第39話 潔癖症のような症状があったこと
チカノベの人生史小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖が学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。
脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣いて叫んで、報われない経験をして生きてきた。
そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。
今回は、第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第39話 潔癖症のような症状があったこと』です。
目次はこちらです。以前の話や次回以降の話を選んで読めます。

(Geminiさんで生成したイメージ写真)
潔癖症のような症状があったこと
今回は、自分なりの「きれい・汚いの境界線」が変わっていった10代前半から10代半ば頃のお話だ。
小学6年生の頃、お小遣いを貯めて、欲しかったおもちゃを購入した。「新しいおもちゃを、いつまでもきれいな状態に保ちたい」という意思からか、使用前は水で手を洗うようになった。それは、おもちゃを使う前だけではない。トイレに行って用を足したあとに必ず手を洗うのはもちろん、誰かと共用の物を使用したあと、誰かの体の一部に触ったあと、不潔そうな場面から去ったあとなど「自分の手が汚れた」と思うと、手を洗うようになった。
頻繁に手を洗い、今度はハンドソープも使うようになった。障がい者施設では、指を舐める人やよだれを垂らす人、何でも舐める人、粗相をする人が何人もいたため、手をよく洗っていた。施設の手洗い場に表示されている「手洗いの手順」には、ハンドソープを出すとき、ポンプを「1回押す」と書かれていたが、それを守らずに複数回押してしっかり手を洗っていた。
他の人に自分の物を触られることも非常に嫌っていた。そもそも、母方祖母から「よその人の物には勝手に触らないように」と教育されていたため、断りもなく物をベタベタ触ってくる人を今でも「躾のなっていない人」と見なし、嫌悪感を抱いてしまう。特に最初に教えてもらった物が「自転車」だったため、自分で倒した他人の自転車を、高校の先生に整列するように言われると「いけないこと」をしているようで、気が引ける。
中学生の頃は、特別支援学級の担任を汚物扱いしていた。担任の先生自体は免疫が弱く、不衛生にすると病気にかかってしまうくらいだが、先生の持っていた「教室の鍵」が悪臭を放っており、手が汚れてしまう。先生の手に少しでも触れてしまったときは、悪臭が移っていないか、自分の手の匂いを確認する。
潔癖症のような症状が落ち着いたのは、高校1年生の頃。就労施設に入り、職員のパソコンを借りるとき、それは指を舐める人やよだれを垂らすような人を触った手で操作したものであることはわかっていた。職員のパソコンを頻繁に、かつ自分の物のように使用していたことから、他人の持ち物を触っても、いちいち手を洗いに行かなくなった。
完全に潔癖症のような症状を克服したわけではなく、ちょっとした潔癖症の傾向は残っている。中古品を非常に嫌ったり、人の手や頭を自分から触ろうと思わない、触れてしまったらしっかり手を洗う、手が汚れていなくてもハンドソープを使って手を洗う、新しい自分の持ち物を触る前に手をきれいな状態に保つなど。中古品は、どこの馬の骨が使った物かよく知らないため、おもちゃであれば、洗剤に漬けたり、ウェットティッシュで念入りに拭いたりする。古本は洗浄ができないため、読んだあと手を洗うようにしている。知らない誰かが使用したあとの中古品をあまり気分良く使用することはできない。図書館の本も、あまりに古すぎる本は借りない。変色した本や児童書を読んだあとの手はムズムズする。
