ミュージアムと吉城園~東大寺とその近傍をめぐる⑪
記念記事を挟みましたが、前回はこちらです。
俊乗堂から100mほどでしょうか?同じ敷地内の東にある「あぜくらや」に駆け込み、お腹を満たすというより、とにかくクールダウンするのを目的に滑り込みました!
ありがたい事にガンガンにエアコンが効いていてその時の私たちにはまるでオアシスのようでした。

白ご飯じゃなくて「かやくご飯」なら100点!!
この日はとにかく暑いとわかっていたので、食のこだわりなどは言っていられない。
このエリアには数件の飲食店がありますし、無駄に動くことは避け、徹底して効率よく回ることを心がけ、そのうちの一軒を選びましたが、大阪と同じく麺に適度なコシがあり、出汁も効いた薄味なので、普通に美味しくいただきました。
とりあえず東大寺ミュージアムへ

食後の休憩がてら、まずはミュージアムへ入りました。
二人とも友の会会員なので、いつでも出入り自由なのはとても便利です。
巨大なデジタル映像
入ってみると、入り口付近の廊下に大きく東大寺の紹介映像が流されていました。
展示室までの長い廊下はメインとして1000×180㎝の大きなスクリーン、そしてその突き当りには360×180㎝のサブスクリーンとが連動する映像に
思わず立ち止まらずにはいられません。
こんなのあったっけ?
なかったように思えるのですが、単に私がボッサリしていたのかな?前回の時とは違う事に気付いただけかもしれませんが、とても新鮮な気持ちで鑑賞できました。
内容を簡単に言うと、
聖武天皇が廬舎那仏(大仏)へ込めた思いから始まり、戦火からの復興に焦点を当てた東大寺の長い苦難の歴史を上手くまとめています。
2010年に作成されたとされるVR作品「東大寺 大仏の世界」を活用しているそうで、特に8月15日の「万灯供養会」の映像は素晴らく、大仏殿へと続く石畳に2,500もの灯龍が並ぶ光景は、荘厳で目を瞠るほど美しいものでした。
大仏が奈良時代に造立されて以来、戦乱などの被害を受けながらも、その後の時代を経て、復興を遂げてきた歴史を絵巻物を用いて解説し、わかりやすく、美しく映像化されていたので、すでにご存知の方もこれは必見です。
効果的な展示
前回も感じましたが、数々の貴重な展示品の演出はかなり効果的です。
というのも、薄暗い館内で、最新のLED照明を使い、その角度や色合いが個別に調整され、それぞれが最も美しく映えるよう工夫されているのがわかるからです。
しかも2か月に一度作品が入れ替わるので、再訪しても新しい発見があり飽きないのです。
やっぱり千手観音とその両脇の日光・月光菩薩は素晴らしい!
また見惚れてしまい、涼みながら良いものを鑑賞できて一石二鳥でした。
聖武天皇の思いは今も続く
東大寺中興の祖と言われる僧侶が2人います。
一人は先ほど鑑賞した俊乗堂の重源で、治承4年(1180)、平家の平重衡による南都焼討のあと、苦難の末の再建を実現しました。
もうお一人が公慶で、永禄10年(1567)の松永久秀らによる「東大寺大仏殿の戦い」で焼き討ちに遭い、その復興に尽力しました。
東大寺西エリアには「公慶堂」があり、特別開扉は10月5日なので、これもまた是非訪れたいです。
東大寺復興に人生を賭け、深く携わった重源上人や公慶上人はもちろん、その他の一般の人々にもスポットを当てながら、多くの人々の思いが時代を超えて受け継がれてきたことを詳細に描かれていました。
東大寺は昔から精神的にも場所的にも重要な位置づけだったために、戦乱の被害に遭いやすいという不幸もありましたが、その都度必ず復興してきたのは、むしろ名もない人々の「信仰の深さ」によるもので、創建した聖武天皇の思いは今も薄れず延々と続いている事には驚くばかりです。
それと同時に聖武天皇の外祖父は藤原不比等。
その娘・宮子と文武天皇との間に生まれた藤原氏の血筋をひく天皇です。
興福寺は藤原氏の氏寺、そして春日大社は藤原氏が氏神を祀るために創建した神社です。
わかりきった事ではありますが、このあたりの三大名所である、東大寺・興福寺・春日大社は藤原氏無くしては存在しなかったと思うと、また改めて藤原一族の遺した足跡の大きさをかみしめて感じ入るばかりです。
「吉城園」は
無料なのに見応えあり!

