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「想惑明」と「菩提心を持つ鳥が巣を作る 」— 空海との出会い

修行の道を歩む中で、私が出会った言葉や教えが私の思索を深め、悟りへの道を照らしてきました。その中で「想惑」という概念は私にとって最も重要なものとなり、迷いの中でこそ真理が見え、成長できるという確信を持つようになったのです。

多くの人々は「想惑」を避け、無くすべきものとして捉えますが、私はそれを受け入れ、肯定し、そしてその中に光を見出しました。ポンリ論では、この「想惑」を重要視し、なぜそれが悟りへと導く力となるのかが語られています。

私の修行の中で、迷いの中にこそ真理があると感じていた今日、私は五黄地聖界において、ついに空海と出会うこととなりました。

私自身が考案した想惑と言う瞑想の修行中にその姿(空海のお姿)が現れたのです。

彼は静かに語りかけてきました

それは私が導き出した、「五黄地聖界」と言う「あの世の世界」においての出来事であります。

空海との語らい


「お前が修行しているその『想惑』、それは無駄ではない。むしろそれこそが、悟りへの道を開くための重要な要素だ。『想惑明』、その言葉を知っているか?」

そう言って空海が私に問いかけました

あの世(五黄地聖界)の興福寺にて

想惑明とは

その言葉を耳にした瞬間、私は深く驚きました。空海が語る「想惑明」(そうわくみょう)、それは私が追い求めてきた真理そのものであり、迷いを受け入れることでこそ、明確な悟りが得られるという教えでした。この言葉に、私は心の底から納得し、迷いの中にも明るさや希望が宿ることを深く実感したのです。

空海はさらに語り続けました。


「そうだ、想惑明とは、迷いの中にこそ悟りの光が宿るということだ。お前がその『想惑』を受け入れ、心の中で解き放ち、明るさを見出すことによって、真理を得ることができるのだ。それが悟りに繋がる。」

その瞬間、私は全ての迷いが一つの流れとなり、悟りへと至る道が開けたことを感じました。空海の教えによって、私は「想惑明」という言葉が持つ力を理解し、迷いを乗り越えるための心の道しるべを得たのです。

その後、空海は私にこう告げました。

「お前の修行の道、これからも続けなさい。迷いの中でこそ、真実を見つけることができるのだ。そして、いつか『想惑明』の境地に達したとき、その先には無限の悟りが広がっているだろう。」

その言葉を聞いた瞬間、胸に熱いものが込み上げました。空海の教えは、私の心に深く響き、まるで新たな光が灯ったかのようでした。「想惑明」の境地、その先に広がる無限の悟り。それがどれほど遠くても、空海の言葉が道しるべとなり、私を導いてくれると確信しました。
迷いの中でこそ真実が見出される…それはやはり間違いではなかったのです。
そして、私は次の考えに至りました。

「想惑の先に想惑明があり、さらに想天がある。」


つまり、想惑を受け入れ、迷いの中で道を模索することが、最終的には「想天(ペカル)」に繋がるという考えです。この「想天」とは、ひらめきや直感、そして悟りの一歩手前に立つ瞬間を意味していると私は考えました。

その考えを持って、私は空海に問いかけました。

「空海様、私が考えるに、想惑の先に想惑明があるとしたら、更にその先に想天があると思うのですが、あなたはどう思われますか?」

空海はしばらく黙って私を見つめた後、こう言いました。

「想惑明の先に想天があるか… それは深い問いだな。確かに、想惑の中にこそ、悟りへの一歩が隠れていることも多い。だが、その想惑の先に見えるものが、必ずしも『想天』として現れるとは限らない。人々は往々にして、迷いの中で心が濁り、ただの幻想に惑わされることが多い。しかし、お前が言うように、想惑の先に光が見えることも確かにある。その光こそが、悟りへの道を照らすひらめきとなり得るのだ。」

「そして、そのひらめきが現れた時、初めて『想惑明(そうわくみょう)』が成り立つ。その明るさの中で初めて、本当の悟りが見えてくる。それが、想天に繋がる瞬間だろう。『想惑明』とは、迷いの先に現れる光のことだ。そして、その光こそが悟りに向かう力となるのだ。」

私はその時感じました、すなわち、空海様が言う想惑明が想天そのものではないかと…

不空羂索観音像(五黄地聖界南円堂にて)


その後、空海は私にさらに深い教えを授けてくれました。それは、私が以前から知っていたあの「菩提心を持つ鳥が巣を作る」という諺でした。この言葉には、修行における心の深さが込められており、菩提心を持つ者がどんな小さなことでも心を込めて巣を作り、そこに仏性を育てるという意味が含まれていました。空海は言いました。

