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翼の継承者 ②

アーサーⅠ


軽い、体が動く、石畳をはじくブーツのリズムが早い。
「母さん、早く!もっと急ごうよ」
「待ちなさいアーサー。お医者さんから安静にと言われたでしょう」
そう、ついさっきまた先生が来て、そんなことを言っていた。でも僕は聞き逃さなかった、「もう外出しても、大丈夫でしょう」の言葉を。
だからこうして母さんの買い物の手伝いを口実に久しぶりに家の外に出れた。


11月の初めごろから、何日も体が暑くて動けなかった。
ある日、母さんがお医者さんを連れてきてくれた。先生のくれた薬は、予想と違って甘くて、飲むとぐっすりと眠れた。
次の日には、大好きなオレンジもたくさん食べさせてもらった。薬とオレンジがどっちのおかげかわからないけど、昨日の朝に僕はようやくベッドから解放された。


広場が見えてきた。
振り返り、20歩ほど後ろを歩く母さんは、店先に並ぶ刺繍を観察し始めた。
「母さん、先に広場にいってるよ」
何か返事が返ってきたが、駆け出した僕の耳にはもう届かなかった。


見慣れた広場の景色は、久しぶりに見るとなぜか明るかった。
ただ残念なことに、今日はいつもお使いの途中で声をかける友人たちは見当たらない。
誰かいないかとあきらめきれずに探していると、隅の方にしゃがんでいる女の子がいた。
「あれは、たしかマッチを売っている子だ」
以前何度か声をかけたことがあるけど、広場を駆け回り忙しそうに大人たちに声をかける彼女とはあまり話したことがない。


「こんにちは、今日はマッチを売らないの」
それでも僕は声をかけた、なぜかそうしなければならない気がしたから。
すぐにその理由が分かった。顔を上げた彼女は泣いていたからだ。
「どうしたの?どこか怪我でもしたの?」
僕の言葉に、小さな彼女は首をふる。それでも質問を繰り返して事情を知ろうとする僕に彼女は小さくつぶやいた。
「いなくなっちゃったの、ツバメさんも、王子様も」
なんの事か分からなくて戸惑う僕の様子を察して彼女は頬を濡らしたまま空を指さす。
その指の先を見て、一拍して僕は気づいた。
「王子像が、なくなってる」
この広場の中心に立っていた柱、その上の輝くこの町の自慢の王子像が柱ごとなくなっていた。
「なんで・・・」
戸惑って、王子像のあった空間と、泣いている女の子を交互に見る僕。またうつむいて泣き続ける彼女。
「こら!」
ゴンと鈍い音が頭の中に響いてから痛みが追いついてくる。
頭を押さえながら振り向くと、背の高い大人の男が握ったこぶしを顔の前に置いたまま僕を睨んでいた。
「なにすんだよおっさん!痛いじゃないか」
僕の抗議の叫びに、小さな彼女もびっくりした顔で口を押さえている。
涙はとまったみたい、それだけは良かったと思った。
「小さな女の子をいじめるんじゃない!あと俺はまだ二十二だ」
左手に持っていたパイプを不機嫌そうに投げ捨てる。
その偉そうな感じが僕には許せなかった。
「お兄さん違います!いじめられていません」
彼女の声に、僕は脛を蹴り飛ばしてやるのを思いとどまる。
「お嬢ちゃん、本当?このガキになんかされたんじゃないのかい」
ぶんぶんと首を振る彼女をみて、僕の方にゆっくり顔をむけてくる。
「・・・・・・えと、その、すまん」
ふんっと、そっぽを向きながら、すなおに子供にお辞儀するおじさんを見て、悪い人ではないんだろうなと思った。


広場のベンチに腰掛けながら、この小さな女の子、エリザベスとおじさんを待つ。
おじさんはさっきから良い匂いがしていた焼き栗の屋台に銅貨を一枚渡し、代わりに受け取った包みをこちらに持ってきた。熱いのか持つ手を何回も変えている。
「ほらお嬢ちゃん、食べな」
エリザベスは少し嬉しそうに、包みを覗き込んだ
「あったかい」
上がる湯気がエリザベスの頬をかすめていく
「おめーも食べていいぞ、ガキ」
やっぱり脛には一撃加えておくべきだったと思いながらも、エリザベスの方に包みを渡すおじさんを嫌いにはならなかった。
「ガキじゃない、アーサーだ。おじさん」
もうすぐきっと雪が降るだろう。
けれどエリザベスは靴を履いていなかった、靴下も。
「ありがとうございます。えーと」
「俺はレジナルド、レジナルド・エルウッドだよお嬢ちゃん」
「はい、ありがとうございますエルウッドさん」
ちゃんとお礼を伝えるエリザベスに、レジナルドは「あったかいうちに食べな」とすすめた。
「それで、なんで泣いてたんだい?あ、食べながらでいい」
「はい、えと」


その後エリザベスが話したことに、僕は衝撃を受けた。
あまりにもここ数日の僕に起きた出来事と似ていたからだ。
不思議だった、父さんは都会の工場に出稼ぎに行き、母さんは針子として働いていたけど、家にお医者さんを呼ぶお金なんてなかったはずだった。たくさんのオレンジも。

なのに僕は甘いお薬と、オレンジで今日こうして元気になった。


あの日の夢の中でみた優しいツバメが羽ばたく音が、僕のなかでだんだんと大きくなっていった。


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