AIにダメ出ししまくっていたら、指導案づくりの本質が見えてきた
4年ぶりの指導主事訪問に向けて、AIと授業案を練って気づいたこと
今、指導案を作っています。
なんだかんだで、指導主事に授業を見ていただくのは4年ぶりくらいです。
研究授業自体は、これまでも何度か経験してきました。
指導案を書くことにも、まったく慣れていないわけではありません。
それでも、やはり少し緊張します。
指導主事に見ていただく授業となると、いつもの授業とは違うスイッチが入ります。
本時の目標。
研究とのつながり。
児童の実態。
学習課題。
発問。
活動の流れ。
評価の位置。
板書。
予想される児童の反応。
このあたりを一つずつ考えていると、
「ああ、指導案を作っているな」
という感じがします。
少し胃のあたりが重くなる感じも含めて、指導案です。
ただ、今回の指導案づくりは、前回とは決定的に違うことがあります。
AIがいます。
しかも、かなり厳しめに付き合ってもらっています。
前は、何をするかをかなり考えていた
以前の授業づくりでは、まず「何をするか」をかなり考えていました。
導入で何を見せるか。
自力解決で何をさせるか。
話し合いをどう入れるか。
全体共有で何を取り上げるか。
まとめをどうするか。
適用問題はどこに置くか。
振り返りに何を書かせるか。
もちろん、これは今でも大事です。
授業は、流れがないと動きません。
研究授業では特に、授業の流れと研究の視点がつながっているかが問われます。
この活動は何のために入っているのか。
この発問で、どんな思考を引き出したいのか。
評価は、どの場面で何を見るのか。
そういう整合性は、指導案ではかなり大切です。
自分で言うのも少しあれですが、私はたぶん、そこを考えるのは比較的得意だったのだと思います。
指導案全体の流れを整えること。
研究の視点と授業展開をつなぐこと。
本時の目玉を見えるようにすること。
見た人が「なるほど」と思えるように組み立てること。
これまで指導案で褒めていただくことがあったのも、たぶんそのあたりでした。
授業の設計図として、筋を通す。
ここにかなり気を遣っていた気がします。
AIを使うと、悩む場所が変わった
今回も、もちろん指導案としての整合性は考えています。
ただ、AIを使いながら作っていると、悩む場所が少し変わってきました。
AIは、展開案をすぐに出してくれます。
導入案も出ます。
発問案も出ます。
児童の反応予想も出ます。
補助資料の案も出ます。
板書案も出ます。
指導案の文章も整えてくれます。
とても便利です。
白紙の指導案を前にして、しばらく画面を見つめる時間はかなり減りました。
あの時間は、なかなかつらいです。
画面もこちらを見つめ返してきます。
何も生まれません。
AIを使うと、ひとまず何かは出ます。
ただ、何かが出るからこそ、逆に問われるものがあります。
それは、
結局、この授業で何を育てたいのか
です。
AIは、それっぽい展開を出してくれます。
でも、こちらの願いが弱いと、出てくる案も薄くなります。
「いい感じの授業案」はできます。
でも、それが自分の授業かと言われると、少し違う。
ここが面白いところです。
AIを使うと、考えなくてよくなるのではありません。
むしろ、
「自分はこの子たちに、どうなってほしいのか」
から逃げにくくなります。

最近、AIにかなり強めに言っている
指導案を作りながら、AIにはかなり強めに言っています。
「これじゃ児童の思考が育たないでしょ」
「もっと〇〇に着目させたい」
「この発問だと、ただ答えを言わせて終わりじゃない?」
「補助資料がないと、この子たちはここで止まると思う」
「なんでここでその発問なの?」
「この流れだと活動に必然性がない」
「さっきの発問は悪くないけど、前半に入れると流れが切れる」
「後半で生かせるように組み直して」
「やっぱり全体のアウトラインから作り直して」
かなり言っています。
人間相手なら、たぶん職員室の空気が悪くなります。
場合によっては、面談が設定されます。
AIでよかったです。
ただ、これは単にAIに雑に当たっているという話ではありません。
AIはヘソを曲げません。
こちらが何度も違和感をぶつけても、
「承知しました」
と言って、また案を出してくれます。
この「何度でもやり直せる」というところが大きいです。
人間相手だと、どうしても遠慮があります。
同僚に何度も、
「やっぱり違う」
「もう一回考えて」
「それだと児童の思考が浅い」
とは言いにくいです。
言わない方がいいです。
確実に関係が悪くなります。
でも、AIには言えます。
だから、自分の中の違和感をかなりそのまま出せます。
「なんか違う」
「ここが弱い」
「この活動に児童の必然性がない」
「この発問では、見たい姿につながらない」
こういう違和感を言語化する相手として、AIはかなり使えます。
プロンプトより、授業観が問われる
AI活用というと、よいプロンプトが大事だと言われます。
それは確かにそうです。
条件を具体的に入れる。
児童の実態を入れる。
単元のねらいを入れる。
出力形式を指定する。
