第51話 学生生活を振り返って
チカノベの人生史小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖が学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。
脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣いて叫んで、報われない経験をして生きてきた。
そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。
今回は、第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第51話 学生生活を振り返って』です。
目次はこちらです。以前の話や次回以降の話を選んで読めます。

(Geminiさんで生成したイメージ写真)
学生生活を振り返って
小学校。1年生で入学式に新入生として参加し、会場の体育館を走り回り、校長先生から「こんな子は初めてだ」と言われ、薦められた小児科で「多動を伴う高機能自閉症」と診断され、発達障がいを持つ子どもとしての生活が始まった。
1年生の頃は、他者の気持ちを一切考えず、自由奔放に生き、初恋の人にもしつこく詰め寄り、嫌われていた。それでも、仲の良い友達はいた。離任式の日に地元へと引っ越し、2年生から転校先の小学校での学校生活が始まった。
特別支援学級には、知的障がいを伴う自閉症の男の子がいて、特定の言葉や動物の鳴き真似を口に出すとパニックを起こしてしまい、その子がパニックにならないよう、配慮して一緒に過ごすように教育され、初めて他者を思いやって学校生活を送るように指導された。当時はわけもわからず、その言葉を喋らないようにしたり、わざと喋ったりしていた。
3年生になると、特別支援学級を卒業し、普通学級で全ての授業を受けた。加配の先生のおかげで、授業中に立って歩いたり、教室から脱走したりする癖がなくなった。心の多動を抑えながら授業に集中するため、自由帳に授業と関連する絵を描いていた。卒業式に初めて在校生として参加するとき、静かにじっとしていることが苦手だった私は、名前を呼ばれて卒業証書を受け取った卒業生の名前の部分にシールを貼ったり、加配の先生との筆談をしたりした。4年生からは、そういった配慮を受けずに卒業式のプログラムにしっかりと参加した。
4年生以降の担任は、少し厳しめの男性教師で、他者を思いやる気持ちや、集団生活のルールといった社会性の教育が強化された。女子の転校生が来たときは、仲良くするコツを教えてもらい、一緒に下校するまで仲良くなった。日本史の授業や理科の実験を楽しみ、道徳の授業では、登場人物の気持ちを考えて、誇らしげに発表した。
服薬を開始した頃から、学校を遅刻するようになり、毎日担任から説教を受け、うつ症状を自覚し、学校に行きたくない日もあった。子どもの朝番組を観始めたことがきっかけで、遅刻癖を克服した。
修学旅行では、同じ班やホテルの部屋の子と仲良くし、社会科見学や観光、食事、遊びを楽しみ、遊園地では絶叫系アトラクションのシートベルトが届かず、係員に助けを求めて命が助かった。卒業式では、歌手になるために、中学校では音楽と体育の授業に力を入れて取り組むことを言い残した。
中学校では、すぐに新しい友達ができるも、男子たちからいじめの標的にされ、クラスメイトの特定の男子から、執拗ないじりや配慮のない発言で通学に苦痛を感じた。授業を放棄するような行動を取ったとき、担任から体罰を受けたり、叱られたりし、1学期後半から遅刻をしたり、学校を休みがちになったりし、不登校となった。時々登校すると、クラスのいじめ男子から声をかけられ、その言葉一言一言にうつうつとしてしまっていた。学校行事には積極的に参加できたものの、教室に入ることができずに、別室登校をするようになった。双極性障がいの診断はなかったものの、今考えると、この頃もうつ症状を感じていた。
