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認定看護師の僕が、あえて看護以外の勉強をすすめる【理由】|看護師の勉強、看護だけで足りる説。……たぶん、足りません。


☀️ ☀️ ☀️


看護を深くしたいなら、看護の外にも目を向けたほうがいいのかもしれません。

認定看護師として働いてきて、最近ますます思ってることがあるんです。

それは・・・

看護師こそ、看護以外を勉強したほうがいいよってことです!( ̄^ ̄)ゞ


ちょっと変なことを言っているように、思うかもしれません。
でももう少しお付き合い願いたいです…😅

僕は通信制大学で、数学物理心理学を学び続けています。

そうすると、臨床の見え方が少しずつ変わってきました。

患者さんの変化を、どう拾うか。何を優先して考えるか。どう言えば、相手に伝わり動きやすくなるか。

看護の現場でほんとうに必要なのは、知識をたくさん持つことだけではないと、僕は思っています。

  1. その場で整理して、

  2. つないで、

  3. 組み立てる力。

こういった思考が、臨床現場を安全かつスピーディーに動かせるんじゃないかと。

で、その力の土台は、案外、看護の外にあったりします。

今回は、そんな話を整理してみます。

今回は、数学・物理の学びについての記事ですが、
何も学業だけじゃなくて、「旅」や「子育て」などなど…。
看護の外で、看護に活かせる学びをするのがいいと思うよ!
そんな意味合いで読んでもらえるとうれしいです😊


看護の勉強、ちゃんとしてる。なのに、どこか足りない。

看護の勉強、ちゃんとしてる…👌
研修も受けたりしてる…👍
本も読む…📖
わからないことがあれば、あとで調べる…🔍

そこまでやってるのに、ふとした場面で

「あれ、私まだなんか浅いかも・・・」

って思うこと、ありませんか?


たとえば、報告の場面。
患者さんの状態は観察してる。
バイタルも確認してる。

でも、いざ先輩や医師に伝える場面になると、

「何を優先して言えばいいのか」

で一瞬つまる…。

アセスメントを聞かれても、教科書の言葉は浮かぶのに、その人の今の状態に合わせた言い方になると、急に言葉がふにゃふにゃ細くなる…。

この感じ、たまにありません?