東大寺ミュージアムのちょうど西側の背中合わせに位置する名庭園「吉城園」へと向かいました。

以前、「依水園」を訪ねた時、同行してくれたつきふねさんから「ここは無料だしおススメ!」と聞いていて、何かのついでに訪問しようと思っていたのです。

興福寺塔頭・摩尼珠院の跡地
調べてみるとかつてここは興福寺の塔頭のひとつ「摩尼珠院」だったとか。
興福寺の寺域は現在2万5千坪ですが、かつては今よりもっと広大だったのが、信長時代に大幅に寺領を削られ、以後徳川時代まで春日大社とともに2万1千石の知行を維持されます。
しかし享保2年(1717)、講堂、中金堂、回廊、南大門など主な建造物がほとんど焼失するという大火に見舞われた後、復興は進まないまま衰退していきました。
さらに明治の神仏分離で寺内にあった一乗院や大乗院などの院家はすべて春日大社の社司とされ、加えて廃仏毀釈により建造は撤去され、一時はシンボルである「五重塔」が売却されるという噂も出たほどです。
この摩尼珠院跡も私有地となり、大正8年(1919)に吉城川を挟んで依水園と吉城園が造園され、吉城園は昭和の終わり頃に奈良県の所有となりました。
当初は入園料は有料でしたが、2020年4月から無料となったそうです。
手の込んだ庭たち
自然の高低差を利用して作庭され、閑静にまとめられています
とても無料とは思えないほどの広さと、手入れが行き届いた庭園が広がっていました。
主に「池の庭」「茶花の庭」「苔の庭」という3つのテーマで作庭され、いずれも特徴があり、歩いていても飽きる事のない趣きがあります。
ただ、7月初めとはいえ容赦のない日射しに暑くてじっくり堪能できなかったというのが正直なところです。

離れ茶屋「羅浮山」
離れ茶室で出会った韓国人大学生の青年とお互いに写真を撮りあいました。
私たちの息子よりずいぶん年下なのに、一人で日本を旅行していると聞き、「そりゃ偉いね~!気を付けて楽しんでね。」
と声掛けし、まるで親のように励ましてしまいました。
どこでも誰とでも喋る大阪のおばちゃんたちは、きっと韓国のおばちゃんと同じ種族なのかもしれません。
その青年も気さくに笑顔を見せ、愛想よく受け答えしてくれます。

現地案内版の説明文を要約すると、
室内の扁額「羅浮山」とは、中国広東省増城県北東の大洞窟の仙術修験の山です。
後水尾天皇の第16皇子の真敬親王(1649~1706)が、この茶室の玄関に設えられた立石の佇まいがそれに似ていたので、そう名付けられたそうです。

奥にはまるで一枚の絵画のように苔の庭が広がり、緑が眩しいほどでした。
杉戸絵の武者は誰なのか調べてもわからず、また何かの機会にわかる時がくるのかもしれません。
休憩は最も近いところで
この後休憩しようと、依水園の門をくぐって再び「三秀亭」を訪ねました。
ラッキーにも前回と同じ特等席に二人並んで座る事が出来、大正時代の歪みガラス越しに依水園の前庭を眺めながら、至福の時を過ごしました。

ペコちゃんは右の「抹茶ソフト」
暑い時期は「かき氷」があるかと期待したのですが、こちらにはありませんでした。
しかし炎天下の中を歩く気力は皆目無く、ここで冷たい和スィーツをいただきながらエアコンと扇風機が効いた涼しい室内で、まったりと過ごすことを迷わず選択したのです。
また秋の紅葉時には依水園と吉城園、合わせて訪問するとしましょう。

さすがに木陰に避難して大人しい💦

(画像クリックでGooglemap)
【参考サイト】
・興福寺 略史3
・東大寺ミュージアムの見どころと…
・奈良が誇る日本庭園「吉城園」…
いいなと思ったら応援しよう!
サポートいただけましたら、歴史探訪並びに本の執筆のための取材費に役立てたいと思います。
どうぞご協力よろしくお願いします。