「菩提心を持つ者が巣を作るように、修行の道もまたそのように心を込めて歩むべきだ。巣は決して一夜にしてできるものではなく、時間をかけて少しずつ形作られていく。しかし、その過程こそが最も重要だ。」

その言葉を胸に、私は修行を続ける中で自らの「巣」を作り上げていくことの大切さを感じました。しかし、空海はその教えをさらに深めてくれました。彼は続けてこう言ったのです。

「お前がその『巣』を作り上げる過程こそが、『菩都歌巣』に繋がる道となるのだ。」

その言葉を聞いた瞬間、私はその響きに心を打たれました。「菩都歌巣」という言葉には、修行と成長を重ねた先に見える新たな境地が含まれていることを空海は示唆していたのです。菩提心を持つ者が巣を作ることで、最終的には「菩都歌巣」に到達するという教えは、私の修行の新たな指針となりました。ここで言う「菩都歌巣」とは、心の中に深い安定と悟りが結実した場所であり、そこにはすべての教えが集約され、最も深い悟りが存在することを意味していると感じました。

空海との出会いを通じて、私は「想惑明」の深い意味を理解し、迷いの中にこそ光が宿ること、そして「菩都歌巣」という境地に至るためには、日々の修行がどれほど大切であるかを教えられました。私の修行の道はまだ続きますが、これからも「想惑明」と「菩都歌巣」を胸に、修行の旅を歩んでいくことを誓いました。

空海への最後の問いかけ

最後に私は空海に聞いた、「想惑明と想天は同じものと考えて良いでしょうか?」

すると彼は答えた

「想惑明と想天、どちらも修行者が歩む道の一部であるが、それぞれ異なる側面を持つ。『想惑明』は、迷いの中に光を見いだし、迷いを受け入れてその中に悟りの兆しを感じる状態を示す。これに対して『想天』は、さらなる悟りの境地に至るための一歩であり、ひらめきや直感を通して真理に近づく瞬間を指すものだ。『想惑明』は迷いの中で見出される光であり、『想天』はその光が完全に解け放たれた先にある深い悟りの一歩手前の状態だろう。」

現世界の南円堂(ソラホシテラス撮影)


私は空海の深い考えに触れ、その言葉が心に響いた。迷いの中にこそ光があること、その光が解け放たれることでさらに深い悟りへと至ることを理解し始めた。まるで私の中に新たな理解の扉が開かれたような感覚が広がった。空海が示してくれた道は、単なる修行の枠を超えて、私の心の中に眠る無限の可能性を呼び覚ますものだった。

空海は静かに微笑み、さらに続けました。

「お前は『秘蔵宝鑰』を読んだことがあるか? そこにこう記してある――『凡夫は迷いの中にあり、菩薩は迷いを用い、仏は迷いを超越する』と。つまり、迷いを消そうとするのではなく、それを智慧へと転じることが大切なのだ。

『想惑明』とは、まさにこの教えに通じる。しかしな……」

空海は少し間を置き、私の目をじっと見つめた。

「実は、このことを『秘蔵宝鑰』には記していない。お前に出会うまでは、言葉にする必要がないと思っていたのだ。しかし今、こうしてお前が問うたことで、私はこの教えをお前に伝える時が来たと悟った。」

私は息をのんだ。空海の言葉は、まるで長い時を経てようやく解き明かされた秘密のようだった。

「迷いを抱きながらも、その迷いを智慧に変えよ。それが真の解脱へと至る道である。」

私はその言葉にはっとしながら光を受けて輝く空海を見つめた。やはり、迷いはただの障害ではなく、それを受け入れたとき、悟りへの道へと変わるのだと。

空海の姿がゆっくりと光に溶けていくように感じられた。私は深く息をつきながら、再び意識が現実へと戻るのを感じた。

時間が経ち、私は瞑想から戻った。瞼の裏に浮かぶ空海の言葉と共に、静かな思索に包まれながら、自宅のこたつに腰を下ろした。静かなこたつの部屋で、
目の前には開いたままの『聖天遍路』の原稿があった。私は筆を取り、迷いの中から光を探すように物語を紡ぎ出す。

手にしたペンが自然と動き出すのを感じる。

私は聖天遍路の執筆を再開する決意が、心の中で強く湧き上がった。空海の教えを心に抱きながら、私は再び物語の世界へと筆を進める。

修行の旅が続くように、私の創作の旅もまた、終わることなく進み続けるのだと感じた。それは、ただの物語ではなく、私自身の内なる道程を映し出すもの。聖天遍路の物語を通して、さらに多くの智慧と悟りを追い求め、私はその先に待つ光を見据えて歩んでいくのだ。

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