知能検査の結果、2年生から特別支援学級での支援を受ける必要があると判断され、情緒級で個別指導の授業を受けることになった。当時はみんなと同じ教室で授業を受けられないことに相当な不満を抱いていた。知的級の男子と友達以上恋人未満の関係になるも、すぐに仲違いをした。
2年生の2月末から3年生の4月下旬まで、閉鎖病棟に初めて入院し、精神状態を回復させた。それなのに、校長先生に修学旅行へ行ける精神状態ではないと見なされ、初めての東京へ行くことができなかった。校長先生はすっかり東京を楽しんできたみたいで「人をひとり置いてきて、心から楽しむなんて」と思い、相当頭にきた。
3年生の頃は、知的級の女子2人を好きになり、バイセクシャルを自認した。女性を好きになることに自身では違和感を覚えることはなかったが、他の同級生や教師に同性が好きであることを理解されなかった。好きな人や物事をどんどん好きでありたい自分なのに「隠すべきであること」として扱われた。
文化祭では、歌謡曲3曲とCMソングを歌った。自分のコンサートをしている気分になった。反応は良かったと感じた。卒業式では泣けなかった。卒業式は、友達のスマートフォンで写真撮影をした。自分のガラケーは学校に持ち込んでいなかったため、自分には思い出の写真は残らなかった。
高校受験では、面接を完璧にこなすも、面接室から出ると母が廊下で待機しており、戸を開けて面接室から出ている途中で母に声をかけてしまい「まだ面接は終わっていない」といった指摘をされた。面接室を出るまでが面接だった。
高校の入学式の前に、就労施設に入所し、そこで出会った同じ学校の男子に恋をして、すぐに付き合うも、4週間で振られてしまい、他の重度の障がい者たちに対し、執拗に話しかけ、いじめる行為をしていた。自分も中等度の発達障がいなのに、他の障がい者が気に入らず、陰湿な行動をした。彼らは自分とは違い、劣っている人だと感じ、その傲慢さが、自分より重度の人への攻撃に変わってしまったのだ。好きな人に拒絶された空虚さを埋めるために、誰かを支配したり傷つけたりすることでしか、自分の存在を確認できず、最低な方法でしか、自分の形を保てなかった。
精神科へ通院すると、双極性障がいとパーソナリティ障がいの診断がくだり、閉鎖病棟に入院し、余儀なく休学することになった。症状がとても酷く、長期の入院となった。1年の3分の1程を病棟で過ごした。退院して復学後は学校を休みがちになるも、2年生から真面目に通学し、狂ったように勉強をし、通知表では好成績を修めた。
恋多き乙女として、いろんな男子生徒に恋心を抱き、両片思いや友達以上恋人未満の関係になった。どの恋も交際には発展しなかったが、高校時代の恋で、距離感や接し方などのコツを学習した。様々な事情を抱えた生徒と共生していくことに戸惑いはあったものの、模範的な生徒として、20歳頃に卒業した。
学生時代全体を振り返って、覚えたことは、授業で学習した内容だけではなく、いろんな「社会性」を学べた。教師たちやクラスメイトたちのおかげで小学校時代は「他者を思いやる気持ち」や「優しさ」「集団生活のルール」を学べた。中学校で学べたことは、担任が国語教師で、作文や詞を書かせる機会を多く取り入れ「文章を書く楽しさ」を覚えた。いろんな教材を購入し、いろんな道具を使って作品を作ったことや、何回も購入して楽しんだ鉱石発掘キットを通して育んだ「好奇心」。漫画を描いて見せたり、人前で歌ったり、祖母の家業を手伝ったりし「誰かを楽しませる喜び」を噛み締めた。高校では、初代恋人との交際や両片思いの経験で学んだ「人との距離感」や「接し方のコツ」では、好きな人の話題をして情報が広まってはいけないことを身にしみて感じた。
特に、学生時代は、誰かと一緒にいるために、どんな態度で、どんな気遣いをし、どうやって仲良くすればいいのかを基礎的に学ぶことができ、アラサーの今でも人間関係のコツはデータ化されている。大人になってからの人間関係で、そのデータをフルで活用している。まだ足りないデータがあって、学んでいる途中だ。距離感が掴めず、離れていく人も何人もいたけど、本当に必要な人間関係だけが残る。現在は狭い人間関係だけど、今関わっている人たちをこれからも大切に思いやっていきたい。
