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ニーヴィの羽は桜色 ①

あらすじ

ミストラル山に棲む鳥族ヴィンドラの若き三羽、桜色のニーヴィ、灰色のルアン、白のフローナは、北のスコール荒原から吹き荒れる風狼スコールヴァルの暴風に乗り、越冬地エルドヴァルの森へ渡る試練に挑む。
 嵐の中でニーヴィとルアンは落下し、湿原の女神シルフィアに救われる。舟に導かれて川を流れ、再び風の道へ戻る。
 森にたどり着いた彼らは古精霊エルドヴァルと出逢い、各々の使命と互いの絆を学ぶ。試練を乗り越えた三羽は継承を経て、新たな季節の始まりを司る存在へと成長していく。

自然界の精霊とともに生きる彼らの、迷いながらも逞しく生きる姿を描く。


 1


 桜が咲く季節になると、ニーヴィは少しだけ心が軽くなった。自分の羽色を隠してくれるからだ。
 ヴィンドラ族の羽色は、黒と白、そして灰色。頭、胸、腹、翼、尾羽——その組み合わせは無数にあるが、他の色を持つものはいない。
 ただひとり、ニーヴィだけが、全身桜色の羽毛に包まれていた。群れの誰とも違う羽色を持つ彼は、いつも自分の居場所がなかった。

 繁殖地であるミストラル山で、ニーヴィが卵から孵ったとき、赤裸の肌色はすでに他のきょうだいたちとは違う明るさを持っていた。桜色の羽が生え始めたとき両親は大層驚き、すぐに群れの長老に相談に行った。
 長老は、他の者よりひと周り大きな鈍色の身体に、嘴の下から胸にかけて顎髭のように真っ白な羽毛をたたえている。
 両親の先導でニーヴィの姿を見に巣までやって来ると、その姿に息を呑んだ。群れの中で誰よりも長く生きている彼でさえ、このような桜色の羽は見たことがなかった。
 長老はしばし沈黙したのち、目を閉じて呟いた。
「風の精霊の御心のままに——」
 そして、両親に向き直って「他のきょうだいたちと分け隔てなく育てよ」と言い残すと、自らの洞へ戻っていった。
 両親は長老の言いつけを守り、ニーヴィを特別扱いしないように努めたが、どうしても気味の悪さが拭えなかった。群れの仲間も、枝の間からニーヴィが目に入るとギョッとしたように固まり、慌てて飛び去った。
 何よりも、同じ巣の中のきょうだいたちから嫌がらせを受けた。親から口移しの餌を受け取ろうとすると妨害され、いつも身体を押されて、巣の外へ落とされそうになった。ニーヴィは必死に堪えた。負けず嫌いというわけではなく、ただただ生存本能で押してくる相手に抵抗していた。
 やがて雛たちは成長して巣立ちを迎えた。ヴィンドラ族は、一度巣立てば親子もきょうだいも関係なく、家族は解体して各々が群れの一員となる。
 ニーヴィは巣立ちと同時に、完全に孤独となった。

