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噌羅皨照が言う「想惑」(イタチごっこ)とは⁉︎

☆イタチごっこについて☆

イタチごっこと言う言葉が昔からあります。
イタチごっことは堂々巡りや、結論が出ない事柄などによくネガティヴなイメージで使われます。

しかし、私はこの「イタチごっこ(想惑とも言います)」こそが成功や幸せの秘訣だと考えています。
イタチごっこを肯定的に受け取る事を
(ポンリ論)は推奨しています。

つまり「ポンリキー」にするべきだと思うのです。

イタチごっこのイタチは成功の守り神です。

それを込めて私は「ペカ君」と言うキャラクターを作りました。
ペカ君とは正式にはペカポンと言います。
ペカポンとはペカっている「光っている」ポンリのことです。

ポンリがペカるとは⁉︎

「ポンリがペカる」とは、想天ともいい、個人が内面の成長と自己実現を達成する状態を指します。

想惑を繰り返していく事により、想惑が天の声をきく状態になった時、つまり、ペカるわけです。

この表現は、自己のアイデンティティや真の自己を磨き、精神的な光や輝きを放つようになるプロセスを象徴しています。

この状態に達するためには、エゴや煩悩を超え、自己の内面と向き合い、成長することが必要です。ポンリ論では、自己探求の旅を通じて、内面の葛藤を解決し、より高い意識のレベルに到達することが目指されています。


その光っているポンリを導くキャラクターがペカ君なのです。☆ペカ君のLINEスタンプ販売中!

※ペカ君(ペカ様)が活躍する物語(ペカ様のお話し)はこちら!

噌羅皨照が言う「想惑」とは自己の内面と向き合い、自己のアイデンティティや欲求を探求するプロセスを指します。

このプロセスは、自己反省、自己認識の向上、そして自己の問題や改善点に対する洞察の獲得を含みます。想惑は、自己の限界を認識し、それを超えるための方法を模索することを目的としています。

仏教では基本的に想惑の事を迷いの中にいる否定的な状態としていますが
ポンリ論では想惑とはの迷いの中に光を見出そうとする行為としていまして
この行為(※つまりイタチごっこの事)はポンリ論ではこれを神聖な想惑の行為とし、「想聖」(そうせい)とも言います。

「イタチごっこ」という表現は、このプロセスが絶えず動き続けるものであることを示唆しています。

イタチごっこは、捕まえようとすると逃げるイタチのように、自己の欲求やアイデンティティは常に変化し、完全には捉えられないものです。

したがって、自己との対話を通じて、自分自身の問題や改善点を理解し、それに対処することで、アイデンティティが成長し、ポンリのペカりに近づいていきます。

このようにして、個人は自己の本質を表現し、内面の平和と理解を深めることができるのです。

(噌羅皨照のメモ用紙から)

また、イタチの世界は現世界と別の理をもつ、裏の世界として存在していると言うのが私、噌羅皨照のイタチごっこにより導き出した考えであり、私たちがポンリのペカリを得る為には「裏の世界の理」をイタチごっこの中で導き出して行く事も重要な目的です。

イタチごっこが極まってくると何がおきるのか⁉︎
「想惑明(ペカチカ)」について

イタチごっこが極まってくるとやっとイタチが一瞬見える時が来ます、この状態を想惑明と言います。想惑明の事を「ペカチカ」とも言います、ペカチカが起きたら、次はイタチを捕まえる、つまり、コレが「ペカル」です。
ちなみに私がこのプロセスに気づいたきっかけは以下のコラムにあります👇

例えばこのプロセスを私は漫画など、創作をする際にも応用しています。
その極意を以下に説明します。

アイデア創出の極意 〜 イタチごっこからペカル瞬間へ 〜

創作や思考の過程で、「良いアイデアが浮かばない」「考えがまとまらない」と感じることは誰しも経験するものです。この状態はまさに“イタチごっこ”。考えても考えても、堂々巡りになり、出口が見えません。しかし、そこで諦めずに追い続けると、やがて“ペカチカ”の瞬間が訪れます。

この“ペカチカ”の状態とは、アイデアの核心がぼんやりと見え始める瞬間のこと。明確には掴めないが、「もしかして…?」という感覚が芽生え、霧の向こうに何かが浮かび上がる。この段階に到達すると、ペカル瞬間(アイデアが完全にひらめく)まであと一歩です。では、どうすれば確実にペカルまで辿り着けるのでしょうか?

第一の極意:発想の迷路を恐れない

アイデアを出す過程では、「こんなの意味がないのでは?」「また同じところをぐるぐるしてる…」と不安になることがあります。しかし、イタチごっこを繰り返す中で、思考は確実に深まり、不要なものが削ぎ落とされていきます。だからこそ、まずは“考え続けること”をやめない。どれだけ無駄に思えても、そこで思考を止めなければ、いつかペカチカが訪れるのです。

第二の極意:断片をつなげ、違和感を探る

ペカチカの状態に入ると、「何かが見えかけているが、まだハッキリしない」という感覚が生まれます。このとき大切なのは、思考の断片を整理し、違和感を観察すること。

さっき考えていたことと、今思いついたことはどう関係するのか?
何か繋がる部分はないか?
逆に、この考えにしっくりこない部分はどこか?
イタチは目の前にいる。しかし、まだ捉えきれていない。このとき、視点を変えたり、別のアプローチを試すことで、イタチの動きを把握することができるのです。

第三の極意:ペカル瞬間は一瞬、つかみ取れ

そして、思考の点と点がつながる瞬間——それが“ペカル”です。アイデアが明確になり、「これだ!」と直感的に理解できる状態。ペカルは無理にひねり出すものではなく、ペカチカを維持し、集中し続けた結果、ある瞬間に自然と訪れるもの。

しかし、この瞬間を逃すと、またイタチは霧の中へと消えてしまいます。だからこそ、ペカル瞬間が来たら、それをすぐに言葉にし、形にすることが重要です。

アイデアを形にする流れ

1. イタチごっこ(迷走期)

→ 考えが堂々巡りし、何も見えない。
(※しかしこれを肯定的に受け止めて光を見出そうとする、つまりイタチを追いかけ続ける)

2. ペカチカ(直感が働き始める)

→ ぼんやりと核心が見え、「もしかして…?」と思う段階。

3. ペカル(アイデアが完全にひらめく)

→ バラバラだったピースがハマり、一気に視界が開ける。

このプロセスを意識することで、創作やアイデア出しの効率が格段に上がります。イタチごっこを繰り返しても焦らず、イタチカを経て、最終的にペカル瞬間を迎える。この流れを理解し、実践すれば、どんな難問にも突破口を見出せるようになるでしょう。

【ウラの世界(イタチの世界)は五黄地聖(聖は星とも表記)とも言います】

現世界とは異なる理を持つ裏の世界、すなわちイタチの世界が存在し、そこでの理解を深めることが悟りへの重要なステップであるという考えは、精神的な探求や自己実現のプロセスにおいて重要な視点を提供しています。


このような裏の世界への探求は、私たちが通常意識する現実を超えた理解を求めることで、自己の限界を超えて成長するための障害でありながら、同時に自己成長のための重要な手がかりを提供すると言えるでしょう。

それは、自己の内面と外界との関係を探求し、精神的な成長を目指すためのものです。

裏の世界への探究は以下の「聖天遍路」の世界観の元にも繋がっています↓

(聖天遍路第八話下~九話より)

噌羅皨照の作品や考え方については、WEBマガジン菩都歌巣などに公開中の漫画作品や公開されている様々な情報を通じてさらに詳しく知ることができます


(大日如来)

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