「コメは余っている」の嘘と現実──令和のコメ騒動に見る“制度疲労”ではなく“態度疲労”
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※参考:小泉農相「問屋不要論」発言に関する報道(MSN)
https://www.msn.com/ja-jp/news/money/小泉農相の-問屋不要論-大間違い-コメが余っているかにみえて足りない-が起きる根本原因/ar-AA1IK1xr
2024年から2025年にかけて起きた「令和のコメ騒動」。
一部スーパーでは精米棚が空になり、コンビニのおにぎりはじわじわと値上げ。社員食堂のご飯は急に味が落ちた。多くの人がそう感じたのではないだろうか。
だが一方で、「コメは余っている」「需要は減っている」「なぜ足りないのか」と報じられる。
…それ、誰の話ですか?
■ 安い米が買えないのに、「余っている」?
現実には、イオンのようなスーパーで特売の米が並べば、小一時間で棚が空になる。
10kgで2,000円台の米が買えるかどうかは、今の庶民にとって死活問題だ。
にもかかわらず、「高価格帯や業務不適合の在庫を含めた全体統計」を根拠に、「米は余っている」と言う専門家やメディアの声が繰り返される。
それは庶民が手にできる価格帯のコメではなく、統計上の平均値の話でしかない。
“コメ余り”を主張する者たちは、誰が、どんな価格で、どんな用途で必要としているのかを見ていない。
■ 見えないから仕方ない? いや、見えるようにすればいい
「コメ流通の全体像が把握できていない」という主張もよく見かける。
流通科学大学の白鳥和生教授も、流通が多様化しすぎて需給の“見える化”が難しくなったと指摘している【※1】。
ならば、把握できるよう再設計すればよい話だ。
POSデータやトレーサビリティ制度、業務用米の用途別統計を整理すれば、「今どこに、どんな米が、どれだけ必要か」は把握可能だ。
それでも難しいというなら、小売店の再編や、サプライチェーンの標準化を進めるしかない。
「わかりません」は、制度を預かる側の言い訳にはならない。
■ 備蓄制度は“企業のため”にあるのか?
一部では「備蓄米が業務用に適さないから機能しない」といった主張がある。だが、そもそも備蓄米の目的は何だろうか?
戦時・災害時・物流断絶――そうした有事に国民を飢えさせないこと。それが政府備蓄制度の本質だ。
“おにぎりに使えない米だから備蓄が無意味”などという言説は、制度の趣旨を捻じ曲げている。
業務用の需給逼迫をカバーしたいのなら、それは市場・企業・自治体が連携して備えるべき話であって、政府の役割ではない。
■ 農林水産大臣がすべての用途を把握する必要はあるか?
小泉進次郎農相の「問屋不要論」が一部で注目されたが、少なくとも彼は生産量や出荷量ベースで構造改革を語っていた。
それを、「用途別にどう向いているかを知らないのは失格」とまで言うのは、過剰な期待だろう。
行政の役割はあくまで制度設計の枠組みであり、「冷凍炒飯用に適した米が足りない」などの話は、業界団体や民間主導で整えるべき末端の設計論である。
※参考:「問屋不要論」に対する反論記事(MSN)
https://www.msn.com/ja-jp/news/money/小泉農相の-問屋不要論-大間違い-コメが余っているかにみえて足りない-が起きる根本原因/ar-AA1IK1xr
■ 奴隷が消えて、供給が回らない?
「物流2024年問題」でドライバーの労働規制が強化され、米の供給にも影響が出たと言われる。
確かに、長距離トラック輸送が逼迫したことで、都市部への供給遅れはあった。
だが、それは本質的に“人間らしく働く権利”を回復させた結果であり、責めるべきものではない。
これまでが「奴隷的な働き方」で成り立っていたのであれば、それは産業構造が間違っていたのだ。
週1納品で済む店舗設計、地域内加工・配送の再編、出荷集中を避けるスケジューリングなど、流通業者こそが見直すべきことは山ほどある。
■ 政府判断のミスが連鎖して今がある。それでも、食べるしかない
備蓄米を放出した後も、減反政策は形を変えて継続され、そして追い打ちをかけるように梅雨が早くあける水不測の年が来た。
明確な因果関係はともかく、現実として「米がない」とされる今の状況は、こうした政治判断の積み重ねでできあがっている。
完全に、政策側のミスだ。
それでも国民は、次の次の収穫まで何とか食いつなぐしかない。
「国産じゃないと嫌だ」などと言っていられない局面に来ている。輸入米でも、備蓄の古米でも、食べられるものは全部食べる。それが今、我々に突きつけられている選択だ。
そして政府は、何度でも頭を下げて、「これを食べてください」と頼むしかない。
そのくらいの謙虚さと覚悟がなければ、もうこの国の“食”は守れない。
■ 問屋は本当に“社会的な存在”なのか?
白鳥教授は「問屋が需給調整や備蓄機能を担っている」と擁護する。
だが、現実にそんな“マクロな視点”で動いている問屋がどれほどいるのか。
農家からどれだけ安く買えるか
いかにして値を吊り上げて売るか
この2つしか見ていない問屋が大半ではないか?
実際、価格が乱高下しても、問屋が市場に積極的に放出することはなかった。
備蓄米の放出まで市場を放置した態度こそ、「中間搾取業者」としての自己証明である。
「必要な存在なんです」と口で言うのは簡単だ。だが、態度でそれを示さなければ、信用されるわけがない。
■ 結論:制度は壊れていない。壊れているのは“態度”だ
制度疲労、流通の複雑化、物流規制、統計の不備。
それらはすべて構造の問題ではあるが、最も深刻なのは、「自分たちは社会の一部であり、連携して危機を防ぐ存在である」という態度が消えていることだ。
● 政治家は「票の取れる正論」ばかり言い
● 専門家は「見えないからしょうがない」と呟き
● 問屋は「高く売れるまで寝かせておけ」と動き
● 国民は「誰のせいだ」と言い合う
“余っているのに、足りない”。
“あるのに、届かない”。
それは構造のミスではない。人間の態度のほころびだ。
【補足】本稿のファクトチェック・参照資料
本稿では以下の公的資料や報道に基づき、記述の事実性と法的問題の有無を確認しています。
主食用米の供給量・備蓄量(農林水産省 2023年度統計)
備蓄米の目的と制度(農水省備蓄制度概要)
「物流2024年問題」がコメ輸送に与えた影響(日本農業新聞 2024年4月報道)
小泉農相の発言に対する流通業界の反論(MSN掲載記事)
ミニマム・アクセス米制度の運用状況(農水省MA米解説)
また、内容は名誉毀損や誤認誘導に該当しないよう構成・表現を調整済みであり、note公開に法的な問題はありません。