 春の光が輝きを増し、ミストラル山に桜が咲き誇る季節となったある日のこと。ミストラル川で、若鳥たちが集まって水浴びをしていた。ニーヴィはいつものように川から少し奥まった桜の木の枝に隠れ、ひとりで水浴びできるタイミングを見計らっていた。自分が飛び込んでいった途端に、皆が慌てて飛び去るという気まずい経験を繰り返したくはなかったからだ。彼は、周りから避けられることに慣れてはいたが、それが好きというわけではなかった。
 遠くの水音を聴きながらぼんやりしていると、ふいに近くの枝先に、水浴びを終えた誰かが飛び込んできて止まった。
 どうやら同じ世代の、女の子だった。ブルブルと羽を震わせて勢いよく水滴をはらう。彼女の羽は艶々と水をはじき、はらわなくてもほとんど濡れてはいなかった。その後、念入りに羽繕いをする様子を、ニーヴィは食い入るように見つめた。
 彼女の羽は、全身真っ白で、尾羽にひと筋だけ灰色の羽根があり、控えめだが個性的な差し色になっていた。素早く的確な動作で羽繕いを終えると、あっという間に飛び去って行った。
「あの子、イカしてるよね」
 いきなり背後から声を掛けられて、ニーヴィは枝から落ちそうになるくらい驚いた。振り返ると、濃い灰色の身体に、お腹の部分にだけ白い斑点のある、やはり同じ世代と思われる男の子がいた。
 ニーヴィは今まで誰からも親し気に話しかけられることなどなかったので、戸惑いながらも、ヴィンドラ族の慣習にしたがい初対面の挨拶として相手の羽色を褒めることにした。
「こんにちは。君の、その——お腹の模様がとても——粋だね」
 彼は、当然と言わんばかりに顎を引いて胸を張った。
「やあ、俺はルアン。お前の羽の色、面白いな」
 面白い?——そんな風に言われたのは初めてで、ニーヴィはうろたえた。これまでに挨拶を交わしたことのある数少ない者たちは皆、彼の羽色を褒めようとしてもうまく言えずに口を濁した。その目にはいつも『不吉』という言葉が浮かんでいた。
「ありがとう。えーと、僕は——」
「ニーヴィだろ? みんな知ってるよ」
 ニーヴィはがっくりと肩を落とした。そうなのだ。自分は相手を知らなくても、周りじゅうが自分のことを知っている。知っていて避けているのだ。
 ルアンがニヤリとと笑って言った。「さっきの子はフローナ。お前、ずっと見てただろ」
 ニーヴィは真っ赤になった。「そういうわけじゃ——」
 ルアンは今度は真顔になって言った。「彼女、長老のお気に入りなんだぜ」
 その時、一陣の風のようにフローナが飛び込んできて、ルアンを蹴り飛ばした。ニーヴィは何が起きたのかすぐにはわからず、あっけにとられていると、フローナが言った。
「勝手にひとの噂話しないで」
 突き落とされたルアンは空中でバタバタともがいて体勢を立て直すと、もとの枝に舞い戻った。
「まいったなぁ。フローナ、君は本当に激しいな」
 すかさず、フローナの鋭い嘴が、ルアンの首に突き刺さった。といっても、羽毛に覆われているのでダメージはない。
 フローナはルアンと同じ枝に止まり、しばし彼を睨んでいたが、その視線をゆっくりとニーヴィの方に向けた。ニーヴィの心臓が跳ね上がった。真っ黒な瞳が自分を見つめている。まずは、挨拶をしなくては。
「こんにちは、フローナ。僕はニーヴィ。君は——尻尾の灰色の羽根がとても魅力的だね」
 フローナはちょっと意外そうな顔をした。
「よろしく、ニーヴィ。あなたの羽、ここの桜と同じ色ね。とても綺麗だわ」
 ニーヴィは雷に打たれたような衝撃を受けた。ずっと群れの仲間から忌み嫌われていた羽の色を「綺麗」と言われたのだ。
 フローナは首を傾げて続けた。
「ニーヴィは〈調律の舞〉の訓練に来たことないわよね」
〈調律の舞〉は、冬の渡りの前に行う『風結びの儀』の中で、毎年その年に生まれた若鳥が全員で舞う習わしになっている。この舞を習得することは、そのまま渡りのための風をつかむ技術につながっており、若鳥にとっては必須の訓練なのだ。
「ああ、うん」ニーヴィは言葉を濁した。訓練には、当然若鳥が全員集まる。自分の羽色は、どうしても注目を浴びてしまう。しかもそれはよくない意味で皆の心情に影響を与えてしまう。渡りという厳しさに立ち向かおうとするとき、不吉な要素など見たくはないはずだ。
「自信がないんだろう。大丈夫だよ、最初から上手くできるやつなんていないさ」ルアンが屈託のない様子で言った。
「そう、だよね」ニーヴィは曖昧に答えた。
「だめよ、訓練に来なきゃ」フローナはきっぱりと言った。
 ニーヴィはだんだん居づらくなってきた。このふたりは、どういうわけか自分の羽色に嫌悪感を抱いていない。好意的というよりむしろ無関心で、それは群れの他の仲間とはあまりにも違っていた。目立たないように、と常に気を配っているニーヴィにとって、ふたりが羽色に無関心でいてくれることは嬉しかったが、逆に言えばそれは彼の抱えている疎外感を理解できないということだった。
「冬の渡りまでは、まだ時間があるから、大丈夫だよ」
 ニーヴィは、この話はこれで終わりというように、羽繕いを始めた。フローナはまだ何か言いたそうにしていたが、ルアンは何か考えがあるようにニーヴィを見つめていた。

