AI時代の習慣って何でしょう?
星空の光が部屋に差し込むデスクで、私は小さく息を吐き出します。
画面に映るSNSのタイムライン。
noteで知り合った知人は、大きな夢を胸に何曲もローファイ音楽を作り込み、SpotifyやYouTubeに登録して毎日熱心に発信を続けていました。
アニメのようなアイコンの後ろで、週末を一緒に過ごす恋人でも探しているのかななんて、最初は呑気に眺めていた私の目に飛び込んできたのは、本人が期待していた程には増えないアクセス数とイイネの数字でした。
本人の情熱とは裏腹に、数字という冷たい現実は厳しく、その知人は現在、活動をお休みしているようです。
どれほど情熱を注いでも届かない焦りや虚無感が画面越しに痛いほど伝わってきて、胸がぎゅっと狭くなります。
それに比べて、私の作品づくりには必死さすらありません。
Geminiにちょっとした夏のジョークを打ち込んで、音と画像をさっと生成してもらい、そのままnoteにそっと置くだけ。
マジかなと思うくらい簡単に音楽まで作れてしまう時代だからこそ、手抜きと言われればそれまでかもしれないけれど、私にとってはどこか愛おしく、大好きな作品でした。
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必死に努力して傷つき、休んでしまった知人と、どこか他人事のように身軽に楽しんでいる自分。
成果に縛られて倒れてしまう切なさを感じながらも、必死になれない自分をどこか冷静に見つめているズルさに、胸の奥がちくりと痛みます。
励ましの言葉をかけたい気持ちと、下手に触れて傷つけたくない思い、そしてどこか冷めた自分を見せたくない変なプライドが、心の中で引っ張り合っていました。
引き出しの奥から、学生の頃に書いていた古いノートを引っ張り出してみます。
そこには、昔の私が深く感動して書き留めた言葉が残っていました。
思いの種を蒔き、行動を刈り取る。
行動の種を蒔き、習慣を刈り取る。
習慣の種を蒔き、人格を刈り取る。
人格の種を蒔き、運命を刈り取る。
知識、スキル、意欲。その3つが重なる場所こそが習慣であるという定義。
生成した自分の音楽を何度も聴き返し、じんわりとした愛着を感じながら、AIを勉強中の私は考えます。
AIというパートナーが身近になった今、この習慣という言葉の解像度は、静かに形を変えているのかもしれません。
知識やスキル、つまりどうやって作品を作るかという技術の多くは、もうAIが軽やかに手伝ってくれる時代になりました。
では、私たち人間に最後に残るもの、そして一番大切になるものは何でしょうか。
それはきっと、意欲です。
意欲という言葉の成り立ちを調べてみると、意は心が向かう場所や秘めた思いを、欲はそれを満たしたいと願う強い気持ちを表しているのだそうです。
つまり意欲とは、誰かに評価されるための数字や成果ではなく、自分自身の内側から自然と湧き上がってくる心の温度そのものなのです。
思いがけない偶然の産物のような私の作品であっても、あの夏が終わる前の切なさやユーモアを音にしたとき、私の心は確かに温かく満たされていました。
なぜこの言葉を打ち込みたいと思ったのか、なぜこの世界観に惹かれたのか。
その理由のない衝動や愛おしさまで、AIが代わりに感じてくれることはありません。
成果や結果という数字に追われる前に、私はなぜこれを始めたかったのかという最初の情熱に立ち返ること。
最初は拙くても、自分の心が動いた小さな希望の種を大切に抱きしめること。
それこそが、AI時代を生きる私達の新しい習慣の始まりなのだと思います。
私自身、今も画面の前で知人の止まった更新や自分の未熟さに頭を抱え、小さく溜め息をついてしまう日があります。
無計画なまま焦って結果を求めようとして失敗しそうになる自分にハッとしては、肩の力を少し抜くの繰り返しです。
早急な成果のためではなく、自分が本当に好きだと思える小さな種に、そっと水をやるような時間を大切にしたい。
時間の都合がついたら、また新しい音の種を探してみようと思っています。
結果がすぐについてこなくても、思うように評価されなくても、どうか自分を責めないでくださいね。
効率や成果から外れた場所で心が動いたその瞬間こそが、あなただけの運命を静かに、そして確かに描いていくのですから。
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