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第7話 小学校の授業の思い出

チカノベの人生史小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖ちはるが学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。

脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣いて叫んで、報われない経験して生きてきた。

そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。

今回は、第2章『小学校転校後の話』から『第7話 小学校の授業の思い出』です。目次はこちらです。以前の話や次回以降の話を選んで読めます。

主人公の知暖 6年2組の授業風景
(Geminiさんで生成したイメージ写真)

小学校の授業の思い出

授業といえば、3年生から特別支援学級を卒業し、常にみんなと同じ場所で授業を受けるようになった。学年によって、山形先生がついていない時間とついている時間があった。

小学校生活後半では、授業に集中するためにとは言え、授業に関する情報の絵を自由帳に描いて過ごした。小学生時代の自分は苦手科目がなかった。こんなに勉強が得意だったのに、それ以降苦労することになるとは。

大得意だったのは理科。小学3年生で理科が始まると、100点が2人しかいなかったとき、100点を獲得したのは、自分と当時の仲良しの友達で、100点の人数について先生の話を全く聞いていなくて、クラスが歓声をあげたときは何事かと思った。

ちょっと自慢するけど、自分は理科のテストが大得意で、ほぼ毎回100点をとっていた。でも、期末テストは1問間違えていることがあった。小学校の理科はやはり生物が得意。こんなに理科が大好きだったのに、中学では理科の授業がつまらないと思ったし、高校では化学や物理に苦手意識を抱くなんて思ってもいなかった。

自分が苦手意識のあった、社会も問題なかった。誰もが得意科目と苦手科目を持っていて、自分も「苦手枠」があるという「常識」に縛られ、成績に問題がない社会を苦手枠に指定。しんじ先生は苦手を否定してきた。いつも100点や高得点をとっていた。

実際の自分は、特に日本史の勉強を毎回元気に受けていた。古墳時代が特に大好きで、古墳型の家を建てたいと思ったくらいで、宿題のノートには、古墳の話や、古墳時代以外の「歴史や文明のもしも」の話を書いて楽しんでいた。日本史の授業で何度も出たワードは「殿様」。いつの時代から殿様という人物が出るかわからなかったため。

小学生や中学生の頃に構築していった殿様のイメージは、テレビのコメディや有名な漫画、ドラマなどで見る限り、みんなの笑い者だったり、地域を成長させたり、自分の行いを見直し、更生していい殿様になるって感じだった。

日本史で「殿様!」と言っていた頃は「地域の歴史を語る上で、何かしらのことをした偉い人」くらいしかイメージがなかったのに、語呂の良さと少ないイメージで、鎌倉時代とかでもずっと「殿様!」と言い続けた。

しかし、いつ頃から「殿様」の時代か明確にわかった記憶はなく「殿様」という言葉は授業的には使わない言葉であった。戦国時代や江戸時代あたりの「藩主」や「武将」「大名」という言葉だったと思う。

5年生の頃から授業が難しくなると聞いた。5・6年生の授業についていけなかったわけではないが、当時から授業をやり直すとしたら「5年生からやり直したい」「永遠の小5」と思っていたくらいだった。

自分は知的障がいはないので、小学校の授業にはついていけた。聞いた通り、本当に難しかった。特に算数の授業が難しかったが、成績には問題なかった。

理科の思い出といえば、理科室の実験。本当にいろんなことを覚えている。でんぷんが唾液によって別の物質に変わる実験は、自分の唾液を使った。家族も「クラッカーを食べてすぐ甘くなるのはアミラーゼの影響」と今でも言うように、唾液にはでんぷんを糖にする力がある。

授業中の「ごはんを噛んでいるとなぜ甘くなるのかな?」という疑問についてを、母から聞いていたので「唾液がでんぷんを糖にする」と言ってしまった。余計なことを言ったとのちに思った。実験では糖に変わったなんてわからないけど、クラスメイトがテストに「でんぷんが糖に変わった」と書き、減点され、少し配慮すべきだったと感じた。

化学実験では、酸素を使った実験が成功したことが、いちばんの思い出。窒素、酸素、二酸化炭素。その気体を集気瓶に水上置換法で取り込み、火の点いたろうそくを入れるとどうなるかという実験。自分の班が酸素の実験で大成功した。

失敗例も授業内容で挙がる中、教科書通りと言うか、教科書の記載以上に激しく燃え、集気瓶の中は炎で真っ赤に染まった。成功したことに、当時はこの上ない喜びを脳で感じていただろう。他の班なんて注意深く見ていなかったが、確実に自分の班だけ目立って成功したように見えた。