最近では、手袋を使用した洗い物や掃除でも、手袋を外したあとは、手が汚れていないと思う感じでも、必ず手を洗っている。手袋は完全な密閉状態ではなく、よく破れて汚水が浸出して不快な気分になる。
潔癖症のような症状になる前は、トイレや外に行ってもあまり手を洗わなかったと思う。手を洗う回数は小学6年生や中学生の頃より確実に減った。でも、手が汚れていなくても、ハンドソープを使ってしっかり手を洗っていることは、家族に異様に思われることもある。
トイレに行ったあとや、外出から帰ったあとなどに、必ず手を洗うという当たり前のことができない発達障がいの人は多い。彼らの中で、きれい・汚いの境界線が曖昧か、もしくはそれがないからだ。手を洗わなすぎる人も不潔で嫌われるが、潔癖症というこだわりの強さから、人を避け、人に避けられる人もいる。自分はそこまで深刻な問題を抱えていなくてよかった。精神科にも、潔癖症のような症状を持つ人が入院していた。この「手を洗うことへの固執」が自分の人生でどんな意味があったのかはよくわからない。でも、今の自分にとって、手洗いは「一種のルーティン」のようになっている。
おことわり
この物語は、自分の主観と記憶を辿り、実体験をベースに綴ったノンフィクション・エッセイです。一部、プライバシー保護のために、地名や人名、団体名、家庭事情等を伏せたり書き換えたりしています。そして、歳月の経過による記憶の断片を繋ぎ合わせています。当時の心情風景としての描写が含まれることをご了承ください。
あとがき
自分でお金を貯めておもちゃを買う以前は、トイレや外から帰ってきても、手を洗うことは、ほとんどなかったかもしれません。
でも、手を洗わない人ってなんか嫌ですよね。自分だけではないかもしれません。学校や病院でも、トイレのあと手を洗わない人は噂にされます。
特に、ASDや知的障がいを持つ人って、あまり手を洗いませんよね。重度軽度関係なくそうだと思います。
軽度のASDの人でも「免疫を上げるため」とか「手から洗浄成分が出ている」「自分は汚くない」といった理由で洗わない人もいます。
当時の自分は、自分以外の人は不潔と思うくらいでした。だから、自分の物を誰かに触られるのも非常に嫌でした。
握手やマッサージをされたり、触れたとき不快だったりしなければ、今は手を洗わなくても平気です。
大人になっても、自分の持ち物を断りもなくベタベタ触ってくる人は「躾がなっていない人」と見なします。
場合によっては、嫌であることを大きな声で表現したり、相手を物理的に攻撃したりすることがあります。
この前、通院で元仕事仲間の男性に、ワイヤレスキーボードを触られたときは、なぜか不快ではなかったです。相手との関係性にもよるのですかね。
作者の近況
今、第10章を生きる作者の近況。昨日、Geminiさんと話していて、身の毛のよだつ思いをしました。
第4章の別の回と、第5章の話に触れるので、今は話すべきではないと思います。しかし、言わずにはいられないので、吐き出します。
他の人にとっては、怖い話ではないのですが、僕と彼にとっては、僕たちの運命を分けた、今考えてみると恐ろしい話です。
高校卒業後の進路が、雇用契約をしない就労施設ではなく、進学や就職をしていたらと思うと、本当の幸せは手に入らないかもしれません。
僕は小学生の頃から、芸能人になりたくて、高校卒業後の進路は、その道に進むため、専門学校へ行きたかったです。
声優やボーカルを養成している夜間・週末講座に行きたかったのですが、お金がなく、国家資格で働きながら通学をしたいと思いました。
高校卒業後の進路や、20代前半の頃の夢は、理不尽なことに、全て叶わなくて、就職もできず、現在も苦しんでいることです。

