野良猫は、家族になる日を知って
Noteクリエイター コムギさんが教えてくれた、「野良」と「家族」の境界線
境界線ノート|ランポのさんぽ

野良猫は自由だ。
そう思っていた。
好きな場所へ行き、
好きな時間に眠る。
誰にも縛られない。
そんな生き方だと。
だが本当に自由なのだろうか。
コムギさんの記事を読んで、
思わず笑ってしまった。
若君。
母上。
爺や。
まるで時代劇だった。
猫なのに、
人間より人間らしい。
読んでいるうちに、
いつの間にか登場人物ではなく、
登場猫物になっていた。
そして、
最後の数行で空気が変わる。
突然姿を消した若君。
事故に遭ったのではないか。
そんな不安。
だが、
窓の向こうにいた。
家猫になっていた。
たったそれだけの出来事なのに、
胸が温かくなった。
私は猫が好きだ。
我が家にも、
ちゃいと、
しろっちがいる。
だからなのかもしれない。
野良猫を見ると、
つい考えてしまう。
今日はご飯を食べられただろうか。
暑さは大丈夫だろうか。
寒さはしのげただろうか。
人はよく言う。
「保護した」
だが、
猫のほうは違うのかもしれない。
「この家なら大丈夫」
そう思って、
人を選んでいるのではないだろうか。
境界線とは、
国境だけではない。
命にもある。
野良猫と家猫。
その境界線は、
首輪ではない。
屋根でもない。
安心して眠れる場所があるかどうか。
その違いなのだと思う。
コムギさんの自己紹介も面白かった。
ニャルレオーネファミリー。
ゴッドマザー。
アンダーボス。
相談役。
映画の世界を、
猫たちが本気で演じている。
笑ってしまう。
けれど、
その奥には、
保護した命への深い愛情が隠れている。
笑いを書ける人ほど、
本当は優しい。
私はそんな気がしている。

猫は、言葉を話さない。
だから、
何も考えていないように見える。
でも、
本当は違う。
危険も、
優しさも、
ちゃんと見分けている。
人間より、
ずっと静かに。
人は猫を救ったと思う。
けれど、
猫もまた、
人の心を救っている。
疲れて帰った日。
膝の上で眠る猫。
その小さな重みだけで、
救われる夜がある。
命は、
支えるだけではない。
支えられてもいる。
家族とは、血のつながりなのだろうか。
それとも、
「ここなら安心できる」
そう思える場所を、
互いに与え合える存在なのだろうか。
人は猫を飼っているつもりでも、
本当は猫に暮らし方を教えられているのかもしれません。
小さな肉球が越えていく境界線は、
私たち人間が思っているより、
ずっと深く、
ずっと温かいものなのです。
世界にはまだ多くの境界がある。
今日もまたひとつの境界を歩きました。
