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第四話 カーナビ

 中央線が八王子駅のホームに滑り込んだ。ドアが開くと、月岡は階段を上り改札口を目指して歩き出した。
 周囲は学生らしき若者ばかりだった。一九七〇年代の郊外移転ブームで、土地の安かった八王子にこぞって大学が移転し、八王子市は学園都市として急成長した。少子化が進み、都心に回帰する大学も増えているが、それでもこれだけの学生が乗り入れする駅は、都心部でも珍しいといえる。
 改札口の出口で蓮本が手を振っていた。
「こんな大きい駅なのに、出口が一つしかないんだな」
「最初来た時、僕も驚きましたよ」
JR八王子駅は中央線、横浜線、八高線の三線が乗り入れている。多摩地域最大の人口を擁する八王子市の中心のターミナルだが、改札口はひとつしかない。
「自宅の最寄りは八王子駅か?」
蓮本は首を振り「隣の西八王子駅です」と答えた。
「大学の授業は終わったのか?」
「今日は二限までだったんで」
月岡は周囲を見回し「タクシー乗り場は?」と尋ねた。
「豊田方面に行くなら南口のほうが」
歩き出そうとすると、蓮本が月岡のトートバッグを掴んだ。
「やっぱり行くんですか?」
「当たり前だ。伊勢崎を吐かせる」
 メッキーのデジタルフォレンジックで、山之内と伊勢崎がつながっていることが分かった。銀行の口座をメールで送っているところを見ると、伊勢崎も山之内から動画を買っている可能性が高い。浜辺が殺された事件にも何かしら関係していると思って間違いなかった。
「伊勢崎さん、はぐらかすと思いますよ。浜辺は山之内の風俗店のサイトリニューアルを請負っていたんですよ。『浜辺が死んだから、制作料金を返金するために銀行口座を教えてもらった』と言えば、言い逃れはできると思います」
 月岡は顔をしかめた。
「それに浜辺が殺された事件に関しては伊勢崎さんが絡んでいた証拠もありません。問い詰めるには武器が少な過ぎますよ」
「じゃあどうすればいいんだ」
 月岡は苛立つ口調で言った。
「伊勢崎さんのアリバイを崩すんです」
 蓮本は掴んでいたトートバッグから手を離した。
「浜辺が殺された事件当日、伊勢崎さんは八王子駅前のコワーキングスペースにいたと証言しています。だけど、本当にそこにいたのか怪しいですよ」
「どういう意味だ?」
「ああいう場所って、みんな自分の勉強や仕事に集中しているじゃないですか。誰がいつ何をしていたかなんて、記憶が曖昧だと思うんです」
 その言い分には一理あった。月岡も出先でコワーキングスペースをよく利用するが、周囲の人の顔も服装も覚えていない。仕事に集中しているせいか、いつ隣の人が入れ替わったのかも分からないことがある。
「もう一度、コワーキングスペースを当たってみませんか」
 月岡は腕を組んで唸った。
「すでに警察が伊勢崎のアリバイを証明している。新たな証拠が出てくるとは思えない」
「それも考えたんですよ」
 蓮本が月岡の顔を見た。
「捕まった鈴木さんは、物的証拠がないのに起訴までされましたよね」
「その通りだ。逮捕の決め手になったのは鍵が見つかっただけだ。他の証拠は何も出ていない」
「ってことは、警察は最初から鈴木さんを犯人にしたかったってことだと思うんです」
 月岡は頷いた。
「そうなると、当然、伊勢崎さんのアリバイ探しは甘くなりますよね? だって、伊勢崎さんが犯人だって証拠が出てきたら、鈴木さんを逮捕することができなくなるんですから」
 蓮本は月岡に顔を近づけた。
「警察は最初から鈴木さんを犯人にしたかったんです。そう考えれば、伊勢崎さんのアリバイがあるコワーキングスペースの捜査で、大事なことを見落としている可能性は高いと思います」
 月岡は息を吐いた。事件当日にアリバイがある以上、伊勢崎は最初から「白」と踏んでいた。支援者として、家族ぐるみで鈴木の無実を証明しようとしているところも、彼を疑わなかった理由のひとつだった。しかし、山之内との金銭関係が明らかになった以上、伊勢崎のことをひとつひとつ疑ってかかる必要がある。
「分かった」月岡はスマホをポケットから取り出した。