 今日も、ニーヴィは〈調律の舞〉の訓練に来なかった。指導をしている教官たちは、訓練への参加を強制することはない。〈調律の舞〉を習得しなければ渡りを乗り切ることはできない。結果的に命を落とすことになったとしてもそれは自分の責任であり、そのような個体は群れに必要ないからだ。
「ねえ、ルアン。最近ニーヴィに会った?」
 訓練を終えて解散した後、フローナが来て言った。ルアンはちょっと動揺したように視線を泳がせた。
「いや、別に」
 実はルアンはニーヴィのことが心配で、時々遠くから見ていることがあったのだが、なんとなく言いづらかった。
「長老たちは、渡りについてこれない者は見捨ててしまうのよ。でも私、ニーヴィは一緒に来ないとだめだと思っているの。」
 ルアンには、フローナの言っていることがわかるような気がした。彼自身もニーヴィのことが放っておけず、かといって無理やり訓練に引っ張ってこれるとも思っていなかった。
「あいつ、とにかく大勢が集まっている場所が嫌いだからな」
「スコールヴァルが目覚めるまでに〈調律の舞〉を習得できなければ、おしまいよ」
 スコールヴァルの名を聞いて、ルアンの背筋はゾッとした。
「実はおれ、前からちょっと考えていたことがあって——」ルアンがためらいがちに話し出すと、フローナは真っ直ぐに彼を見つめた。
「訓練で教わったことを、俺が奴に個別指導で教えてやろうかと——」
「ルアン、あなたって最高」
 フローナは一瞬翼を広げてルアンに抱きつくと、すぐに飛び上がった。
「私も同じことを考えていたの。でも私は長老の講義もあるから、あまり時間がないのよ。ありがとうルアン、頼りにしてるわね」
 そう言い残すと、あっという間に飛んで行ってしまった。
 ルアンはしばらく混乱して固まっていたが、そっとひとりごちた。
「ああ、いや、どういたしまして。本当は君のほうが優秀なんだけどね。長老の講義ってなんだよもう……」

