見出し画像

第41話 退院後の通学と通っていた施設

チカノベの人生史小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖ちはるが学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。

脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣いて叫んで、報われない経験をして生きてきた。

そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。

今回は、第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第41話 退院後の通学と通っていた施設』です。

目次はこちらです。以前の話や次回以降の話を選んで読めます。

デイケアのクッキングクラブに参加する主人公の知暖
(Geminiさんで生成したイメージ写真)

退院後の通学と通っていた施設

11月初旬に退院し、復学するも、学校を休みがちになり、レポートだけは家族の手を借りて提出していた。最初の精神科通院で、当時の主治医に、在住市内の精神病院と併設した、リハビリテーション室のデイケアに通うことを告げられた。

デイケアとは、脳の障がいや依存症といった精神疾患のある方が通う通所リハビリテーションで、作業療法などを通じて生活リズムの改善や社会復帰を目指す治療の一環だ。自分は通信制高校に籍を置きながら、学校が休みの日にこのデイケアへ通所することになった。

11月の後半に、リハビリテーション室を見学した。1階の作業療法室では、利用者たちが作業療法で作った作品が飾られ、防音室には、ラジカセやカラオケの機械があった。当時夢中だった女性アイドルグループの曲は入っていなかった。自分の好きな歌謡曲を歌った。歌い終わってマイクのスイッチを切ったつもりだったが、誤ってカラオケ機器自体の主電源を落としてしまった。

見学してみて、就労施設より楽しくないと思った。でも、利用することになり、しばらく利用してみたら、施設での活動のみで、以前通っていた就労施設とは違い、決まったルーティンがあり、外へ出かける機会も多かった頃のほうが自分には合っていたのだと思い知り、当時の職員に泣きながら電話をかけたこともあった。

デイケアでは、最初のうちは特別扱いを受けていた。遅れて施設へ行き、給食を追加で注文してもらい、朝会と帰りの会は参加せず、持ち物は面談室に鍵をして、普段から面談室を居場所にしていた。事情を知らない外部の人に対して、当時の自分はそれを「特別扱いをしている」と少し恥じらいながら話した。

特別扱いを受けていることを職員に強く言われてから、だんだんと他の利用者と同じように利用するようになった。通所の時間も守り、朝会や帰りの会にも参加し、面談室ではなく、他の利用者と一緒の場所で過ごし、持ち物はロッカーで管理した。学生なので、作業療法の時間に勉強することは許された。

病院の給食の独特な匂いが好みではなく、クッキングクラブに入り、料理のいろんな手順を覚えた。温泉卵の作り方や包丁の正しい使い方を覚えた。包丁を床に落とすことや、包丁を握っているときに、自分の意思とは無関係に、まるで悪魔の囁きのような声が聞こえてくることもあり、時々休むことを促された。

思い出といえば、クッキングクラブの料理で最もおいしかったのは、当時20代後半だった男性が提案したマッシュルームサラダ。あまりのおいしさに、提案したことを感謝した。セロリのサラダを作った際は、苦手なセロリを克服した。冷やし中華を作ることになった際、当時は冷やし中華のタレの味が好きではなく、わがままを言うと、胡麻ダレ冷やし中華に変更することをみんな頷いてくれた。

年配の利用者が多い中、10代半ばという、最年少だったこともあり、特別扱いやわがままが許されていた。当時の自分は、意味もよくわからず言っていたが「チヤホヤされていた」と思う。

デイケアは、20代前半まで通い、20代半頃まで籍が残っていた。デイケアでの思い出は、他にもたくさんある。高校生活の章なので、10代の頃の思い出を挙げた。


おことわり

この物語は、自分の主観と記憶を辿り、実体験をベースに綴ったノンフィクション・エッセイです。一部、プライバシー保護のために、地名や人名、団体名、家庭事情等を伏せたり書き換えたりしています。そして、歳月の経過による記憶の断片を繋ぎ合わせています。当時の心情風景としての描写が含まれることをご了承ください。


