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第50話 高校時代の授業の思い出と参加した学校行事

チカノベの人生史小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖ちはるが学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。

脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣いて叫んで、報われない経験をして生きてきた。

そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。

今回は、第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第50話 高校時代の授業の思い出と参加した学校行事』です。

目次はこちらです。以前の話や次回以降の話を選んで読めます。

ボウリング大会に参加する主人公の知暖
(Geminiさんで生成したイメージ写真)

高校時代の授業の思い出と参加した学校行事

高校の授業の思い出といえば、家庭科のテーブルマナー講習で、ナイフとフォークを使ってバナナを食べたことが強く印象に残っている。好きな人をうしろからそっと眺めながら味わった、あのバナナの甘い味は今でも鮮明に蘇る。

​1年生の頃は、他の生徒たちが真面目に授業を受けていないことも多かった。生物基礎の授業中、教師の「食物繊維は腸の中をきれいにする」という説明に対し、ある女子生徒が紙に「腸の中をきれいにするって言うけど、腸の中なんて全然きれいじゃないよね〜」と、せっかくの学びを台無しにするような落書きを回していた。

ギャル風の女子生徒たちも授業には身を入れず、窓際の席に集まっては写真撮影に興じていた。彼女たちが「レポートは30点以上が合格」という基準さえ満たせばいいと、30点分の問題だけを解いて提出しているのをも、私は知っていた。

​私に告白してきた男子生徒は、同い年ではあったが1学年下で、1年生であるにもかかわらず2年生の授業を見学しに来たことがあった。それは書道の授業だった。私が上手に筆を運ぼうと真剣に取り組んでいたのに対し、その男子は下品な言葉を書いてふざけていた。

また別の同級生の男子は、授業中にアニメを観ていて何度も注意され、スマートフォンを没収されそうになっていた。当時の国語総合の教師は、まだガラケーを使っており、生徒のスマートフォンを羨ましそうに眺めていた。

​学校行事といえば、やはり夏の遠足が楽しかった。1年生の時は「魚釣りと自炊」という計画で、何を食べるかクラスメイトと話し合っていた。しかし、遠足の日が来る前に私は閉鎖病棟に入院することになり、その間に秋の文化祭も終わってしまっていた。

​2年生の時に、ようやく遠足に参加することができた。行き先は水族館。バスの車内で、前から気になっていた女子生徒の隣の席に座ったことをきっかけに友達になった。

イルカショーは、発達障がいを研究しているという男子生徒と一緒に鑑賞した。イルカが豪快に跳ね、飛んできた水が口に入ったのも良い思い出だ。館内ではいろんな海洋生物を眺めて回った。

当時担任だった法連ほうれん先生と一緒に昼食を摂りたいと思い、事前に連絡を入れてみたのだが、教師側は見回りがあるため一緒には食べられないと言われてしまった。結局、水族館内の食堂でサケとイクラのどんぶりを食べた。

お土産屋さんは、この日友達になった女子生徒と一緒に見た。彼女はバスの中でも話していた通り、犬派でも猫派でもないというくらい生き物があまり好きではないらしく、タコのぬいぐるみを「気持ち悪い」と言って顔をしかめていた。

​2年生の文化祭では、3年生が運営する喫茶でパンケーキや飲み物を楽しんだ。カラオケ大会では、私が入院していた時期に放送されていたドラマの主題歌である、国際恋愛をテーマにした歌謡曲を歌った。ビンゴ大会では景品が足りなくなり、他の生徒から景品を分けてもらった。

冬のボウリング大会は、この時は見学に回った。ボウリング場で大声で歌を歌っていたら、「一般のお客さんもいるから配慮しなさい」と教師に注意されてしまった。

​3年生の頃、初めて県定通体育総体へ足を運んだ。1年生の時は気持ちが不安定で行進の参加を外してもらい、2年生の時も参加しなかった。今回は行くと決めたため、起床から大会が終わるまでのタイムスケジュールを綿密に計画して臨んだ。私の高校は卓球が強いイメージがあったが、相手の高校も手強く、見応えのあるいい勝負だった。陸上競技自体は見学しなかったが、持病のある男子生徒が全国大会への切符を手にすることになった。

​3年生の遠足で行ったリゾート施設は、あいにくの雨だった。ゴルフやテニスといった屋外スポーツを楽しみにしていたのに叶わず、屋内でWi-Fiを利用したり、自分で貯めたお小遣いを使ってレストランで食事をしたりしたことくらいしか印象に残っていない。

特に温水プールでは、レンタルの水着が自分の体にフィットするか自信が持てなかった。受付の人に「着れば伸びますよ」と言われたものの、もし着られずに返却することになったらレンタル料が無駄になってしまうと懸念した。挙句の果てに、自分のウエストのサイズを説明すると、相手に「マジですか⋯⋯」と引かれてしまい、苦い記憶となった。

​ただ、3年生以降は、お小遣いを無駄遣いせずに計画的に貯められるようになっていたため、遠足のおやつや食事代を全て自分で賄って楽しめるようになった。屋台でみそラーメンを食べたり、遊具ではしゃいだりした年もあった。

