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第3話 入学式から離任式までの話 

チカノベの人生史創作小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖ちはるが学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。

脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、報われない経験をしていく。

そうやって生きてきて、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。

今回は、第1章『みんなと違う幼少期』から『第3話 入学式から離任式までの話』です。

目次はこちらです。以前の話や次回以降の話を選んで読めます。

主人公の知暖 桃の花咲く季節 入学式へと登校する様子
(Geminiさんで生成したイメージ写真)

入学式から離任式までの話

幼稚園を卒園し、小学校へ。幼稚園は廃園になり、下級生たちや先生方は、いろんな幼稚園や保育園へとそれぞれ進んでいった。

入学式。自分は問題行動を起こした。会場の体育館を走りまわった。幼稚園の頃みたいに先生に捕まると「はなして!」「いやー」と抵抗した。最終的に「入学式台無しにしたじゃない」と非難されたが、自分はヘラヘラしていた記憶がある。

校長先生も「こんな子は初めてだ」と言い、小児科を薦めてきた。小児科医の診断は「多動を伴う高機能自閉症」。当時は発達障がいという言葉は有名ではなく、母親もよく知らなかったようだが、原因がはっきりしたようだった。

授業中は、教室を抜け出したり、内履きを履かずに歩いたりした。幼稚園の頃から裸足が好きなのである。近所の公園では、裸足で遊んだり、裸足で自転車に乗ったりした。内履きや外履きをなくすこともあった。

体育館で体育の授業をするときでは、上のギャラリーにある体育用品で遊ぶこともあった。外での鉄棒の授業を熱心にやっていた記憶がある。

全校児童や学年で集まるときの話。自分は本来ならクラスで並ぶとき身長順にはうしろから2番目だったが、集会ではしんがりに並んでいた。歌ったり、喋ったりすることはあったが、全校集会には参加していた。学年の集まりは、別の児童を別の場所から見て、先生の話で「1年生は100人いる」ことを知った。

小学校は横に長く、地下もあり、クラスが3つしかない幼稚園とは違って、ダンジョンのような巣窟のような場所で、授業中逃げ出したときはいろんな場所へ行った。

支援学級では、6年生の男の子と一緒のクラスだった。同時の自分は「障がい児」っていう単語や意味を知らず、支援学級がどんな場所か訊いたとき、このようなこと言われた記憶がある。

頭が痛い人なのか、頭の調子が悪いのか忘れたが「頭」のことが強い印象に残っている。当時は「自閉症」が有名ではなかったため、脳機能の障がいで「頭が悪い人」という認識だったのだろう。でも、現代というか、少なくとも中学生の頃には「発達障がいは頭が悪い障がいではない」と思っていた。特に知的障がいのない人は、一般人と同じ学力で勉強できる。

自分は前住んでいた地域にいた頃、昆虫や自然が好きだった。祖母が季節の図鑑を送ってくれたからだ。現在推しの昆虫のひとつ、カメムシとかもそのとき知った。幼稚園の頃から、何虫でもカメムシでも触っていたことがあった。虫の知識は少ないものの、幼い頃から情報を憶えることが得意だった。

クラスでは「クイズ係」をし、朝会のときだったか、金曜日だったか、自作のクイズや、宿題で出て解けなかったを出題した。参考知識として、図書室でクイズの漫画を借りた。

学習発表会では、世界の宝がテーマの演劇で、中国人の役をやった。雑技団の皿回しをする役。練習ではうまくいったが、本番が近くなると失敗しまくった。本番でもできなく、悪目立ちした。

1年生は、金曜日のみ5時間目があった。自分は5時間目がある日、学校を早くあがり、言語聴覚士のところへ通っていた。言語能力を育てたり、考える力をつけたり、想像力を育んだり、発達の傾向を伺ったりし、自分の能力の可能性を試していた記憶がある。

特に記憶に残っているのが、連想して次々言葉を繋いで書いていくことや、イラストの物の名前を言うとき「ピストル(鉄砲)」という言葉を出そうとして、ど忘れし、擬音で「バキューン」と言って困惑させたこと。

まだ昆虫には興味があり、3年生が授業で観察しているアゲハチョウの幼虫を複数飼育した。3年生の授業の迷惑になるほど、何回も何匹も飼育した。しかし、どの個体もうまく育たなかった。

最初の個体は、ポリ袋に入れて飼育した。机の上に置いていたら、潰してしまい、死んでしまった。葉についた卵は孵化せず。自宅で幼虫を飼おうとしたら、母に「返してきて」と怒られた。3匹ほど同時飼育し、筆箱の中にも招いた個体は順調に見えた。前蛹の状態で、先生が餌を替えてしまい、1匹落ちた。蛹は離任式になっても羽化しなかった。

離任式。この日は生まれた土地に引っ越す日。父親の仕事と家庭の事情で、父親とは離れて暮らすことになる。生まれた土地に帰る。

離任式では、担任のベテラン教師が離任し、自分は転校もするため、離任しない先生方や学友、初恋の人ともお別れしてしまう。担任の先生からプレゼントをもらった。昆虫と遊ぶ絵本。幼い頃から昆虫が好きで、虫博士になるよう言われていた。今でもその絵本は本棚に飾っていて、読み返すこともある。物は大切にできない自分でも、20年以上前のもらい物は、原型を留めている。

自分は、支援学級の男の子には、多色ボールペンを渡し「中学こうにいってもがんばってね」と書きたくなり、包装の上に書き込んだ。その男の子からもプレゼントをもらった。おしゃれなアルバム。今は表紙も破れてボロボロになってしまったけど、小さい頃の写真や転校先の先生の写真、雑誌についてきたシールを仕舞っている。