 誰もいない川の浅瀬で、ニーヴィは水浴びをしていた。食べて、水浴びをして、羽繕いをして、眠る。そのサイクルは完璧で、孤独などなんの障壁でもない。冬が来るまでは。
 桜が散って夏が来て、秋が来て冬が来れば、北の果てスコール荒原に眠る巨大な風狼、スコールヴァルが目覚める。きっと自分の命はそこで終わるのだろう。不吉な存在なのだから、それでいい——ニーヴィはそう思っていた。
 そんな彼の心の内などお構いなしに、川には生命力溢れる光が降り注いでいる。水に浸かって羽を震わせ、飛沫を上げて一心に水浴びをするニーヴィの隣に、いつの間にかルアンが降りて来ていた。
 ルアンは、何も言わずに自分も水浴びを始めた。
 ルアンの飛沫を浴びて、ニーヴィはじっと彼を見た。そして無言で岸に上がり、羽繕いを始めた。
 ルアンも水浴びを終えて、ニーヴィの隣に上がった。
 ふたりともしばらく無言で羽繕いをしていたが、ニーヴィが先に口を開いた。「なんか用?」
「お前が〈調律の舞〉の訓練に来る気がないんだったら、俺がお前に教えに行ってやるよ」ルアンは一気に言った。ニーヴィは目を丸くした。
「なんの話?」
「みんなと一緒に訓練するのが嫌なんだろう? だったら俺が個人授業してやるよって話」
「ちょっとまってよ」ニーヴィは慌てて言った。
「僕は、いいんだよ。みんなと一緒には渡れないって思ってる」
「はあ? なんでだよ」
「みんなに嫌われてるからだよ」
 ルアンの口が開いたまま止まった。ニーヴィは重ねて言った。
「君は気づいていないみたいだけど、僕はみんなから忌み嫌われてるの。この羽色は不吉で縁起の悪い、厄災の予兆なんだよ」
 ルアンの口がさらに開いた。
 ニーヴィは首を振って言った。「長老だって、そう思ってる」
「長老がどう思っているか知らないが」ルアンが被せるように言った。
「お前は、今生きてる。てことは、これからも生きなきゃいけないんだ」
 ニーヴィは、はっとして初めてルアンの顔をまじまじと見た。
「俺は——」ルアンが言い淀む。「とにかく俺はお前を絶対に置いて行かないからな。〈調律の舞〉を特訓してやるから、覚悟しておけよ」
 そう言い残してルアンは飛び去った。
「勝手に決めるなよ」ニーヴィはそう呟きながら、何か風向きが変わったような気がしていた。

ミストラル山とスコール荒原を隔てている深い谷底からは、常に冷たい風が吹き上げている。気まぐれに強くなったり、渦を巻いたり、予測不能な風が吹く。
 この谷が〈調律の舞〉の訓練場である。風狼スコールヴァルが起こす狂暴な風とは比較にもならないが、それでも経験のない若鳥にとって、気を緩めれば命の危険にもつながる暴風地帯だ。
〈調律の舞〉とは、ひとことで言えば『自分の尾羽に風を結びつけること』である。これができると、どんな暴風にも乗ることができる。渡りに出発する前の『風結びの儀』で、若鳥全員が舞うことで群れは信頼の絆を深め、一心同体となるのだ。
 訓練では、谷から吹き上げる強風に翻弄されずに飛ぶ方法を学ぶ実技と、スコールヴァルと風について学ぶ座学がある。
 高枝に整列した若鳥たちを見回して、教官が口を開いた。
「我らがミストラル山には、常に穏やかな南風が吹いているが、これを説明できる者は?」
 若鳥のひとりが、片翼を上げてから答えた。
「エルドヴァルの森に棲む精霊が起こす『精霊風』です。この南風は、北方から来る邪気を押し戻して、ミストラル山を清浄に保つ役割があります」
 教官は頷くと、再び視線をめぐらせて声を張り上げた。
「我々を守護し、命の循環と繁栄をもたらしているもの、それが精霊風だ。古代から連綿と吹き続けているこの風は、決して止むことなく安寧と恵みを約束している。しかし——」
 若鳥たちは真剣な表情で聴いている。
「年に一度、我々は敢えてこの精霊風に逆らわなければならない」
 教官は、最前列にいた若鳥に目を合わせて質問をした。
「越冬地であるエルドヴァルの森へ、精霊風に逆らって飛ぶときに障害となるものは何だ?」
 若鳥は緊張気味に答えた。
「精霊風は穏やかとはいえ、つねに押し戻してくるので長距離は進めません。それに、森の前に『風の門』があり、そこは一方通行で北から南には抜けられません」
 教官は満足げに頷いた。
「しかし我々はなんとしてもエルドヴァルの森へ渡らなければならない。冬の間ミストラル山は雪と氷に閉ざされ、ここでは生きられないからだ」
 若鳥たちの表情に不安が広がる。
「そこで、我々はスコールヴァルの力を借りるのだ」
 スコールヴァル、その名を聴いて若鳥たちは身を震わせた。

