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第五話 手紙

 甲州街道沿いにある古い住宅街を抜けると、景色が抜ける河川敷に出た。ライトをハイビームに切り替え、真っ暗闇の荒れた舗装を進む。しばらく走ると、目の前に自動車がうず高く積み上げられた景色が現れた。
 入口には「小阪工業」と看板が掲げられていた。敷地内に入るとセンサーが車両に反応し、一斉に投光器の明かりが周囲を照らした。眩しさに目を細めながらその先に視線を移すと、二階建てのプレハブ小屋が見えた。同時に作業服の中年男性が扉を開けて飛び出してきた。
「遅いよ。困るよ、まったく」
 月岡は周囲を見回した。蓮本はまだ到着していないようだった。
「こっちだって用事があるんだよ」
「すみません」
「例のブルーの車、あっちにあるから」
 男は左側を指差すと「あとは勝手に探してくれ」と、停めてあった軽ワゴンで走り去っていった。
 蓮本の到着を待とうと思ったが、先に車を探したほうがいいと思い、山積みになった自動車の山に向かって歩き出した。投光器のセンサーからはずれたのか、敷地内が暗くなった。月岡はリュックから懐中電灯を取り出し、明かりを頼りに歩を進めた。
 スマホの着信音が鳴った。表示を見ると沙羅からだった。電話に出ようとしたところ、プツリと切れて画面に充電のマークが映し出された。
 月岡は昨日からスマホの充電をしていないことを思い出した。最近はバッテリーの持ちが悪く、スマホが一日持たないことが度々あった。
 沙羅は何の用で電話をしてきたのか。ふとさっきの会話が頭の中をよぎった。
『それを承知であなたに頼ったの』
 沙羅にとって大切なのは今の旦那だ。前の夫を踏み台にしてでも鈴木を助け出したい沙羅の健気な気持ちが、余計に胸を締め付けた。
 月岡はスマホをバッグの中に放り込むと、積み上げられた車の間を歩き出した。しばらくすると、比較的、手入れが行き届いている車のエリアに出た。部品取り車として使えるのか、他の車のように積み上げられておらず、車間を詰められて丁寧に駐車されていた。
 月岡は一台一台に懐中電灯の明かりを向けた。真ん中あたりでブルーのハッチバックが目に留まった。明かりを近づけると、フロントグリルが伊勢崎の自宅のガレージで見たものと同じだった。
 鍵は開いていた。どうせ解体されることが決まっている車なので、月岡は遠慮なく隣の車にドアをぶつけながら、運転席に滑り込んだ。
 ダッシュボードの中央にカーナビが取り付けられていた。マイナスドライバーでインパネを取り外し、カーナビを強引に引きずり出すと、無数の配線が飛び出してきた。再び取り付けるものではなかったので、ニッパで乱暴にコードを切断していった。
 カーナビを片手に持ち、車から出た。車両と車両の狭い隙間からすり抜けると、目の前に人の気配を感じた。後ろポケットから懐中電灯を取り出し、山積みになった車を照らす。数メートル先で蓮本が姿を現した。
「遅いぞ」
 月岡が近づいていった。蓮本の顔は硬直したままだった。月岡はもう一度、懐中電灯の明かりを向けた。
「動くな」
 蓮本の後ろにクロスボウを構えた伊勢崎が立っていた。目は大きく見開き、まっすぐ月岡の顔を見つめていた。
「ディーラーの営業マンから連絡があったんだよ。俺の車を探している不審な奴がいるって。解体屋の名前を聞き出して、先回りしたら、彼が現れた」
 トリガーにはしっかり指がかかっていた。クロスボウを頭に突き付けられながら蓮本は「ごめん、しくじった」と小声で言った。
「カーナビを渡せ」
 月岡は動かなかった。
「俺だって本当はこんなことしたくないんだ」
「そいつは関係ない。解放してやれ」
「うるさい!」
 伊勢崎は大声で叫んだ。ぎこちない足取りでゆっくりとこちらに向かって歩き出した。
「浜辺を殺したのはお前なのか」
 月岡が切り出した。伊勢崎は足を止めて一呼吸置いた。
「あいつは殺されて当然の奴だったんだよ」
「友達じゃなかったのか」
「黙れ!」伊勢崎がクロスボウを構え直した。
「あいつは俺がやっと掴んだ幸せを壊そうとしたんだよ」
 伊勢崎は蓮本の首元を乱暴に掴みながら、前に進んだ。
「お前に俺の気持ちなんか分からないだろ」
 月岡は表情を変えなかった。
「俺は秋穂と結婚してやっと幸せを掴んだんだ。お前らなんかよりも幸せの重みが全然違うんだよ。それをぶっ壊されそうになったら、全力で守るのが夫として当たり前の行動だろ」
 周囲が静まり返った。
「山之内を殺したのもお前なのか」
 伊勢崎の顔に笑みが浮かんだ。
「ああ、俺がやったよ。あいつもクズ人間だ。浜辺と一緒で、秋穂と俺がようやく掴んだ幸せを潰しに来たんだ」
「自首しろ」
「それ以上言うな!」
 クロスボウの先端が蓮本から月岡に向いた。その瞬間、蓮本が身をかがめて走り出した。それを見た月岡は懐中電灯を伊勢崎に勢いよく投げつけた。伊勢崎が左手で顔を覆った隙に、蓮本の手を掴んで一緒に走り出した。
「待て!」