​3年生以降の文化祭では、自分たちも飲食店やカフェの出し物を行い、ポップコーンや焼きそば、タピオカドリンクなどを売って楽しんだ。ある女子生徒が黒板の近くでホットプレートを使って焼きそばを作っていたら、黒板に油が跳ねてそのままシミになって定着してしまったのを覚えている。カラオケ大会では、2年生の時と同じお気に入りの歌謡曲を歌い、卒業する年には、その歌謡曲に加えて洋楽を歌い上げた。

​3年生になってからは、ボウリング大会にも選手として参加するようになった。2年生の時に利用した古いボウリング場は閉鎖されており、ショッピングモール内にある新しいボウリング場が会場になっていた。テレビで観たボールの投げ方のコツ通り、リズムよく投げたつもりだったのだが、教師から「ボウリング場の床を傷めつける投げ方だ」と指摘されてしまった。ある年などは、ブービー賞に相当する最下位一歩手前の成績を叩き出してしまったが、あいにくその年はブービー賞の表彰枠がなかった。

​学校ではセミナーやちょっとしたイベントも時々開催され、ただ机に向かうだけの真面目な授業だけでなく、常に楽しい要素が散りばめられていた。外で活動した日には、みんなで棒アイスを食べたり、冷たい飲み物を飲んだり、焼き芋をしたりした。焼き芋はバーベキューコンロのような器具の焚火で焼いたのだが、いざ割ってみると芯まで火が通っていなかった。

もうひとつ小さな悔いがあるとすれば、他の必須授業を優先するために、興味のあった自閉症のセミナーに参加できなかったことだ。当時の私は模範的な生徒だったため、出席日数にはかなりの余裕があったし、出席日数を獲得できる行事には極力全て参加するようにしていた。

​他の生徒よりも長い期間をこの学校で過ごした分、私は多くの授業や学校行事に参加することができた。ここには書ききれないほどの膨大な思い出がある。高校生活の全てが楽しかったとは決して言えないけれど、遠足や文化祭、そしておいしいものを食べられた授業や行事は、今でも特に楽しかった記憶として輝いている。今でもたまに、あの「3番教室」で授業を受けている夢を見ることがある。精神的にひどく苦しめられる時期もあったけれど、20歳を迎える頃まで、私は私なりに学校生活をしっかりと全うし、楽しんだのだと思う。​高校生活の数年間は大変なことの連続であり、同時に楽しい思い出に満ちた日々でもあった。

では、6歳から20歳頃までの私の「学校生活」全体を、今の私はどう振り返るのだろうか⋯⋯。


おことわり

この物語は、自分の主観と記憶を辿り、実体験をベースに綴ったノンフィクション・エッセイです。一部、プライバシー保護のために、地名や人名、団体名、家庭事情等を伏せたり書き換えたりしています。そして、歳月の経過による記憶の断片を繋ぎ合わせています。当時の心情風景としての描写が含まれることをご了承ください。


あとがき

​15歳から20歳頃までの高校生活での思い出を振り返りました。だいぶ前に書いた下書きなので、記憶にない思い出も一部書いてありました。

​自分で思ったことを率率に書いたと見なし、忘れた思い出もそのまま投稿することにしました。

​原文とは結構違う構成になったかもしれませんが、言いたいことは概ね合っています。AIでスペルチェックや推敲の案を出してもらっています。

でも、AIによる修正案には余計な心情の描写が多く、事実と異なる情報は大方カットしました。そのときの気持ちを勝手に想像されたような気分です。

ノンフィクションの小説をAIに加筆されるのも何かおかしいなと思います。今後は大幅な修正案ではなく、誤字脱字の指摘だけでいい気がしています。


​作者の近況

​今、第10章を生きる作者の近況。就労選択支援から、就労継続支援B型に移行し、なかなか作業に慣れない日々です。

​この施設が合っていないのではなく、慣れていないだけだと思います。まだ通い始めて1ヵ月も経過していません。

​昨日、7月8日(水)は、就労施設へ行くのに薬を入れ物ごと忘れてしまい、昼の服薬ができませんでした。

​作業以外の自由な時間に、エッセイを編集したり、他の利用者たちとカラオケを楽しんだりしました。

​しかし、帰る直前に、就労選択支援担当の男性職員と意思疎通が取れず、興奮状態になったり、情緒不安定になったりしました。

​帰宅後は、エッセイを少し編集しましたが、エッセイを書く気分にはなれず、久々に人生史小説の下書きを編集したくなりました。

​多分、昼の服薬がなかったため、躁状態が顕著になり、普段は気の進まない作業にも取りかかりやすくなったのかもしれません。

​下書きを作成したのは夜だったので、2話しか執筆することができませんでしたが、結構捗ったので、また軌道に乗って下書きを執筆できそうです。

​恋人とは、最後に連絡をしたのが6月29日(月)でした。1週間以上連絡を取っていません。

彼に、就労施設に行くようになったら教えてほしいというような連絡をしましたが、音沙汰がありません。

​以前、体調について尋ねたところ「治ってきました」と返信がきたので、そろそろ仕事を再開しているはずです。今度、また連絡してみます。

​私たちは、連絡が途絶えたことで愛が途切れるような関係ではありません。今は、連絡がないことで不安になりません。

​明日何か話題があればメッセージするし、今月末には、8月のデートに誘うメッセージを送ります。どのデートを彼が選ぶのか楽しみです。


参考記事

次回、お楽しみに!

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