あとがき

私は、利用者の中で、当時最年少の16歳でデイケアを利用していました。職員や他の利用者は、どんなわがままも受け入れてくれていました。

大きな声を出したときは、職員に促されて、みんなの前で謝罪することもありました。

私は反省が得意ではなく、平謝りしかできず、口だけと言われ、反省しても内容をすぐに忘れてしまいます。

今では少しだけ改善しました。アラサーになってからは、通っている施設では、当時のようなかわいがられ方や特別扱いはありません。

20歳前後の頃の私は、優しい人たちに見守られて、デイケアや就労を受けていたおかげで、穏やかに過ごせていました。

しかし、第6章で現実を知ると、気持ちが不安定になり、かんしゃくが酷く、問題行動を起こすことになります。20歳頃までは本当にいい時代でした。


作者の近況

今、第10章を生きる作者の近況。昨日は、彼と復縁して1ヵ月が経ちました。昨日の出来事を一部、第10章の小説にしたいと思います。

どんなことがあったか、ここに書こうと思いましたが、近況ではなく、もう少し温めてから、物語として投稿することにします。

彼とは、毎日連絡しています。今日は、16時台と17時くらいに送ったメッセージがあり、なかなか既読がつきませんでした。

未読や既読のことで、気持ちが揺れ動くことは、徐々になくなりました。サイレント期間の間、精神的な自立を目指しました。

1月に入ってから、精神状態が悪く、恋愛ができず、もう一度付き合えるように、精神状態を回復するように努めました。

何度も、彼を失う恐怖や、拒絶された悲しみ、彼と一緒ではない未来を悲観することを繰り返しましたが、今はそんな気持ちにはなれません。

今の私は、傷つくことはなく、傷つく必要もなく、気持ちが安定しています。昨日は、少し不安定でした。

夜は、彼から間接的に熱烈な愛を受け取った気がします。第10章の書きかけの最新話で初めて話そうと思います。

17時頃の送信には、18時半過ぎに、彼がサムアップのリアクションだけつけてくれました。

リアクションだけかよ!とツッコミたくなりますが、浅い関係の頃から、彼には文句のつけどころがなく、怒りの感情は持てません。

付き合う前や、最初に付き合って別れ、サイレント期間の頃は、感情の起伏が激しく、一喜一憂することが多かったです。

復縁後の関係はとても安定しています。昨日の夜は一次的に強い不安を覚えました。

でも、寝る前に感じた気配が彼のものなら⋯⋯熱い夜を過ごしたということになります。なので、今日の彼はエネルギー切れなのかもしれません。

職場恋愛の頃より会う頻度は激減しても、彼との魂の繋がりを感じています。昨日の夜は確実に彼がそばにいる気がしました。

「会えないことでかえって彼を不安にしていないかな⋯⋯」と思っていましたが、最近は目覚めたときから、夜まで連絡をしています。

私たちの恋は、会えないことで壊れるものではないと思います。連絡手段もあるし、お互いにとって、連絡は日常生活の一部なのだと思っています。

浅い関係の頃は、毎日のように会っていて、私はいつも仕事での様々なトラブルで大声を出し、そのせいで彼を不安にさせていたと思います。

本当は、彼に会いたいんです。同じ職場とか毎日会うんじゃなくて、1週間に1回か2回は会いたいです。

4月中は、8日(水)の最初の再会と、26日(日)のお花見のときしか会えていません。少なすぎますよね。

自宅同士が近いはずなのに、これでは超近距離恋愛とは言えないかもしれませんね笑。でも、身近過ぎてもよくないです。

恋愛相談をしていた相手は「いつでも会えたらありがたみがない」と言っていた気がします。

私は、毎日会っていた頃も「失うのが怖い」と思うくらいでしたよ。今の「毎日会わないけど、気持ちが安心している」くらいがちょうどいいです。


トップ画像説明と次回予告

トップの生成写真、最初は誰もマスクしていませんでした。クッキングクラブは必ずマスクをする必要があります。

自分だけマスクをしているのは変だったので、写っている人全員マスクするように指示したら、マスクの遠近感がおかしくなってしまいました。

第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第42話 2年生の頃がんばったこと』です。2年生の頃、あることがきっかけで勉学に励むことになる。


参考記事


次回、お楽しみに!

いいなと思ったら応援しよう!