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私が聞きたいのは、武勇伝じゃない

仕事の話をしていると、
時々「武勇伝」を聞くことがある。

ただ、聞いていて思う。
武勇伝には、どうも二種類ある気がする。

ひとつは、判断の背景が見える武勇伝。
状況、選択肢、迷い、そして決断。
そういう骨組みが見える話は、
聞いていて面白い。

もうひとつは、
「自分がどれだけ頑張ったか」
の話に終始する武勇伝だ。


上司が昔の案件の話をしてくれることがある。

「あのときは大変でさ」

そんな一言から始まる、いわゆる武勇伝だ。

最初は、
仕事の学びがあるかもしれないと思って、
わりと真剣に聞いていた。  

どんな状況だったのか。  
どこで判断したのか。  
何が難しかったのか。

仕事の話というのは、
そういうところに面白さがあると
思っているからだ。

けれど、聞いているうちに、
だんだん私の「そーなんですねー」
少しずつ棒読みになっていく。

でも、何度か聞いているうちに、
あることに気づいた。

話の中から、
仕事として大事な部分が少しずつ
削がれている気がするのだ。

導入は、ちゃんと仕事の話から始まる。  
「こういう案件があって」という前提もある。

けれど話が進むにつれて、
焦点が少しずつずれていく。

誰が動かなかったとか、  
誰を説得するのが大変だったとか、  
どれだけ苦労したとか。

気づけば、
話の中心は人間関係のドラマになっている。

そして最後に残るのは、  
「大変だったけど、なんとかした」
という結末だ。

もちろん、仕事には人間関係も含まれる。  
苦労の話も、経験としては大事なのだと思う。

ただ、聞いている側としては、少し物足りない。

本当に知りたいのは、そこではないからだ。

何が問題だったのか。  
どんな選択肢があったのか。  
なぜその判断をしたのか。  
そのとき、何を考えていたのか。

そういう「判断の跡」こそが、
仕事の学びになる気がしている。


やはり武勇伝には、二種類あるのかもしれない。

学びになる武勇伝と、  
拍手が必要な武勇伝だ。

前者は、判断のプロセスが残っている。  
聞いている人が、
自分の仕事に持ち帰れる何かがある。

後者は、努力の物語になる。  
聞き手の役割は、理解することよりも、  
「すごいですね」と頷くことになる。

どちらが良いとか悪いとか、
そういう話ではない。  

ただ、聞いている側としては、
やっぱり思ってしまう。

仕事の話を聞くなら、武勇伝じゃなくてもいい。

むしろ、うまくいかなかった判断や、  
迷った末の選択の話の方が、ずっと面白い。

その方が、次に似た状況に出会ったとき、  
少しだけ考えるヒントになる気がするからだ。

仕事の経験は、
きっと武勇伝じゃなくても伝えられる。

むしろ、判断の跡が残っている話の方が、  
次の誰かの仕事を、
静かに助けるのかもしれない。

そんなことを考えながら、
今日も私は、わりと上手に
「そーなんですねー」
と相槌を打っている。


▶︎仕事の負荷ではないものが積み重なっていた

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あおい|仕事と本音のあいだ 仕事に子育て、アニメ。ごちゃまぜな日々の中でいつも何かを考え中です。日常のつぶやきですが、どこかで「わかる!」と共感してもらえたり、心に響くものがあればとても嬉しいです☺️ 良ければぜひ、応援よろしくお願いします🍀

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