またまた!ソーサツ・チエカが選ぶねむちゃんねる動画5選(短編動画部門)(2025年2月版)
バーチャル美少女ねむさんは(略)2017年9月に始まる(略)「人類美少女計画」(略)私は2022年8月にねむさんを知り、その後、ねむちゃんねるに上がっている動画を全て観ました。
本記事では、2025年2月16日までのねむちゃんねるの短編動画の中から私が特に好きな5本を選び、その「ここすき」ポイントを紹介します。ここで短編動画とは、ねむちゃんねるの「動画」タブに上がっている動画を指しますが、本記事ではオリジナル曲のMVと「バーチャル美少女ねむ、誕生の瞬間【再現VTR】」(いわゆる「お前は誰だ」動画)を除いてベスト5を選びます。MVは他の動画より特に力を入れて作られているものですし、「お前は誰だ」動画は既に多くの方が話題にされているからです。ポケモン映画のランキングを決めるときに「ミュウツーの逆襲」を除いて考えるようなものです。
なお、前回の記事ではねむちゃんねるのライブ動画の中から個人的ベスト5を紹介しました。
1、「新メタバース「レゾナイト」最速レビュー「実家のような安心感」」2023.10.07
$${\Huge\bfえっちすぎる。}$$

説明しないといけませんか? これはねむさんがResoniteに初めて来たとき、NeosVRからのデータの移行がうまくいかずアバターやアイテムを持ってこられなかったときの動画なのですが、結月ゆかりアバターになったねむさんがあまりに私の精神の平穏を乱したので、圧倒的一位としてここに紹介するものです。この出来事をデコルテの露出が増えたとか、ギャップ萌えとか、尊厳破壊とか、メカ娘趣味といった短絡的な言葉で理解されるのは不本意なため、無粋ですが説明にお付き合いください。
まずは、外形的によく似たシチュエーションである「清楚だった幼馴染がしばらく見ない間に金髪黒ギャルになっていた」と引き比べながら分析するべきでしょう。どちらも見慣れた相手が予告なく見慣れない姿に変わってしまうシチュエーションです。しかし、この動画や多くの黒ギャル化では、変わってしまった側に悲壮感がないという点が尊厳破壊とは異なります。自分の意思で変わっていたり変わってしまったことを追認していたりするなら、黒ギャル化やNTRを含む大きなカテゴリである「堕ち」の枠組みで解釈できるのですが、ねむさんの場合は変わることを望んでも追認してもいないことが言動に表れており、無批判に「堕ち」とも呼び難い状況です。このような分類の難しさは、そのまま各ジャンルのいいとこどりを実現するものでもあります。つまり、本人にとって不本意であることで見る者のサディズムを刺激し、一方で悲壮感がないことによって見る者の意識の焦点が「相手が悲しいかどうか」から「それと対峙した自分が悲しいかどうか」へと移り、「堕ち」を見るときに似たマゾヒスティックな情緒が生じる、ということです。
不本意さとシリアスでなさのバランスによって成り立っているジャンルとしては、TSFが代表的でしょう。特に、視聴者の私たちはTSヒロインを見て動揺する親友の男子ポジションに据えられていると言えます。もしかすると、「美少女アバターから男性の声がする」ところを初めて見た方の心境というのはこれに似ているのかもしれません。しかし、もちろん今回のねむさんの場合はアバターの性別が変わったわけではないので、どこがどう変わったことが私たちにとって重要なのか、という点をはっきりさせておく必要があります。
ねむさんは一貫したデザインコンセプトのアバターを、全て自分のアイデンティティに紐づける形で使っており、そこから外れるアバターを使ったときの珍しさは典型的なソーシャルVR住民がアバターを変えたときよりはるかに大きくなります。しかし、仮に全く違うデザインのアバターになったとしても、ねむさんが「これも私」と宣言しさえすれば、私たちはすぐにそれを受け入れるのではないかと想像します。
ねむさんがバーチャル美少女ねむ専用ではないアバターになる動画としては、他にitstaffing エンジニアスタイルさんの記事「バーチャル美少女ねむさんと行くメタバース【第3回】VR内では別人になれる?自分の中に眠るアイデンティティの謎に迫る!」の一本目の動画があります。この動画ではねむさんがハオランになりますが、Resonite最速レビューのようなざわざわする感じは起こりません。少年のハオランより美少女の結月ゆかりの方が「変わってしまった感じ」があるということは、単にかけ離れた姿になるよりも、声やアバターの性別のように前との共通点を残しながらも別のところで違いを作るという微妙な距離が保たれている方が、不気味の谷のような現象を起こして違和感を感じさせやすいのでしょう(これは私が自分自身のアバターでやっていることでもあります)。