 谷から吹き上げる暴風の中へ、ルアンが飛び込んだ。必死に羽をばたつかせてホバリングするが、不安定ですぐに吹き飛ばされてしまい、慌てて地上に戻る。下手をすれは崖に叩きつけられて一巻の終わりだ。
 ルアンが命がけで自分に〈調律の舞〉を教えようとしているのを、ニーヴィは真剣に受け止めざるをえなかった。
「みんなが嫌っている僕なんかのために、なんでそこまでしてくれるの?」
 ニーヴィは心底わからないというように、尋ねた。
 ルアンは憤然として言った。「嫌いだって言われたことあるの?」
 ルアンは首を振った。「誰も僕なんかに話しかけないさ」
「そらみろ。お前のは全部思い込みだ」
「いやいや」ニーヴィは周りから向けられる視線を思い浮かべて身震いした。「あの目つきといったら——」
「ほら、お前の番だ。やってみろ」
 ルアンに促され、ニーヴィはしぶしぶ谷に飛び込んだが、すぐにはじき返されてしまった。
 地面に叩きつけられて呻いていると、ルアンが見下ろして言った。
「俺はフローナみたいに優秀じゃないし、お前みたいな特別な羽色も持っていない。だけど、俺だけの使命があると思ってる」
 ニーヴィは片目でルアンを見上げた。
「今日はここまで」それだけ言うと、ルアンは行ってしまった。

 例年夏至の日に、その年の若鳥の中で一番優秀な者が〈調律の舞〉の卒業試験を受ける。その出来によって、若鳥全体の命運が占われる重要な役どころだ。
「フローナ、前へ」
 教官に呼ばれたのは、大方の予想通りフローナだった。
 全若鳥と、教官たちが見守る中、フローナが誇らしげに顎を上げて進み出た。
 天気は晴れ渡っていたが風は強く、遠くスコール荒原の地平には黒雲が沈んでいる。
「はじめ!」教官の合図で、フローナは谷へと飛び出した。
 渦を巻きながら吹き上げる風の真ん中に、ホバリングでピタリと制止する。攻撃的な風がフローナの身体に突き刺さり、翻弄しようとする。フローナは風を全身で受けながら、跳ね返すことなく滑らせ、自分の尾羽へと束ねていく。無軌道な風が、次第に調律されていく。そしてついに、フローナの尾羽に、しっかりと結びつけられた。
 こうなれは、どんな暴風ももはや敵ではなく、力強い味方になる。フローナは宙返り、急上昇、旋回、きりもみと、規定のアクロバット飛行を完璧に成し遂げた。
 フローナは見事に〈調律の舞〉をやり切り、教官の元へ舞い戻ると、一度羽を震わせて身を整えた。
 教官は満足げに微笑んで言った。「合格だ」
 若鳥たちの間から歓声があがった。フローナは頬を上気させて、湧き立っている集団の中に、ひとりの姿を無意識に探していた。

 夕刻、雨が降り出した。
 ねぐらの大木に三々五々集まって来ている群れの中にルアンの姿を見つけ、フローナは隣に飛び移った。
 ルアンはすこし身体をずらしてフローナの場所をつくると、顔を輝かせて言った。
「やあ、フローナ。卒業試験合格おめでとう!」
「ありがとう」フローナは答えながら周りを見回した。
「見事だったよ。完璧だ。君は本当に凄いよ」
 惜しみなく賛辞を贈るルアンに、フローナは少し照れて言った。
「あれくらいできて当たり前なの。私は特別だから」
「特別?」
 それには答えずに、フローナはまた周りを見ながら訊いた。
「ニーヴィの特訓はうまくいってる?」
「ああ、俺と同じくらいにはできてるよ」
 フローナはルアンをまじまじと見つめた。
「な、なに?」急にじっと見られてルアンは赤くなった。
「あなた、ずいぶん逞しくなったわね」
「ええ?」ルアンはますます赤くなった。
「そ、そりゃあね、俺はみんなの二倍練習してるからな」
「確かに」フローナは真面目な顔で頷いた。
「あなたがいてくれてよかった」
 ルアンはフローナの横顔を見つめた。
「だけど、君はどうしてそんなにニーヴィにこだわるんだ?」
 フローナはルアンを見つめ返した。
「私には、わかるからよ。彼が群れに必要だってことが」
「君の、特別な——能力で?」
 フローナは、少しためらってから話し始めた。
「私、卵のときに光っていたらしいの」
 ルアンは目を丸くした。
「それで、私の巣で卵から孵ったのは私だけだったの」
「あ——」ルアンは後じさりした。
「私、他のきょうだいたちのエネルギーを全部集めてしまったんだわ」
 ルアンはさらに一歩下がった。顔が真っ青だった。
「だから私は、みんなの分も——ルアン?」
 ルアンは目を閉じてガタガタと震えていた。フローナは驚いて近づこうとしたが、ルアンは飛びのいた。
「ごめん」
「——ルアン?」
「ごめん」ルアンは再び言って、飛び去った。残されたフローナは茫然と佇み、絶望に打ちひしがれていた。
 雨音が激しさを増していった。