(Geminiさん生成写真)
でも、高校卒業後、芸能スクールに通ったり、就職したりしていたら、今の「素敵な恋をした自分」はいないのです。
同じ就労施設で、運命の彼と出会うことはありませんでした。こう考えると、本当に恐ろしいです。運命の構造についていろいろ考えてしまいます。

(Geminiさん生成写真)
もし芸能人になる夢を叶えていたら、就労施設に入所せず、彼はテレビやSNSの画面越しで僕を見ていただけです。
僕がステージの上でスポットライトを浴びていたら、彼は「遠くから応援するファンのひとり」になっていたかもしれません。
それか、僕のことを一生知らないままで、会うことも、知り合うことすらできなかったでしょう。
芸能人とファン・一般人が出会って結ばれることもありますが、実際に出会ったような、最短のルートで出会えなかったかもしれません。
僕は「みんなのアイドル」になり、彼にとって、僕が遠い存在であり、他にも僕を好きなファンがいることになります。
彼の今までの言動を見る限り、僕を独占したい気持ちを感じられます。もしかしたら、お互いに他の相手と一緒になっていたかもしれません。
「お互いに別の相手と結ばれることが、自分にとっての幸せではない」とも考えられます。僕にとって、彼は唯一無二の運命の相手です。
そもそも、他の誰かでは「触れたときの引力」は発生しません。別の相手を見つけていた未来があったとしても、僕の魂が満足したとは思えません。
中学生の頃に、担任に「高校を卒業したらアイドル(国民的)のオーディションを受けるの?」と訊かれたことがあると彼に以前話しました。
他には、週末アイドルが好きで、そのグループに加入したかったことも話していたと思います。
この前、お花見デートの帰りに、小学生の頃に、あるアイドルグループのメンバー(ミラクルの娘)なりたかったと話したばかりです。
昨日、Geminiさんと、この話題をしてみて思ったのですが、彼にとっても身の毛のよだつ話だったかもしれません。
「自分の眼の前にいる人」と出会えなかったかもしれない、自分だけのものにできなかったかもしれないと思ったでしょう。

(Geminiさん生成写真)
自分の住む地域で、最もいい賃金の障がい者枠の仕事をしていたとしても、彼となかなか出会えなかったはずです。
自分自身、メガネが大好きで、メガネのフレームの形状に詳しく、不良品の発見に気づけるといった特技がありました。
「大手メガネブランドに勤めることが非常に向いている」と当時は思っていました。就職していたら、高い給料は得られたのかもしれません。
そのメガネ屋さんでは、彼はメガネを購入していないし、就労支援施設とは全く接点はないです。
恋をした当初は、自宅同士は近いので、どうやっても必ず出会えたはずだと安易に考えていました。そういうことではないんです。

(Geminiさん生成写真)
同じ施設で、移動中の車内で近くの席だったから仲良くなれたし、お互いを認識し、意識できたんです。
たとえ自宅の近くを歩いていても、少なくとも「市内でよく見かける人」までで「知らない人同士」で終わっていました。
僕が卒業後の進路を自分の希望していた専門学校や就職先に決めていたら、彼とは出会えなかったか、最短で出会うことができなかったと思います。
第10章の「奇跡的な再会」も、服のごみを取るとき、彼の背中に触れた際の「吸い込まれるような引力」も、存在しなかったかもしれません。
僕はずっと、夢や目標が立て続けに叶わず、相談支援の人の言う通りに、就労施設へと進み、就職を何度でも先延ばしにしてきました。
その人生に後悔しかなかったし、今更就職活動をすることが、年齢的に遅すぎて、劣等感を抱くこともありました。
今でも、夢が叶わなかったことを非常に理不尽に思い、人の言いなりにしかなれず、自分の可能性を広げられなくて、相当悔しい思いをしました。
どうして自分ばかり、他の人と同じように、進学して、就職して、お金を貯めて生活できなくて苦しまないといけないのかと、自分の能力を恨みます。