「栗原か。忙しいところすまない。事件当日、伊勢崎がいたコワーキングスペースの住所を教えてくれないか」
 
 八王子駅北口のブリッジを渡り、地上に降りると飲食店が軒を連ねる商店街に出た。三分ほど歩くと、右手のビルの袖看板に「八王子ベース」という文字が目に入った。
「思ったよりも古い建物ですね」
 蓮本が入口を覗き込んだ。エレベーターがないことが分かり、二人は階段を上がった。三階にたどり着くと、目の前に鉄扉があり、「OPEN」という札がかかっていた。
 月岡が扉を開けた。想定していたよりも広々とした空間に、モダンなデザインの机と椅子が並んでいた。
「いらっしゃいませ」
 受付にいた高齢の男性が立ち上がった。小ぎれいなワイシャツを身に付け、白髪は丁寧に整えられていた。
「ドロップインの利用かな」
 男性が受付用紙をカウンターに出そうとしたところで、月岡は名刺を差し出した。
「ウェブニュースでライターをやっている者です。少しお話を伺いたいのですが」
 男性は黒縁眼鏡を上げて、細い目で名刺を見た。
「記者さんか」
 月岡は周囲を見回すと、顔を近づけた。
「こちらを利用されている、伊勢崎豊さんをご存じでしょうか?」
 男性は「ああぁ」と言った後、「ちょっと待ってください」と、受付に『ただいま離席中』という案内札を出して、少し離れた壁際にあるガラス張りの小さな個室に入っていった。
「こちらへどうぞ」
 部屋には四人掛けのテーブルと椅子があった。男性は軽く頭を下げると、「ここの責任者をやっている古橋と申します」と名刺を出した。「どうぞお座りください」と言われ、月岡と蓮本は奥の椅子に腰をかけた。
「上恩方町であった事件のことですよね」
 立て続けに二人が死んだ事件だけあって、連日、新聞やテレビで取り上げられていた。古橋は「伊勢崎さんも会社の社長がお亡くなりになられて」と、表情を曇らせた。
「伊勢崎さんをご存じなんですね」
「ご存じも何も、彼はこの八王子ベースの立ち上げから手伝ってくれた人なんですよ」
 古橋はテーブルの上で手を合わせた。
「このビル、私が所有しているものなんです。でも、ご覧の通り古いビルでエレベーターがない。そのせいで三階に借り手がつかずに悩んでいたところ、伊勢崎さんが働いていた工務店から、コワーキングスペースの利用を提案されたんです」
 月岡は以前、伊勢崎が工務店でホームページ制作の仕事をしていた話を思い出した。
「コワーキングスペースなら、設備投資も少なくて済むし、人手もいらない。料理を出すわけでもないので、掃除も最小限で済む。これはいいと思って、伊勢崎さんに壁紙選びから家具の配置まで、すべてお任せでプロデュースしてもらったんです」
「じゃあ、パソコンや無線LANなんかも」
 蓮本の問いかけに古橋が頷いた。
「もちろんです。伊勢崎さんは現場の仕事のほうが好きだったみたいで」
 古橋はガラス越しにコワーキングスペースを見回した。
「その後も、伊勢崎さんはうちの月額会員になられて、週に二、三回のペースで利用しています。事件当日も、あの奥の席で仕事をしていました」
「伊勢崎さんの姿を見られたんですか?」
 古橋は「いや」と首を横に振った。
「私は見ていません。見ていないというか、月額会員はノーチェックで自由に出入りできるので、受付に人がいなくても利用できるんです」
「でも、受付が不在だったら、飛び込みの客が来たら対応できないじゃないですか」
 古橋は「それが大丈夫なんですよ」と、受付を指差した。
「お客さんが来たら、ブザーを鳴らしてもらうようにしているんです。私の自宅はこの上の階にあるので、すぐに降りて対応することができるんです。今日みたいに用事があって、受付に私が座っているケースのほうが稀なんです」
 古橋は二人の顔を見た。
「こういうスタイルで仕事ができるようになったのも、伊勢崎さんのおかげなんですよ」
 古橋は「あそこを見てください」と天井を指差した。
「セュリティカメラ、ですか」
 蓮本が目を凝らした。
「伊勢崎さんが、ここのオープンの時に設置してくれたんです。おかげで、コワーキングスペースにずっといなくても、中の様子は自宅にいながら確認することができるようになりました。私のような老人には、ありがたい設備ですよ」