学生時代、楽しいことだけではなく、苦しんだことも多かったけれど、学生時代の経験も含めて、全て「自分の人生」だ。当時は、うまくいかないもどかしさに、かんしゃくを起こしたり、誰かを傷つけたり、自分を攻撃したりしたけど、楽しかったこともつらかったことも、全部がいい経験をしたと今では思える。
おことわり
この物語は、自分の主観と記憶を辿り、実体験をベースに綴ったノンフィクション・エッセイです。一部、プライバシー保護のために、地名や人名、団体名、家庭事情等を伏せたり書き換えたりしています。そして、歳月の経過による記憶の断片を繋ぎ合わせています。当時の心情風景としての描写が含まれることをご了承ください。
あとがき
長かった学生時代の総評でした。私の学生時代、学んだことや苦労したことなどを振り返るとこんな感じです。
入学式で動き回ったことで、発達障がい(ASDとADHD)が見つかり、そこから発達障がいを持つ子どもとしての人生が始まりました。
1年生の頃は、自分の障がいを認識しておらず、人と違うことばかりする自分について特に違和感を覚えることもありませんでした。
特別支援学級に在籍している意味を訊いても、当時は発達障がいが有名ではなく「頭の調子が悪い人の学級」みたいなニュアンスで教えられました。
今では、ただの脳の症状や「頭が悪い」と扱われず「神経発達症」と呼ばれ「才能」や「個性」としてポジティブに扱われるようになりました。
家族は、障がいについてポジティブな印象はなく「恥ずべきもの」「隠すべきもの」「排除すべきもの」として扱います。
私は、障がいについては、今は割とポジティブに捉えるようにしています。ASDがあり、積極奇異型なので、人生で得していることも多いです。
次回からは、子ども時代を振り返るお話が3話続きます。そのあと、高校卒業後の第5章へと進みます。
作者の近況
今、第10章を生きる作者の近況。最近、障がい当事者の記事によくコメントをするようになりました。
恋愛や日常について書かれている記事にコメントします。コメントをしているのは、2人のクリエイターさんだけです。
私はあまり全部の記事にコメントするのが義務感を覚えたり、何度もコメントを送ることをどう思われているか気にしたりしてしまいます。
なので、アメーバでも、フォロワーさんにあまりコメントをしません。
積極奇異型ですが、社交的陰キャでもあり、しつこいかな、こんなこと書かなければよかったかな、失敗したな、と書き込みしたことを後悔します。
過去に、Fc2ブログやアメーバブログにコメントをして「不快な思いにさせてしまったなー」と思うことが何度もありました。
私が主に、記事にコメントをするのは、面白いと思ったときや、アドバイスしたいとき、素敵だなと思ったときです。
不必要に干渉されたり、コメントを必ずしないといけないという義務感を覚えることが負担になります。
そのため、アメーバやnote、インスタ、Xのフォロワーさんの記事に毎回コメントすることはありません。いいと思った記事にコメントします。
もちろん私の記事にコメントしてもらえるのはとても嬉しいです。勧誘や政治的・宗教的、否定的なものなど不快なコメントでない限り返信します。
私はASDとADHDと双極性障がいとパーソナリティ障がいを持っています。同じ境遇に置かれる方の光になりたいです。
最近は、アメーバであまり他の人の記事は読まないです。フォロワーさんの記事にコメントも長らくしていません。
noteクリエイターさんの「素敵だな」「アドバイスしたいな」と思った記事にはどんどんコメントしますね!
トップ画像説明と次回予告
トップの生成写真、自分はワンピーススーツなのに、背景の人たちがみんな同じスーツを着ていることに違和感を覚えます。
実際、卒業式をした場所は、学校の体育館ではなく、卓球をするための、ステージのない小さなホールでした。
次回、第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第52話 子ども時代に家族親族から贈られた物 』です。
知暖が子どもの頃に、家族や親族にプレゼントされて印象的だった物について振り返ります、
