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家光の祖父への想いが繋げる大樹寺と岡崎城を巡る_1

愛知県岡崎市を訪れるのは2回目
以前は芸術祭目的だったような…
岡崎と意識せずの訪問だったので
あんまり覚えてない🙇‍♂️

前泊宿近くの殿橋

今回は東海自然歩道の前泊で訪問
当初はそれだけの予定やったけど
宿の近くや目的地への道中に
気になるスポットを見つけてしまい
歩き旅翌日は岡崎を巡ることに…😆

そもそも歩き旅翌日は未定やったので
有意義な目的ができてよかった🙌

徳川家康公ゆかりの地


岡崎は数年前からいつか行きたいなと
頭の片隅に漠然と漂う感じやったのが
今回、不意に明確な名称を見聴きして
この機会に行かねば🤜と急に決めた

それが徳川家康公生誕の岡崎城
徳川将軍家の菩提寺である大樹寺

歴史好きなら重要スポットと思うけど
学生時代どちらかというと歴史苦手で
徳川家康は江戸幕府作った人…?
くらいの基本中の基本しか覚えず

逆に地理好きだった影響により
一人旅し始め自分で目的地決めると
自然と社寺や史跡に趣いてると気付く
歴史的スポットは好きな方

歴史が苦手、嫌いなんやなく
卓上で文章や絵だけで学ぶのが
想像し辛く苦手意識芽生えたと判明

同じ文章や絵でも現地で学ぶと
想像しやすく面白いと感じ始めた🤩

とはいえ歴史的スポットが
旅のメイン目的地にはならず
ほか目的のついで寄り道が多い

中でもここ数年は
徳川家康公ゆかりの地を
訪問する機会が増えてきてて
他ゆかりの地で何度か見かけた
岡崎城と大樹寺は行きたい場所でした😄

徳川家康公の経歴

訪問した2スポットを書く前に
メモも兼ねて家康公の経歴について
前に訪問したゆかりの地も交えて
まとめてみようと思います

  • 1542年
    岡崎城主松平広忠の長男として出生
    幼名:竹千代

  • 1547年_尾張国 織田信秀の人質になる

  • 1549年_駿河国 今川義元の人質になる
    14歳の時、義元から偏諱へんき元信に改名
    19歳までの12年間を駿府すんぷで過ごす

  • 1558年_祖父松平清康きよやすの名を一字とり元康に改名
    ※この時点では松平元康

駿府城跡の徳川家康公
《25.6.15訪問》

📕駿府城跡 訪問記事

  • 1560年
    桶狭間おけはざまの戦いで今川義元勢として参戦
    義元戦死後に菩提寺の大樹寺に逃れ
    その後、自立し岡崎城主となる

  • 1561年
    桶狭間で敵だった織田信長と和睦
    今川氏と断交し信長と同盟を結んだ

  • 1563年
    家康に改名(今川氏の元を外す)

  • 1566年
    松平家康から徳川家康に改姓

改姓した理由は、主に公家から官位を受けるため。本来、官位を得るには朝廷の許可が必要だが、松平姓では叙任が困難だった。そこで有力な公家である近衛前久らの協力を得て徳川姓に改姓し、三河守への叙任を実現した。

改姓したことは大樹寺にあった
松平家と徳川家の家系図で知った💨

関ヶ原古戦場跡
《24.12.14訪問》

📕杭瀬川を巡った記事
📕関ヶ原を巡った記事

  • 1585年
    駿府城天守(天正期)を築造

  • 1600年
    杭瀬川の戦いで西軍に敗れる
    関ヶ原の戦いで西軍に勝利

駿府城 慶長期天守台跡
  • 1603年
    征夷大将軍に就任し江戸幕府を開く

  • 1607年
    天下普請で駿府城(慶長期)を改修

  • 1616年_駿府城で死去

◉家康の遺言
遺体は久能山くのうざん(静岡県)に安置し、葬儀は芝の増上寺(東京都)で行うこと。位牌は菩提寺である大樹寺(愛知県)に納め、一周忌の後日光(栃木県)小さなお堂を建ててそちらに移動するように。

