五劫院と空海寺~東大寺とその近傍をめぐる⑫
8月5日、朝から明らかに体温ほどの暑い中、noteのお友達のつきふねさんとまた特別公開の仏像を鑑賞してきました。
酷暑にもめげず、わざわざ見に行くなんて、酔狂である自覚は大いにあり、自他ともに認める仏像鑑賞の変態コンビです(笑)
暑いので気落ちしていたのですが、狙っていないのに再び特別車両の「ならしかトレイン」に乗ることができたので、テンションが持ち直し、前向きな気持ちで近鉄奈良駅に到着しました。

実物は人馴れし過ぎて怖い💦
季節が良ければ、東大寺からブラブラ歩ける距離ですが、あまりにも暑いので、つきふねさんの提案でバスを利用しました。
私はバスに不慣れなため、完全につきふねさんを頼り、半ば介助してもらうような形で連れて行っていただきました。
現にICカードを手にしていたのに、タッチせずにそのまま通り過ぎてしまい、呼び止められるという失態を犯しています💦
バス停で待っていると、東大寺へ向かうためにバスを利用する人が非常に多いことに驚きました。
さらに、東大寺行きのバス停では、外国人観光客が多いため、ガイドが英語や中国語で絶えず説明をしていたのです。
何度も東大寺を訪れていますが、バスで行こうと思ったことは一度もありません。
しかし、これほど暑い日にはバスを利用するのが賢明かもしれません。
暑さの影響なのか、東大寺までの道のりも普段より人出が格段に少なく、多くの人が命の危険を感じたのかもしれません。
そんな猛暑の中、変わり者コンビは東大寺の末寺を2軒巡りました。
思惟山 五劫院

めったに乗らないバスは快適に早く最寄りのバス停「今在家」に到着しました。

つきふねさんはおしゃべりしながらも、ちゃんと降車ボタンを押してくれます。
そういうところも私は介護されている高齢者という感じで、ゆとりというものがまるでありませんでした。
東大寺の高僧たちを祀る
「五劫院」は、東大寺の末寺であり、東大寺中興の祖である重源上人によって創建されました。
重源上人は当時、中国の宋に渡り、浄土教の高祖である善導大師の作と伝わる「五劫思惟阿弥陀仏」を請来し、東大寺北門にご本尊として一堂を建立したのが始まりです。
そして当寺の墓地には、重源上人だけでなく、もう一人の中興の祖である公慶上人も祀られ、浄土宗の寺院でありながら、華厳宗・東大寺の菩提所としての役割も果たしているのです。
考えすぎて
アフロヘアーになった阿弥陀仏

一目散に本堂のご本尊・五劫思惟阿弥陀坐像を拝みました。
「思惟」は「しゆい」と読むと思っていたのですが、観光リーフレットによると「しゅい」が正解のようです。
ただ、残念なことに厨子の中に収められているため、頭の上部が隠れてしまい、下から覗き込んでも見ることができませんでした。
大きさは丈六坐像(約480㎝)の半分である約240㎝らしく、十輪院のものと比べるとかなり大きいせいもあるかもしれません。

そもそも「五劫」とは、人智では計り知れないほどの長い時間を指します。
まだ法蔵菩薩の頃に修行を重ねられた結果、螺髪が伸びてアフロヘアーのようになったといわれ、これが悟りを開いて如来となられた瞬間のお姿だそうです。
想像を絶する努力を重ねられた偉い如来様なのですが、実物はどうみても可愛らしい。
ヘアースタイルはサイケなアフロだし、お顔立ちはぷっくらして童女ようで、眺めていると思わす笑みがこぼれるほどです。
印相は梵篋印と想像したが…
さて印相ですが、十輪院のものは手が袖口から完全に出ていて「合掌」だと判明しましたが、こちらは衣で隠れていて見えません。
衣の袖口がフラットなので、もしかすると鎌倉時代後期に多い「梵篋印」ではないかと予想しました。
しかし、観光リーフレットによると鎌倉大仏と同じ「定印」とのことでした。
調べてみると、長野善光寺の「阿弥陀三尊」の脇侍の菩薩さまがこの「梵篋印」だそうです。
【長野・善光寺/阿弥陀三尊・御前立(鎌倉)】両脇侍は胸前で両手を水平に重ね(梵篋印)本尊は刀印を組む。舟形光背が三尊を包み一光三尊の善光寺式として室町以降全国に普及した。難波で本田善光に拾われた本尊は絶対秘仏で御前立像が6年毎に開帳 pic.twitter.com/RqxVxeiOvE
— 美しい日本の仏像 (@j_butsuzo) June 17, 2025
向かって右の「観音菩薩」、左の「勢至菩薩」の印相がそれにあたります。
私はこの印相の仏像をまだ見たことがありませんが、ご本尊に対する尊敬の念が込められた丁寧なポーズという印象に好感が持て、ぜひ一度拝見してみたいと思っているのです。
もちろん、絶対秘仏なので上記の写真も代わりの「お前立ち」であり、しかも6年に一度しか拝めないものです。
私が13年前に善光寺を訪れた時には、この「お前立ち」の存在すら知りませんでした。
同じ阿弥陀三尊でも先日の葛井寺「阿弥陀堂」での脇侍の観音様と勢至様は共に合掌でした。
去此不遠
本堂に置かれていたチラシを何気なく手に取り持ち帰ったのですが、内容がとても興味深いものでした。

