第1話 母の実家で過ごしていた頃のお話
チカノベの人生史創作小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖が学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。
脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、報われない経験をしていく。
そうやって生きてきて、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。
今回は、第1章『みんなと違う幼少期』から『第1話 母の実家で過ごしていた頃のお話』です。
目次はこちらです。前回の話や次回以降の話を選んで読めます。リンクはnoteですが、リンク先にアメーバのリンクもあります。

(Geminiさんで生成したイメージ写真)
母の実家で過ごしていた頃のお話
自分の記憶を頼りに書いてみる。自分は母親の里帰り出産で、母親の実家できょうだいと母と祖父母と暮らしていた。
特に覚えているのは、季節すら認識していなかったこと。毎朝、たんすの前で、祖母に「あつい? さむい?」と訊き、着る服を選んでいた。それ以前に、暑さも寒さも自分で体感できなかったのか。特に子どもはわかりにくいのかもしれない。
祖母が「寒い」と言った日だろうか、長袖の服を着て出かけた。しかし、おもては暑く、自分でも苦しさを感じた記憶がある。夏だったのかもしれない。自分は雪国出身なので、冬の記憶もある。肌に刻まれた寒さの記憶はない。冬はソリに乗って、祖母と近くのスーパーまで行ったことがある。
祖母は動物好きで、いろんなペットを飼っていた。ポメラニアンやハムスター、オカメインコ、キンギョ、カメなど。当時友達のいなかった自分は、家族かペット、母の実家の家業に来る、お客さんの子どもたちくらいしか遊ぶ相手がいなかった。
当時の自分は、ペットにも執着し、しつこく構ったり、追いかけたり、触ったり、いじったり、ケージを叩いたりし、動物に対して積極奇異の特性を強く出していた。自分がしつこいとわかってもらうため、上のきょうだいの裕喜が、ペットに触った分と同じように、僕を触ってきた。
でも当時はそんなに「しつこい」という概念はなかった。母に縋りついたときに言われた言葉も、子どもには普通言わないような言葉で返した。積極奇異の自覚は当然皆無だった。祖母も僕が他の人と違うことに気づいていたらしい。
もっと昔から、かんしゃくの影響が見られていることもあったと記憶している。物心ついてから起こした行動は家族や親族を困らせてばかりだった。
下のきょうだいの蒼生が生まれた。よく母親の産院の通院にはついて行ったが、出産のことがあまり理解していなかった。「あかちゃん、びょういんにかえしてきて」と言った。思考回路の育っていない子どもが言った言葉の意図は自分でもよくわからない。
でも、生まれてから下のきょうだいをあまりよく思っていなかった記憶がある。そして、母はいつも蒼生を抱っこしている。幼少期、母の実家や父の実家の階段を怖がっていた記憶がある。父の実家の階段には怖い虫がいるという印象が今でも残っている。
そのせいで、階段を降りるのに恐怖感を抱いてしまった。母の実家の階段を降りるとき、母に抱っこをお願いしたが、蒼生を抱っこしているため、無理だった。
自力で降りようとしたら、階段から転げ落ちてしまい、泣いた。すると、家業のお客さんで来ていた乳幼児たちが駆けつけてきた記憶がある。蒼生が生まれてしばらくすると、自分は有名な坂の近くにある団地に住んでいた。年中から幼稚園に入園した。幼稚園に入ると⋯⋯。
おことわり
この小説は、野辺 知可(チカノベ)の人生をモデルにした物語で、実体験を元にしていますが、個人情報流出とプライバシー保護のため、地域や名前、家庭事情等を脚色している部分があります。また、失念した部分なども、記憶違いで、結果的に脚色してしまっている場合もあります。
あとがき
物心ついたばかりの幼児期、自分の記憶に残っている出来事だけで、話を考えました。まだ障がいの診断がない頃の自分。
物心つく前から、母方祖母はすでに「他の子と違う」と気づいていました。でも、まだ診断名がつかないです。
家族から聞くと、数え切れないかんしゃくや積極奇異、多動の出来事が多いと思います。自分で覚えていたことだけ書きました。
次回は『第2話 幼稚園でのまわりと違う目立つ行動「それでも幼稚園と友達が好き」』です。初めての集団生活が始まります。
みんなが当たり前にやっていることが、自分の当たり前ではなく、当時の自分の当たり前は「動きまわる自分」。
それでも幼稚園と友達が好きだった。果たして知暖は、どんな幼稚園生活を送ったのか?