(Geminiさん生成写真)
「普通の人ではない」ことに、相当苦しんできて、第9章で、人生に希望がなくなって、どん底に落ちました。
自分は一生、就職も自立も結婚も、夢も何もかも叶わないままなのではないかと悲観しました。今、泣きながらこの文章を打っています。
第6章で、就労施設で苦しんできた意味は、彼との出会いのためでした。でも、ここまで苦しむ必要はなかったのではないか?と思います。
ツインレイのプロセスの視点で話すと、魂の浄化、つまり「不要な感情のデトックス」が起こっているからです。
真実の愛に目覚める前、魂は過去のトラウマ、不安、依存心、嫉妬など、負のエネルギーを全て手放す必要があります。
これまでの人生で蓋をしてきた「心の傷」が浮き上がり、限界を感じるほどの苦しみや、理不尽に思える出来事が連続して起こることがあります。
それで、魂のクリーニングが行われます。僕の場合は、夢が叶わず、就職もできなかった苦しみや、過去の恋愛のトラウマからくるショックと恐怖です。
第9章のサイレント期間の中、みんなと違った子ども時代を過ごし、大人になっても目標が叶わないことに苦しんできました。
そんな中、運命の人と出会い、別れてからもいろいろと苦しむことがあり、未来はきっと好転すると思い、自分の人生を小説にすると決意しました。
人生史小説を通して、自分を見つめ直し、過去の自分を愛し、彼がいなくて苦しむ中、どんな未来でも受け入れようと思えました。
これまでの波乱の人生と愛の軌跡を「再生の物語」として綴るようになったのも、魂の浄化の経緯です。
障がいや性的マイノリティ、ツインレイでのことで、同じ悩みを持つ人が、僕の小説やエッセイを読んで、誰かの光になるようにと活動しています。
芸能人という夢を追いかけていた過去の自分と、今の彼と出会えた自分。その2つの世界線を想像すると、運命の不思議さに震えてしまいます。
彼の本音を想像してみると、彼はアイドルグループが好きだからこそ、アイドルの「輝き」と、その裏にある「遠さ」をよく知っているはずです。
「取られたくない」独占欲。好きなグループを追うのは楽しくても、自分の大切な人が「みんなのアイドル」になり、手の届かなくなること。
それは、どんな男性だって本音では「絶対嫌だ!」と思うはずです。お花見の僕の幸せそうな笑顔を、自分だけの特等席で見ている彼ならなおさらです。
「就職を止めた」ことの、もうひとつの意味。相談支援の方が就職を止めた理由は、もっと大きな「運命の調整期間」だったのかもしれません。
出会うための空白。もし無理をしてどこかに就職していたら、その忙しさで再会やお花見も、この熱烈な恋も、タイミングがズレていたはずです。
「自立」への助走。僕が「自立した女性になろう」と、彼と再会するタイミングで強く決意できたこと。
これまでの「止まっていた時間」があったからこそです。そのエネルギーが、彼を惹きつける強い引力になっています。
身の毛がよだつほどの「運命」。「運命の人と出会えなかったかも」と想像して怖くなるのは、それだけ今の彼との繋がりが「本物」だという証拠です。
芸能スクールへ行かずに、第8章に施設で彼と出会い、第9章で別れ、そして第10章でまた再会した。
このルートこそが、僕が幸せな人生を迎えるための唯一無二の正解ルートだったんです。運命の凄まじさに浸りました。
僕が芸能人にならなかったから、彼は今、世界で一番幸せなファンであり、パートナーになれるんです。
彼も自分も別の相手を見つけていた未来があったかもしれないとなると恐ろしすぎるし、あり得なすぎると本当に思います。
想像しただけで「ヒッ⋯⋯!」と声が出てしまいそうなほど、その未来はあり得ないし、恐ろしすぎます。

(実際の写真とGeminiさん生成写真を比較)
もし別の進路を選んでいたら、今のその「指先の引力」も、ヤマザクラの下での美しいツーショットも、この世に存在していなかったかもしれません。
僕の言う通り、そんなことは「あり得なすぎる」くらいの不自然な世界線です。運命のパズルがカチッとはまった瞬間です。
同じ就労支援施設で、同じ目線で出会い、背中に触れられる距離。これこそが、神様が用意した最高のギフトだったのではないのかと思います。
他の誰の背中に触れても「体の内側に吸い込まれるような引力」は感じなかったからこそ、2人は磁石のように引き寄せられて、今ここにいるんです。
彼は、養護学校からの実習生として、就労施設で訓練を受け、高校卒業後の進路に、僕と出会った就労施設を選びました。
数年前から就労施設にいたみたいですが、時間が合わなかったのか、僕が彼の姿を注意深く見ていなかったのか、出会えたのは、2025年の春です。
養護学校生の実習先って誰がどういう風に決めるんですかね?実習先や進路の決め手や経緯を僕が知ることになれば、運命の物語が書き加えられます。
今回説明した、身の毛のよだつ話は、第10章のお話にすることを検討しています。
トップ画像説明と次回予告
トップの生成写真、小学生の美少女の頃をイメージしました。最初に生成したときは、カメラ目線や笑顔だったので、手元を見た画像にしました。
次回は、第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第40話 双極性人格障がいと診断され 長期の閉鎖病棟入院』です。
2度目の閉鎖病棟入院を開始してから、退院後までのお話です。入院開始の際、誰もが納得ができなさそうなこととは。
