ニーヴィの羽は桜色 ③
3
「おそらく、その大蛇はヨルングルであろう」
長老が言った。
「遥か南の海に浮かぶ島に棲み、そこを離れることはないという大地の蛇だ。奴までこの地に現れるとは、まこと今年は厄災の年。そしてまたしても、お前たちがそれを祓うことになったとはな」
今回の出来事を報告に来たニーヴィとルアンは、長老の前に並んでかしこまっていた。
ヨルングルがルアンを呑み込んだのも、スコールヴァルがニーヴィを呑み込んだのと同様に、真実であり幻影であった。
長老の隣にはフローナが寄り添っていて、ふたりにそっと目くばせした。彼はだいぶ弱っていて、長居は疲れさせてしまうから控えるようにという合図だった。
ふたりは挨拶をして、長老の洞から外へ出た。
あとからすぐにフローナも来て並んだ。
群れの仲間はみな換羽を終えたが、長老だけがまだ新しい羽根が生えそろわずに、体力ばかり奪われていた。
フローナは尾羽に一本だけあった灰色の羽根も換羽で白に替わり、全身がより艶やかで真っ白な羽になった。ルアンは身体の灰色がいっそう濃くなって、腹の白い斑点は数が増えて胸まで広がり、より際立つようになった。ニーヴィは相変わらず全身桜色である。
ルアンは、ふたりから離れた枝に飛び移って言った。
「俺は、お前らに酷いことを言ってしまった」
ニーヴィは肩をすくめた。
「僕はなんとも思っていないけど、フローナにはちゃんと謝ったほうがいいね」
ルアンはうなだれて言った。
「フローナ、君を泣かせてしまった。ごめん」
フローナはルアンの胸の白い斑点を見て言った。
「あなたに初めて会った時、その模様が夜空の星みたいで綺麗って言ったの覚えてる?」
ルアンは目をぱちくりさせた。「うん?」
「私、今もそう思ってる」
それだけ言うと、フローナはさっと飛んで行ってしまった。
残されたふたりは顔を見合わせたが、お互いにどんな顔をすればいいのかわからなかった。
やがてニーヴィが言った。
「僕も君にちゃんと言わなくちゃ。僕をかばってヨルングルの前に飛び出してきてくれたこと、なんとお礼を言っていいかわからないよ。本当に——ありがとう」
「いいんだよ」ルアンはぶっきらぼうに言った。
「今回だけじゃない。僕はずっとずっと、君に助けられていたんだ。それなのに僕は、自分のことで精一杯で、君の抱えている苦しみのことなんか——」
「もういいって」ルアンは笑った。
「俺たち、ふたりとも一度は喰われた者同士、これからも仲良くしていこうぜ」
ニーヴィもニヤリと笑った。
「僕はただ喰われただけさ。君は自分から飛び込んだんだ。君の方がすごいよ」「同じだよ」「同じじゃないよ」「俺は自分の蛇恐怖症を克服したんだ。だから俺のためだったんだ」「それにしたって普通できることじゃないよ」
ふたりはずっと笑顔で言い合っていた。
長老がいよいよ最期の時を迎えようとしていた。洞の中でフローナが寄り添い、長老の樹の周辺には群れが集まっていた。
長老は、もはや言葉を発することもできずに、目でフローナに訴えた。ヴィンドラ族を頼む——と。
フローナが黙ってうなずくと、長老はゆっくりとまぶたを閉じ、命の扉を閉めた。
長老の身体から魂が抜け出した。それは光となって宙に舞い上がった。光は洞の中をくるくると回り、そしてフローナの身体に吸い込まれた。
フローナが驚いていると、長老の身体からもう一つの光が浮かび上がった。それは、まっすぐに洞を飛び出した。
フローナは洞の入り口で身を乗り出し、光の行方を目で追った。光は群れの上を一周し、皆は頭をめぐらせてそれを見上げた。
そして、光は群れの一番後ろにいたニーヴィのもとへ飛んでいくと、その身体に吸い込まれた。
