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家光の祖父への想いが繋げる大樹寺と岡崎城を巡る_2

歩き旅翌日の予定無かった日
前から行きたいと思ってた岡崎へ

岡崎が気になり始めたのは1年前
静岡県の久能山くのうざん東照宮へ行った時…
こちらも念願の場所だったけど
どういう場所なのか現地で知った

久能山の神廟

元は駿河侵攻の時に武田信玄が築いた
久能山城で徳川家康公が遺言で
遺体を安置するように指示した場所

📕久能山東照宮の訪問記事

遺言には神廟は菩提寺の大樹寺や
生誕地の岡崎城のある西向きともあり
そこで岡崎という地が気になりだす😊

徳川家康公ゆかりの地


昔は歴史に苦手意識を抱いてたけど
ぶらり旅で歴史的な場所巡りながら
現地の説明を読んでいくうち
パズルのように繋がるのが面白く
今さらながら興味を持ち始めた😅

中でも久能山に行った頃から
徳川家康公ゆかりの地へ行く機会が増え
関ヶ原古戦場跡、駿府城跡に続いて
今回ようやく岡崎を巡れました🙌

サクッとまとめるつもりが
メモを兼ねた家康公の経歴と
大樹寺だけでしっかり長くなり…
2記事に分かれてしまった💦

大樹寺と岡崎城を繋ぐビスタライン

大樹寺は1475年、松平四代親忠公が創建
1641年三代将軍家光公が家康十七回忌を機に
祖父生誕の地を望めるように」との想いで
本堂から山門、総門を通して家康公生誕地
岡崎城を望めるよう伽藍を配置したという

さすが祖父想いで知られる
家光公らしい粋な仕掛け🤩

山門から総門を望む

小学校の校庭と総門越し
中央に見える黒い構造物が
家康生誕の地、岡崎城✨

岡崎市HPより

距離約3kmの直線は
ビスタラインと呼ばれ市の条例で
眺望景観保全地域に指定されてる

Google mapに書込み
《大樹寺から岡崎城を望む》

所々にみられる高い建物は
ビスタラインを避けて建ってて
守られた景観なんやと分かる

直線距離約3kmなら歩けそうやけど
前日の歩き旅疲れもありバスで向かう

殿橋バス停で下車して
矢作川沿いを西へ歩く

見えてきた岡崎城の建物は
思ったよりこじんまりしてて
よく3km先から見えたなと驚き🤔

大城郭だった岡崎城

15世紀中頃、西郷頼嗣によって
築城されたのがはじまりとされる
1531年、松平清康(家康の祖父)が
龍頭山と呼ばれる現在の地に移した

1542年、岡崎城内で幼名竹千代
後の徳川家康が誕生した

その後、家康は織田氏、今川氏の
人質となり幼少期を他国で過ごしたが
1960年桶狭間の戦いで今川氏が倒れると
19歳で自立し、岡崎城主となった

天正10年(1580年代)

1570年家康は遠江浜松に本拠を移し
嫡男信康を城主とした
1590年家康が秀吉により関東移されると
田中吉政が城主となり総構えとした

緑線:総構え範囲|赤線:東海道

総構えとは、城郭主要部の内郭および街道で結ばれる城下町を含む外郭と合わせた城郭構造をいう。吉政は天守創建や腫瘍地点の石垣化などの他、田中堀と呼ばれる総堀を構築。岡崎城の総構えは東西約1.5km、南北約1kmに及んだ。

現地の説明
緑線:城下に引き入れる前の東海道

吉政は総構えの時に東海道を城下に引き入れ、1609年本多康重により二十七曲りと呼ばれる屈曲の多い道筋となった。城下町は郭外に新設された伝馬町から投町まで約4kmと長く延び、町は賑わい発展した。

現地の説明
総構え東端の籠田総門
岡崎宿(龍田町・連尺町)

1601年の伝馬制によって東海道の江戸品川から38番目の宿となった岡崎宿は参勤交代などの公用旅行者や物資の積み下ろしで賑わった。江戸中期の水野家の時代になると、連尺町や伝馬町を中心に裕福な商人があらわれ文芸をたしなむようになり、城下の文化を花開かせた。