 叫び声と同時に、クロスボウの矢が車のボディに当たる音が聞こえた。二人は山積みになった車の間を縫うように駆け抜けた。二回目の金属音が聞こえてきたのと同時に、滑り込むようにワンボックスの横に身をかがめた。
「矢はどのくらいあった?」
「矢筒には十本以上あったと思います」
 月岡は「冗談じゃない」と舌打ちをした。
「どこだぁ!」
伊勢崎の罵声が暗闇の中に響き渡った。車両に反射してどの方向から声が聞こえてくるのか分からない。
「逃げても無駄だぞ」
 砂利を踏みつけて走り出す音が聞こえてきた。月岡は唾を飲み込んだ。
「行くぞ」
 蓮本の手を握り締めて地面を蹴り込んだ。車が積み上げられた隙間をすり抜けると、入口にあったプレハブ小屋が視界に入った。その向こうに月岡の車が見える。
「走るぞ」
足を踏み出した。その瞬間、センサーに反応した投光器の光が周囲を明るく照らした。
 右手で強い光を覆いながら目を細めた。横にいた蓮本が「あっ」と声を発した。プレハブ小屋の前にクロスボウを構える伊勢崎が現れた。
「先回りか」
二人は踵を返して反対方向に走り出した。後ろから伊勢崎の雄叫びが聞こえてくると、同時に蓮本の口から「ぎゃっあ」と大きな悲鳴が聞こえ、目の前で倒れ込んだ。
「うわああああぁ!」
 蓮本が悶絶しながら転げ回った。月岡がその動きを強引に止めて両手で身体を抱きかかえた。生暖かい液体が手にまとわりつく。視線を落とすとジーパンの隙間から血が溢れ出ていた。クロスボウの矢は刺さっていなかったが、腿の肉はえぐれていた。
「動くな」
ゆっくりと矢を仕込みながら近づいてきた。
「逃げたお前らがいけないんだ」
 伊勢崎の額からは汗が吹き出し、顔は小刻みに震えていた。
「こんなことをやって何の意味がある」
「お前らを殺せば、俺は秋穂のことを守ることができる」
「お前が人殺しになることを秋穂さんは望んでいないだろ」
 抱きかかえていた蓮本が表情を歪めながら「うあぁあ!」と悲鳴を上げた。
「早く救急車を呼んでくれ」
「うるさい!」
 周囲の車両に伊勢崎の声が反響した。
「お前らが事件を深追いしなければよかったんだ。そうすれば、予定通り鈴木が犯人でこの事件は終わったんだ」
 伊勢崎がゆっくりと歩き出した。腰につけた矢筒が揺れて、中にある鉄製の矢がカタカタと音を立てた。
「悲しむのは秋穂さんだけじゃないぞ」
 月岡が言った。
「また由紀恵さんを一人ぼっちにしたいのか」
 伊勢崎の動きが止まった。投光器のタイマーが切れて周囲が暗くなる。暗闇の中にぼんやりと伊勢崎の姿が浮かび上がった。
「取引をしないか」
 伊勢崎が静かに言った。
「このままいけば鈴木が犯人だ」
 月岡は状況が呑み込めなかった。
「浜辺を殺したのは鈴木で、山之内は自殺だ」
「……黙っていろってことか」
 伊勢崎は頷いた。
「悪い取引じゃない。鈴木が有罪になれば、沙羅さんも千鶴ちゃんも、あんたのところに戻ってくる」
 ずっと頭の中によぎっていることだった。鈴木が殺人犯として収監されれば、再び三人で暮らすことができるかもしれない。沙羅とは嫌いで別かれたわけではない。千鶴だって自分のことを好いてくれている。鈴木さえいなくなれば、家族をまたイチから作り直すことができる。
 月岡の強張っていた手から力が抜けていった。千鶴と動物園に行ったときの映像が蘇る。沙羅の泣いた顔が頭の中をよぎった。二人を守ってやれるのは自分しかいない。
「僕は……警察に言いますよ」
 絞り出すような声で蓮本が言った。
「黙っていてもメリットがないですからね」
 伊勢崎の表情が変わった。
「ここで僕が殺されたら、自宅のパソコンを警察がフォレンジックにかけると思いますよ。そしたら、今までの事件の経緯をまとめたデータが出てくる。伊勢崎さんが捕まるのは時間の問題です」
「お前らを殺した後に、パソコンもぶっ壊せばいい」
 蓮本は「壊しても無駄ですよ」と半笑いで言った。
「データはすべてクラウドで管理されているんです。大学の研究室でも栗原先生の事務所でも、同じデータが見ることができます」
 伊勢崎が顔をひきつらせた。
「データは絶対に消えません。真実はひとつしかないんです。目を覚ましてください」
「黙れ!」
 伊勢崎がクロスボウのトリガーに指をかけた。
 その時、入口から勢いよく一台の車が飛び込んできた。目の前で急ブレーキをかけて停まった。
「伊勢崎さん、ここまでにしよう」
 運転席から栗原が飛び出してきた。
「警察にはもう連絡した。これ以上は止めたほうがいい」
 伊勢崎は茫然とその場に立ち尽くした。栗原はゆっくりと近づき、手に持っていたクロスボウを取り上げた。
 後部座席のドアから沙羅が出てきた。月岡と目が合うと「バカ!」と叫んで走り出した。
「なんで電話に出ないのよ!」
 勢いよく月岡の胸に飛び込んできた。
「死んだらどうするのよ」
 沙羅が顔を上げた。大粒の涙がこぼれ、唇が震えていた。反射的に抱き寄せると、手に入れかけたものがすり抜けていった思いが蘇り、余計に沙羅への愛おしさが増していった。
 
 数台のパトカーが駆けつけ、伊勢崎に手錠がかけられた。蓮本は後から来た救急車に乗せられ、栗原と沙羅と月岡の三人は現場に残された。
