語る人より、にじむ人
会社で働いていると、
ときどき不思議に思う。
なぜ人は、
そんなに自分を大きく見せたくなるのだろう。
「自分はこんなに知っている」
「こんな経験をしてきた」
「こんなすごい案件をやってきた」
分かりやすく語る人もいるし、
もっと巧妙な人もいる。
「自分なんて全然ですよ」
と言いながら、
会話の中心がずっと
“自分の有能さ”だったりする。
悪い人ではない。
むしろ、頑張ってきた人なのだと思う。
でも、なぜか疲れる。
話していると、
空気に少し緊張が混ざる。
こちらも無意識に、
「相手のプライドを傷つけないように」
と気を遣ってしまう。
一方で、
役員クラスや大ベテランなのに、
妙に話しやすい人がいる。
静かで、
必要以上に語らなくて、
でも、ちゃんとすごい。
不思議なくらい、空気が穏やかだ。
たぶん、その違いは、
“何にエネルギーを使っているか”
なのだと思う。
自分を大きく見せることに、
エネルギーを使っている人がいる。
どう見られるか。
どう評価されるか。
自分の価値をどう証明するか。
会社という場所では、
それもある意味、必要な技術だ。
静かにしているだけでは、
埋もれてしまうこともある。
だから人は、
知識を語る。
実績を盛る。
有能そうに見せる。
それはきっと、
弱さでもあり、
生き残るための防御でもある。
でも、
長く積み重ねてきた人の中には、
もう“証明”に
エネルギーを使わなくなった人がいる。
自分を大きく見せることより、
自分が深めたいことに、
エネルギーを注いでいる人。
どう見られるかより、何を極めたいか。
その比率が変わっている。
だから、
話していても、
「自分がすごい」
を伝えたい感じが薄い。
むしろ、
「これ、面白いんだよ」
「ここが難しくてね」
「まだ分からないことも多いけど」
そんなふうに、
対象そのものへの興味が前に出てくる。
本当に深めている人ほど、
世界の広さを知っているから、
むしろ断言が減る。
静かになる。
でも、言葉の重みは増していく。
そして、
そういう人の周りには、
どこか穏やかな空気が流れる。
たぶん、“防御”が少ないのだ。
自分を偽っている人は、
常にどこかで、
崩れないように踏ん張っている。
だから、
否定に敏感になるし、
相手を上下で見やすくなる。
空気が少し尖る。
でも、
自分を過剰に大きく見せなくていい人は、
防御が少ない。
知らないことを、知らないと言える。
必要以上に勝とうとしない。
相手を押さえつけなくても、
自分の価値が消えないことを知っている。
だから、こちらも無理をしなくてよくなる。
私はたぶん、
“すごい人”そのものより、
“偽っていない人”
に安心しているのだと思う。
肩書きより、
実績より、
知識量より、
「この人、自分を演じ続けていないな」
と感じる人。
そういう人と話すと、空気が静かだ。
そして不思議なことに、
本当に強い人ほど、
語るより先に、にじんでしまう。
▶︎武勇伝じゃなくていい
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仕事に子育て、アニメ。ごちゃまぜな日々の中でいつも何かを考え中です。日常のつぶやきですが、どこかで「わかる!」と共感してもらえたり、心に響くものがあればとても嬉しいです☺️
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