「じゃあ、伊勢崎さんが事件当日、コワーキングスペースにいたというのも」
 古橋はコクリと頷いた。
「セキュリティカメラのレコーダーに、伊勢崎さんの姿が映っていたんです。朝九時から席に座って、熱心に仕事をされていました。警察もその動画を確認しています」
 事件当日の四月十六日、浜辺が殺害されたと思われる推定時刻は午前十時三十分頃。八王子駅前のコワーキングスペースで仕事をしていた伊勢崎のアリバイは、これで成立することになる。
「動画を見せてもらうことはできますか?」蓮本が言った。
「さすがに個人情報だから無理ですよ」
 先ほどまで穏やかな顔をしていた古橋の顔が、急に険しくなった。
「警察ならまだしも、マスコミの方に見せるわけにはいきません」
 蓮本が月岡を見た。〝なんとかしろ〟という表情だったので、月岡は真正面に顔を向けた。
「実は……今、伊勢崎さんが真犯人として疑われているんです」
 古橋は目を見開いた。
「二人目の被害者が出た後、どうやら風向きが変わったみたいで」
「伊勢崎さんは、そんなことをする人じゃありません」
古橋は声を上げた。
「現に、セキュリティカメラに彼の姿が映ってる」
 月岡は「私もそう思います」と冷静な口調で言った。
「だから、私は伊勢崎さんが無実である特集記事を書こうと思っているんです。そのためには、どうしてもセキュリティカメラの映像を見なければ、真実を書くことはできません」
 月岡は古橋の顔をじっと見つめた。
「大丈夫です。セキュリティカメラを見たなんて原稿には書きません。そのあたりはうまく誤魔化します」
 古橋は唸った。呼吸を一旦整えた後、「分かりました」と、席から立ち上がった。部屋から出て行く後ろをついていくと、蓮本が顔を近づけてきた。
「できるだけ時間を稼いでください」
 月岡はコクリと頷くと、古橋の後ろを小走りで追いかけた。
 三人は受付のカウンターの中に入った。古橋は席に座り、ノートパソコンのキーボードを叩いた。画面にはファイルが表示され、クリックすると複数のサムネイルが立ち上がった。
「四月十六日は、この映像です」
 古橋がカーソルを動かした。蓮本が「ちょっといいですか」と、月岡の横をすり抜けてパソコンの前に移動した。動画を再生すると、画面にコワーキングスペースの室内が映し出された。
「あそこの隅に座っているのが伊勢崎さんです」
 窓際の奥の席に大柄な男がいた。画像は荒れていたが、横顔は明らかに伊勢崎だった。
「間違いないですね」
「言った通りでしょ」
古橋はほっとした表情を浮かべた。月岡が横で頷いていると、パソコンを触っている蓮本のつま先が自分の足に当たった。目を向けると、顎をしゃくっている。もっと話を引き延ばせということか。
「ところで古橋さんは、八王子のご出身なんですか?」
「生まれも育ちも八王子です」
「ということは、このあたりの地主さんなんですね」
「いえ、それが違うんですよ」古橋は頭を掻いた。
「ビルが私のもので、土地は借地権で別の人が所有しているんです」
 月岡が「ほーっ」と、大げさに声を上げた。
「借地権の物件はちょっと面倒ですね」
「自由にビルを売却することもできないし、建て替えるにも、地主の許可が必要なんです」
「銀行もいろいろうるさいですからね」
古橋は「よくご存じで」と頷いた。
「簡単にはこのビルを担保にお金を貸してはくれないんですよ」
「でも、お住まいが一緒のビルですから、いろいろと経費で落とせるところもあるんじゃないですか?」
「まぁ、そういう利点もあるんですけどね」
 月岡は蓮本を見た。コクリと頷いたので、作業は終わったのだろう。
「どうもお手数をおかけしました」
 月岡の言葉に、古橋は「疑いが晴れて良かったです」と表情を和らげた。
 二人はビルを出ると、八王子駅に向かって歩き出した。
「収穫はあったか?」
「ありましたよ」蓮本は月岡に顔を向けた。
「一日だけ、動画が抜けていました」
 月岡が「どういう意味だ?」と首を傾げた。
「レコーダーの日付がズレていたんです」
 月岡は足を止めた。
「四月十日のレコーダーの動画は、本当は四月九日のもので、四月十一日に記録されているものは、四月十日のもので……と、こんな感じで一日ずつ前の日に映像の日付がズレていました」