実はこれ、ちゃんとやっていないからではないんですよね。

むしろ、ちゃんとやろうとしている看護師ほど、この引っかかりを強く感じる気がします。

少し厳しい言い方ですが、看護の現場は、

▶︎ 覚えたことをそのまま出せば進む場所ではありません。
▶︎ 知識を持ってるってだけでは、少し足りない場面があります。

・その場で見たことを拾って
・いま大事なものを選んで
・相手に伝わる形に並べかえる

そのひと手間が、毎日・毎分・その一瞬で必要です。

たとえば、「38.0℃の発熱があります」だけでは弱い。「しんどそうです」だけでも足りない…。

でも本当はあなたの中で、その短い言葉の中に、

  1. 何が起きていそうで、

  2. 何を先に見ていて、

  3. 何を急いだほうがよさそうか

そこまでうっすら入っているんですよね、

だけど、頭の中がとっ散らかって、話が前に進みにくいことがある。

ここで苦しくなるんですよね。


勉強してないわけではない。
手を抜いているわけでもない。
なのに、どこかつながらない…🤔

研修で聞いたことが、翌日の受け持ち患者にそのまま橋渡しされる感じがしない。

たぶん、あなたがしんどいのは、知識が少ないことそのものより、知識が線や面でつながらないことなんだと思います。

点は持っている。
でも、線になりきらない。
だから、現場で少し迷う…。

その迷いは、外から見ると小さく見えるかもしれません。

でも、あなたはわかってるはずです。

「もっとちゃんと考えられるようになりたい」
「もっと深く見えるようになりたい」
「でも、何を足したらそこに近づけるんやろ」

そんなふうに思っているなら、もしかすると必要なのは、看護の知識をもうひとつ上乗せすることだけではないのかもしれません。

見てるもの(状態・状況)は同じでも、見方そのものが少し変わると、現場のつながり方も変わってくる。

その話を、次でしてみます。


現場でほんとうに問われるのは、“知ってる”より“組み立てられる力”だと思う。

現場でほんとうに問われるのは、

  • 「知っているか」だけでなく、

  • 「それをどう組み立てられるか」

なのだと思います。

もちろん、知識はめっちゃ大事です。知らなかったら、気づけないこともあります。見逃してしまうこともある。だからここは、大前提です。

でも、看護の現場って、あなたの知識をそのまま引き出して言えば済む、…ってことではないんですよね。

たとえば、患者さんが「なんかしんどいです」と言ったとします。

この一言だけでは、まだ広いです。

  • 呼吸なのか。

  • 痛みなのか。

  • 不安なのか。

  • 体温なのか。

  • 眠れていないのか。

  • 恋人と揉めたのか。

  • 複数の変化が重なっているのか。

ここで必要になるのは、知っている症状をただ並べることではなくて、

目の前の情報をほどいて、並べて、つなぎ直すことです。


たぶん、臨床で強い人って、ここがうまいんです。

「2年目看護師のAさん、なんとなく動けてるな」
「B先輩の報告って、なぜかわかりやすいよね」

そう見える看護師さんって、特別な言い回しを持っているというより、頭の中での組み立てが早いのだと思います。

たとえば報告でも、ただ事実を順番に言っているようで、実はその中に、

1.何が起きていそうか

2.何をいちばん気にしているか

3.だから今なにを伝えるのか

この流れが、すっと入っています。

だから聞く側も動きやすいし、話が前に進みやすい。

逆にしんどくなりやすいのは、知識がない看護師さんというより、
知識はあるのに、頭の中でつながりきらないからなんじゃないかな〜って思います。

けっこう苦しいですよね、これって。

勉強してきた。覚えてきた。でも、いざ現場になると、頭の中の引き出しがバラバラに開いちゃって、どれを先に出せばいいかわからなくなる。

ありますよね〜〜🤔


だからこそ必要なのは、看護の知識を増やすことだけではなく、
知識をどう並べて、どう意味づけるかを身につけることなんだと思います。


たとえば、「発熱している」だけで終わるのか。

それとも、

「38.2℃の発熱があって、いつもより⬜︎⬜︎の反応が鈍くて、食事量も〇%落ちている。だから〇〇感染だけでなく△△の状態変化として考えいます」

と、ここまでつながるのか。

同じ情報でも、組み立て方で見え方、伝わり方はかなり変わります。


手技のうまさみたいに、すぐ目立つものではないかもしれません。
でも、「考えの筋道がある人」は、やっぱり素晴らしいです。

報告でも、観察でも、後輩指導でも、委員会でも、看護研究でも・・・。その土台があると、言葉と行動が少しずつ変わってきます。

たぶん、あなたが探しているのも、ただ新しい看護の知識だけではなくて、【看護を組み立てる力】に近いものなんじゃないかって思います。

「じゃあ、その力はどう育てるの…?」

看護の中だけで磨かれる部分も、もちろんあります。
でも僕は、それだけでは少し足りない気がしています。

だからこそ、次の話につながっていきます。


だから僕は、看護の外を学ぶようになりました。

ここで僕が言いたいのは、看護の勉強がいらないという話ではありませ〜ん。

むしろ逆です!看護の勉強は、大前提です。ここは外せません。

ただ、そのうえで、
「もっと深く見たい」
「もっとちゃんと考えたい」
と思うこともあるでしょう。

看護の中だけをぐるぐる回るより、いったん外に目を向けたほうが見えてくるものもある。僕はそう感じるようになりました。


最初から、「これが看護に役立つはずだ」と、きれいに言葉にできていたわけではありません。

どちらかというと、現場で感じていた小さな引っかかりが先でした。


あるとき、受け持ちの患者さんがこう言いました。

「なんかしんどいんよね〜」

バイタルを測りました。異常はありませんでした。

でも、なんか引っかかる。

顔色?声のトーン?さっきまでと違う雰囲気?