「ひとつ聞いていいか」
 沙羅は「なによ」とぶっきらぼうに答えた。
「なんでここに俺がいることが分かった」
 横にいた栗原が「連絡があったんだよ」と答えた。
「月岡が電話に出ないって沙羅さんから連絡があってね。それで二人でお前の家にいったら、この紙が机の上にあったんだよ」
 栗原が、〝小坂工業〟に丸をつけた解体屋リストをポケットから取り出した。
「犯人の決定的な証拠を掴んだって言っておきながら、電話がつながらないのはおかしいって沙羅さんが言い出して、それでここに駆けつけたんだよ。そしたら、この状況だろ。すぐに警察を呼んだけど、待っている状況じゃないと思って、それで飛び込んでいったわけだ」
 月岡は「なるほど」と呟いた。
 一人の警察官が駆け寄ってきて、栗原に声をかけた。「ちょっと行ってくる」と、その場から走り去った。
「もうひとつ聞いていいか」
 月岡は沙羅の顔を見た。
「どうやって俺の部屋に入った」
 部屋に入らなければ解体屋リストの用紙を手に入れることはできない。しかし、沙羅も栗原も月岡の部屋の鍵を持っていないのに入ることができた。
 沙羅は、「分からないの?」と首を傾げた。
月岡は記憶を辿った。そういえば、最初に沙羅が自分の家に相談をしにきた時も、勝手に家の中に上がり込んでいた。
「どうやって俺の部屋に入った」
 月岡は同じ質問をした。沙羅は大きなため息をつくと、腰に手を当てた。
「部屋の鍵の場所を知っているからよ。鍵をなくしても大丈夫なように、あなたは昔からガスメーターのところに予備の鍵を置いておくじゃない。そのクセは結婚していた頃と変わっていないわ」
 沙羅はスカートのポケットから鍵を取り出した。
「戸締りはしてきたから」
 月岡は眉をひそめ、じっと渡された鍵を見つめた。頭の中に、浜辺が自宅のポストの中を弄る光景が浮かんできた。
 
 西八王子駅前にある東多摩病院は、十五階建てのオフィスビルのような病棟だった。月岡は最上階の個室の扉をノックすると、中から「はーい」と声が聞こえてきた。
 病室の奥のベッドで蓮本が横になっていた。
「学生のくせに個室か」
「栗原さんが手配してくれたんですよ」
月岡はフルーツの盛り合わせをテーブルの上に置いた。
「明日、退院ですよ」
「気持ちの問題だ」月岡は椅子に腰をかけた。
「すまなかったな」
「何がですか?」
蓮本はきょとんとした顔をした。
「ケガだよ」
「あぁ、これね」蓮本は腿のあたりを指差した。
「事件に巻き込んだ俺の責任だ」
 月岡は頭を下げた。それを見て蓮本がゲラゲラと笑い出した。
「何がおかしいんだよ」
「そんなこと気にする人なんですね」蓮本は口元を押さえた。
「当たり前だ」
「ゴロツキも人の子ですね」
 月岡は顔を赤らめると「黙れ」と、掛け布団の上から下半身のあたりを手で叩いた。蓮本は「いててっ」と足を両手で抑えた。
 月岡は立ち上がり、病室の窓のカーテンを開けた。眼下には戸建てが広がり、その向こうに秩父山地の稜線が見えた。
「伊勢崎から手紙が来たんだ」
 月岡は「弁護についた栗原から渡されてね」と、手紙を蓮本に手渡した。
「お前宛の手紙でもあるから、一応、目を通しておいてくれ」
 月岡はゆっくりとベッドの横にある椅子に腰を掛けた。
 
『月岡様・蓮本様
 この度は当方の身勝手な行動により、双方に大変辛い思いをさせてしまったこと、心よりお詫び申し上げます。特に蓮本君に至っては、足に大けがを負わせてしまったこと、言葉でお詫びできるようなことではありませんが、まずは深く深く頭を下げさせて頂きます。この件に関しては、栗原弁護士を通じ、最善の形で責任を取らせて頂きます。本当にこの度はご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。
 お二人は、私が浜辺と山之内を殺した真犯人であることについて、さぞかし驚かれたかと思います。また、栗原先生をはじめ、沙羅さん、妻の秋穂、そして母も、想像もできないほどのショックを受けていることだと察しています。
 私にいろいろ訊きたいことが沢山あるとは思いますが、ご存じの通り、今は自由が効かない身です。しかし、事件の解明に向けて動かれたお二人には、どうしてもこの事件の真相を知ってもらいたいという思いがあり、手紙という形でお伝えすることにしました。どうかお許しください。
浜辺はご存じの通り、風俗店のホームページを作る仕事をしていました。そこで山之内が経営する『クリスタル女学院』のホームページをリニューアルする仕事を請負うことになり、浜辺は山之内から、風俗嬢の写真を提供してもらうことになりました。
しかし、手違いで過去に働いていた風俗嬢の写真がそこに紛れ込んでしまいました。八年前に系列の高円寺の風俗店で働いていた、妻の秋穂の写真が出てきてしまったのです。
秋穂は両親と折り合いが悪く、高校卒業後、すぐに都内のキャバクラで働き、そこで男に騙されて大きな借金を作りました。それを返すために、二年ほど高円寺の風俗店で働いていたのですが、それが偶然にも、山之内の経営していた『クリスタル女学院』だったのです。
