患者さんの「大丈夫です」を、そのまま受け取らなくなった日。看護師として忘れられない話
「看護師と患者」
この言葉、当たり前すぎて、あまり考えたことないかもしれません。
でも、ここには毎日、いろんな感情が行き来しています。
不安。
怒り。
安心。
信頼。
後悔。
感謝。
病院のベッドサイドで、一刻一秒起きています。
この記事では、「看護師と患者」のあいだにある、見えない橋の話を書いていきます。
80代の患者さんが本当に戦っていた相手は?

看護師は、医療者です。
患者さんは、ケアを受ける側です。
たしかに立場は違いますよね。
でも、僕はいつも思っています。
これは「上と下」ではない。
「看る人」と「治される人」でもないと。
それは同じ時間を生きている、ただの人と人のつながり。
以前のことです。
夜勤の2時。
病室でナースコールが鳴りました。
患者:「なんか、眠れへんのや…」
そう言った80代の男性。
検査結果も問題ない。
痛みもコントロールできている。
でも、眠れない。
理由を聞くと、
「わし明日、退院やろ? 家に帰るのが怖いんや」
と、ぽつり。
ああ、この人はいま、「病気」と戦っているんじゃない。
「不安」と戦ってるんや。
その瞬間、看護のスイッチが変わります。
患者さんの「大丈夫です」の裏にある本音。

カンファレンスでは、こんなふうに言います。
「80代男性、心不全、ADL自立、独居。」
間違っていません。
客観的な事実です。
でも、それだけだと、その人の人生は見えない。
独居。
つまり、家で一人ぼっち。
じゃあ、食事は? 買い物は? 夜は?
「心不全」よりも、
「一人で帰るのが怖い」という気持ちのほうが、
その人にとっては大きいこともあるんです。
僕が若い頃、
「データをちゃんと見ろ」とよく言われました。
たしかに大事です。
バイタルは嘘をつきません。
でも、患者さんの表情も、嘘をつきません。
目が泳いでいる。
口数が減る。
「大丈夫です」と言う声が少し震えている。
そこに、ほんまの情報がある。
患者さんが弱くなってもいい場所。

ある患者さんがいました。
がん告知を受けた直後。
ベッドの上で天井を見つめていました。
誰が話しかけても、
「大丈夫です…」とだけポツリと言う。
でも、大丈夫なわけない。
僕は少し横に座って、こう言いました。
「大丈夫じゃない時間、ありますよね」
「僕も、僕なりに、よくあります」
その瞬間、患者さんの涙があふれました。
「誰も、そう言ってくれへんかった」
「看護師さん、忙しいのはわかってるんやけどな」
そうなんです。
患者さんは、強くあろうとします。
家族の前では特に。
だからこそ、私たち看護師が
「弱くなってもいい場所」になれるかどうか。
その大切さを学びました。
その時、僕は患者さんに救われた。

少しだけ、個人的な話をさせてください。
僕は過去に、しんどい時期がありました。
職場での人間関係でいじめられ、かなり削られていた時期です。
病院に行く前から胃が重い。吐きそう。
申し送りの時間が近づくと、心臓が変に速くなる。
家に帰っても、頭の中でその日の会話がずっと再生される。
そんな時期でした。
「もう辞めたほうがええんかな」って、何度も何度も思いました。
そのとき、ある患者さんに言われたんですよね。
「あんたは、ほんまに優しい看護師やね」
たった一言です。
でも、当時の僕には、ものすごく重く大きかった。
うまく言えないけど、
ぐらぐらしていた足元だったのが、
ちゃんと、しっかり地面を掴んで立てた感じでした。
看護師と患者。
ときに、立場をこえて支え合ってる瞬間が必ずある。
あの患者さんの一言が、今も看護を続ける力の一部になっています。
看護師と患者は、一方通行じゃない。

看護師はスーパーマンじゃありません。
忙しい日もあります。
余裕がない日もあります。
正直、イライラする日もあります。
なんなら、そんな日ばっかりです。
ナースコールが重なる。
入院が一気に来る。
記録が終わらない。
そんなとき、
「また呼ばれた…」って思うこともあります。
自戒も込めて、あります。
でも、その数分後に、
「さっきはごめんなさいね、忙しいのに」
と患者さんに言われると、胸がぎゅっと握られた気もちになる。
患者さんは、しっかり僕やあなたを見てるんです。
看護師と患者。
一方通行じゃない。
ちゃんと、お互いを見てる。
信頼は、小さな積み重ね。

信頼って、特別なことじゃないと思っています。
・目を見て話す
・名前で呼ぶ
・触れる前に声をかける
・説明を飛ばさない(急がない)
こういう当たり前の積み重ね。
ある透析の患者さんが、
毎回、僕の勤務の日を確認していました。
「今日はおるんやな」
最初は冗談かなと思ってました。
でも、ある日言われました。
「お前さんは、ちゃんと話聞いてくれるからな」
ぼく、特別なことはしていません。
ただ、5分多く座っただけ。
それだけで、「看護師ー患者間」の橋は少し頑丈なる。
看護は「与えるだけ」じゃない。患者さんからちゃんと受け取っている。

看護師が「教える側」と思っていると、
大切なものが見えなくなります。
患者さんは、人生の先輩が多いです。
仕事。
家族。
戦争。
震災。
介護。
子育て。
いろんな経験を背負っている。
ある90代の女性が、
「長生きのコツはな、意地を張りすぎんことや」と笑って言いました。
看護師としてじゃなく、
一人の人間として、響きました。
看護は、与えるだけじゃない。受け取ってもいる。
看護師として患者さんに「向き合おう」とする人に

大きなことじゃなくていいんです。
今日、
ひとりの患者さんの前で、
・いつもより3秒長く目を見る
・名前を丁寧にゆっくり呼ぶ
・「大丈夫じゃない日もありますよね」と言ってみる
それだけで、「あなたと患者さん」に橋がかかります。
看護は、技術だけじゃない。
関係でできています。
そしてその関係は、
あなたの存在そのもので作られています。
もし今日、
「うまくできひんかったな」と思う日があっても。
それでも大丈夫。大丈夫。
患者さんは、完璧な看護師を求めているわけじゃない。
ちゃんと向き合おうとする「人」を、
見ています。
看護師と患者。
そのあいだの橋を、
今日も一緒に、少しずつかけていきましょう。
あなたがそこにいるだけで、
救われている人が必ずいます。
ほんまに。
今日も、おつかれさまです。
執筆:認定看護師|ちびかん
(急性期総合病院の認定看護師/教育/研究・論文執筆に従事)
「臨床×研究の両輪」で、後輩がベッドサイドで迷わない実践にこだわっています。
🏥 さいごに

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