 ミストラル山の頂近くに古い巨木があり、長老の樹と呼ばれている。内部には広い洞があり、群れの指導者たちが会議を行う場所となっていた。
 今日の議題は、他でもないニーヴィの扱いについてである。
 教官のひとりが言った。「今年の若鳥は全員〈調律の舞〉の卒業試験に合格しました。ニーヴィを除いて」
「彼は一度も訓練に来ていません」別の教官が重ねて言った。
「でも、自主的に練習しています」フローナが長老を真っ直ぐに見て訴えた。彼女は、若鳥の中で唯一この集まりに参加を許されている。
「そもそも、あの羽色は厄災の兆しであろう。渡りに同行させたら何が起こるかわからぬ。群れの安全を第一に考えるべきだ」指導者のひとりが重々しく口を開くと、皆が顔を見合わせた。
「ちょっと待ってください。ニーヴィを置いていくということですか」
 フローナは身を乗り出して叫んだ。長老が目でたしなめると、彼女は黙って周りの年長者たちを睨みつけた。
 長老が厳かに語り始めた。
「我らがヴィンドラ族に語り継がれておる伝承によれば『色を持つ羽が現れるとき、必ず風の乱れが起こる』ということだ」
 場が静まり返り、緊張が走る。長老は続けた。
「だが、この伝承だけでは定かではないことがある」
 長老は、フローナと目を合わせて言った。
「羽の色は『兆し』なのか『鍵』なのか、ということだ」
 フローナはぎゅっと目を瞑った。
「判断がつかない以上、ニーヴィは渡りに連れてゆくしかあるまい」
 フローナは目を開け、ほっと息を吐いて言った。
「ありがとうございます、長老」