秋穂と何度か顔を合わせていた浜辺は、その風俗嬢が秋穂本人であることにすぐに気づきました。浜辺は私に写真を見せてきて、口外しないことを条件に、金を頻繁に無心するようになりました。
 私は結婚する前、秋穂に風俗店で働いていたことを打ち明けられていました。私はそれを承知の上で、彼女と結婚しました。しかし、そのことが世間に知られることは、秋穂やこれから生まれてくる子供にとって、良いことではないと判断しました。ネットを熟知している浜辺のことなので、どこかの口コミサイトに書き込む可能性もありました。私は言わるがまま、お金を浜辺に渡すことを選びました。
 しかし、お金を要求する頻度が次第に増え、六回目の借金の申し出の時に、初めてお金を渡すことを拒否しました。その際、私は浜辺に『写真は加工した偽物だ』と言いました。
 もちろん、私は秋穂が風俗店で働いていたのは知っていたので、あの写真は本物だという確信は持っていました。でも、私には虚勢を張ってでも、浜辺の要望を断るしか方法がありませんでした。
 しかし、この発言が、逆に浜辺の心を捻じ曲げてしまいました。浜辺は山之内に連絡を入れて、秋穂が働いていた頃の他の写真はないかと相談しました。山之内はすぐに話に乗ってきました。おそらく一緒になって私を強請ろうと思ったのでしょう。そして、パソコンの中に保存してある過去の風俗店の画像データを調べ、その当時、秋穂の顔出しの動画があることを見つけ出しました。
 浜辺はその動画データを、山之内から風俗嬢の取材とセットにして十万円で買い取ることにしました。そして、山之内はその動画をUSBメモリにダウンロードし、ヒメゾウを同行させた風俗店の取材の際、浜辺に手渡しました。
浜辺は私を呼び出し、秋穂が風俗嬢だった頃の動画を見せてきました。そして、動画を手に入れた経緯を説明し、そのデータが入ったUSBメモリと引き換えに、百万円を要求してきました。
動画であれば、もう誤魔化しが効きません。私は浜辺にお金を払う決心を固めました。しかし、浜辺は百万円にくわえて、秋穂を抱かせろと私に言ってきたのです。
「もともと風俗嬢なんだから、問題ないだろう」
 浜辺のこの言葉を聞いて、私は彼を殺すことを決意しました。お金を脅し取られるだけであれば我慢はできましたが、秋穂は私がようやく見つけた大切な人です。気立ても良く、見ているだけで心が安らぐほどの美人で、私の人生の中で唯一、自分のことを一人の男として認めてくれた女性です。彼女のためなら命だって捧げてもいい。彼女に一生添い遂げたい。そんな大好きな秋穂を見下している言葉だけは、どうしても許すことができませんでした。
 それからというもの、私は毎日のように浜辺の殺害を考えるようになりました。そこで目をつけたのが、浜辺に金を貸している鈴木の存在でした。鈴木が犯人として疑われるように浜辺を殺害すれば、真っ先に金を貸している鈴木が疑われると考えたのです。
 私は浜辺に、『鈴木を自宅に呼びだして、空き巣の罪をかぶせれば、お金を返さなくて済む』と持ち掛けました。鈴木が車から降りた隙に私が自宅の鍵を仕込み、『家にあったお金が盗まれた』と警察に届ければ、浜辺の自宅の鍵を持っていた鈴木が疑われるというのが、私の作ったシナリオでした。浜辺は鈴木に借金を返す当てがなかったので、すぐにこの話に乗ってきました。
 私はコワーキングスペースでアリバイを作り、その日は裏山に車を停めて山道を下り、浜辺の自宅の裏庭に隠れていました。鈴木が車を停めた隙に鍵を仕込み、家の物陰に身をひそめていました。
 そして、鈴木が立ち去った後、自宅に上がり、背後から浜辺に近づき、持っていたスパナで撲殺しました。机の上を見ると、以前、秋穂の動画を見せてもらった時にパソコンに挿入されていた黄色いUSBが目に入ったので、それを抜き取りポケットに入れました。
 その後はご想像の通りです。浜辺のキーケースについていた鍵をはずし、施錠して現場から逃げました。鍵は途中の川に捨てました。そうすることによって、浜辺を殺した犯人を鈴木に仕立てることができました。
 そんな私が、鈴木の冤罪の支援をしていることに、お二人は不思議に思ったことでしょう。しかし、私は疑いの目が向けられるのが怖くて、あえて、鈴木の支援をすることで、警察の目をそらすことにしました。母に頼んで、球子の介護を続けてもらったのもそのためです。お二人が事件の核心部分にどんどん近づいていることに動揺しましたが、それを隠すために、事件解決にむけて協力するふりをして、私は情報を提供し続けました。
 
 浜辺を殺したことで、全てが解決すると思いました。しかし、その後、お二人が『クリスタル女学院』にたどり着いたことで、山之内は浜辺の死を知ることになりました。山之内は浜辺から事前に私の連絡先を聞いていたらしく、電話で動画を買い取るよう要求してきました。当然、浜辺殺しのことも疑ってきました。
 ここで山之内を殺さなければ、一生、食いものにされると思いました。いずれ山之内も浜辺と同じように、秋穂を抱かせろと言ってくるはずです。私はここで山之内も殺害することを決意しました。