加えて、「身体が意思にフィットしている感じ」も重要な要素だと思います。ハオランのときより結月ゆかりのときの方が身振りが大きく、「配信でよく見るねむさんらしい動き」だと感じます。その分余計に、「中身は同じなのに外見がこれほど違う」ということが際立ちます。また、カメラ目線も意思で身体をコントロールできている感じを出すのに役立っていると思うのですが、結月ゆかりの瞳のデザインはハオランよりもカメラに視線を向けているように見えがちです。
外見が人のアイデンティティに影響するということを人々に気づかせたのもVRなら、その外見が必ずしもアイデンティティを反映している必要はないということを暴いたのもVRでした。外見の同一性が内面の同一性と連動しているという原始的な認知の仕方が揺らぐことによる興奮が、私にとっては性的さとして感じられているのでしょう。それを楽しむことができるか、ということが試されているという点では、人類美少女計画の文脈の上でも重要な動画です。
ここまで書いたことでもまだ、この動画のえっちさを説明しきれてはいないと思います。皆さんのご意見をお待ちしています。
2、「「神様もう要らないかも(爆)」ねむ、メタバース時代の"神"を語る【リトルプレス『面とペルソナ20's』独占インタビュー】」2024.10.05
この動画でのねむさんの主張を要約すれば、「神とは人間にとってどうにもできない事柄に納得するために生み出されたものだが、メタバースでは人間の自由になる物事が増えるので神は必要なくなる、むしろ超自然的な力と不完全な心を持って生きる私たち自身が多神教的な神々の在り方に近づく」ということになります。
後半の「私たち自身が多神教の神々になる」は、過去の「このセルパブがすごい!2020 特別インタビュー」回(2020.03.04)で既に語られていたことですが、この2024年の動画は全体がそのことをテーマにしており、私の好みです。私もこれと概ね同じ意見を持っていますが、恐らくその考えに至る道筋がねむさんとは違います。
ねむさんは神の発生を考えるのに「制約」から始めていますが、私は「インターフェース」から始めます。人間が物事を理解しようとするときに、人間と対象の間には必ず「擬人化」というインターフェースが発生し、それが神の本質だということです(もちろんねむさんにもその観点はあるのですが、関心の配分の違いでしょう)。人間はどんなものも、意思や目的を持ったものと想定することによってしか理解することができず、意思や目的を持ったものの最も代表的な例は自分自身なので、自分やそれに似た人間になぞらえざるをえない、と私は考えています。そうすると、情報や設定に理解しやすい見た目を与えたものであるキャラクターやバーチャル美少女も神の一種なので、アバターを着た人間を多神教の神々と同一視するのは超自然的な力の有無によらず自然だということになります。
キャラクターと神とのこのような相似に注目する議論はボーカロイドの普及期(2010年代前半)にまで遡ることができますが、「制約」に注目するねむさんの主張はボーカロイド・VTuberに対するソーシャルVRの優位性を示している点に意義があると思います。また超自然的な力を持つことによって、心の中にあるものを具現化する自由度が広がり、キャラクターとしてのユニークさが増すとも思います。
VRで人間自身が神のようになると外部に神を求める必要はなくなるのか、という点でも、ねむさんと私は意見を異にしているように見えます。私は、自分自身の無意識が最後まで「人間にとってどうにもできない事柄」として残り続けると考えており、アバターのデザインや作品制作を通じてそのようなものが、あたかも自分の意思とは別にあるかのように見えてくることはあると思います。心の中にあるものを具現化する自由度が広がる以上、これまで神と呼ばれていたものをVRでもう一度招き降ろすこともできるでしょう。人間関係や、「同じ時間を二度経験できないこと」もどうにもできない事柄です。多神教の神々にとってもどうにもできない事柄はあったわけですが、そのことがひとたび意識されると、神々の間に「人格と言語に制約される神」と「摂理に近く論理を超えた全能の神」の階級ができ、後者が発達して、一神教の萌芽となります。多神教と一神教の発想は連続的なもので、多神教的な神々となった私たちが奉じる「一者」としての神は残り続けるはずです。