「そうなると、事件当日の四月十六日の動画は――」
「前日の四月十五日のものです」
 蓮本はスマホを取り出し、カレンダーを見た。
「この二日間の天気、僕、たまたま覚えていたんですよ。事件の前日の四月十五日は、大雨で教授が大学に急に来れなくなって休講になったんです。で、次の日の四月十六日、つまり、事件のあった日はうって変わって晴天になって、ゼミでお花見のイベントがあったんです。濡れた地面にシートを敷いて散々だったことを記憶しています」
「つまり、事件前日が雨で、事件当日は晴天ということか」
 蓮本は頷くと、コワーキングスペースのあったビルを指さした。
「あの天井に吊り下げられていたセキュリティカメラの角度から、辛うじて商店街を歩く人達の姿が映っていました。事件があった四月十六日は晴天にも拘わらず、映像には傘をさして歩いている人が映り込んでいました。おそらく、前日の四月十五日の雨の日の映像なんだと思います」
「そうなると、事件当日の、本当の四月十六日の映像は?」
「おそらく四月十七日に映っている映像が十六日のものです。そして、その日の映像には……伊勢崎さんの姿は映っていませんでした」
 月岡が目を細めた。
「さっき、僕が『一日だけ動画が抜けていた』といったのは、事件後の四月十八日の動画でした。十八日の動画だけが保存されておらず、十九日からカウントされて保存されています。ずっと一日ずつズレ続けていたら、古橋さんもさすがに気づきますからね。どこかで帳尻を合わすために、四月十八日分の動画を削除して、四月十九日から元に戻したんだと思います」
 警察も事件当日の映像はチェックするものの、事件後の映像は意味がないから観ていない可能性が高い。鈴木を犯人として立件したい事情もあって、セキュリティカメラの動画を細かくチェックすることを怠ったのだろう。
 しかし――月岡は頭の中には、新たな疑問が浮かんだ。
「なぜ、伊勢崎はレコーダーの日付を変えることができたんだ? パソコンやセキュリティカメラを設置したのは伊勢崎だけど、IDやパスワードまでは分からないだろ」
 蓮本は「分かりますよ」と、しれっとした口調で答えた。
「古橋さんがセキュリティカメラにログインする時、見てました?」
 手元までは見ていなかった。
「IDとパスワードを僕らの前で打ち込んだんですけど、両方とも『password』でした。おそらく最初に設定したときと同じものです。高齢者に不規則な英数文字を覚えさせる方が、無理がありますよ。最初の設定からパスワードを変えていない人なんてたくさんいますからね」
 蓮本はゆっくりと歩き始めた。
「あとは相手のパソコンの中に入って、遠隔操作でレコーダーの日付を変えるだけです。要領はこの間、野村社長のパソコンをハッキングしたやり方と同じです」
 二人は八王子駅につながるブリッジの階段を上がった。眼下にロータリーが広がり、バスとタクシーがせわしなく行き交っていた。
「これからどうしましょうか」
蓮本が手すりに手をかけた。
「伊勢崎さんのアリバイが崩れましたよ」
「そうだな」
月岡は目を合わせなかった。
「メールの記録から、伊勢崎さんが山之内から何らかの動画を買ったのは事実です。しかも、浜辺が殺された日にアリバイがないということは、この動画で浜辺とも何らかの金銭トラブルが起きていた可能性は高いと思います」
 月岡は無言のままだった。
「お子さんが生まれるの、いつでしたっけ」
 息が詰まりそうになった。秋穂と由紀恵の嬉しそうな顔が頭に浮かんだ。
「僕らのやっていることって、本当に正しいことなんですかね」
 蓮本がじっと顔を見た。
「隠そうとしていることを暴きまくって、結果、一番幸せそうだった家族を壊そうとしているんですよ」
「お前が楽しいって言ってたことだろ」
 二人は沈黙した。しばらくすると、蓮本が口を開いた。
「認知症ってあるじゃないですか」
「なんだよ。突然」
 蓮本は「黙って聞いてください」と、話を続けた。
「高齢になると、記憶が曖昧になることって、実は生物にとって都合のいいことなんじゃないかと思うときがあるんです。記憶が曖昧になることで、隠したいことや言いたくないことを忘れることができるんです。嫌なことをゆっくりと忘れられるって、死に向かって生きる人にとって幸せなことだと思うんです」