複数の「なんか違う」が、ぼんやりと重なっていました。

僕はそのまま、頭の中で原因を探し始めました。

発熱の可能性。電解質異常。消化器症状。睡眠不足。不安…。

教科書で習った項目が、頭の中にリストとして並んでいく感じです。

でも、アセスメントを書こうとした瞬間、気づいてしまったんです。

「…これ、誰の言葉でもない。教科書の写しだ。」

目の前にいる、この患者さんのことを、本当に見られていたのか。 複数の変化が重なっていたはずなのに、それをひとつの「この人の今」として組み立てられていなかった。

「これでいいのかな」という引っかかりが、ずっと胸の中に残りました。

否定されたわけじゃない。怒られたわけでもない。

でも、自分の中でわかっていたんです。 表面をなぞっただけだって。


点はある。でも、線や面にならない。

そんな感覚が積み重なって、少しずつ、「看護の外にヒントがあるかもしれない」 と思うようになりました。

(社会人経験があったからそう思ったのかもしれません。)


🧮 たとえば数学

受験生のような学び方よりも、【本質の理解】に、意識をおいています。

  • 「筋道を追う」とか、

  • 「前提をそろえる」とか、

  • 「話を飛ばさずに、順を追って考える」とか・・・。

そういう頭の使い方に触れるためです。


💡 たとえば物理

難しい式より先に、何が起きているのかを分けて見る感覚が学べます。


❤︎ たとえば心理学

人の気持ちを決めつけるためではなくて、反応には理由があるかもしれないと、ひと呼吸おいて見る視点につながります。


こういう学びをしていると、不思議と看護から離れていく感じはしません。

むしろ逆で、看護に戻ってきたときの見え方が少し変わるんです。

同じ患者さんを観察していても、同じ報告をしていても、頭の中での整理のしかたが、ほんの少し変わる。

💭 「何が起きているんだろう」
💭 「どこから見たらわかりやすいんだろう」
💭 「今いちばん大事なのは何だろう」

そうやって考えるときに、看護以外の学びが、整理された棚から引き出せるようになることがあります。


何かが足りない気がする。でも、その正体がわからない。だから余計にしんどい…。

そんなとき、「もっと看護の知識を増やさなきゃ」だけでは、なんか息が詰まりません?…僕だけ?

だったら、少しだけ外の景色を見にいく。違う分野の考え方にふれてみる。

それって、遠回りに見えて、案外、今の看護を助けてくれるんですよ。

次はその中でも、数学がどうつながったのか。
そこから少しずつ書いてみますね。


数学を学んで、頭の中の“道筋”が見えやすくなった。

ここで言いたいのは、数学は答えを出すためだけのものではないということです。

少なくとも僕にとっては、計算が速くなるとか、公式を覚えるとか、そういう話だけではありません。

むしろ、数学を学ぶことで看護に活かされてるのは、

▶︎ 方針を立てる→「どこから考え始めるか」
▶︎ 条件を揃える→「何を先にそろえるか」
▶︎ 立式していく→「どう順番に追えばいいか」

そこが見えやすくなったことでした。


看護の現場って、情報がいっぺんに来ますよね。

その情報が、全部大事そうに思える。だからこそ、頭の中がゴチャゴチャしやすい。(うん、僕はめっちゃゴチャつく…笑)