黒木さんの当初の質問、「異界の存在を可視化するためのアバターを目の当たりにしたことはあるか?」に私なりに答えるなら、「ある、一つは個々人が自分のために作るアバターで、一つはますきゃっとである」ということになります。私は異界と呼ばれてきたものは全て人間の無意識の投影だと考えているので、物語の世界もそこに含まれます。

バーチャル美少女と宗教とを繋げる議論は、恐らくねむさんの活動の中で徐々に深まってきたもので、ねむxなもVIのUnferthさん回(2019.07.20)ではまだはっきりとした形で表れてはいませんでした。今でも民間祭祀に明るい宗教家や精神分析家の方との本格的な対談に私は期待していますが、同時に、これ以上はメタバース内で実践例が増えるのを待つフェーズなのだろうとも思います。私の知る限りVRChatでFUJIYAMAグループが2024年から始めた祭礼行事の試みが、今のところ代表的なものでしょう。クローズドな魔女宗の集まりがあるということも聞き及んでいます。
3、「【ニコ生LOG】ねむちゃんねるLIVE【はじめまして】」2017.11.17
これは長さも性質も短編動画とは言い難く、ライブの方にあるべきものですが、ニコニコ生放送からの転載なので動画の方に入っています。ねむちゃんねるを語る上で外すわけにいかないのでここにランクインしました。
これは記録に残っている中では最初のねむさんの活動コンセプト表明の動画で、まず2017年11月17日という日付に歴史的価値があります。自己紹介動画(2017.12.28)やシンギュラリティ動画(2018.03.06)も実質的に同じことを言っているのですが、この動画が最も古く、最も内容が充実しています。
この動画には「性別を離れた、かわいいという概念の象徴としての美少女」「自分がかわいくなるためではなく、全人類がかわいくなれる土壌を作るために活動する」「それによってよりよい社会が到来する」という発想が既に示されており、その後七年間にわたりねむさんの活動の核心であり続けています。「人類美少女計画」という言葉が初めて登場するのは自己紹介動画ですが、その基本要素である三つのコスプレ(および2022年の『メタバース進化論』で再編された四つのコスプレ)は、このニコ生LOGで語られた考えから自然に導かれるものです。その意味で、ねむさんの思想は活動開始から二か月のこの時点で既に完成していたもので、以降の活動は全てその肉付けと実験的検証だったと私は見ています。ねむさんはしばしば「活動の中で自分の思想が形成されてきた」と仰いますが、私はこれを部分的にしか信じていません。

三つのコスプレ、外見・声・経済のうち、ねむさんの活動の最大の意義は経済にあります。外見を変えることは異性装やオンラインゲームのキャラメイクとして、声を変えることは女声として古くから実践例がありましたし、それによって自己認識やコミュニケーションの形が変化することも知られていました。性別に囚われない美少女の概念も、男の娘やボーカロイドを通して十五年以上かけて浸透してきたものです。しかし、美少女の姿や声で(必ずしもそれ自体を売り物にするのではなく)経済に参加し、信用を積み重ねることができると考えた人はいませんでした。美少女の力は今はまだ性的な欲望に支えられており、したがって信用に値しないものとして日陰に追いやられるのは当然だと、美少女をよく知る人ほど考えていたからです。ねむさんはそうではなかったのか、あるいは仮想通貨という軸を別に持っていたから続けられたのかは知る由もありません。ただ、ねむさんは「最初に美少女になったときには罪悪感があった」(NHK「最深日本研究」2024年4月14日回、及び『VTuber学』)と語っていますが、この罪悪感を持たないか麻痺させてしまった人(私を含みます)は、美少女の力を万人が利用できるようになるとは考えられなかったでしょう。
「273コメさん、見分けつかなくなりますよね。どうしよう。うーん、まあでも、かわいい女の子だから、見分けつかなくてもいいんじゃないかな。みんなでキャッキャウフフできれば」

経済コスプレの意義については、「あふれる愛を語られてみた!」回(2018.07.02)の覆面リーマンさんのコメントでもよくまとめられています。