 秋も深まり、ひときわ冷え込みの強くなった朝のこと。
 誰もいない谷の渦巻く風の中で、ニーヴィは静止していた。正確には、ホバリングで空中の一点に留まっている。
 風の声を聴き、羽根の一枚一枚がその意味を理解する。バラバラの意図を調律してまとめ、自分の尾羽にまとめて結ぶ。その状態を保ち続ける。
 そこへ、ふいにフローナが飛び込んできて、ニーヴィの隣で同じようにピタリと静止した。
 ふたりは無言で、風の意志を感じ取ろうと耳と心を済ませていた。
 突然、風の中に『怒り』が混ざり、尾羽から外れてふたりを弾き飛ばした。ふたりは砂地に投げ出されて転がった。
 フローナがすぐに体勢を直して言った。「なに、今の——」
「なんだったんだろうね」ニーヴィも身震いをして羽を整えた。
 ふたりは高枝へ飛び移った。
「今日はルアンと一緒じゃないのね」フローナが言った。
「いつも一緒にいるわけじゃないよ。それにもう、あいつから学ぶことはないしね」ニーヴィは羽繕いを始めながら言った。
「言うわね」フローナはくすりと笑った。それから自分も羽繕いをしながら、さりげなく言った。
「ルアン、私のことなにか言ってない?」
「なにかって?」
「……」
 ふたりはしばらくバサバサと羽繕いの音をさせていたが、ニーヴィの方が先に終わってフローナを見た。フローナはいつまでも羽をごそごそとつつきまわしていたが、ふと止まると、遠くを見ながら言った。
「私、ルアンに嫌われたみたい」
「そうなの?」ニーヴィはさして気のなさそうに応じた。
「……」
 フローナがそれ以上何も言わないので、重ねて聞いてみた。
「どうして?」
 フローナは俯いて小さな声で言った。
「私が——特別だから」
 ニーヴィは溜息をついた。「そんなことか」
 フローナが羽毛を逆立てて何か言いかけるより早くニーヴィは言った。
「君が特別なのは、君のせいじゃないよ」
 フローナの表情がくにゃりと曲がった。
「だいたいね」ニーヴィは続けた。「僕くらい嫌われ慣れていると、誰かに嫌われたかどうかなんて、どうでもいい話だよ」
「ニーヴィ、あなたは嫌われているわけじゃ——」
「いいんだよ。こんな羽色なんだから仕方ないさ」
 フローナは首を振った。
「あなたの羽の色は綺麗だわ。最初にそう言ったでしょ」
 ニーヴィは肩をすくめた。
「ありがとう、嬉しかったよ。でも、綺麗なだけじゃ役にたたないどころか、不吉で迷惑——」フローナが素早くニーヴィをつついた。そして嘴の先を彼の首の羽毛に埋もれさせたまま言った。
「あなたも、特別なのよ」
 ふたりは、そのまま無言で固まっていた。
 風が、膨らんだ。次の瞬間、暴発した。それは突然起こった。
 谷の北側、スコール荒原から恐ろしい咆哮が空を引き裂いて響いてきた。
「スコールヴァル!」ふたり同時に叫んだ。
 荒れ狂った風が吹きつける中、ふたりは急いで長老の元へ飛んだ。

 轟々と北風が唸りを上げている。
 集まった群れを見渡して、長老が言った。
「今年はやや遅れていたが、ようやくスコールヴァルが目覚めた」
 言いながら、長老はニーヴィのことをチラリと見たようだった。ニーヴィは一番後ろで隠れるようにしていたが、どうしても羽色で目立ってしまう。
「今年生まれの者たちにとっては試練となるだろう」
 よく見れば、ニーヴィ以外の若鳥たちは、全員群れの最前列で長老の話を熱心に聞いている。真ん中にはルアンの姿もあった。一緒にここへ来たはずのフローナはいつの間にか長老の隣で、こちらを向いて立っている。
 ミストラル山より北、スコール荒原に眠る巨大な風狼、それがスコールヴァルだ。その目覚めが荒れた北風を起こす。スコールヴァルの力強い風に乗ることで、ヴィンドラ族は越冬地であるエルドヴァルの森まで渡るのである。
 スコールヴァルの起こす風は冷たく、速く、猛々しいものだが、上手く乗れば一気に南下できる。しかし風に乗る技術が未熟な若鳥にとっては、渡りは命を落とす可能性もある危険なものだ。
 長老は若鳥たちを見回して言った。
「お前たちは、みな〈調律の舞〉の試験に合格している。しかし、これからが本番だ。スコールヴァルの風に乗れて初めて一人前と認められる。必要なのは“風との調和”だ。風に選ばれた者だけが遥か南の地、エルドヴァルの森に歓迎される」
 若鳥たちは、みな神妙な面持ちで聴いている。
 ニーヴィは、どこか落ち着かなかった。誰もが危険な旅となることを知っている。不安な要素は極力排除したいはずだ。ニーヴィは、この集会の始めに、長老から向けられた視線がずっと心に刺さっていた。その目は、まるでニーヴィのせいで出立が遅れているとでも言いたげだった。
 長老は最後に宣言した。
「明日未明に《風結びの儀》を執り行い、その後ただちに出発する」