 月岡は「哲学的だな」と呟くように言った。
「これって、へんな考え方ですかね」
「面白いよ。だけど、その理屈だと、一緒に良い記憶も忘れてしまう」
「それでいいんだと思います。良い記憶か悪い記憶かなんて、本人すらも良く分かっていない状態ですから」
 蓮本は言葉を繋いだ。
「僕らがやっていることは、幸せな人を不幸にすることになるかもしれないけど、曖昧な記憶やデータを炙り出して正しい方向に導いていくという意味でいえば、間違っていないと思うんです。それが仮に本人が嫌がっていることだったり、その人の記憶から消えてなくなりそうなことだったりしたとしても、真実はひとつしかないから、変えようがありません」
 月岡は「それもそうだな」と答えた。
「間違っていることをやっていない以上、突き進むしかないと思います」
 蓮本は強い口調で言った。月岡は一息つくと「どのみち、もう引き下がれないからな」と静かに言った。
「これからどうしますか?」
「山之内との線もつながったし、浜辺の事件にも絡んでいることが分かった。伊勢崎を自白させるしかないだろ」
 その言葉を聞いた蓮本が「あっ」と口元に手を当てた。
「どうした?」
少し間を置いてから、「ダメだ」とぼそりと言った。
「もうひとつ証拠が必要です」
 月岡は首を傾げた。
「コワーキングスペースにはいなかったとしても、浜辺の家に行った証拠がありません。それを証明しない限り、警察も動いてはくれませんよ」
 蓮本の言い分はもっともだった。すでに鈴木は起訴されている。それを覆すためには、確固たる真犯人の証拠を見つけ出さなければいけない。
「伊勢崎さんって、車乗ってましたよね」
 月岡は伊勢崎の家に行った時、駐車場に新型のミニバンが停まっていることを思い出した。
「デジタルフォレンジックのひとつに、『自動車フォレンジック』という分野があるんです」
「カーナビのデジタルデータか?」
「それ以外にもドライブレコーダーの画像解析や、事故を起こした時のセンサーが作動した記録、エアバッグが開いたタイミングなどの解析も行います。分かりやすく言えば、自動車版のフライトレコーダーみたいなもんです」
 蓮本は月岡のほうに顔を向けた。
「もし、伊勢崎さんの車のカーナビが入手できるのなら、内蔵しているHDDを分析して、走行軌跡を復元できるかもしれません。事件当日、浜辺の家に車で移動しているのが確定すれば、言い逃れはできないと思います」
 月岡はなるほど、と思った。しかし、すぐに「いやいや」と首を横に振った。
「カーナビを分析するのは無理だ」
「なぜですか?」
「考えてもみろよ。伊勢崎の車からカーナビだけ抜き取るわけにはいかないだろ」
 蓮本は「あ、そうか」と、自分の頭に手を置いた。車を持っていない学生なので、そのあたりのイメージがつかなかったのだろう。
「次に車を乗り換えない限り、カーナビを調べるのは無理ですね」
 蓮本の言葉に、月岡の心の中がザワッとした。
「どうしました?」
月岡は少し前の伊勢崎との家の前での会話を思い出した。
『車、買い替えたんですか?』
『そろそろ家族が増えますから』
 伊勢崎の駐車場に停めてあった、年式の古いブルーのハッチバックの車が頭の中に浮かんだ。
 
 月岡の車好きは、物心ついた頃からである。
父親が自動車を趣味としていたこともあって、小さい頃からモーターショーや車のレースに足繁く通っていた。父親にはいつも好きなミニカーを買ってもらい、部屋は車のポスターと雑誌で溢れ返っていた。
大学生になり、周囲の友達が教習所でオートマ限定の免許を取る中、月岡はマニュアルの免許を取得した。アルバイトを三つ掛け持ちし、お金を貯めて初めて買ったのが中古のマツダ・ロードスターだった。自然吸気の一六〇〇ccのエンジンは、決してハイパワーと呼べるものではなかったが、マニュアルで後輪駆動を操る面白さは、月岡をさらに車の“沼”へと引きずり込んでいった。アルバイト代はすべてガソリン代とパーツ代に消え、週末は箱根の峠道に夜な夜な繰り出すのが日課となった。