たとえば、「この人、なんかしんどそう」で止まるのではなくて、

  • 今わかっている事実は何か

  • まだわかっていないことは何か

  • 先に確かめるべきものは何か

  • 話を飛ばしていないか

こうやって、順番に置き直す。この流れが、少しずつやりやすくなりました。

数学って、いきなりゴールに飛ばないんですよね。

  1. 問題から「方針」を立てて

  2. 使える「条件」を揃えて

  3. 一歩ずつつないでいく。


たとえば、報告で詰まりやすいとき。
頭の中ではいろいろ考えているのに、言葉にしようとすると散らかることってありません?
僕は、めっちゃあります。

そんなときも、数学をやっていると、

  • 「結論は何か」

  • 「その根拠は何か」

  • 「どの順番なら相手が追いやすいか」

そんな並べ方を意識しやすくなりました。


もちろん、SBARのようなツールもありますよね。
でも、そのツールをいかように使うかは、使い手の本人次第だと思うんです。

「私は」この伝え方がいいではなく、「相手」にとって「どう伝えるのが最適なのか」という視点で考えられるようになるんです。
主語が、「自分」から「相手」に変わる

これって、アホの僕の頭脳では訓練しないと、しっちゃかめっちゃかになるんです(少なくとも僕は)。
それを、数学というツールを用いて学ぶ。そんなイメージです。


アセスメントでも同じです。前は、教科書っぽい言葉を並べて終わることがありました。

  • たぶん間違ってはいない。

  • でも、どこか薄い気がする。

  • 自分でも「借り物っぽいな」と感じる。

そんな感じです。


数学と物理を学んでいくうちに、臨床での頭の動き方が少しずつ変わってきました。

以前の僕は、「なんかしんどい」という訴えに対して、頭の中で原因を「リスト」として並べていました。

発熱かもしれない。痛みかもしれない。不安かもしれない。

でも、それはバラバラのままでした。

顔色の変化も、声のトーンの変化も、食事量の変化も、それぞれ別の引き出しに入っていた。 つながっていなかったんです。


数学で学んだのは、「方針と条件を揃えてから、筋道を立てる」という考え方でした。
物理で学んだのは、「ひとつに見える出来事を、分けて見る」という視点でした。

その感覚が、少しずつ臨床に染み込んできたんです。

同じように「なんかしんどいんよね〜」と言われたとき、以前とは頭の動き方が変わっていることに気づきました。

「この人、いつもと顔色が違う。声のトーンも低い。昨日から食事量も落ちていた。」

バラバラに見ていた変化が、

「この人に今、何が起きているのか」

という一本の問いのもとに、集まってくる感覚。

複数の変化を、この1人の患者さんとしてつなげて、仮説を立てる。

以前は、それができていなかった。いや、正確には、やり方を知らなかった。

観察の「切り口」が増えたというより、バラバラだった切り口が、ひとつの方向を向き始めた。 そんな感じでした。

アセスメントが、借り物の言葉ではなくなってきた。 そう感じた瞬間でした。


もちろん、数学をやったから急に看護がうまくなる、みたいな単純な話ではありません。

でも、頭の中で情報を並べるときの土台の板みたいなものは、前より少し丈夫になった気がしています。

なんとなく、伝わるでしょうか…?

数学は、その並べ方を僕に教えてくれる感じがします。

物理・心理学についても、こういった考えのもとで学び続けて、恩恵を受けています。

(長くなるので、物理・心理学の詳細は割愛します)


学ぶ目的は、視座を高めて視野を広げること。

ここまで読むと、「じゃあ、もっといろいろ勉強しないといけないんやな」と感じるかもしれませんね。

でも、僕が言いたいのはそういう話ではありません。

ほんとうに欲しかったのは、ものの見方が変わることでした。

同じ患者さんを見ても、
同じ申し送りを聞いても、
同じ検査値を見ても、
受け取り方が前より少し変わる。

その変化のほうが、僕にとってはずっと大きくて大切なことなんです。


僕が看護以外を学び続ける「目的」と「目標」はこれです。

目的:視座を高めること目標:視野を広げること

 

もう少し具体的に言うと、

▶︎ 視座:「自分自身をどの高さから見るか」です。
(決して他人と比べるものではありません。)
▶︎ 視野:「どこまで見えているか」です。 

この2つが変わると現場の景色って、同じ場面でもけっこう意味が変わって見えるんですよ。 


▼ 今起きていることを、
目の前の一点や、その瞬間の主観だけで見るのではなく、
・少し引いて考える。
・少し別の角度から考える。
・少し時間の流れまで入れて考える。