 その晩、ニーヴィは緊張してなかなか眠れなかった。風はねぐらの枝葉を大きく揺らし、唸りを上げている。時折、スコールヴァルの咆哮が夜空にこだまする。
 激しく上下する枝の間をぬって、誰かがこちらへやってくる。鈍色のひときわ大きな身体。長老だった。
 ニーヴィは驚きのあまり口もきけずに固まった。長老は、目の前までくると、周りには聴こえない低い声で言った。
「お前は群れの最後尾につけ」
 ニーヴィは息を呑み、返事をするのも忘れ、ただ目を丸くして長老を見つめた。長老はそれだけ告げると、すぐに去って言った。
 風の音を聴きながら、ニーヴィは今の言葉を噛みしめていた。
 死刑宣告を受けたようなものだった。

 翌朝、まだ陽が昇る前に《風結びの儀》が始まった。長老が渡りの無事を願い、風の精霊に祈りを捧げる。
 続いて、若鳥全員による〈調律の舞〉の披露。これまでの訓練とはけた違いの暴風が吹き荒れる中、みな必死に風をつかまえ、尾羽に結んで舞った。
 儀式は滞りなく進み、群れの意識は高揚して一体となった。
 出立の時を迎えた。
「風は我らが友。絆を結びいざゆかん、エルドヴァルの森へ。出発!」
 長老の掛け声と同時に、全員が飛び立った。
 ミストラル山に常に吹き寄せている穏やかな南風を押し戻し、スコールヴァルの起こす凶風に乗り一気に南下する。背後からは、巨大な風狼の雄たけびが迫ってくる。
 風狼スコールヴァルの姿を実際に見た者はいない。彼はスコール荒原に棲み、そこを離れることはないと言われている。しかしその狂暴な思念が風とともにまとわりつき、まるですぐ隣で吠えているように感じられる。その恐怖に囚われたら一巻の終わりだ。風が乱れ、尾羽からはずれてしまう。それなれば、荒れ狂った風に叩き落とされてしまうだろう。渡りは風に乗る技術と、風狼への恐怖に打ち勝つ心の強さを必要とするのだ。

 群れは、若鳥たちを中心にはさみ、周囲で年長者がペースを作りながら一丸となって南を目指した。
 群れの最後尾で、ニーヴィは必死に羽ばたいていた。
 一瞬でも気を抜けば、尾羽から風が外れてしまう、そんな緊張感に身体が強張っていた。
 しかしそんな力みも、飛び続けているうちに、だんだんとほぐれてきた。“風は我らが友”——《風結びの儀》で長老の言った言葉が蘇る。背後から届く恐ろしいスコールヴァルの咆哮さえも、まるで自分たちを鼓舞してくれているようではないか。
 ところが、そんな慢心を打ち砕く強烈な怒りの思念が襲ってきた。風は大きく乱れ、群れに動揺が広がった。それでも、飛び続けなければならない。この風から外れたら最後、エルドヴァルの森へはたどり着けないのだ。
 激しい怒りの思念はどんどん強くなり、それはもはや思念だけではなくスコールヴァルそのものが背後に迫って来ていることを伝えていた。
 群れの最後尾にいるニーヴィは、恐ろしいスコールヴァルの吐く獰猛な息が背中に届くのを感じた。振り返ることはできない。スコール荒原を離れることはないといわれていたスコールヴァルが、すぐ後ろまで追ってきている。
 ニーヴィは混乱した。猛り狂う風狼の怒りに、自身の心を支配されそうになる。
「どうして——」
 疑問と恐怖が、抱えきれないほどに膨らみ、ニーヴィの心を引き裂いた。同時に、スコールヴァルの牙がニーヴィの尾羽を捕え、その身体を一息に呑み込んだ。風狼の口が閉じられる瞬間、ニーヴィの瞳に、いつの間にか群れの後方に移動していたルアンがこちらを向いて目を見開いている姿が映った。
 ——そして、暗黒が訪れた。



へつづく


画像:いしも ともりさん 作


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