久能山の神廟
《24.11.6訪問》

📕久能山東照宮の訪問記事

神廟が大樹寺や岡崎城のある
西向きというのも遺言らしく…

久能山を訪問した時に
家康公がそんなにも大切にする
岡崎に行きたくなったのも
今回巡ることを決めた経緯🤔


前置きが長くなったけど
時代の流れがあったほうが
見返す時に楽やなという
個人的なメモも兼ねました🙏

以下、現地を巡った旅内容
時代の流れとは違う順路で巡ります

祖父が生誕の地を望めるように…

行きたいと思ったのは
バス停名を聞いたからですが
前泊地からのアクセス都合で
一番近い愛環大門駅で下車🙌

大樹寺一丁目の信号

大樹寺は地名にもなってるけど
目的地の大樹寺は大樹寺に無い…
理由気になるけど今回はスルー

大樹寺総門

大樹寺小学校の南門となってる
総門の奥に見えるのが山門

校内を通り抜けができないので
回り込んで山門へ向かいました

大樹寺山門

1641年三代将軍徳川家光公が家康の十七回忌を機に、大樹寺の伽藍の大造営を行った。その際に「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、本堂から山門、総門を通して岡崎城が望めるように伽藍を配置した。

さすが祖父想いで知られる
家光公らしい粋な仕掛け🤩

小学校の校庭と総門越し
中央に見える黒い構造物が
家康生誕の地、岡崎城✨

岡崎市HPより

距離約3kmの直線は
ビスタラインと呼ばれ市の条例で
眺望景観保全地域に指定されてる

本堂

大樹寺は1475年、松平四代親忠公が勢誉愚底せいよぐてい上人を開山として創建。現在の本堂は1857年、徳川十三代家定公再建。

現地の説明

本堂に安置されてる
阿弥陀如来坐像に参拝🙏

大樹寺境内を巡る

その後、有料エリアの見学
写真撮影が一切できないけど
幕末期に活躍した大和絵師
冷泉為恭れいぜんためちかによる障壁画は美しく
重要文化財に指定されてる芸術品

貫木神(大樹寺HPより)

1560年桶狭間の戦いで今川義元が倒れ身を危険を感じた家康は大樹寺に逃れ、先祖の墓前で自害を決意。13代住職登誉上人は厭離穢土おんりえど欣求浄土ごんぐじょうど(戦国乱世を住みよい浄土にするのがお前の役目)の教えを説いて諭し切腹を思いとどまらせたとされる。

現地の説明

この時、家康を追う野武士が
大樹寺を取り囲んだが寺僧の一人が
門のカンヌキを引き抜いて打って出て
阿修羅の如く戦い敵を退散させた

後に家康はこのカンヌキを
立志開運「貫木神かんぬきじん」と命名
それが大方丈に安置されてました

位牌堂(大樹寺HPより)

宝物殿(位牌堂)には松平家、徳川家
歴代の位牌がずらりと並んで圧巻😅
位牌は臨終時の身長と同じとされ
家康の位牌は159cmらしい

ちなみ十五代慶喜は神道で
葬られたため位牌は無いそうです

家康公の墓碑

最後に隣接する霊園の一角
家康公の墓碑に手を合わせに…

1615年に家康公が再建した
先祖八代(松平家)の墓も並ぶ

大樹寺だけでも内容が濃くて
岡崎城はまた今度にしよかな…
とか思いながらバス停へ向かう💨

時刻は12時過ぎ…
小腹空いてたので寄り道😆

めちゃ美味でした~😋

体はほぼ動かしてないけど
頭と心が動かし腹が減る😄

岡崎城までは直線距離約3km
元気なら歩いてもいいけど
この日は歩き旅の翌日なので
バス移動に甘んじる🙏

その後、岡崎城へ向かいますが
その内容はまた次回✏

関連記事_家康公ゆかりの地

1585年|天正期天守を築造
1607年|慶長期天守を築造

1600年9月14日|杭瀬川の戦い

1600年9月15日|関ヶ原の戦い

1616年|遺体は久能山へ

1616年|位牌は大樹寺へ

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