手のひらのイリュージョン(ミステリ小説第11話 新たな遺体)
音乃が遺体で発見されたのは、11月27日金曜日の23時だった。深夜の公園を巡回中の警備員が、たまたま見つけたのである。
彼女は公園の池で、うつ伏せに浮かんでいたのだ。綿引の父が死んだ時と同じ状況だ。
しかもなぜか、あの時同様池の水が減っていた。理由は全く不明である。その分池の周囲が水浸しになっていた。
これも、あの夜と同じである。何か大きな重い物が落下して、水を周囲にあふれさせたかのようだ。
死亡推定時刻は昨夜つまり、11月27日金曜日の21時から23時頃と鑑識の結果が出た。
綿引が昼に音乃と会っていたその日の夜に亡くなったのだ。
公園の周囲はぐるりと外側に向けて防犯カメラがしかけてあり、22時に公園に入った音乃の姿が録画されていた。
公園の中にもカメラはあったのだが所々死角があり、20年前あんな惨劇が生じたにも関わらず、遺体の発見された池を映したカメラはなかったのだ。
当時綿引の父の悲劇は事故として処理された。
その直後に池の周囲を夜間警備員が巡回する事が増えたと聞いたが、音乃の事件の担当を命じられた綿引が調べると、あれから長い時間が経過し、その後似たような惨劇もなかったため、いつのまにか警備員の人数や、巡回回数も減らされたそうなのだ。
池に浮かんだ遺体は、不思議に現実感がなかった。あの時と同じである。終わらない悪夢を、引き続き体感させられているようだ。
綿引は涼香と一緒に都内にある週刊スプリングの編集部を訪れた。編集長は50代の、恰幅の良い男性だ。八奈見(やなみ)という名字だ。
黒縁のメガネをかけていた。鼻の下と、頬から顎にかけて、豊かなひげをたくわえている。
この八奈見が用意した個室に、彼と2人の刑事の3名が同席した。
「このたびは、ご愁傷様です」
綿引は、声をかけた。
「七沢さんとは交流がありましたので、こんな顛末になり、本当に残念です」
「ありがとうございます」
編集長は、深々と頭を下げた。
「七沢は優秀な編集者で、これからが楽しみでした。1人で先走るなと言い聞かせていましたが、忸怩たる思いです」
八奈見の声は、震えていた。彼の様子が落ち着くまでに、時間を要する。やがて編集長は、自分から語り始めた。
「綿引さん、あなたは当然ご存知でしょうが、七沢は、20年前に亡くなった綿引さんのお父さんの事件を調べていました」
「それは、僕も聞いてました。以前彼女に話した時に、とても興味を持ってましたから。今だに割り切れない事件です。当時は事故で処理されましたが、親父は一滴も飲まない男で、酔っ払っていたわけじゃない。実際鑑識結果でも、アルコールは検出されなかったと聞いてます。池は浅く、親父は泳げたので、今だに溺死したのが、信じられません」
「七沢の体内からは、アルコールは出たんでしょうか? 彼女は酒は飲みましたから」
「出ませんでした。アルコールも出ませんでしたし、麻薬などの薬物も出ませんでした」
綿引は、鑑識結果を説明する。
「当然です! あの子は麻薬なんてやらない」
「無論です。念のため検査結果を伝えただけです」
綿引は、そう回答した。
「鑑識の結果では、何者かに背中から強く押しつけられた痕跡がありました」
「それでは殺人ですか?」
「ただおかしな話ですが、彼女が公園で亡くなったと思われる時間帯には、誰も公園に出入りしてないのが、防犯カメラの映像で確認されてます。これも私の父が亡くなった時と同じです」
「そんな馬鹿な……」
呆れた顔で八奈見がそう言葉を発する。気持ちはわかるがおかしくても、それが事実だ。
「警察は、何か隠してるんじゃないのか? もしやあんた達が七沢を殺したんじゃないだろうな?」
猛禽類の目つきになって、八奈見が聞いた。
「それは絶対にありません」
綿引は、断言した。
「失礼ですよ!」
隣の涼香が怒声をあげた。
「社会正義を追求するという意味では、あたし達もあなた方記者と同じです」
「でも実際に、一部の警察関係者が犯罪に走ったり、組織ぐるみの不正だって、あるじゃないか!」
綿引は左手で、涼香を制した。
「一部の人間に問題あるのはジャーナリストも同じでしょう。無論週刊スプリングさんは清廉潔白なんでしょうが」
綿引は、穏やかな口調を心がける。
「犯人が誰かわからんが、私は必ず七沢を殺した奴を見つけてみせる」
「殺人とは限りませんけどね。背中から何かで押しつけられたのは事実ですが、人為的な方法とは限りませんし。僕は七沢さんとは友人でした。少なくとも僕はそのつもりでした。仮に今回の件が殺人なら、必ず犯人をあげるつもりでいます」
「本気の言葉か? 蓬莱虹羽が亡くなったのも、本当は殺人だったんじゃないのか?」
「殺人だと断定できる証拠がありませんでした」
「殺人だと、警察に都合が悪かったんじゃないのか?」
「動機がないでしょう。グレート・ハンド教は信者数も少なく、特定の政党を支持してるわけでもない。政界や警察の上層部に対して影響力があるようには思えない」
編集長は黙りこむ。さすがに今の発言には反論出来なさそうだった。
「確かにそれは、その通りだ」
八奈見が認める。
「我々は過去に色々な宗教団体を調査したが、グレート・ハンド教は悪い噂を聞かなかった。綿引さんがおっしゃるように信者数が少なく、特定の政党や企業との癒着もなかった。蓬莱虹羽は清廉潔白な男で、教団内で犯罪やパワハラやセクハラなどの問題を起こした者は、すぐ除名した」
編集長は、説明を続けた。
「だからと言って、例えば警察や政界の腐敗や不正を追求するような真似もしなかった。だから、警察に恨まれたとは考えにくい。なので七沢がグレート・ハンド教と、綿引さんのお父さんが亡くなった事件を調査したいと七沢が口にした時反対した。我々のスタンスは社会正義の追求で、死因に不審な点があるにしろ、グレート・ハンド教自体に問題があるとは感じなかったからだ」
「僕の父親の件は?」
「綿引さんの気持ちはわかるが、20年前の話だろう。今から調べても、真相に辿り着けるとは考えられない。お父様の件は七沢を通じて聞いたが政治活動もしてないし、政界や警察の腐敗を追求するような人物でもなかった。なので仮に殺人だとしても、警察が関わったとは思えない。他に取材したいテーマがたくさんあるしね」
「よく、わかりました。腐敗と無縁そうな人物への取材は、優先順位が下がるわけですね」
「その通りです。でも、七沢は別だ。ご存知の通り我々は政治家や警察にも恨まれてる。七沢の死んだ事件に警察が無関係だったとは言いきれない」
「承知しました。言葉にしにくい事ですが、犯行推定時刻あなたは、どこにいらっしゃいましたか?」
「私を疑うのか!?」
「申し訳ありませんが、これも仕事です」
「徹夜で、ここで仕事してたよ。一緒に働いてた部下が大勢いるし、このビルには防犯カメラがたくさんあるから、アリバイはある。深夜勤務の警備員や、設備のメンテナンス担当の人もいたからな。ガードマン同様に、交代で深夜も仕事してるんだ」
「一時退館はしなかったんですか?」
「犯行推定時刻の22時から24時の間はなかった。七沢が珍しく早く帰ると言い出したから、おかしいと思ったんだよ。夜間1人で人気のない場所に行くなと、あれほど忠告してたんだが」