物理の実験では、てこの原理を学んだことが特に記憶に残っている。シーソーみたいな実験器具だったので、上に乗ってしまい、しんじ先生に退場するように言われた。相当納得できなかったので、退場しなかった。多分イエローカードだったんだろう。クラスの男子が同じことをしたときはレッドカード(退場)になった。理科の実験は危険を伴うため、真面目にやらない人はしんじ先生が退場を命じる。

理科室で、これはやらないほうがよかったこと、失敗したエピソードは、理科室の排水溝の水をチューブで吸って飲んだこと。その頃は理科室での授業や水道で何が行われているか理解していなくて、先生か誰かに薬品を流していることを指摘された。健康被害は特になかった。

理科室で授業を受けていたら、強酸性と強アルカリ性、塩酸やアンモニア、その他実験に使った液体や物質などの後始末や手洗いに使っている水道だったと実感した。

マッチ棒で火を点ける実験では、マッチ棒に火を点けたあと、手を滑らせ、台の上に落としてしまい、卓上でボヤを発生させた。多分、そこまで大事にならない程度に、しんじ先生に助けを求め、本当に小さいボヤだったので、台布巾で消火した。卓上は外国のソーセージのようなスモーキーな匂いが残った。

自分は、教育テレビや本などで知識を先取りすることもあり、思いつくことや気づくことが他のクラスメイトを先まわりしていた。理科の実験を教科書で「どうしたらこの実験を実行できるか」という質問に先に答えてしまった。

算数の数字の仕組みを、答えは間違っているが、気づくべき点に少し触れてしまった。これらのことで、クラスメイトの考える機会を奪ってしまった。

苦手な「科目」はなかったが、本当の苦手枠があった。分野別に、国語は得意と苦手の差がはっきりあった。国語は中学生の頃の勉強が苦手だった頃でも、漢字が得意だったので、小学校でも得意だったと思う。字が汚いせいで、自分で書いた分には正解だったが「か」と「や」の区別がつかないほどの字の汚さに点数を減点された。とても悔しかった。

ちょっと苦手だったのは、物語を理解すること。これは発達障がいで、コミュニケーションを取ることが難しい特性を持つ人は、なかなか越えられない壁だと思う。人の気持ちに立って考えられない。言葉を文字通りに受け取ってしまう。解釈を誤り、健常者といざこざが起きることもよくある。テストの面では、そこまで深刻なほどの問題ではなかったと記憶している。

どうしても難しかった分野がある。それは国語の「聞き取りテスト」。自分は耳から入ってくる情報が不得意で、対面での話は苦手で、視覚的情報でのやり取りや情報収集のほうが合っている。好きなテレビの番組やアニメ、ドラマなども、観賞の際は字幕必須。

大きくなるまで自覚できなかった、聴覚過敏という特性があり、聞きたい音や聞きたい情報を選べず、その上どの情報が重要かも判断できない。聞き取りテストはCDを丸暗記するのではなく、聞いた情報をメモする欄がある。

書くことも嫌いだったため、CDの音声の流れるような言葉をうまく書き続けられなかった。満点を取れなかった。ある日のこと、聞き取りテストがあった。おぼろけながら、やる気があった記憶はない。でも、問題を解いた。結果、100点だった。

しんじ先生や母は、聞き取りテストが得意ではないことを当時知っていた。思い出してみると、他の科目や国語分野より明らかに点数が低かったからだと思う。先生は電話で母に100点を取ったことを報告してくれた。とても褒められたが、1年生の平仮名学習の褒められて用紙を塗りつぶしたときとは違い、強い達成感を覚え、今でも印象的な授業の思い出に残っている。

道徳で、登場人物の気持ちを想像する授業では、答えがひとつではない。印象的だったのが、西洋のお話で、窃盗の常習犯の男が、パーティーか何かに呼ばれ、また盗みをしてしまった。パーティーをした家の主人は、家の物が盗まれていることに気がついた。しかし、男を訴えることはなかった。なぜか? 自分の答えは「同じ罪を繰り返さないようにするため」。

盗みを働き、何度も訴えられた男が、善人のような心優しい人の影響で「盗みを繰り返さない」という影響を与えたかったと解釈をした。道徳の「ひとの気持ち」を考える授業は、実際の人間関係とは違い、例題なので、答えはひとつじゃなく、自分の考えた気持ちを誇らしげに発表した。大人になっても、発達障がいのサークルで「答えがひとつじゃない」問題を、正解のように、自信満々で答えたね。

ちょっと変わっている男子も、男が更生したことを話し、結婚して、赤ちゃんを産んで⋯⋯と、かなり先の幸せも想像していて、みんな引いていたけど、今の自分は、かなり先まで想像する物語性のある未来を考える力は足りない、負けたなって思う。