 就職活動の際、自動車関連の企業で働くことも考えた。しかし、好きな車は趣味のままにしておきたいと思い、自動車メーカーが取材できる東京経済新聞社に就職した。
 その後、月岡の生活には、常に車があった。沙羅と結婚した時に一度だけオートマのミニバンに乗り換えたことがあったが、それ以外はすべてマニュアル車に乗っていた。今のゴルフのスポーツタイプの「GTI」も、その流れで買った車だった。
 趣味が高じて、月岡は人の乗っている車を一目で覚えてしまうところがある。伊勢崎が以前に乗っていたブルーの古いハッチバックの車は、走りにこだわる中高年に人気の車種だ。フロントグリルが交換されていたので、おそらく伊勢崎も相当な車好きなのだろう。
 一方、ハッチバックの次に乗り換えたミニバンは、街でよく見かけるファミリーカーだった。カスタマイズは一切されていない。しかし、以前乗っていた車と同メーカーと考えると、同じディーラーで車を購入し、乗り換えた可能性は高いといえた。
 ネットで調べると、そのメーカーのディーラーは八王子市内に一軒しかなかった。伊勢崎が今のミニバンを購入した際、乗っていた車を下取りに出していれば、カーナビを入手することができるかもしれない。
 月岡は甲州街道沿いの自動車ディーラーに出向いた。店頭にはフロントガラスにプライスボードのついた中古車が並び、ショールームではテレビCMで流れている新型車が展示されていた。
 月岡が駐車場に車を停めると、三十代の営業マンらしい男が「いらっしゃいませ」と声を張り上げて駆け寄ってきた。
「今日はどのようなご用件で」
圧迫感のある大きな顔だった。月岡は軽く会釈をすると、ショールームに入り、一番手前にあったミニバンを指差した。
「これをちょっと考えていて」
 営業マンは「かしこまりました」と、月岡を奥のブースに案内した。
 複数のカタログを手渡され、展示車を前に一通り説明を受けた。二十分ほど試乗車に乗り、降車後にゴルフの下取り価格を知りたいと申し出た。
「査定に三十分ほどお時間を頂きますが」
月岡が構いませんと答えた。営業マンは「頑張らせて頂きます!」と、わざとらしいガッツポーズを作り、ショールームの奥に消えていった。
少し時間を置いてから、営業マンがメーカーの名前の入ったティッシュ箱を持って現れた。
「試乗された方へのプレゼントです」
 月岡は「どうも」と受け取った。たわいない車の話をした後、そういえばと話を切り出した。
「伊勢崎さんってご存知ですか?」
 営業マンは首を捻った。月岡が「日野市の、豊田団地の」と付け加えると、「あぁ」と大きな口を開いて手を叩いた。
「はいはい、知ってます。僕のお客さんです」
 月岡の勘は当たった。
「今日は彼の紹介で来たんです」
「それは、それは。ありがとうございます」
「彼、最近、車を乗り換えたじゃないですか。カッコいいなと思ってね。それで聞いたら、こちらのディーラーを紹介してくれたんです」
 営業マンは深々と頭を下げた。
「そうなんですよ。ちょっとお急ぎだったので、他の店から展示車を回してもらって、すぐに納車させてもらったんです」
 営業マンはカタログを広げて「この色です」と指差した。
「前の車は、どうされたんですか?」
「うちで引き取りました」
 月岡は「へー」と適当な相槌を打った。
「こう言っちゃなんですが、車好きの伊勢崎さんらしかったですよ」
「どういうことですか?」
「永久抹消してくれって言ってきたんです」
 月岡は「永久抹消?」と訊き返した。
「自分の大事にしてきた車に、他の人が乗るのが嫌だったらしいんですよ。それで、オークションにも店頭販売にも回さず、そのまま解体屋に持っていって処分してくれって言ってきたんです」
「珍しいケースですね」
「実はそうでもないんですよ。案外、車好きの中には、永久抹消の要望をしてくる人が多いんです。ちょっと下品な言い方ですが……車に対して、自分の彼女みたいな強い思い入れがある人って結構多いんです」
 月岡は、伊勢崎が秋穂に見せる異常な執着を思い出した。彼なら自分の車を永久抹消するだろうと思った。
「そうなると、伊勢崎さんが前に乗られていた車は?」
「ご要望の通り、解体屋に出しました」