「去此不遠」とは、極楽浄土が身近であるという意味で、阿弥陀仏の救いが念仏を唱える私たちのすぐそばにあるという浄土宗の教えなのです。
この言葉は、大乗仏教の経典の一つ「観無量寿経」の中にある、
~阿弥陀仏、ここを去ること遠からず~
という一節に由来しており、阿弥陀仏の救いが私たち全てのすぐ近くにあることを示しています。
私は実の妹や友人など、大切な人たちを亡くしてきました。
しかし、法事の作法を正しく実行すること以上に、日々の生活の中で折に触れて故人を思い出すことこそが、最も大切な供養だと考えています。
そうした瞬間には、彼女たちがいつも身近に感じられ、とてつもない寂しさに苛まれる一方で、常に私と共にいると強く実感できるからです。
人の死は肉体が無くなった後も心の中に存在し続ける事が、「去此不遠」であることに気付き、私の感覚は間違っていなかったのだと改めて認識できたのです。
京都の永観堂と「みかえり」繋がり?
さて、チラシの冒頭にある「みかえり」という4文字ですが、この寺院には「みかえり地蔵」というものがあるそうです。
本堂裏の墓地にあるとのことですが、暑さにまいってしまい、確認を忘れてしまいました。💦
「みかえり」といえば京都の永観堂に見られる「みかえり阿弥陀」が有名ですが、調べてみると五劫院と永観堂には直接の関係はないとのことです。
ただし、地蔵と阿弥陀の違いはあれど、見返るという行為そのものが、衆生を思う慈悲深い姿の表れであることに変わりはありません。
さらに、この五劫院の「五劫思惟阿弥陀仏」の深く思索する姿も、慈悲深く私たちを見守る姿である点で、間違いなく共通していると言えるでしょう。
ちなみに、永観堂の「見返り阿弥陀」を見たことがありますが、不自然ともいえるほど首を曲げていて、なんとも不思議なポーズだったのが今でも忘れられません。
そのエピソードもどこまで真実なのかは疑わしいものの、「日本昔話」に登場するような微笑ましいものです。
住職の永観が、阿弥陀如来の周りを念仏を唱えながら行道をしていると、その阿弥陀如来が須弥壇から下りて一緒に回り始めたので、驚いて立ち止まると、阿弥陀如来は永観を追い越し、振り返って「永観遅し」と言った。
より要約
その一瞬の姿だということですが、たとえそれが永観の夢だったとしても、とても微笑ましい光景です。
そのお姿をご本尊にしたいと思うのも、当然のことかもしれません。

達筆とは言い難い💦
南都草庵「空海寺」

五劫院から南へ130メートル、徒歩2分の場所にある「空海寺」を訪れました。
その名前から、弘法大師・空海にゆかりのある寺院であることがすぐにわかります。

山門に可動式の柵が設けられているのは、つきふねさんによると、鹿が侵入しないようにするためだそうです。
東大寺南大門付近にはたくさんの鹿が集まっていますが、そこから1〜2キロも離れたこの場所まで鹿が来るとは驚きです。
このあたりは住宅街でもあり、近隣の家々にも鹿が侵入している様子が容易に想像でき、一帯がまさに「鹿の天下」であることを改めて実感させられます。
秘仏「阿那地蔵尊」
敷地内には入ることはできますが、残念ながら本堂の扉は固く閉ざされており、ご本尊を拝むことはおろか、内部を垣間見ることすらできません。
さらに、寺務所も無人で、「御用の方はインターフォンをご利用ください」という張り紙があるだけです。
しかも、HPを見ても拝観案内がなく、様子がまったくわかりません。
調べてみると、ご本尊は空海が自ら彫ったとされる「阿那地蔵尊」で、字は異なりますが俗に「穴地蔵」とも呼ばれているそうです。
「十輪院」のように石室のような造りになっているのでしょうか?
AIによれば、4月20日に御開帳される可能性があるとのことです。
確定ではない理由は、同じく空海の手彫りである木像、高野山清浄心院の秘仏「廿日大師」ご本尊の御開帳に合わせて特別公開されるからのようです。
「石室」や「地蔵」と聞くと、やはり「十輪院」のものを想像せずにはいられませんが、いかがでしょうか?
こちらのもチャンスがあれば是非とも拝みたいと思いました。
※お姿はこちらで確認できます。
地蔵十王石仏
その代わり、閉ざされた本堂の左前に大きな地蔵石仏がありました。

高さ180cm、右手に錫杖、左手には宝珠を持つ典型的な地蔵菩薩のお姿で、後の光背には冥界での裁判官「十王像」が配されています。
これは、もともと大和郡山市の矢田寺にあったものが、明治時代にこちらに移されたそうです。
これはご本尊が秘仏なので、その「お前立ち」なのでしょう。
お姿もきっと似ているのかもしれませんので、今回はこれだけでも拝めて良かったです。
石仏とお松明
本堂の右側には石仏に囲まれた階段がありました。

木陰のせいか、階段を数段上っただけで体感温度がぐっと下がるのを感じて、思わずそのまま上りかけましたが、その先が墓地だと気付き、檀家でも何でもない私たちは慌てて引き返しました。
そして、本堂の軒下には東大寺「修二会」の籠松明が飾られていました。

修二会の「お松明」は、通常のものは約6mですが、3月12日には約8mの「籠松明」が登場します。
なんと、それは重さが80kgもあるとのこと!本当でしょうか?
6年前に修二会を体験しましたが、とても迫力のある行事でした。
その巨大な松明を掲げたり振り回したりしていた姿を思い出すと驚きを隠せません。
当時のアルバムを確認すると、私が訪れたのは3月14日で、最終日だったようです。
12日には11本の松明が、その他の日には10本の松明が夜空を照らします。
来年のお水取りも参加する予定なので、今から楽しみにしていますが、かなり混雑すると思うので、相当な気合が必要ですね。

※トップ画像は五劫院観光リーフレットより
【引用・参考】
続きます。
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