それを見届けるとフローナは、一直線にニーヴィのもとへと飛んだ。
ふたりはともに輝きを放ちながら、並んだ。
「後継者がふたり——」誰かが呟くと、群れにどよめきが広がった。
やがてそのどよめきは、歓声へと変わった。群れは新しい指導者を迎えた喜びに湧き、口々に歌い、舞い踊った。
穏やかな風が、光のきらめきが、水の柔らかさが、春の訪れを告げている。群れはミストラル山へ戻る時期が迫っていた。
出立の日を占ってもらうために、フローナとニーヴィは森の湖に棲むという古精霊エルドヴァルに会いに行くことになった。
「あのときの精霊がエルドヴァルだったなんて」ニーヴィはきまりわるそうに言った。古精霊が突然消えてしまった時のことを思い出すと、なんとなく怒られるのではないかという気がした。
「あなたとルアンを会わせてくれたんでしょう?」フローナが言う。
「会わせてくれたというか——」ニーヴィは口ごもる。
湖に到着すると、光り輝くエルドヴァルが、水面に浮かんでふたりを待っていた。
ふたりは水際まで進み出て、うやうやしくお辞儀をした。
「我らヴィンドラ族は今年も、エルドヴァルの森でたくさんの恵みをいただき、英気を養うことができました。森の精霊に感謝いたします」フローナが言うと、古精霊は深呼吸をするように光を明滅させた。
「僕らは、そろそろ北へ戻る時期であると考えています」ニーヴィが言うと、古精霊は身体ごとニーヴィに向き直ったようだった。ニーヴィは動悸が速まるのを感じた。
「そなたは《開く風》だったかのう」エルドヴァルの声は、心に直接響くようだった。
「は、はい」ニーヴィは焦って答えた。エルドヴァルは今度はフローナに向き直って言った。
「するとそなたが《導く風》であるな」
「申し遅れました。ヴィンドラ族の長老を継承いたしました、フローナと申します。彼はニーヴィです」慌てて隣を指しながらフローナが言った。
古精霊は揺らめきながら言った。
「もうひとりおったな。《守る風》とやらが」
ニーヴィは、はっとして言った。
「はい、ルアンです。彼は継承者ではありませんが、勇気と行動力、同士を思う気持ちの強さでは誰にも負けない、僕たちの大切な仲間です」
エルドヴァルは、満足げに頷くと、ふたりに告げた。
「明朝、出立するがよい」
スコールヴァルの嵐のような風に乗って一気に南下する冬の渡りと違い、春の渡りは穏やかな南風とともに数日かけて、中継地で休憩しながら進むことになっている。緊張感はあっても不安はなく、羽も換羽したての新品、群れの士気は高まっている。
出立の時が来た。
「私と一緒に先頭を飛んでね」フローナが言うと、ニーヴィは笑って答えた。
「僕はしんがりを飛ぶよ。一番後ろに慣れているんだ」
「じゃあ、俺がフローナの隣で護衛してやるよ」
そう言いながらルアンが現れた。フローナが意外そうに見ると、ルアンは照れながら続けた。
「フローナ、ミストラル山に着いたら——その——」
「だめ!」フローナが叫んだ。
ルアンもニーヴィもその勢いに驚いて固まった。フローナは頬を上気させて言った。
「そういうことは、今言ってはだめ。無事に向こうに着いたら、もう一度言って」
そして群れに号令をかけるために高枝に飛び上がった。
フローナは、群れを見渡して堂々と宣言した。
「風は我らが友。絆を結びいざ戻らん、ミストラル山へ。出発!」
群れは一斉に飛び立った。
ルアンとニーヴィも飛び上がりながら、短く言葉を交わした。
「今の、イエス? それともノー?」
「さあ」
群れは、空高く舞い上がり、遥かなる北の故郷、ミストラル山を目指して飛んだ。
了