 オークションに流れれば、全国のどこに車が買い取られていったのか分からなくなる。しかし、解体屋であれば、そこまで遠いところまで車は運ばれていないはずだ。
「どこの解体屋ですか?」
 営業マンは「えっ」と驚いた顔をした。
「なんでそんなこと聞くんですか?」
 不用意な質問だったか。
「私も車が好きなんで、解体屋ってどんなところかと思いまして」
 月岡はテーブルの上の麦茶に手を伸ばした。ちらりと営業マンの顔を見る。先ほどまであった笑顔が消えていた。
「すみません、さすがにそこまでは教えられないんです」
 営業マンの笑顔が、作り物っぽくなった。
「伊勢崎さんのお友達ということは、職場か何かのお友達ですか?」
 今度は月岡が質問を受ける側になった。
「知人の知り合いって感じです」
「よくお会いになられるんですか?」
「ええ、月に二、三回ぐらいは」
 営業マンは「そうなんですね」と、じっと月岡の顔を見た。
「見積りができました」
 女性の事務員が声をかけてきた。月岡は心の中でほっとした。営業マンは見積書を手に取ると、すっと机の上に差し出した。
「申し訳ございません。お客様のお車はマニュアル車だったので、そこまでいいお値段がつきませんでした」
 丁寧な言葉遣いだったが、営業スマイルはすでに消えていた。
「そうですか」
 これ以上、伊勢崎の情報を聞き出すのは無理だと思った。月岡は見積りを見ながら、「また出直してきます」と、席から立ち上がった。
 
 自宅に戻ったのは、日が暮れた夕方過ぎだった。
解体屋の名前を聞き出すことはできなかったが、八王子市内の業者である可能性は高いと思った。遠すぎると頻繁にディーラーに足を運ぶことができなくなるし、車両の運搬費用も高くつく。最近の解体業者は、ネットでパーツを販売しているところも多く、交通の便が悪すぎる山奥では、商売が成り立たなくなってきている。
 月岡はカレンダーを見た。七月十五日。解体屋が車を保管するのは長くても二週間ぐらいだろう。暑気払いで伊勢崎の家に行ったのが七月四日で、その頃にはミニバンに乗り換えていたことを考えれば、すでに解体されていることも考えられる。残された時間はそう長くはないと思った。
 月岡はパソコンの電源を入れると、グーグルマップを立ち上げて、検索窓に「八王子市 自動車解体」と打ち込んだ。左側に検索結果に自動車解体業者が一覧で表示され、地図上にはマーカーが二十個ほどついた。その中から住宅の解体業者やネットで車を買い取る専門業者を除き、最終的に十社に絞った。
 月岡はその十社の解体屋の住所と電話番号をエクセルの表にまとめて一枚の用紙に印刷し、一軒ずつ電話をかけはじめた。先ほど行った八王子市内のディーラー名を口にして、取引の可能性がありそうだったらその理由をメモし、身に覚えがなさそうであれば、その横に×印をつけていった。
 愛想の悪い電話対応が続く中、六件目の解体屋で、向こうから「いつもお世話いなってます」と、まともな反応が返ってきた。
「先日、持っていってもらったハッチバックの車がありましたよね」
 月岡はかまをかけた。
「ハッチバック?」
電話口の男は、間の抜けた声を発した。
「フロントグリルが少し変わった奴で」
 電話口の男は「あー、あのブルーの車ね」と言った。
「その持ち主が、助手席のグローブボックスの中に忘れ物をしたらしくて」
 月岡はそう言いながら、パソコンの画面に映し出された地図を見た。
「四十分ほどで到着できると思いますが、今から取りに行ってもいいでしょうか」
「今からですか?」あからさまに嫌がる声だった。
「お客様が、どうしてもと言ってまして」
 男は「ちょっと待ってください」と、電話を一度保留にした。十秒ほどすると、「七時までには来てくださいね」と、ぶっきらぼうに電話を切った。月岡は印刷したリストの『小阪工業』に丸を付けた。その用紙をトートバックの中に放り込もうとしたとき、机の上のスマホが勢いよく鳴った。画面をみると〝沙羅〟という文字が表示されていた。
「今、大丈夫?」
「少しだけなら」
「栗原先生から連絡があったの。彼、やっぱり釈放されないみたい」
 電話口から嗚咽が聞こえてきた。
「警察は山之内の自殺と浜辺の殺害は別と考えているらしいの」