支援学級の先生からは、入学式に走りまわった写真や、新入生を迎える会ではしゃいだ写真、クリスマス会の司会をした写真、男の子が得意げにギターを弾く写真、その他授業風景など。表紙には、薄い紙で作った放射状の折り紙のような作品。横並びではなく、円形に並んだ物の数え方は、最初に数えた部位を指で押さえて、円を描くように順番に数えるってことも教えてもらった。

小学校1年間の成績はあまり記憶にはないし、授業も真面目にやらなかったと言えるが、学習の基礎として憶えていたのか、小学校6年間で特に困ることはなかった。

小学校1年生の授業中、印象的だった出来事がいくつかある。順番はあんまり覚えていないから、順不同。

まず、平仮名の「え」を上手に書いたとき、加配の先生にそれを褒められた。飾って置きたいほどの出来だったらしい。しかし、自分は鉛筆で黒く塗りつぶした。自分は褒められたら伸びるタイプではなく、調子に乗ったり、照れたりし、うまく受け入れられない感じ。どちらかというと、叱られたら伸びるタイプだが、叱りの加減が合わないと余計だめで扱いにくい。

次に、支援学級での、日本地図のすごろく。6年生たちと一緒に。難しい漢字も出てきたが、何回もやっていて、自分には難しく感じなかった。とても面白かった。

次に、今考えると、ふざけていて無駄な行動だったこと。算数の問題を解くのに、数式により、数式を解くためのキャラクターをそれぞれ呼んできて、自分は教室の中を往復。なかなか勉強が進まなかった。

やっぱり、当時の支援学級は、歌ったり、楽器を演奏したり、レクリエーションをしたり、たまにお菓子を食べたり、キャラクターが多く登場したり、遊具やおもちゃがあったりして、普通クラスの真面目な空気感がなく、自分はやりやすかったのかもしれない。

引っ越す当日、いちばん仲良しだった、同じ団地の隣の棟に住んでいた友達と、夕方遅くまで遊んでいた。1台の携帯ゲーム機を2人で楽しむことや、おもちゃで遊ぶこともあった。

幼稚園の頃から言えることだが、入学式や授業中、集会中、レクリエーション中、奇妙なことをしていても、友達は普通にいた。幼少期の交友関係に関しては、あとで書いておく。

幼い子どもの1年は、人生経験を重ねた大人より、長い時間で楽しくて濃密に感じる。体感的には、小学1年生の1年間は、別の1年間の学年より1.5〜2.5倍くらい長く感じた。

今より充実し、楽しい日々を過ごしていた。でも、大人になってからの楽しい自分の感覚とは全然違う。子どもの頃、特に10代前、誰の気持ちも考えず、ひとにどう思われているか考えずに行動し、自由奔放に、今より自分勝手で自分主体で過ごしていた。

この頃は、完全に自分のために生きていたと思う。当時の自分は、社会性が全くなく「みんなと同じである」ことではなく「多動であること」が自分のスタンダードだった。これから転校したり、進学したり、就労施設に入ったり、デイケアに通ったり、いろんな人と関わったり、恋をしたりする。いろんな人と関わり、反省する力を育て、誰かの気持ちを考え、失敗して悩み、苦悩して、気にしいになり、結果的に気分障がいや性的マイノリティになる。

このあとの人生、学ぶことが多くなり、つらいこと、苦しむこと、うまくいかないこと多いよ⋯⋯。


おことわり

この小説は、野辺 知可(チカノベ)の人生をモデルにした物語で、実体験を元にしていますが、個人情報流出とプライバシー保護のため、地域や名前、家庭事情等を脚色している部分があります。また、失念した部分なども、記憶違いで、結果的に脚色してしまっている場合もあります。


あとがき

発達障がいの診断名が出た入学式の事件。自分は走りまわったことは覚えていません。母の話を聞いた記憶で書きました。

「入学式台無しにしたじゃない」と言われたことだけは覚えています。入学式で走りまわるのは、養護学校なら、よくあるらしいですよ。

「みんなと同じ」ではなく「多動が当たり前」だった自分については、Geminiさんも、過去の自分を全肯定してあげていると評価されました。

トップの生成画像は、原型の画像として、幼稚園の卒アルのイラストを、おかっぱの髪型に無理やり描き替えて提示。

入学式に向かうところや、チェリー色のランドセル、服装は垢抜けない感じの記憶だったので、時代のイメージを指定し、季節は桃の季節を指定。

本当は、白い丸衿で、全体が紺色の服だったと思う。他の子より野暮ったい服だった感じ。ちゃんと指定して、リアルに近づければよかったな。

原型のイラストはおかっぱなのに、髪が長くデフォルメされたので「昭和のカッパ風ヘア」を指定し、少し違う気がしたが、この写真を採用。

ランドセルの色は、チェリーピンクだったか、チェリーブロッサムだったような気がした。

こんなに淡いピンクではなく、もっと赤みが強い色だったと記憶しているため、実際の色味はチェリーピンクだったかもしれない。 

自分はギリ平成初期生まれで、幼少期は平成中期を生きてきたけど、当時はカッパヘアで、垢抜けない子だったな。

アメーバの下書きに画像を貼りつけた際、保存されなくて、通信環境の問題と思ったら、画像サイズが大きかったので、少し小さくしました。


参考記事

次回、お楽しみに!

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