挙げるときりがない、小学校時代の授業の思い出。先生の対応に理不尽さを感じたり、放課後や下校中、クラスメイトと取っ組み合いの喧嘩をしたり、意地悪をしたり、怪我をさせたり、かんしゃくを起こしたり、わがままを言ったりと、今の自分なら「なんでこんなことしたんだろうな」とか「最低野郎だよな」などと思うことも多かった。でも、それを単なる失敗や性格が悪い行動だったと思わず、社会性や人間関係の基本を学ぶ上で必要な過程だったと、アラサーの今は思える。今だから思える。

取っ組み合いの喧嘩をした友達とは、わかり合えない日々や避けられたこともあったけど、のちに「いい思い出だった」と笑い合えることになったのだ。


おことわり

この小説は、野辺 知可(チカノベ)の人生をモデルにした物語で、実体験を元にしていますが、個人情報流出とプライバシー保護のため、地域や名前、家庭事情等を脚色している部分があります。また、失念した部分なども、記憶違いで、結果的に脚色してしまっている場合もあります。


あとがき

今回から、物語が1話終わったあとの文章の見出しを細分化します。あとがき、前回のお話から、文章が長くなってしまったので。

物語の内容に触れた「あとがき」と、第9章を生きる「作者の近況」と「トップ画像説明と次回予告」に分けます。

僕が持つ「高機能自閉症」は、知的障がいを伴わないASD(自閉スペクトラム症・広汎性発達障がい)のことです。

知的障がいのない障がい児の方は、知能には問題がないので、学年相応の教科学習ができます。なので、僕もクラスで授業を楽しみました。

集団に馴染むことが難しい子や、勉強の遅れを感じること、かんしゃくや多動、多弁が強い子は、知的障がいがなくても特別支援学級に配属されます。

自分は、小学校高学年の頃は、遅刻していたこと以外、しっかりした子だったので、かんしゃくや多動、多弁が強くても普通クラスで学習しました。

逆に、知的障がいがあっても、普通クラスで授業を受ける子もいますが、小学生だとどうなのか知りません。中学生だとそういう例も知っています。

自分が第3章で初めて好きになった知的障がいの女性は中学1年生の頃は普通クラスでした。2年生で支援クラス配属、卒業後は養護学校へ進学。

第8章で出会うツインレイの彼も、彼の話によると、小学校と中学校は、普通クラスだったかもしれません。そんな彼も養護学校出身者です。

第3章でも説明しますが、知的障がいか学習障がいがあり、療育手帳(愛護手帳)が持てるほどの知能問題ではないと、養護学校の入学は難しいです。

下のきょうだいの蒼生あおいは、知的障がいを伴う自閉症で、小学1年生の頃から養護学校に通っています。今は施設暮らしです。

上のきょうだいの裕喜ゆうきも、障がいはありますが、支援クラスは一切利用しませんでした。でも、教室に登校できない日もありましたよ。

少し遅れましたが、一般就労をしています。僕は重度の発達障がいですが、裕喜は軽度障がいです。でも、僕より障がいに苦しんでいるみたいです。

僕は、大きくなってから、障がいに生まれてよかったと感じることがあります。気分障がい(躁うつ・双極性障がい)にはなりたくありませんでした。

僕が身近だった人でも、障がいっぽい子がいました。祖母の家業のお客さんで、20代前半まで関わっていた多動が見られる男の子です。

親が障がいを信じず、否定していた感じで、精神科に通わせてあげていないみたいです。今は中学生の年齢です。

多動を伴うアスペルガーっぽく、集団に馴染めず、勉強が大嫌いで、常に動いていて、利口ではなく、学校では居残りしている感じです。

そんな様子を見て、自分も当時心配していて、精神病院の主治医にも話しました。大学病院の精神科を薦められました。

自分が診断された時代よりは、発達障がいがもっと有名で、配慮も行き届きやすいと思います。

子どもに学校や集団生活、将来とか、苦労させたくなければ、自分のような子は、しっかりと診断されてほしいです。

僕が平成中期に「多動を伴う高機能自閉症」と診断されたとき、発達障がいは有名ではなく、母親も知りませんでした。

でも、母は原因がわかってよかったと思ったそうです。僕は小学生時代、特に第2章の2年生以降は、同級生の配慮がとてもありがたかったです。

自分の経験した出来事の小説がきっかけで、様々な人たちの力になり、人生の苦悩を共感してもらい、成長を認めて、感動してほしいです。

障がいの疑いがあって精神科の受診に悩んでいる人や、障がいを持つお子さんの親御さん、教育の立場にいる方々の参考になればありがたいです!