4、「【MV】Choose Me ミキシ x ねむ x Kapruit【ヒャダイン】」2020.11.10
オリジナルでない曲のMVは除くとは言っていない。ねむさんの発信の中で「自分自身を性的対象にすること」が語られることは実は多くなく、これは「VIVEフェイシャルトラッカー実演ライブ」(2021.04.02)、「バ美肉した経験が無い男、ガチで危機感持った方がいいと思う」(2024.02.02)と並んでその貴重な例です。私は自分自身を素材にして他者を作り出すということ、より踏み込んで言えば自己言及や循環参照を作り出して論理的思考の限界の先を垣間見ることに興味があるので、たまにこのようなコンテンツが出ると嬉しくなります。
ねむさんは『メタバース進化論』でバーチャル活動とアイデンティティの関係について、「立体物である魂に様々な方向から光を当て、(物理/仮想)現実というスクリーンに投影する」と主張しています。別の場面では、「魂という宇宙からキャラクターを召喚する」という言い方をしており、個人的にはこちらの方が「自分を他者として扱う」ニュアンスがあり好みです。翻ってChoose Meを見ると、「深層心理の私」が「バーチャル世界の私」とは別に登場しており、これはスクリーンに投影される前の魂のことを指しているのでしょう。魂のうちまだ光の当たっていない側面がまだあると考え、それと出会うことを予祝しているのか、それとも全ての側面を合わせた魂そのもの(初音ミクはそのようなものを表現するのにうってつけのキャラクターです)にアクセスするために擬人化しているのかは定かでありませんが、いずれにしてもこの動画は、物理現実/仮想現実という単純な二元論を超えた射程を持っています。
2024年8月24日に公開されたねむさんの新曲「ディビデュアル -分人新生-」は分人を主題としていますが、歌詞の範囲内ではあくまでもスクリーンに投影された像、それもネット上のアカウントという限定されたスクリーンに投影された像について扱い、それらが全て「わたし」であることを強調しています。私はまだ見ぬ自分とその根源を探しに行くことをもっと強調することを好みますし、もっと徹底的に解離を経験してから統合した方が面白いと思う方ですが、今の人類にそこまでラディカルな霊的探究を求めても逆効果でしょう。そのため、実はこの「Choose Me」が、人類美少女計画の射程の最先端を表す動画の一つだと思っています。

既存曲をカバーしたねむさんの動画の中では、Satisfaction(2019.08.15)も私の好みです。歌詞がねむさんの活動の歩みに合っていて、振り付けにも緩急があっていいですね。「バーチャル美少女ねむ最終回」とでも呼ぶべき趣があります。
5、「はじめての顔トラ❤VIVEフェイシャルトラッカー最速レビュー」2021.03.28
実は私はねむさんのアバターの中では私式が一番色気があると思っているんですよね。目に険がないこと、口が大きいこと、服と髪型に生活感のようなものがあることがその理由だと思いますが、この動画では「Virtual Stargazer」と並んでそれらがよく動くところを堪能できます。冒頭の「ダメだよ」がとてもいいですね。
頬を膨らませるところなどは意図した通りに動いていないように見え、またアイトラが暴発しているのか頻繁に瞳が小さくなります。これらは人間の顔としては不自然なのですが、私はそのような様子にむしろ、不自然になるリスクを負ってでもバーチャル美少女という新しい存在になろうとする足掻き(ボイチェン声に感じるのと同じものです)、不気味の谷を渡る勇気を試されている武者震いのようなものを感じます。
物理肉体の情報をアバターに反映することについては、ままならない物理現実の情報を持ち込むことですから敬遠する方もいますし、うまく体を動かせる人が好感を得やすくなり承認格差を拡大するという懸念もあります。しかし私は、アバターとの一体感、より正確に言えば「自分の身体感覚の主語がアバターに置き換えられている感じ」(アバターからの被侵襲感)を強化できる効果の方がデメリットに勝ると思っており、自分でも物理肉体の動きを矯正するためにフルトラとフェイストラッカーを使っています。現状、Lighthouseフルトラ・顔トラ・アイトラを全て実現できる機材が安定供給されていないのは残念なことです。

以上、私の選ぶねむちゃんねる動画5選(短編動画部門)でした。