 山之内には動画の買い取りと、浜辺殺害の口止め料として、五百万円を支払うことを約束しました。山之内は口座を指定するメールを送ってきましたが、警察の足がつくかもしれないから現金で渡したいと申し出て、彼を浜辺の自宅に呼び出しました。真っ暗な部屋で背後から近づき、首に紐をかけ、柱にひっかけて引っ張り上げました。
 これが今回の事件の全容です。
浜辺を殺したのは鈴木ではなく私です。そして、山之内は自殺ではなく、私が殺しました。
 しかし、頭がおかしいと思われるかもしれませんが、私は彼らを殺したことに、一片の悔いもありません。人の隠したい過去をほじくり返し、それをネタにして欲望の赴くままに動いた彼らは、生きる資格のない人間です。天に代わって私が成敗したとすら思っています。
 しかし、私を信じていた妻の秋穂と母には、本当に心の底から申し訳ないと思っています。特に秋穂は、自分が風俗店で働いていたことから起きた事件ということもあって、強い責任を感じていると思います。
 そして、鈴木に罪をかぶせたことで、沙羅さんと千鶴ちゃんにも辛い思いをさせてしまったこと、さらには、事件解明に向けて動いてくれた月岡さん、そして、私の狂気のせいで、大けがを負ってしまった蓮本君には、この場を借りて、深くお詫びしたいと思います。
 おそらく、私には長い刑が科せられると思います。二人の命を奪っているので、場合によっては極刑になるかもしれません。もうお会いすることができないかもしれませんが、判決が出るまでは、できる限り、手紙や面会によって、関係者の皆様には謝罪をしていきたいと思います。
 この度は本当に本当に申し訳ありませんでした。
 
 伊勢崎豊』
 
 蓮本は手紙を閉じると、病室の天井を見上げた。
「そういうことだ」
 月岡は手紙を取り上げると、丁寧に折りたたんでポケットに入れた。
「情状酌量の余地はあるんですか?」
「そのあたりは栗原がうまくやってくれる」
 蓮本が顔を向けた。
「ひとつ気になった一文があるんですが」
 月岡が「なんだ」と首を傾げた。
「『人の隠したい過去をほじくり返し、それをネタにして欲望の赴くままに動いた』って、もしかして、僕らのことですかね」
 月岡はふっと口元を緩めた。
「そうかもしれないな」
 蓮本は「やっぱりなぁ」と深く息を吐いた。
「ちょっと真面目な話、してもいいですか?」
 月岡は頷いた。
「デジタルフォレンジックって、隠したいデータを表にさらけ出して、それで罪を問う仕事じゃないですか。あれって殺された浜辺や山之内がやっていたことと変わりませんよね」
「そうかもしれないな」
「やっぱりそう思いますか」
「でも、それを言うんだったら、俺のやっている仕事はそれ以下だ。人が隠したいことを取材して、それをネタにして相手をゆする。金がとれなかったら暴露もするし、金さえもらえれば、嘘の記事だって書く。山之内や浜辺のやっていたことよりもたちが悪い」
 月岡は蓮本の顔を見た。
「秘密を隠したい人がいれば、それを暴露したい人もいる。人間の欲望がある限り、この需要と供給のバランスは永遠になくならない。ネットニュースも、デジタルフォレンジックも、ゆすりもたかりも、全てがその欲望の上に存在している」
「何が言いたいんですか?」
 月岡は「今はうまく言えない」と首を振った。
「一つだけ言えるのは、俺たちのやっていることは、人の欲望を掘り起こす仕事だ。そう考えれば、世の中に必要な仕事なんだと思う」
「地味な仕事ですね」蓮本がそっぽを向いた。
「もし、俺たちみたいな奴らがいなかったら、秘密は表に出てこない。そうなると裏の世界があぶりだされないから、息が詰まる世の中になる」
 蓮本は「詭弁ですよ」と笑った。
「ひどい言い訳です」
「そう。幼稚な言い訳だ。でも、そう思わないと、自分のやってることが許せなくなって、生きていくのが辛くなる」
 月岡は席から立ち上がった。
「退院したら、何かお礼をしなきゃな」
「いいですよ、無理しなくて」
「遠慮するなよ。欲しいもんがあったら言ってみろ」
「何もないです」
 月岡は「あっ」と声を上げた。
「クリスタル女学園に連れてってやるよ」
「はあ?」
 蓮本が声を上げた。
「昨日、ヒメゾウから連絡があって、例の猿顔の男が山之内の後を継いで同じ店名で風俗店を再開したらしいんだよ」
「今度会ったら殺されますよ」
「大丈夫、そこはヒメゾウがなんとかしてくれるそうだ」
 月岡は蓮本の肩に手を回した。
「足が使えなくても、手が動けばなんとかなる。退院するまでに、クリスタル女学院のホームページ見て、タイプの子を選んでおけ」
 月岡は蓮本の頭をポンと叩くと、「じゃあな」と、病室から出て行った。
 
 月岡は病院のエレベーターホールの前に立っていた。降下ボタンを押して待っていると、高齢の女性と看護師の女性の二人が後ろに立った。
「おばあちゃん、忘れものない?」
「ないよ」
「ほんとに?」
「あんた、しつこいねぇ」
 エレベーターのドアが開いた。月岡は先に乗り込み、開閉のボタンに指を乗せた。