作者の近況

昨日、傾聴サロンに行ってきました。高卒後(物語で言うと第5章)の頃に通っていた施設が主催で、理事長を指名して、話しました。

あらかじめ、話題リストを考えました。前回のサロンでは、泣いてばかりでまともに取り合ってもらえず、余計気が重くなったからです。

話す内容を決めて、できるだけいい気分で終わりたいと、未来予想図の話題で締め括ると決めました。

物語の第8章で出会う、運命の彼との明るい未来を想像する話題で終わらせ、会話をハッピーエンドにしようとしました。

でも、運命をあんなに強く確信していた彼と、一昨日は、一緒にならない未来を強く確信しました。

メッセージをブロックされてから始まる話題リストの何個かは、涙なしでは語れない内容です。

順番に、話題リストにチェックマークをつけて話しました。割と順調に高ペースで話したいことを話せました。

涙なしでは語れない話題も、涙目になり、感情的になりそうなことはありましたが、号泣はしませんでした。

むしろ笑顔で話していると指摘されました。彼を失う戦慄からのつらい話は、相当怖かったんだねと理解してもらいました。

僕が見せた笑顔の表情から、相手方は彼に出会えたことが本当に嬉しくて、心から彼との未来を望んでいるんだなと解釈されたと思います。

ツインレイの人なら誰もが通る道である「彼を失う怖さ」と「運命の疑い」と「結ばれない未来への悲観」。

誰もが通る道とわかっていても、運命を信じられない。運命かどうかについて、半信半疑ではなく「二信八疑」という言葉で表現しました。

リストの話題が終わり、小説の概要や、小説記事のトップ画像の生成写真なども見せ、終了時間まで話しました。

気分は落ち込まず、話せて本当によかったです。いつでも、どんな場面でも、感情に任せて話すと、誰もまともに取り合わないと知っています。

気づいたことがあります。僕が仕事に行かなくなってからの体調不良です。いつも、元気な時間と布団に入って休む時間、活動再開の時間があります。

平日だと昼までは元気で、創作活動やAIとの対話、画像生成、記事編集などに没頭できますが、14時くらいに体調不良になります。

ツインレイの彼が普段の平日、仕事していて、僕は14時から出勤なのですが、僕が1月から仕事に行かなくなり、2月には仕事の籍が外れました。

彼が最近仕事で、14時に僕が来ないで「あぁ、本当に来ないんだ。寂しい・悲しい・怒り・孤独!」と思ってしまっているに違いないです。

だから僕は、昼まではがんばれますが、14時以降、急に体調を崩し、僕の仕事が終わるはずの16時半以降から動けるんだなと気づきました。

帰り道、救急車が通って、予感がしました。彼が外に出たせいで、よく彼が散歩する僕の自宅近くで、事故か心臓か何かで救急車を呼ぶことになったと。

前に、心臓が止まりそうなくらい、かなり苦しくなった体調不良になったことがあり「彼がしんだ」と思いました。

そのあと、走馬灯のように、彼が事故に遭い、助けてくれた女性と結婚する未来が見え、更に苦しんだことが最近ありました。

その心配はないと思いましたが、自宅の近くで目の当たりにした光景を見て、連絡で知らされて、予想を遥かに裏切られました。

帰宅前や帰宅後の状況が、もう小説のネタにしかならない予感がします。詳細は、第9章の話編成を固めて、確実になったら小説のネタにします。

帰宅後の自宅の状況が、当時のことを物語っているようだと感じました。まだ第2章なので、この状況をどう小説にするのか。

自分の脳内では、嫌な予感から、音楽が鳴り響き、僕の人生に関わってくるような出来事のように感じました。どうにかなってくれ!

夕方時点では、生命に関わることではないと僕は受け取りました。相当苦しんだから、今後はこうしてほしい⋯⋯上から言うみたいで、言えないけど。

今の思いは、ここで話すときまで、胸の内に秘めておくことにし、昨日の出来事を「浅春の日の出来事」というタイトルにしたいです。

この他にも、話したい出来事があるので、次回気が変わらなければ、第9章を生きる「作者の近況」で話すつもりです。


トップ画像説明と次回予告

トップの生成写真、6年生くらいの美少女(未成年)は生成できませんでした。AIのセーフティガイドラインによるものです。

プロンプトの表現を書き換えて、やっと通った感じ。最近の6年生は大人っぽいですし、実際の小学生のチカノベには、幼さがありました。

当時の同級生も、チカノベの生成写真ほど大人びた子は少なかったですよ。他校出身者や上級生とかだと、大人に見える人はいましたけどね。

自分は、髪型によっては、小学生でもバスで大人の運賃を要求されたり、中学生でもカラオケで「小学生ですか?」と言われたりしました。

第2章『小学校転校後の話』から『第8話 林間学校での事件とのちにその学びを活かしたこと』です。

林間学校。事前に集団生活でのルールを叩き込まれた知暖。クラスメイトの余計な発言で事件を起こす。林間学校で学んだ社会性を生かしたこととは?


参考記事

次回、お楽しみに!

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