 月岡の中では想定内のことだった。状況証拠だけで強引に起訴まで持ち込んだのだから、警察もそう簡単には鈴木を釈放しないだろう。鍵も見つかっていないので、場合によっては山之内と鈴木を共犯に仕立て上げる可能性もある。
「どうしよう」
 本音を言えば「知るか」だった。
元をたどれば、浮気した沙羅の貞操観念の低さが原因だ。頼る相手が他にいないのは理解できるが、ここにきて前の夫に泣きつくのはいくらなんでも虫が良すぎる。
「仕方ない」
 月岡の口から不意に出た言葉だった。
「彼は何もしていないのよ」
「それは分かってる」
「このままじゃ殺人犯になっちゃう」
「まだ判決が出たわけじゃない」
「でも、新たな証拠は何にも見つかっていないわ」
 月岡はスマホを強く握りしめた。
「俺を責めてるのか?」
 沙羅が黙った。
「こっちだって全力でやってんだよ!」
「何言ってるの? そんなつもりで言ったんじゃないわ。あなたには今回の件でものすごく感謝しているのよ」
 月岡は「どうだか」とつぶやいた。
「お前が家族をぶっ壊してまで追いかけた男の無実を、俺はボランティアで解決してやってんだぞ」
「それは痛いほど分かっている」
「分かってない!」
 二人の間に沈黙が流れた。
「あなたには申し訳ないことをしていると思っているのよ」
 先に口を開いたのは沙羅だった。
「身勝手だとも思っている」
「その通りだ」
「だけど、それを承知であなたに頼ったの。あなたなら、なんとかしてくれると思っているから」
 言葉が返せなかった。
前の夫に頭を下げてもいいぐらい、沙羅は鈴木のことを愛しているのだ。これなら身勝手で薄情な女のほうが、まだ罪は軽い。この真っすぐで正直すぎる性格が、彼女の魅力でもあり、そして時にはナイフのように鋭く心の奥底をえぐってくる。
「ごめんなさい」
 沙羅の声が震えていた。月岡は腕時計を見た。時間がない。
「続きは今度だ」
 電話を切る気配がなかった。
「大丈夫だ。なんとかなる」
「ホントに?」
「真犯人の目処がついた」
 無責任なことを口走ったと思った。
「まだ名前は言えない。今から、決定的な証拠を取りに行く。それが一段落着いたらまた連絡する」
 月岡は「そういうわけだから」と、電話を切ろうとした。「待って!」と大きな声が聞こえてきた。
「なんだよ」
「気を付けて」
 言葉が見つからない。
「信じてるから」
 月岡はふっと笑って、電話を切った。
 クローゼットから工具箱を取り出すと、再び腕時計に視線を落とした。沙羅からの突然の電話で、約束の時間に到着するのが難しくなった。
 月岡は蓮本が西八王子駅近くで一人暮らしをしていることを思い出した。そこからタクシーで飛ばせば、小阪工業に約束の時間までに到着できる。
 月岡は蓮本の携帯を鳴らした。
「なんですか」
ぶっきらぼうな声が返ってきた。
「伊勢崎のカーナビの場所が分かった」
「マジですか」
「今から解体屋に行く。だけど、約束の時間に遅れそうなんだ。悪いが先にタクシーで現地にいってくれないか。タクシー代は後で払う」
電話の向こう側から「住所を教えて下さい」と声が聞こえてきた。月岡は解体屋のリストに書かれた小阪工業の住所を伝えた。「先に伊勢崎の車を探しておいてくれ」と車種と車の特徴を言って電話を切った。
月岡はトートバックに懐中電灯と工具箱を押し込み、玄関から飛び出した。車に飛び乗りエンジンをかけた。
二つ目の信号で停車している時、助手席に置いてあったスマホが鳴った。横目で見ると〝沙羅〟という文字が目に入った。
運転中なので電話に出ることができなかった。やがて着信音は止み、車の中に静けさが戻った。それと同時に、月岡は小阪工業の住所を書いた用紙を机の上に忘れてきたことを思い出した。取りに戻ろうと思ったが時間がない。場所はなんとなく覚えている。大きく道に迷うことはないだろう。
信号が青に変わった。月岡はそのタイミングでクラッチを繋ぎ、アクセルを思いっきり踏み込んだ。


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竹内謙礼 好きをたくさん押してくれたら取材して続きを書きます。足りなければ書くのは止めます。でも書きたいから押してね♪