「一階でいいですか?」
二人に声をかけた。看護師が頷くと、高齢の女性が「ありがとう」と頭を下げた。
 エレベーターが下りていく中、再び看護師が「本当に忘れものないわよね」と声をかけた。
「だから、大丈夫だって言ってんじゃろ」
「心配なのよ。前もそう言って、病室に介護保険証、忘れてきたじゃない」
「今日は持ってきとるよ」
 高齢の女性は巾着袋から介護保険証を取り出した。
〝健康保険証〟は知っていたが、〝介護保険証〟は初めて耳にする言葉だった。気になって振り返ると、高齢の女性と目があった。
「この看護師は、私のことすぐに疑うんだよ」
「疑っているんじゃなくて、心配しているのよ」
「同じことじゃ」
 高齢の女性は、月岡に「なぁ」と同意を求めた。月岡は笑いながら、手に持っていた介護保険証に目をやった。
「それは……」
 咄嗟に出た言葉だった。
あまりにも小さな声だったので、看護師と高齢の女性の耳にも届かなかった。月岡も何を言いたいのか頭の中で整理できなかったが、黙って見過ごしてはいけないということは、直感として脳に伝わっていた。
 扉が開いた。看護師が「ありがとうございます」と頭を下げた。二人はゆっくりとエレベーターから降りて行く。我に返った月岡は、閉まりかけた扉に体をぶつけながら、「ちょっと待ってください!」と走り出した。高齢の女性と看護師が、驚いたように振り返った。
「その介護保険証、もう一度見せてくれませんか」
 唐突過ぎる月岡の問いかけに、高齢の女性はぽかんと口を開けた。
 
 伊勢崎の自宅の駐車場からミニバンが動き出した。運転席の秋穂は左右を確認すると、ゆっくりとハンドルを切った。
月岡はその光景を見届けると、伊勢崎の自宅に近づき、インターホンを押した。しばらくすると扉が開き、由紀恵が姿を現した。
「ごぶさたしています」
 月岡は頭を下げた。
「この度は、いろいろと――」
 それ以降、由紀恵の言葉は続かなかった。声は明らかに疲れ切っていた。想像していた以上に顔もやつれている。
「おあがり下さい」
 月岡は促されるまま、自宅に入った。
 席に着くと、由紀恵はコーヒーか紅茶かを尋ねてきた。月岡がコーヒーと答えると、「インスタントになって申し訳ないんだけど」と、お湯を沸かし始めた。
 湯気が立つコーヒーをテーブルに置くと、由紀恵は再び頭を下げた。
「本当にごめんなさい」
 月岡は「とんでもないです」と手を左右に振った。
「息子が人を殺めるなんて」
 由紀恵が首を垂れた。いつもはきっちりセットされているグレイヘアも、この日は整っていなかった。
「月岡さんは、あの子から直接事情を聞かれたんですか?」
「手紙をもらいました」
 由紀恵はポケットからハンカチを取り出した。月岡はコーヒーを飲みながら話を続けた。
「秋穂さんの様子は?」
「気丈に振る舞ってます。今度は私が頑張る番だって」
「そうですか」月岡がため息をついた。
「息子にはどのくらいの罪が問われるのでしょうか」
「今はなんとも言えません。多少の情状酌量はあるとは思いますが」
 由紀恵が肩を落とした。月岡は一呼吸置いてから「実は――」と顔を上げた。
「手紙を読んで気になっていることがあるんです」
 二人の視線があった。
「伊勢崎さんの手紙には『キーケースについていた鍵をはずし、施錠して現場から逃げました』と書かれていました。でも、僕は伊勢崎さんが、鍵を持っていなかったんじゃないかと思っているんです」
 由紀恵が首を傾げた。表情の動きを読み取りながら、月岡はゆっくりと話し始めた。
「浜辺の自宅の鍵は三本しか存在していません。一本は鈴木の車の中に仕込んだもの。もう一本は訪問介護の人に預けていたものです。そして、最後の一本は、浜辺のキーケースにつけてありました」
「その鍵を、息子が持ち出したんですよね?」
「その通りです。ただ、それはあくまで、キーケースに自宅の鍵がついていた場合の話です」
 月岡はコーヒーカップを握っていた手を、テーブルの上に置いた。
「私もずっとキーケースに自宅の鍵がついているものだと考えていました。それがなくなったのだから、犯人が持ち出したと考えるのが普通です。しかし、ちょっと見方を変えてみることにしたんです」
「見方を変える?」
「ええ、鍵は最初からキーケースについていなかったんじゃないかって」
 由紀恵の表情が一瞬、硬くなった。それを見過ごさなかった月岡は、トートバッグの中から複数枚の写真を取り出した。
「浜辺の自宅の隣で、畑仕事をしている方の軽トラックのドライブレコーダーの映像の写真です。エンジンをかけながら停めるクセがある人で、偶然、浜辺の姿がそこに映っていたんです」
 月岡はその中から一枚の写真を取り出した。
「ポストに手を突っ込んでいますよね? 私も最初は浜辺が郵便物を探していると思ったんです。でも、次の写真を見てください。手に何か持っています」
 もう一枚の写真には、浜辺が郵便ポストから手を引いているところが映っていた。
「これだけだったら、何を持っているのか分かりません。そこで、デジタルデータに詳しい蓮本君にお願いして、ドライブレコーダーの画像を拡大してもらったんです。それが、この写真になります」
