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第32話 卒業前に作った思い出集

チカノベの人生史小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖ちはるが学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。

脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣いて叫んで、報われない経験をして生きてきた。

そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。

今回は、第3章『自分に向けた「ありえない」を覆した中学校生活』から『第32話 卒業前に作った思い出集』です。

目次はこちらです。以前の話や次回以降の話を選んで読めます。

主人公の知暖 文化祭のステージで歌う
(Geminiさんで生成したイメージ写真)


卒業前に作った思い出集

中学3年生の頃に作った思い出。修学旅行は行けなかったが、その他の学校行事や楽しみで中学校生活を彩った。

文化祭では、歌うのが好きだったので、マイステージにトップバッターで参加し、出だしのセリフは早口で聞き取れなかったみたいだが、当時のおはこだったアーティストの歌謡曲を、盛大に声を出してアカペラで歌った。ラストのおまけとして、ポルトガル人の男の子が歌うCMソングを歌うと、意外な選曲に会場が一瞬だけ笑いに包まれた。

全校集会で、同じ学校の生徒が万引きをしたと知らされたとき、心に強く刻まれた思いがある。それは「同じ学校のひとりの生徒として恥ずかしい」という感覚だ。白いTシャツに一滴落ちた黒いインクが目立つように、誰かひとりの過ちが、学校全体のイメージを決めてしまう。自分自身が「目立つ存在」だったからこそ、学校の足を引っ張らないようにという意識を、小学校高学年の頃から強く持っていた。

特別支援学級の情緒クラスでは、かんしゃくを起こして、クラスから脱走したり、隣の知的障がいクラスのあゆむくんにちょっかいをかけに行ったりした。クラスからの脱走や大騒ぎは3年生以降もあったが、隣のクラスは3年生の頃にかんしゃくで行った記憶はない。

担任のグルーガンを借りて、デコレーションライトを作ったり、新聞の切り抜きを大きな紙に貼ったコラージュを壁に貼ったりした。しかし、新聞の文字で下品なワードを切り取ってしまい、担任が教室のホワイトボードに書いて叱り、しばらくの間コラージュが禁止になった。

教材のカタログから、商品を選んで楽しむこともあった。工作は、うつ気味だったせいか、全体に色を塗らずに白地を残し、最後に購入したオリジナルの宝箱は結局、彫刻刀で彫ることも色を塗ることもせず、ナチュラルな木の質感そのままの「鍵つきの箱」にした。アラサーの今でも、この箱は大切に使っている。タンス貯金やお金を無駄遣いしないようにするためのお金の保管場所として使っている。

特に、鉱石発掘キットは何回も買って楽しんだ。教材屋さんに、男の子の生徒だと思われていたらしい。小さい頃から、パワーストーンや宝石、外で珍しい石を拾い集めるのが好きだった。今は箱に仕舞いっぱなしになっているけれど。

卒業間際には、遅刻をしなかったら、担任が趣味のバイオリンを貸すと言っていたので、もちろん遅刻せず、通常の時間に登校。音楽室を貸し切り、先生が練習用のバイオリンを貸してくれた。それは想像以上に重たく、支えてもらわなければ構えることも難しかったが、奏でた音は驚くほど透き通っていて、先生の演奏よりも綺麗に響いたように感じた。

卒業式の日は、肌荒れしていた。写真は不格好な感じだった。卒業証書を受け取るとき、練習で全員が言っていなかったはずの「ありがとうございます」。何で言うのかと思っていたら納得。校長先生が「卒業おめでとう!」と言っていた。自分も「ありがとうございます」と言った。「中学校は大嫌い」と大人になっても言っているし、何の感謝もないけど、校長先生の言葉は必ず返さないとと思った。来賓に小学校の元校長がいたので、アピールするように、変顔をして来賓席の前を通った。元校長は表情で「わかっているよ、覚えているよ」と言っているように感じた。

卒業生代表の生徒会長が泣きながらスピーチをしていた。小学校時代、運営委員長だった彼女に理不尽な思いをさせられた記憶が蘇る。「まともな側」にいて中学校生活を謳歌し、涙を流せる彼女と自分との間にある、埋められない差を突きつけられたような気がした。

