ法要中で見学できなかったため、その間にすぐ近くの念仏堂まで特別御朱印をいただきに行きました。
その時に勧められて中へ入ってみると、そこには予想を超えた地蔵菩薩がおられたのです。

いや驚いた!
丈六(一丈六尺=約5m)ほどもある地蔵菩薩坐像がおられ、その大きさに軽く「うゎ。」と声があがるほどでした。
今朝、東大寺念仏堂で「阪神淡路大震災発災三十年物故者慰霊法要」を厳修しました。理趣経をお唱えしながら、あの日、神戸で見た景色が目の奥に浮かび、避難所で泣く赤ちゃんの泣き声が思い出されました。改めて、合掌。 pic.twitter.com/XRJysFTSM9
— 森本 公穣 @東大寺 (@kojomrmt) January 17, 2025
元々は脇侍に閻魔王像と中国の泰山府君像が安置されていたらしいのですが、現在は奈良国立博物館に寄託されているとか。
地蔵菩薩がお一人なだけに、堂内はシンプルで余計にクローズアップされて、その迫力に気圧されてしまいました。
右手に錫杖、左には宝珠を持ち、いつでもすぐに立ち上がれるように脚は少し崩した「安坐」という形です。
衣にはかつては鮮明に着色されていただろう絵柄がうっすらと残り、布地のドレープも自然です。
ただ菩薩とはいえ、お地蔵さまはアクセサリーを付けていない事が多いのですが、こちらは豪華なネックレスで胸元を飾られていました。
私たちは、ほ~と感嘆しながら、正面の椅子に座りながらぼ~っと眺めていたら、一気に汗が噴き出て止まらくなりました💦
東大寺中興の祖・重源上人
さて、いよいよこの日のメイン、「俊乗堂」が公開されます。

ここのご本尊は重源上人です。
ですから須弥壇の奥、そのまた高いところに安置されていますが、厨子の中に収められて正面からしか拝することができません。
つくづく先日の奈良博「国宝展」の展示は素晴らしいかったと改めて思います。
前後・左右の四方がガラス張りだったので、どの角度からも眺める事ができ、そのリアルさに驚かされました。
彼が平家による「南都焼き討ち」の後の東大寺復興を任された時は、すでに61歳だったため、まず春日大社へ「あと20年の寿命」を祈願したと言います。
当時は61歳でも十分な長生きですが、それからまだ20年だなんて誰もが無理だと思っていたようです。
しかし彼は立派にやり遂げ、85歳まで生き抜いたのです。
この像は重源の最晩年の姿で、背中は曲がり顔のシワは深く、大きな手はごつごつして、しっかり前を見据える目は炯々としていたのが強烈な印象でした。
重源さんは隅々まで鑑賞済みですが、私のお目当ては、同時に特別公開された両脇に安置された仏像でした。
快慶作・阿弥陀如来立像
とても穏やかな整った顔立ちの如来様でした。
像高は100㎝ほどなのですか、全体のバランスが素晴らしく、お顔だけでなく均整の取れた体つきは見惚れるほど美しい。
印相は右手は上向きのOKサイン、左手は下向きのOKサインの「来迎印」です。
西方極楽浄土から人々を迎えに来る際の阿弥陀如来の定番の印相で、
「私に任せて安心してついてきてください」
と言ったところでしょうか。

平成9年(2017)の奈良博「快慶展」では広告塔としてポスターのモデルとなり、目玉の仏像でした。
実はこの阿弥陀像、別名「釘打ちの弥陀」と言われていて足の甲に釘を打った跡があるそうです。
この話は自宅に帰ってから知ったので確認できておらず、次回は必ず確認したいと思います。
なぜ仏様の足に釘を打ち付けたのか?
その元となった話が2パターン伝わっています。
①浄土真宗を開基した親鸞聖人が立ち寄った際、あまりにも深く信仰したため、親鸞が持ち帰れないようにするため
②親鸞の人徳に触れ、阿弥陀如来自らが彼について行こうとしたから
そこに阿弥陀様の意思があったかどうかの違いはあれど、実際に仏様の足から血は流れ、釘を打った東大寺の僧侶は盲目になったそうです。
さて嘘か真か。
似たような事実に尾ひれが付いたのか。
どちらにしてもいわくつきの阿弥陀如来であることは間違いありません。
私としては親鸞を信じて、②の阿弥陀様の意思があったと信じたい。
平安末期の愛染明王坐像
俊乗堂の中で最も古い仏像です。
愛染明王像自体、平安時代作のものは珍しくて数が少ないため、かなり貴重な像になります。
他の2体に比べると破損や劣化が激しく、後になってかなり修繕されました。
時代が古いせいか、見たところリアルさには欠け単純な造形という感じで、少し平面的な作りになっています。
表情は怖く作ってはいますが、私にはどこか可愛らしささえ感じてしまいました。
そのあたりが鎌倉時代以降のものとは大きく違うのかもしれません。
それにしても暑い!
俊乗堂を出た時点で、11時30分。
どこかエアコンの効いたところに避難したいのと、また前回のように昼食難民にならないうちに早めに休憩を取ろうと、私たちは同じエリアの店を物色して駆け込みました。

※トップ画像は俊乗堂すぐ南の階段から見える大仏殿
続きます。
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