 月岡はもう一枚の写真を机の上に置いた。その画像には、手に何かが握りしめられていた。
「これ、なんだか分かりますか?」
 由紀恵の顔がこわばった。
「鍵です。おそらく自宅の鍵だと思います。実は私も、スペアキーをガスメーターのところに置くクセがあるんです。若い頃に鍵を紛失して、家に入れなくなったことがあったので、それ以来、人目のつかないガスメーターのところに、鍵を隠しておいておくのが習慣になってしまったんです」
 月岡は喉の渇きを覚えた。再びコーヒーに手を伸ばし、話を続けた。
「浜辺も、おそらくポストの隙間にスペアキーを置いていたんでしょう。でも、いつしかスペアキーを使って鍵を開けることのほうが習慣になってしまい、鍵を持ち歩かなくなった。そのほうが紛失する心配がないですし、あんな照明のない暗い玄関口で、鍵を探すことのほうが面倒だったりしますからね」
 月岡は由紀恵に視線を向けた。
「今、栗原が浜辺の自宅に向かっています。おそらくポストの中から、自宅の鍵が出てくるでしょう。そうすれば、鈴木さんの車に仕込んだ鍵が一本、介護士に渡した鍵が一本、そして、ポストの鍵が一本と、すべての鍵が揃うことになります」
 月岡は身を乗り出した。
「キーケースには、最初から鍵はついていなかったんです。浜辺が伊勢崎さんに渡したのは保管していたスペアキーで、それを鈴木の車の中に仕込んだ。つまり、伊勢崎さんの手紙に書いてあった『施錠して現場から逃げました』というのは、嘘になる」
 二人の間に沈黙が流れた。由紀恵が自分のコーヒーに手を伸ばす。一口つけると、ゆっくりと顔をあげた。
「でも、その話はちょっとおかしくありませんか?」
 月岡は表情を変えなかった。
「だって、浜辺さんの自宅には鍵がかかっていたんですよね? その理屈だと、家の鍵をかけた人がいなくなりますよ」
 由紀恵の問いかけに、月岡は頷いた。
「その通りです。でも、伊勢崎さんは鍵を持っていない。そうなると、鍵をかける方法はひとつしかない」
 月岡は一呼吸して、喉に力を入れた。
「家の中から、球子さんが鍵をかけるんです」
 由紀恵は即座に「それは無理です」と声を上げた。
「球子さんは寝たきりなんですよ。人の手を借りなければベッドからも起き上がれません。それに――」
 月岡は「由紀恵さん」と、言葉を遮った。
「球子さんは身体が不自由で、認知症を患っています。だから、鍵をかけることもできない。でも、それはあくまで、寝たきりの球子さんの場合のみです」
 由紀恵は目を見開いた。
「もし、浜辺の自宅にいるのが球子さんではなく……あなただったらどうでしょうか」
 月岡は由紀恵の顔を見た。
「どういう意味でしょうか」
声がわずかに震えている。
「由紀恵さんだったら、歩いて鍵も閉められます。それに、油断した山之内に背後から近づいて、紐を首にひっかけることも可能です」
 月岡は短く息を吐いた。
「山之内はかなり用心深い男です。いくら伊勢崎が男だからといっても、よほど隙を見せない限り、首に紐を巻き付けることはできません。しかし、この家には寝たきりの高齢の女性しかいないと思えばどうでしょうか。おそらく、背後には相当な隙を作ると思います」
 由紀恵は俯いたままで動かなくなった。月岡は「全ての辻褄が合うんですよ」と言葉を強めた。
「ケアマネージャーの由紀恵さんなら、介護者への面談も、介護サービスの引継ぎ作業も、すべて自分でやることができます。球子さんと面識のある介護士を外して、代わりに由紀恵さんのことを球子さんだと思い込んでくれる初対面の介護士を連れてくれば、誰も二人が入れ替わっていることに気づかない。海外に住んでいる球子さんの長女も、全て介護を由紀恵さんに任せっきりだし、仲も悪いから日本に帰ってくる可能性も低い」
 月岡は窓の外に顔を向けた。
「仮に近所の人や親せきに顔を見られたとしても、みんな気づきませんよ。高齢者の顔や姿なんて、ほとんどの人が覚えていない。息子が亡くなって、少しやつれて顔つきが変わった程度にしか思いません」
 月岡は再び視線を由紀恵に向けた。
「介護保険証ってご存知ですよね?」
 由紀恵は表情を変えなかった。
「先日、蓮本の病院に見舞いに行ったときに、偶然、エレベーターに居合わせた女性から、介護保険証を見せてもらったんです。そしたら、その保険証には顔写真を貼るスペースがなかったんです」
 月岡が目を細めた。
「介護保険証は、介護サービスを受ける上で必要なものです。それがなければ、そもそも介護を受けることができません。でも、顔写真がなければ、本人であるかどうか判断ができなくなります。つまり、由紀恵さんが球子さんのふりをしても、誰も気づくことなく、介護サービスを受け続けることが可能になるんです」
 月岡は姿勢を正した。
「球子さんは、どこにいるんですか?」
 由紀恵は動かなかった。
「答えてください。そうしないと、私はとても恐ろしいことを口にしなければいけなくなります」
 月岡は顔を突き出した。
「球子さんは――すでに死んでいるんじゃないですか?」