卒業式のあと、3年生の教室の近くで、同級生と写真を撮った。自分の手元には残っていないけど、肌荒れで鼻を赤めた上、変顔をして撮影した。同級生の誰かには残っているはずの写真なんだろうな。同級生のスマートフォンで撮影した。まだ自分はガラケーだったし、写真撮影なんてできることも聞いていなかったから、自分の端末では何ひとつ撮影しなかった。

理解や配慮のない同級生から受けたいじめ。かんしゃくを起こしたことによって、教師から受けた体罰や理不尽な扱い。そんな中学校生活を終えられて本当によかった。

自分が苦しんだ以上に、母に苦労させたこととは⋯⋯。


おことわり

この物語は、自分の主観と記憶を辿り、実体験をベースに綴ったノンフィクション・エッセイです。一部、プライバシー保護のために、地名や人名、団体名、家庭事情等を伏せたり書き換えたりしています。そして、歳月の経過による記憶の断片を繋ぎ合わせています。当時の心情風景としての描写が含まれることをご了承ください。


あとがき

とても嫌いだった中学校生活では、楽しかった思い出は一応あります。友達もたくさんいました。

中学校の頃、普通学級の先生が「嘘つき」と思った話も書こうと思ったのですが、あまりいい思い出ではないので、書きませんでした。

普通学級の担任は、数学の若い男性教師で、熱血です。丸めた紙の筒を持ち歩いていたので「これで生徒を叩くんですか?」と訊きました。

教師は否定したのですが、職員室に素行の悪い女子を2人くらい呼び出し、これでもかというくらい、紙の筒で何度も叩いていました。

生徒を叩くのは、令和では⋯⋯というか、平成後期の中学校でもありえないと思いました。

今の学校教育では、教師の言うことを聞かない児童や生徒に体罰をするのは、不適切でしょう。母の時代では、竹の棒や竹刀で叩くそうですね。

今は叩くより、褒めることがしつけになると言われている時代です。自分のように、叩かれないとしつけにならない人はどうすればいいのかしら⋯⋯。


作者の近況

今、第10章を生きる作者の近況。明日は、隣町の就労選択支援の施設見学へ行きます。

この間、施設のホームページを見たのですが、障がい年金1級の人は、就労選択支援を受けずにB型事業所の利用になると書かれていました。

B型事業所なんか二度と入りたくないし、金銭面での自立をするために、一般就労したいし、彼と一緒の未来を過ごすのに、安定した収入が必要です。

就労選択支援の利用ができず、B型事業所しか選択肢がないのなら、人生辞めたいとさえ思ってしまいます。

自分はB型事業所にいて、31歳までの自立や就職などの目標が叶わず、人生を悲観しました。

自分は働けないほどの重度障がいなのでしょうか?せめて同じ施設のA型事業所から始めるのでもいいので、生活するためのお金は欲しいのです。

在住市内には、A型事業所はなく、周辺の市町村にはあります。近くても、隣町にはあるんですね。

僕の未来を潰さないでほしいです。一般就労できるように、適切な就労支援や指導に努めてほしいです。

アラサーの僕にも未来があります。金銭面・生活面での自立がしたいし、愛する人と生活をともにしたいんです。

障がい者の幸福を目指すのが、福祉事業者の存在している目的なのではないでしょうか?もう人生諦めて悲しむなんて嫌だ。

僕が望まない未来に悲観して、あんなに落ち込んで、ずっと泣いてきたこと、何度も明るい未来を信じて、就労指導に納得しないまま進んだこと。

僕の人生の切実な悩みを、早く解決したい。一生就職できない人生なんて、もう生きたくない。もう誰かの言いなりになる人生は嫌だ。

第10章のもうひとつのテーマ『進歩「切り拓かれた道へ」』は、なくなってしまうのかな?再会だけで終わるなんて、僕は望んでいません。


トップ画像説明と次回予告

トップの生成写真、体育館で歌っているところを指定したら、ステージと観客の位置関係がおかしなことになりました。

カーテンをつけて、ステージらしく演出してみましたが、実際は背景全部がカーテンではなく、白っぽい色の壁だったと思います。

次回、第3章『自分に向けた「ありえない」を覆した中学校生活』から『第33話 中学時代母に苦労させたこと』です。

中学時代のかんしゃくや、急な体形の変化に、自分も追いつけなさそうだった。自分は苦しんだが、本当に苦しんだのは自分だけだったのか。


参考記事

次回、お楽しみに!

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