▼ ひとつの答えに飛びつくのではなくて、
・「他の見方はないかな」
・「別の切り口はないかな」

と、ほんの少し覗く窓を増やす感じです。

1️⃣ 数学を学ぶと、
→話を飛ばさずに考えるクセがつく。

2️⃣ 物理を学ぶと、
→ひとつに見える出来事を分けて見やすくなる。

3️⃣ 心理学を学ぶと、
→反応の奥にある背景を想像しやすくなる。

どれも、そのまま看護の教科書ではありません。
でも、だからこそ看護の見え方を少し変えてくれたのだと思います。


学ぶって、何かを上に積み上げるだけじゃないんですよね。

むしろ、今まで見えていなかった横の広がりに気づくことなのかもしれません。

それに気づいてから、「何を学べばいいんやろ」という悩みが、こんなふうに変わりました。

  • 自分の見方を変えてくれそうか…🤔

  • 今の自分の視野を、少し広げてくれそうか…🤔

そんなふうに選んでもいいのだと思っています。

そうやって、別の分野の考え方にふれるたびに、頭の中に新しい窓がひとつ増える感じがあります。それが、僕にとっての「学ぶ」の意味の1つです。


視座を高めて、視野を広げる。

看護から離れたいから学ぶのではなくて、むしろ看護をもう少し深く見たいから学ぶ。そんな順番のほうが、しっくりきます。

たぶんあなたも、看護が好きだからこそ、浅いままでいたくない。
ちゃんと見たい。ちゃんと考えたい。そう思っているんじゃないでしょうか。

そう思うあなたに必要なのは、今の自分の見え方を少し広げてくれそうなものに、そっと手を伸ばしてみることなのかもしれません。

その先にある話を、

最後にもう少しだけ書いてみます。


看護を深くしたいなら、看護の外にも目を向けたほうがいいのかもしれません。

ここまで書いてきて、いちばん伝えたいことは、やっぱりこれです。

看護を深くしたいなら、看護の外にも目を向けたほうがいい(と思ってる派w)。

もちろん、看護の勉強を減らそう、という話ではありません。

看護を学ぶことは、これからも大事ですし、大前提です。現場で働く以上、外せません。

ただ、その土台の上で
「もっと深く見たい」
「もっとちゃんと考えたい」
「もっと、言葉にできるようになりたい」

そんなふうに思ったときは、看護の中だけを回り続けるより、少し外に出たほうが、見えてくるものがある気がしています。


それは別に、数学、物理、心理学でないといけない、ということではありません。

人によっては、
・歴史かもしれません。
・社会学かもしれません。
・英語や中国語など、言葉の勉強かもしれません。
・統計かもしれません。
・旅や子育てかもしれません。
・散歩で景色や空気を感じることかもしれません。

大事なのは、看護の外にある考え方が、今の自分の見方を少し動かしてくれるかどうかなのだと思います。


たぶん、まじめにやってきた人ほど、「もっと勉強しなきゃ」って、思いやすいですよね。

でもその“もっと”は、同じ方向に積み増すことだけじゃなくてもいい。

そこは、少しやさしく考えてもいいのかもしれません。

今のあなたに必要なのは、看護知識の量ではなくて、景色の見え方かもしれないからです。


だから、今もし、「看護の勉強はしてるのに、どこか足りない」
と感じているなら、看護以外の学習に目を向けるのも、ありなんじゃないでしょうか。

むしろ、そこに気づいたからこそ、次の扉が見え始めているのかもしれません。

看護を深くするヒントって、案外、看護の外に置いてあることがあると感じています。

どの扉を開けるかは、人それぞれです。楽しみですよね〜〜。


ひとつだけ言えるとしたら、

今の自分の見方を少し広げてくれそうなものに、手を伸ばしてみる。

そのくらいの考えで、十分なんじゃないでしょうか。

看護をもっと好きでいたい。
浅いままで終わりたくない。
ちゃんと考えられる人でいたい。

そう思う気持ちがあるなら、
もうその時点で、次の学びは始まっているのかもしれません。




執筆:認定看護師|ちびかん
(急性期総合病院の認定看護師/教育/研究・論文執筆に従事)
「臨床×研究の両輪」で、後輩がベッドサイドで迷わない実践にこだわっています。


🏥 さいごに


この記事がちょっとでも良かったと思ってもらえたら、スキやコメントいただけると嬉しいです。喜びます!

*️⃣ 一言コメント
*️⃣ こんなこと書いてもいいのかな〜

など、なんでも大歓迎です (^-^)v


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