 由紀恵の瞳孔が開いた。
「替え玉殺人が発覚するのは時間の問題です。球子さんと由紀恵さんの指紋を調べれば、こんな簡単なトリック、すぐに見破られますよ」
 窓から日が差し込み、外から鳥のさえずりが聞こえてきた。
「……仕方なかったのよ」
 放心した表情で、由紀恵は顔を上げた。
「事件のあった日、私は初めて息子から、浜辺の理不尽な要求を受けている話を聞いたのよ。秋穂さんを守るために、浜辺を殺す覚悟ができていると本人から聞いて、居ても立ってもいられなくなったの。私は息子より先に家を出て、タクシーで浜辺の自宅に向かったのよ。その時は浜辺を殺す前に、息子を止めようと思っていたの」
 由紀恵は月岡と目を合わさず、遠くを見つめながら話し続けた。
「息子が鈴木さんの車に鍵を仕込んでいる隙に、私は浜辺の自宅に入ったの。そしたら、ちょうど浜辺が背を向けて本棚を組み立てていたのよ。私はすぐにこの場から逃げるよう、彼に伝えようとしたの」
 由紀恵の頬が強張った。
「でも、私はそのことを伝えなかったわ。彼の後ろ姿をみて、息子がこんなに苦しんでいるのに、なぜ、この人はのうのうと生活しているんだという怒りが込みあげてきてしまったの。その時、私が代わりに浜辺のことを殺せばいいと思ったの。浜辺が憎かったし、彼を殺さなければ、永遠に息子は脅し続けられると思ってね」
 月岡は天を仰いだ。
「周りを見回すと床に落ちているスパナが目に入って、それで思いっきり浜辺の頭を殴りつけたの。そしたら、そのまま倒れて、動き出しそうだったから、怖くてまた思いっきり叩いて……何度も繰り返していたら、動かなくなって」
 由紀恵は気分が高揚してきたのか、声を震わせ始めた。
「怖くなってすぐに逃げようと思ったの。でも後ろから人の気配がして、振り返ると隣の部屋から球子さんが這って部屋の中に入ってきたのよ」
 由紀恵の顔から力が抜けていった。
「球子さんは、浜辺が死んでいるのを見て、大きな悲鳴を上げたわ。私、慌てて、口を押えたの。それでも声を出すから、力任せに口を塞いだら、そのまま動かなくなったの」
 月岡は目をつぶった。
「息子は悲鳴を聞きつけてすぐに駆けつけてきたわ。二人が死んでいるのを見て、とても慌てていた。でも、なぜか私は冷静になっていたの。どうしてかしらね」
 由紀恵は口元を歪めた。
「球子さんの死体を隠すために、息子と二人で裏山に遺体を運んで、穴を掘って埋めたわ。その時は球子さんを遠くの老人ホームに預けたことにすれば、時間稼ぎはできると思ったのよ。浜辺の死体だけを残して、鍵をかければ、あとは鈴木さんが犯人だと決めつけられて、すべてが解決すると思った」
 話しているうちに罪の意識が薄れたのか、由紀恵は次第に饒舌になっていった。
「でも、うまくいかないものね。どんなに探しても自宅の鍵だけが見つからなかったの。散らかっているとはいっても、そんなに広い家ではないし、持ち物だって多くない家よ。でも、鍵をかけなければ、鈴木さんが殺人犯として疑われなくなる」
 由紀恵は、月岡の顔に視線を向けた。
「その時、息子に提案したのが、替え玉だったのよ。私は息子を家から出すと、浜辺の自宅に鍵をかけたの。そして、球子さんの寝間着に着替えて、布団に入ったのよ。隣の部屋には、私が殺した浜辺の死体があったわ」
 由紀恵は笑った。
「あとは月岡さんの想像通り。息子が山之内を呼び出して、私が背後から近づいて首に紐をかけて、柱に引っ掛けて二人で引っ張り上げたわ。息をしていないのを確認して、スーツのポケットに、私が浜辺を殺したときのスパナを入れたの」
 由紀恵と月岡の目があった。
「私、怖くなかったのよ」
「何がですか?」
「隣の部屋に浜辺や山之内の死体があっても。ぐっすりと眠ることができたの。なぜだか分かります?」
 月岡は首を振った。
「達成感に満ち溢れていたからよ」
 由紀恵は笑った。
「主人が亡くなってから、私は死人のような毎日を送っていたの。息子もずっと独り身だったから、私のような孤独な老後を過ごすと思うと、気が狂いそうになったわ。そんなとき、秋穂さんが私たちの前に現れたの。あの人と一緒に暮らすようになって、私と息子の人生は大きく変わったわ。家族をまたイチから作り直すことができたんだもの。それを母親として守ったんだから、私には達成感しかなかったわ」
 由紀恵はすべてを話すと、晴れ晴れとした表情を向けた。
「結局、月岡さんはどっちだったの?」
 質問の意味が分からなかった。
「あなたは、真実を知りたかったの? それとも、家族をまたイチから作り直す私たちを邪魔したかっただけなの?」
 言葉に詰まった。それを見て、由紀恵はフッと笑った。
「あなたのそういう中途半端なところが、家族を作り損ねた原因ね」
 心の中をえぐられた月岡は、目をつぶって顔をしかめた。


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竹内謙礼 好きをたくさん押してくれたら取材して続きを書きます。足りなければ書くのは止めます。でも書きたいから押してね♪