何を重視するかを伝える。
こうした工夫で、出てくる案はかなり変わります。
ただ、指導案づくりで改めて感じたのは、プロンプトの前に授業観があるということです。
自分が何をしたいのか。
どんな児童の姿を目指したいのか。
そこが曖昧なままAIに聞くと、AIは無難な案を出します。
きれいです。
整っています。
でも、薄い。
逆に、
「この子たちは、図には表せるけれど、式との関係を説明するのが弱い」
「友達の考えを聞いても、自分の考えと比べるところまでいっていない」
「ここでは、答えではなく、どう見たのかを言語化させたい」
「この活動では、〇〇に着目する必然性を持たせたい」
「この補助資料は、〇〇の理解に課題がある児童のために必要」
こういうことがはっきりしていると、AIはかなり使えます。
つまり、AIが授業を作るというより、授業者の意図を形にしていく感じです。
AIは便利です。
でも、こちらに授業の願いがないと、便利なだけで終わります。
指導案の整合性から、児童の変容へ
以前の指導案づくりでは、整合性をかなり意識していました。
もちろん、今もそこは大事です。
目標と評価がずれていないか。
本時の活動が単元の流れとつながっているか。
研究の視点が授業の中に見えるか。
学習課題とまとめが対応しているか。
これは、指導案として外せません。
ただ、AIと対話しながら作っていると、もっと手前に戻されます。
「この授業で、児童はどう変わるのか」
です。
この発問で、児童は何に気づくのか。
この活動で、何を比べるのか。
この資料で、どのつまずきを支えるのか。
この話し合いで、何が深まるのか。
このまとめで、何を自分の言葉にするのか。
指導案の見た目を整えるだけでは済まなくなります。
AIがいろいろな案を出してくれる分、
「いや、それは違う」
「そこではない」
「もっと児童の〇〇を引き出したい」
と、自分で選び直す必要があります。
その過程で、授業者としての願いがかなり表に出てきます。
結局、指導案づくりで大事なのは、
「何をするか」
だけではありません。
「何のためにするか」
そして、
「その結果、児童にどんな姿が生まれるか」
です。
当たり前のことですが、AIを使うことで、そこに戻されている感じがあります。
AIは指導主事の代わりではない
ここは、誤解されないように書いておきたいです。
AIを使えば、指導主事の指導がいらないという話ではありません。
むしろ逆です。
AIと事前に何度もやり取りすることで、自分の考えをかなり整理できます。
授業のねらい。
活動の意味。
発問の意図。
児童のつまずき。
補助資料の必要性。
評価場面。
このあたりを、指導主事に見ていただく前に、ある程度掘っておける。
その状態で人間の指導を受けるからこそ、より深い話ができるのだと思います。
AIには見えないものがあります。
授業中の空気。
児童の表情。
発問の間。
教師の立ち位置。
学級の関係性。
学校の研究の文脈。
その場で起きる偶然。
ここは、人間が見ます。
だから、AIは指導主事の代わりではありません。
事前に壁打ちをして、自分の授業観を整理する相手です。
AIと対話して考えを深めた上で、人間に見てもらう。
この流れは、かなりよいと思っています。
指導案づくりは楽になる。でも、逃げられない
AIを使うことで、指導案づくりは確実に楽になっています。
白紙から始めなくてよい。
展開案がすぐ出る。
発問案を比較できる。
補助資料の案も作れる。
指導案の文章も整えられる。
これは大きいです。
以前なら、かなり時間がかかっていた部分が短縮されます。
ただし、楽になることと、考えなくてよくなることは違います。
むしろ、考える場所が変わります。
文章を整えること。
活動を並べること。
それっぽい流れを作ること。
ここはAIがかなり手伝ってくれます。
その代わり、
「何を育てたいのか」
「なぜその活動なのか」
「その発問で本当に思考が動くのか」
「その資料は、どの児童を支えるのか」
「この授業で、どんな変容を見たいのか」
ここからは逃げられません。
AIは、そこを代わりに考えてくれるようで、結局こちらに返してきます。
問いが浅いと、返ってくる授業案も浅い。
願いが薄いと、展開も薄い。
なかなか厳しいです。
優しい顔をして、けっこう突き返してきます。

おわりに
4年ぶりくらいに、指導主事に授業を見ていただく指導案を作っています。
少し緊張しています。
ただ、前回の授業づくりの時にはなかったAIを使いながら、かなり濃く授業案を練っています。
そこで見えてきたのは、AIが指導案を代わりに作ってくれるということではありませんでした。
むしろ、
「自分は何をしたいのか」
「この子たちに、どんな力をつけたいのか」
「そのために、どんな活動や発問が必要なのか」
を、何度も問い直すことでした。
AIに指導案を作らせているつもりでした。
でも、気づけば、自分がどんな授業をしたいのかを問われていました。
指導案づくりは、AIで楽になります。
でも、授業観からは逃げられません。
そこが、AI時代の授業づくりの面白いところなのかもしれません。
