#仕事のこと グリーフケアの本質を、私たちは見失っていないだろうか…の件
グリーフケアとは…
身近な人や大切な存在を亡くし、深い悲しみや喪失感(=グリーフ)に暮れる遺族の心に寄り添い、その人が自分らしい生活を再構築していけるように専門家や周囲がサポートすることを言います。
大切な人をなくされたご家族に対してお手紙を出すというアプローチがある。
ご家族へのお手紙を書きましょう。
その言葉を聞くたびに、私は少しだけ胸がざわつく。
私にはそれがとても危うい、賭けに近い行為に思えてならないからだ。
生前グリーフケアもご家族の別れの受容も順調に進んだ場合なら、大きな支えとなることもあるかもしれない。
共に最期を見届けた職員が今もなおその時の事を胸に刻んで日々勤めていることが伝えられるから。
そこに嘘はひとつもない。
だが、そうでない場合はどうだろう。
その手紙が遺されたご家族にとって心を掻き乱す引き金になるかもしれない。
心の整理がつかずに過ごす中で受け取る一通の手紙。
嘘偽りのないものなのに、その善意の手紙が心を傷付ける凶器になってしまうかもしれないからだ。
施設の職員はご本人が施設にいる間しかご本人にもご家族にも関われない。
ご本人がご逝去された後、ご家族がどんな風に生活されているのか、どんな気持ちでいるのか…
想像することしかできない。
実際どうされているのかを確認できない中でお手紙を出すことの怖さを私はどうしても払拭できないでいる。
グリーフケアの本質が現場で十分に理解されていないことも、問題のひとつだと思っている。
現場では、生前グリーフケアの重要性が十分に意識されていない場面もある。
もし十分な生前グリーフケアができていたなら、手紙を出すことにこれほど躊躇することはないのかもしれない。
「ご逝去後に手紙を出せばいいんでしょ?」くらいの認識にとどまっている職員も少なくない。
そうして業務の一環として、形式的に進められてしまう場面もある。
そんな空気が私はたまらなく嫌だ。
人は皆同じではない。
1人1人違う。
背負っている家族の歴史も、そこにかかる思いも、
何一つ同じものなどない。
それなのに雛形に沿って書く手紙で心に寄り添えた気になるなんて…
乱暴すぎやしないか?
もちろん、一通一通に真心を込めて書いている職員がいることも私は知っている。
それでも…怖いことだと私は感じている。
ご入居されるご本人にとって、
そしてそのご家族にとって、
乗り越えるのが難しい局面に立ち会わせていただくものとして、
他人だからこそ出来る優しさで包めたらいいのに…
そんな風に思っている。
そんな力は私にはないのかもしれない。
それでも私はそれを目指したい。
遺されたご家族が、いつか笑顔で過ごせる時間を少しでも取り戻せたらと願っている。