現地の説明

城内に展示されてる模型で
当時の繁栄を知ることができる

内郭の模型(南西方向から)

城郭主要部の内郭だけでも広大で
数多くの建物が建ってたようです

緑色:岡崎公園の範囲

現在、岡崎公園となってるのは
内郭のさらに内側の範囲で
往時と比べたら小さくなったけど
歴史的価値は高まってるように思う

岡崎城内を巡る

岡崎公園案内図

範囲が小さくなったとはいえ
歩いて巡る広く見所も多い🙏

辰巳櫓台下石垣

城内で最も完成度の高い石垣で、大きさや形が整えられた石材が布積みで積まれている。特に隅角部の算木さんぎ積みは精巧に加工された石材を使用し、稜線は直線になるように江戸切りで仕上げられている。

現地の説明

なんか線が入ってる気がしたけど
それも意図的なものだったとは😮

龍城たつき神社

寛永年間、徳川家康を祭神として
東照宮を天守に祀ったのがはじまり
1876年東照宮を岡崎城本丸に遷座
映世神社と合祀して龍城神社となった

名称は違うけど家康公が祭神に違いはなく
全国各地にある東照宮の一つらしい🙏

1617年本多家二代康紀の時代に三層三階地下一階で、東に井戸櫓と南に附櫓と繋がる望楼型複合連結式の天守が建てられたが、1873年の廃城令により天守や当時の建物は現存せず。

現地の説明

現在の天守はほぼ昔の外観で
1959年に建てられた復興天守🙌

天守を巡る

天守の1階にあるのは
1617年天守の心柱を支えた礎石
心柱は3階床下まで貫いてたとされる

1873年の廃城令で取り壊された
岡崎城内の門扉とくぐり戸

復興天守は5階建てで
2階で模型などで歴史を学び
3階で城下町の活気を感じ
4階は映像で没入感を味わい
最上階の5階で城下を望む🙌

最上階から望む(南側)
中心部方面(東側)
大樹寺のある(北側)

大樹寺から岡崎城見えたので
見えてるんやと思うけど…
天守のように突出してないので
どれが大樹寺か分からず😨

その後も城内を巡ろうと思ったけど
天守を満喫しすぎ(説明読みすぎ)て
いい時間やったので駅に向かう🙌

本丸から階段を下って
渡ったのは家康公の幼名が
由来と思われる竹千代橋😅

駅に向かいながら…

歩き旅の翌日やというのに
欲望のまま歩き回ったため
大きく寄り道する余裕がなく
駅に向かう道中で名所を巡る

東海道を歩き通す予定はないが
岡崎城下二十七曲りは歩きたい😊
その時に岡崎城の総構え遺構を
ブラタモリ風に探し歩いてみたい♪

まるや八丁味噌本社

目的地の駅から離れるが
岡崎と言えばな場所に寄り道

八丁味噌はっちょうみそは岡崎市八帖町が発祥。同市同町の製造業者は大田弥治右衛門家を由来とするまるや八丁味噌と、早川久右衛門家を由来とする合資会社八丁味噌(カクキュー)の2社が有名。

Wikipediaより

工場見学とかできたみたいやけど
諸々含めて次回の楽しみに😄

八丁蔵通りも歩いてみたいと
思ったけど堪えてUターン…
しようと思ったら角に何かある?

宮﨑あおいさんの手形🤩

昭和初期の岡崎市が舞台の
2006年NHK連続テレビ小説
純情きらり出演者の手形らしい

駅前には室井滋さんの手形

全く見てないから無感情やけど
知ってる人の手形は気になった😆

岡崎へは名鉄で来たので
帰りは愛環とJR経由で名古屋へ🚃

この記事で巡った場所

関連記事_家康公ゆかりの地

1542年|岡崎城に生まれる

1585年|天正期天守を築造
1607年|慶長期天守を築造

1600年9月14日|杭瀬川の戦い

1600年9月15日|関ヶ原の戦い

1616年|遺体は久能山へ

1616年|位牌は大樹寺へ


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