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湯河原・六方の滝|悩みを解決するためじゃなく、置いてくるために歩いた山時間

頭から離れない悩みを抱えたまま、湯河原・六方の滝へ向かった。考えても答えが出ないことがある。忘れようとしても、頭の片隅に残り続けることがある。そんな時、山は答えをくれる場所ではなく、抱えているものを一旦「手放す」ための場所になる。今回は、湯河原の山奥にある六方の滝まで歩いた記録です。

湯河原の山奥にある、六方の滝までの道

頭の中に、ずっと居座っているものがある。
解決策があるわけじゃない。ただ、そこにある。

そういうとき、山に入ることにしている。
答えを探しに行くわけじゃない。ただ、歩きに行く。


ようやく顔を見せた六方の滝

湯河原の山奥に、六方の滝がある。

柱状節理の岩肌をなぞるように、何本もの水がすべり落ちていく。一気に落ちる豪快さはない。けれど岩に沿って分かれながら、静かに、途切れることなく流れ続けている。

柱状節理を流れ落ちる。滝のまわりにはミストがいっぱい。

ここへ来るまでの道は、楽じゃない。
急な斜面が続き、足場は安定しない。道が見えなくなるほどの倒木が、何本も重なって行く手を塞いでいる。跨ぐ。くぐる。這うように越える。

そのあいだ、余計なことは考えられない。
身体が、今ここに引き戻してくれる。

だからこそ、人は少なく、周囲は驚くほど静かだ。

滝の音が、頭の中の声を遠ざけていく

下から見上げるのも壮観。

滝の前に着いたとき、まず音が飛び込んで来た。

ザーザーという、迷いのない音。それが耳を満たした瞬間、頭の中の声が、少し遠くなった。

細かなミストが肌に触れる。熱を、一枚ずつ剥がしていくように。

腰を下ろして、コーヒーを飲んだ。苦みが、舌の奥に残る。ザーザーという音と、ミストの冷たさと、コーヒーの熱さが、同時にそこにあった。気づいたら、何も考えていなかった。

解決したわけじゃない。 答えが出たわけでも、誰かと話したわけでもない。 ただ、あの重さが——どこかへ行っていた。

悩みは解決しなくても、置いてくることができる

墨を引いたような、幾重にも重なる白い筋が綺麗

しがらみは、解決しなくてもいいのかもしれない。
ここへ持ってきて、置いてくればいい。
ザーザーという音が、しばらく引き受けてくれる。

楽に来られる場所じゃない。
だから、この静けさが保たれているのだと思う。

あまり、教えたくない場所だ。

でも、もし今なにかを抱えている人がいるなら、
いつか歩いてみてほしいと思う。


❄️ おわりに|「何もしない時間が、こんなに好きだ」と感じた場所はどこですか?

もしこの記事を読んで、
「山に行くと少し頭の中が整理される」
そんな経験がある方がいたら、ぜひ教えてください。

あなたにとって、
何もしない時間を過ごせる場所はどこですか?

私は以前、別の記事で「歩く速さを知ること」について書きました。
山では、速さよりも自分のリズムを取り戻す瞬間があります。

よければ、そちらも覗いてみてください。


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